満月に聴く音楽

宮本隆の音楽活動(エレクトリックベース、時弦プロダクションなど)及び、新譜批評のサイト

FRICTION 『DEEPERS』

2009-04-11 | 新規投稿

知人にミクシーに誘われたのが2年前。最初は好きなミュージシャンのコミュニティに20個ほど、入っていたが、殆ど読みも書きもしないという事で、順次、退会し、最終的にディラン、コルトレーン、フリクションだけが残った。今ではライブ情報が必要なフリクションだけでいいかなと思っている。元来、私にはインターネットの言語空間への参加を躊躇させる理由があった。匿名やハンドルネームという慣習が性に合わないからである。そこに自己防御や責任回避を感じるという屁理屈以上に、例えばハンドルネーム同士の会話の気持ち悪さという生理的嫌悪感の方が強い理由だろう。「そんなコミュニケーション、別に要らんやろ」と感じてしまう私は旧体質なのか。しかし、私にとっては‘別にええやん’では済まされない何か本質的に相容れないものを感じるのも事実だ。

もっともインターネットに於ける匿名とはタブーについての公開性と結びついた問題を含むので、その有効性も認識している。例えば隠された真実の伝播はしばしば、リスクを回避できる状態において発信されるものだ。多くの内部告発の類がそうであるように。デマゴーグとの識別を図る為にも一定の情報量は必要で、その集積には匿名を排除しては始まらない。しかし私が問題とするのは実はもっと気楽で理由なき匿名の事である。昨今、人間のコミュニケーションの希薄化とは、その量的問題以上にその深さに関する質的なものである。バーチュアルはもはや一つの時代的精神構造と化し、コミュニケーションの濃度基準をはるか後方に追いやった。生の人間関係の煩雑さ、軋轢を避ける傾向は過度且つ無意識な防衛本能を平均的感覚に据えたのだろう。従って、今の匿名には自己防御とか責任回避といった自覚すら実は無く、‘ただ、何となくハンドルネーム’なのだ。そしてその事の‘病み方’に気づいていないという退化が起きているという事であろう。
名乗る事と名乗らない事の境界線が崩壊している。本来、厳密な相違がある筈の両者が並行に許容され、そこに感覚密着性も生じているのだ。

名乗る(‘本名’の意に非ず。有名人のペンネーム、芸名も名前である)という事はそこに言説の責任感覚が生じ、絶えず自己に反証を強いる訓練と思考を練る感性が育まれる。逆に名乗らない事は安易さに流れ、自己批判と表現が一体化する契機が失われるだろう。匿名だからこそ全許容や全否定という極端化、デマの流布などがネットの言論空間では散見されるのではないか。それはコミュニケーションに対するイージーな精神の顕れだと断じて良い。恐らく、その果てに思考に、また感情にも‘ため’が存在せず、直線的で短絡的な感覚が肥大する。そして、軋轢を避ける体質から導かれるのは洗脳を可能にする思考の空白状態ではないか。不可侵を前提とする我々の社会がそれ自体、自由と民主を達成した成熟社会のように映っても、見えない侵犯に取り囲まれ、あらゆる局面に於いて‘濃度’、‘深さ’を排除する事で偽装された心地よさに在るという実相が日本でのネット文化にダイレクトに反映しているようにも感じる。

いささか強引な展開ではあるが、フリクションがその音楽性に受け持つ即物性、アンチブルース、アンチヒューマニズムな性質。その非―感情的世界は逆説的に人間の感情の襞、コミュニケーション、或いは対人、対社会という関係性のその濃度、深さについてのテーマを持つものである。実際、レックは昔から、個人の意志や社会との関係、コミュニケーションについて断片的ながら鋭い考えを表明し、歌詞の中にもサブリミナル的にその思想が散見されていた。あるいはレック自身が明確なコンセプトを表現に注入せずとも、結果的にフリクションの叩き出すビートの強さは、‘濃度’、‘深さ’の存在を我々に示し、虚構や中庸に対する嗅覚を研ぎ澄まされる事につながっていた。こじつけではない。フリクションのファンはライブや音源によって必ずそのような抽象感覚を得ていた筈であり、そしてその‘濃度’、‘深さ’とは物事の本質という観点以上に、人間の繋がりやコミュケーションに関するものであったと思う。勿論、それは ‘断絶への批判’という単純明快なものではないし、‘連帯’などという旧概念を喚起させるものでもない。フリクションはむしろそれに敵対すらしているだろう。そして社会やネットで見られる、‘ため’なき個人主義ならぬ自我主義の如き‘個の跋扈’を許容するものでもない。

