満月に聴く音楽

宮本隆の音楽活動(エレクトリックベース、時弦プロダクションなど)及び、新譜批評のサイト

服部良一  『1934-1954 未復刻傑作選集』

2009-04-24 | 新規投稿

‘戦前暗黒史観’蔓延の要因を日教組による反日偏向教育や唯物史観にまみれた朝日、岩波など左翼言論機関に求めるだけでは無理がある。我々、戦後世代の感性の不感症の方がより問題なのだ。服部良一を聴こう。この正しくハイレベルに突き抜けたポップスが戦時中の日本で作られた事を確認し、その時代に対する自由な想像力を膨らませるべきなのだ。戦前の日本を今の北朝鮮と同一視するような無知を放っておくわけにはいかない。服部良一を聴こう。錯誤からの開放はここから始まる。はい。

コロムビア音源である『服部良一 / 僕の音楽人生』と『笠置シヅ子 / ブギの女王』(それぞれがCD三枚組!)をまず、お勧めする。(当ブログ08.02参照)これは共に必聴である。そしてビクター音源である『東京の屋根の下~僕の音楽人生 1948~1954』(CD二枚組)は灰田勝彦、服部富子等、同時代歌手によるオムニバスで、これも私は愛聴している。更に雪村いづみの服部カバー集『super generation』はティンパンアレイによる演奏とアレンジが光る傑作である。(当ブログ07.11参照)逆に現在のつまらないシンガーを集めて歌わせた『生誕100周年記念トリビュート』や小西ナントカとかいうシャレ者が洒落たアートワークでパッケージした『ハットリ ジャズ&ジャイブ』などは聴く必要はない。

‘我々、戦後世代の感性の不感症の方がより問題なのだ’と大げさに書いた。
情緒に深く感じ入る感性。他人との繋がりが濃厚で、悲しみも喜びも共有したかつての日本人の平均的感性は現代の個人主義的な即物的感性とは明らかに違う。貧しさや苦難は慕情を育み、一片の詩歌やバラッドに涙できる豊かな感性をつくる。悲劇の物語に対する精神的合一や喜劇に対する爆笑は、感情の量そのものに比例する時代的感性と言えたのだ。そこには現代的空虚や装飾された本性というポストモダンなシラケは介入しない。

‘ハイレベルに突き抜けたポップス’とも書いた。それは皆に等しく在った苦難や貧困、当然のようにある悲劇の日常に生きた嘗ての日本人の魂の躍動、その表出であると言わなければなるまい。メランコリーに深く沈む感性からの反動があのような極限の陽性となって現れ出るのだ。私はそれを感じる。‘悲’が奥深いからこそ‘喜’が爆発する。服部良一の音楽にあるこの両極を感じなければならない。従って、服部楽曲のポップなものだけを拾い集めた『ハットリ ジャズ&ジャイブ』は、その魅力を半減させた浅はかな編集モノであり、いかにも渋谷系などというスノッブのやりそうな所業だ。だから‘聴く必要はない’と書いた。

‘戦前暗黒史観’の誤りは、単純な‘戦前ハイカラ時代’に取って代わるものではない。戦前とは旧日本人が生息した‘情緒万能’と‘喜怒哀楽の振幅’が存在した時期の事であり、それは言わば‘感性の黄金時代’であった。小津、溝口など、世界に影響を与えたこの時代の日本映画の量産もそれを証明するだろう。

『1934-1954 未復刻傑作選集』は服部良一の未復刻作品集。
生涯作品数が二千曲に及ぶという服部楽曲は昭和5年の初吹込みからSPレコード時代の膨大な音源が未だ、CDはおろかLPにもなっていないと言う。聴きたいものである。商業ベースに乗らなくとも、全て復刻すべきではないのか。駄作も含めたこの時代の歌の総量を現代に放出する事をもって、歴史認識という学術的価値にも役立とうというものだ。

山田五十鈴の歌う「逢いみての」の叙情的なバラッドの美しさ。日米開戦直後の作品でこの時期はジャズ的アレンジが禁止されたらしいが、大陸情緒風メロディにジャズボーカルのブルースを加味したその苦肉のアレンジの努力が見て取れる。傑作だ。あのフューチャーポップ「流線型ジャズ」の志村道夫によるノスタルジックナンバー「月のデッキ」も味わい深い。この棒読みのような真っ直ぐな歌い方は何なのか。今にはない歌い方。しかし、やはり言葉が明確に発声されている事にまず、注意が向かう。日本語を巻き舌の英語発音で歌う現在の歌い方は全く低レベルなのだという事を再確認する。日本語の語感を強調する事はこの‘棒読みシング’こそが有効なのだ。恐らく今でも。更にこのアルバムには服部良一得意の民謡、音頭をポップに異化する試みが散見され、「ルンバ万才」、「ヤッタナ」等の躍動とほろ酔い郷愁感の交差が面白い。そして祭りのリズムに唐突に現れるジャズ的なソロパート等の配合感覚や型にはまらない言葉の遊びの中にその先鋭さを改めて認識できるだろう。

戦前から戦後に及ぶ服部良一の活動とは何だったのか。
私はそれをモダニズムの運動の一種であったと理解する。
明治以来、‘西洋’を摂取し続けてきた日本に於けるその‘カウンターゾーン’に対する受容がこの時期、始まっていた。例えば服部良一の同世代にはシュルレアリスト、瀧口修造がおり、当時のアカデミズム主流に反し、美術、現代詩などの前衛の導入を試行した。そこには西洋に於ける主流 / 反主流を意識し、その反主流の動向と併走する意識があった。服部良一が試みたのも大衆音楽に於ける王道を新種に差し替えるべく現在進行形のアメリカ アバンギャルドとしてのジャズやラテンを導入したのだと思う。しかも彼が偉大なのは、その‘最新’をあくまでルーツアイデンティティーに拘りながら日本音楽の型として創造し、そこに将来のメインストリーム像を明確に描いた事だ。

瀧口修造と服部良一。両者に共通したのは進取の精神であり、それは近代の超克を時代的要請とした日本が変成する過程に生じた変種としてのモダニズム運動であった。しかもその運動からイメージされるのは戦前、戦後の分断ではなく、その精神の連続性、日本人の持つ自由や至高価値への希求という普遍的な肯定性の思想なのである。時代や社会状況を問わない不変な原理としての肯定性という民族的特質の喚起と培養がこれらアーティストによって表現された。
従ってそのモダニズム運動とは激変する社会総体の意志であると同時に、変化に対応すべく人間の免疫力の向上を無意識に志向する開放でもあったと思う。
服部ミュージックの実験の体現者であった笠置シヅ子。当局からその異常に飛び跳ね回るステージングを危険視された彼女の爆発性は、その芸術が反時局的であると弾圧、拘留された瀧口修造の先鋭さと共通する、精神と肉体の解放の運動を意味した筈だ。

戦後に結実した主流としての地位は継続された運動の成果であった。
笠置シヅ子の動態も服部良一のダダ的言語やリズムの革新、和メロの昇華ももはや大衆的定着感と共に一つのスタイルとなった。私達は永遠に楽しめる。しかもその魅力は全く衰えず、未だ持って最新モードである。

2009.4.24



















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