更に強引な展開ではあるが、フリクションは表層を嫌い、‘深み’を追求、実践してきたバンドである。いや、正確に言えばバンドの自然体として‘濃度’、‘深さ’を身につけた存在であった。そんなフリクションが、久々の音源を届けてくれた。れっきとした新作であり、新曲2曲とカバー3曲による今回のミニアルバムはレック、中村達也の二人体制のフリクションによる待望のスタジオ作品である。前作『ZONE TRIPPER』(95)から14年という年数が経過した。10年に及ぶ活動休止を経て2006年にデュオで復活。現在までのこの間、ライブ活動の活発化。過去音源の復刻リリース、総括本の出版と、一定の話題の渦中にあった。むしろ70~80年代の活動ペース、そのゆったりとしたマイペースぶりを知るファンにとっては最近の方が、グループがより大きな認識度の中にいるようにも感じている。復活フリクションのライブ映像を収めたオフィシャルブートDVDも昨年、リリースされ、一つの作品として楽しめた。「さあ、あとは新曲だ」という期待値はファンの間で大いに高まっていた。

タイトルは『DEEPERS』。
不思議な語だが、フリクションらしいタイトルで、先程来、述べてきたグループの‘濃度’、‘深さ’をダイレクトに喚起させるものだ。DEEPという形容詞に行為者を表すERをつけ、更に複数を表すSをつけている。面白い。何となく納得させられる語感があり、そこに意味めいたものを見出せるだろう。しかもDEEPERSという響きが単純にカッコいい。以前の「gapping」(ギャッピング)などにも通じる一種の言葉遊び、造語だが、そこにフリクション特有の、何か本質的なものを感覚で表したいという志向を感じる。

注目はやはり、新曲の2曲である。
私の第一印象は嘗て『ZONE TRIPPER』でロックンロールに回帰してきたレックが、今回はサイケにまで遡ってきたというものだった。
アルバムタイトルチューン「DEEPERS」を私は‘深行者’とイメージしたが、深みに沈み行くという潜行のイメージではなく、何か本質に向かって接近する‘深く行く者’と解する。それは詞にも顕れ、レック得意の単語や動詞の組み合わせはイメージを喚起させるに充分だ。

引っ剥がす 蓋が開く
意味はある HITする センターに HARDなコア

フリクションに元来、在った現実主義、その存在論的で、あたかも物事の本質へ迫るように発信されるリズムがこのナンバーにおいても健在であり、リフの堅固さ、その反復の中に変わらぬ様式と発声の鋭さを見る。ただ、私が先程、サイケと言ったイメージはまず、リフの音色から来た。ギターレス・フリクションによってレックは当然、そのベースギターによるギターパートの代行を実験している訳だが、今回、結果的にその音色がベースとギターの中間的な‘濁り’と‘丸み’によって象徴されるサイケデリックイメージを醸し出すものとなった。以前のようなシャープなエッジではなく、うねるような厚みを加えたファットな音響的リフとなり、それを反復する事による高揚感覚、上下感覚というのは、正しくサイケデリックであると言える。

その傾向はもう1曲のオリジナル「メラメラ69」により顕著な形として顕れる。これは変わったタイトルで。最初、メラメラと火が燃える歌かと思ったら、歌い始めて、鏡の歌であると判る。‘MIRROR’の発音をメラとカナで表記したのだ。

MIRROR  MIRROR 向こう側 覗かれて こちら側 痺れる
   DA DA DA DA DA DA DA DA DA
調子はどうだ 光はどうだ

ミディアムテンポの中にグルーブが走り、深い、じわっとしたスローダンスもできるだろう。しかも途中で登場するベースギターによるソロがこれまでにないサイケなもの。ベルベットアンダーグランドでのジョンケイルのようなオールドでエスニックなサイケソロをレックがやった。いや、ここまで来たか、ここまで遡ってきたかという感じ。サイケの時代である60年代後半に‘逆行’するかのようなオールド感覚に驚く。恐らく「メラメラ69」の69とは69年の事だ。レックの表現の基点がこの時代にある事は理解するが、今回、結構、モロにやったなという感じ。‘DA DA DA DA DA DA DA DA DA’の箇所の歌い方など、これまでのレックにないもので、そのダレっと揺れる発声に従来の直角的でジャストタイトなレックボーカルの新境地を感じる。このような歌い方は今までなかったものだ。
思えば70年代後期に於けるフリクションの突然変異的な出現に過去からの断絶、中でもヒッピーに象徴させるサイケデリック文化等のオールドウェイブを断ち切った感覚の斬新さを感じていた私達ファン。今回の路線はそれに対し、むしろ、その連続性の存在という視点こそを迫るかのような音楽を提示したのだ。

69という数字が象徴するサイケデリック時代。
意識の変容という内部革命が、表層の流行現象とは違う次元で進行し、しかるべき人間はその内実を正面に受け、正しく変容したのだろう。私は2年前に刊行された『FRICTION The Book』の中でラピスがフリクションの音楽の深みについて、サイケデリックをキーワードにした論を述べていた事を思い出し、今回、そのインタビュー記事をチェックした。抜粋しよう。

ラピス;レックが音楽を始めた時代って、同時にサイケデリックが始まった時代だから、ミュージシャンもそれ以前と大きく変わった。ビートルズもロックンロールバンドからいきなり何かに目覚めて、心の中を覗き込んだり、日常生活を疑うようになった。(以下略)
Q;カウンターカルチャーの本質を根本から把握していると
ラピス;だからこそ日本のバンドから切り離されて見えたし、レックはかなり早い時期から気がついていたと思うよ。70年代初めには、自分の意識を追求し過ぎて若くして亡くなった人間がまわりにいっぱいいたしね。オレも夭折するはずだったけど(笑)、どこか構造がわかってしまったからギリギリで帰ってこれた。でもそこまで一度は行かないと、やっぱり日常的な音で終わってしまう。レックはクスリによって意識を変えるんじゃなくて、音楽は本来そうゆうものだし、その音楽を発している人間の根元を追求していけば、必ず、到達できると気づいている人間だと思う。(以下略)
Q;ではレックの印象を
ラピス;直感的な人だな。自分でもミーハーだって言い切れるぐらい、好きになったらとことん追求する能力があるから、音源はもちろん探して聴くだろうし(中略)とても的が絞られているし、特別な何かを見つける嗅覚がある。そしてその向こうには人とつながれる何かが必ず見えてくると。それをまじめに追求している。(以下略)

はたまた、強引な展開ではあるが、このラピスの発言によって図らずも、本稿の冒頭で述べたネットにおける匿名の問題から展開したコミュケーション論断片にまつわるフリクションの位置、そのテーマを喚起しうる有効性につながってきた事を私は確認する。そしてフリクションの‘濃度’、‘深さ’を人間の意識やコミュケーションに対するメッセージ性の顕れとし、それを可能にしたのが、サイケデリックという出発点であった事を併せて再確認するだろう。今回、その認識を具体的に表出したのが新生フリクションの新曲、「DEEPERS」と「メラメラ69」であった。

更に言えばミニアルバム『DEEPERS』ではもう一つの確認があった。
サイケデリックと並びフリクションのルーツとなっていたのがロックンロールだったと言う事を。それはアルバムに収められた3曲のカバーによって証明される。「raw power」、「fire」はライブで体験済みという事もあって意外性はないが、ストーンズナンバー「you got me rocking」のロールぶりには驚いた。あまりにも真っ直ぐな、しかもサビの‘ヘイ!ヘイ!’というコーラスのストレートマッチョな‘拳突き上げロケンロール’はどうだ。正直、私はゲっとなった。中村達也もまるで後乗りタイトなチャーリーワッツドラミング。いや、なんとも。すごい。変化こそがフリクションの本質と知る私でも、この展開は想定外だ。

私はフリクションがベルベットアンダーグランドの「white light white heat」を演奏した時の違和感を思い出した。確か、89年、恵比寿ファクトリーじゃなかったか。恐らくフリクションが他人の曲をカバーしたのはあの時が初めてだったと思う。(先日、買った『ZONE TRIPPER 1978-2008』での78年のライブ音源でイギーナンバー「I wanna be your dog」を演奏していた事を知ったが、それは最初期という事で私は未体験)あの時、フリクションがカバーをやる事自体が意外だったが、それ以上に、「white light white heat」という選曲が意外だった事を記憶している。何故か。
当時を思いだそう。
パブリックイメージとしてフリクションはニューヨークのNO WAVEムーブメントから表出したバンドであり、同時代のD.N.A、コントーションズ、或いはジョンゾーン、エリオットシャープ、アントンフィア、近藤等則、アートリンゼー、ビルラズウェル等、ジャンル越境型のインプロバイザー、或いはソニックユース、ジムフィータス、スワンズ等、ジャンク、ノイズビートロックとの同時代共振性があり、音の感触からくる即物性、アンチブルース、アンチヒューマニズムな性質は自ずとルーツをカットアウトするような外観を整えていたと思う。即ち、ルーツの所在を消去する‘強さ’こそがフリクションの世界性や何物にも収斂し得ない突出性を約束していたのであった。過去の様式に添う姿勢とは、それ即ち、甘さであり、イージーなエンジョイである。それはフリクションにはあり得ないスタイルであった。従ってオールドウェイブとの明確な切断を意思表示する事は逆にオールドウェイブに対し潜在的にその影響を自覚しているからこそ、重要だったのではないか。フリクションの音楽から私はずっとこのように感じていた。それはレックというミュージシャンが対外的な気楽なセッション活動やヘルプ的参加というものが一切、ない事にでも証されていると思っていた。

しかし、あの日の「white light white heat」は確かにカッコ良かった。それは意外な行動に映ったのは間違いないが。しかも、そのアレンジはベルベットのではなく、ソロ時代のルーリードのスタイルをカバーしたものであったと記憶する。つまり、この時点でレックはノイジーではなく、明るいトーンを採用したのだ。

『replicant walk』(88)以来、ロック回帰(この時点ではまだ、ロックンロールとは言うまい)してきたレックが、次第に成長する佐藤稔のグルーブを生かしたオリジナルをライブで展開するに及び、オリジナルと交えて「white light white heat」をやったのは実は自然体だったのだろう。この曲がライブ全体の中で、違和感なく収まっていたのも事実だ。確かアンコールで披露し、我々はダンスした。そして今、思えばそこに後年のアルバム『zone tripper』(95)の発芽があったのかもしれない。つまり、レックがカバーしたのはベルベットの「white light white heat」ではなく、ルーリードの「white light white heat」だった。これはポジティブな明るさの強調の契機だったのではないか。

『zone tripper』で展開された痛快な‘陽性’のロック(ンロール)。
「money laugh」、「head out head start」、「missing kissing」等の‘ツイストダンスでノリノリ!’の如く腰にくるロールミュージックを聴き直せばよい。フリクションが神秘的で変則的なグルーブを得意としながらも、よりシンプルで明るいトーンの楽曲演奏を繰り広げ、アルバムにバランスよく配置してあった。
結局、ロックンロールはフリクションの本質を示す一方の要素である明るさ、強さを表す象徴としてあった。その再認識が今回の新作『DEEPERS』におけるストーンズナンバー「you got me rocking」の行き過ぎたロケンロールぶりだろうか。

果たしてフリクションの新境地はサイケ&ロックンロールであった。
それは最近の音源復刻で初めて聴いた3/3を彷彿とさせる世界である。74~76年という洋楽ロックの模倣の時代。ロックンロールとサイケデリックを咀嚼、通過したレックがオリジナルなリズムを模索していた35年前。レックは確かにロックンロールとサイケデリックを母体とした表現背景を持ち、そこに依拠していたのだ。『DEEPERS』はその場所への発展的帰還であったか。

しかし、今回の変貌を肯定的に捉える私でも作品『DEEPERS』の全体の印象は、散漫であり、音楽もそれほど好きになれなかったという事実を明記しておこう。それはオリジナル2曲という少なさ、しかも楽曲の魅力不足。カバー3曲の直球志向が過剰(もう少しひねったアレンジだったらと思った)。そしてアルバム全体の音質のワイド感の不足も理由として挙げたい。特にドラムの音はライブで体験するラウド感が全く失われており、残念であった。結局、魅力的なナンバーはタイトルナンバーである「deepers」だけであり、これはフルアルバムの際の再録を期待したい。

私は大谷に電話した。
開口一番、「フリクションか?新譜、全然やなー」と言う。でも「チケットはもう買った」だと。全く皆勤賞な奴。これがフリクションファン。23日。クアトロ。さて、楽しみである。

2009.4.10
















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3 コメント

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Unknown (TA)
2009-04-13 15:53:37
こんにちは。 いつも楽しみに読ませて頂いてます。レディオヘッドのレビューで悪口書いた者です笑。
DEEPERSの批評、かなり 深くて 本当に面白かったです。

一つだけ質問なんですが 文中に「復活フリクションのオフィシャルDVD」とありますが なんと言うタイトルのDVDなんですか? 是非購入したいです。
お答え頂けたらありがたいです。
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ありがとうございます (宮本)
2009-04-14 10:28:22
いつも読んでいただいて、ありがとうございます。DVDは「official bootleg friction live 2006-2007」というもので、ライブ会場だけで販売していたものです。しかし、ケースに<問い合わせ>としてwild-corporation@wilddisk.co.jpとありますので、連絡すれば入手できるかもしれません。
返信する
ありがとうございます。 (TA)
2009-04-14 22:48:03
早速問い合わせてみます。
去年初めてフリクションのライヴに行ったんですが、その時にDVDは見なかったです。。
買えたら嬉しいです。ご丁寧にありがとうございました。

宮本さんのブログ、本当に面白いです。特に大好きなフリクションのライヴ観戦記。
友川カズキさんを知るきっかけにもなりました。


頑張ってください。
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