満月に聴く音楽

宮本隆の音楽活動(エレクトリックベース、時弦プロダクションなど)及び、新譜批評のサイト

       ちあきなおみ   『ON STAGE』

2010-02-16 | 新規投稿


誰でもピカソというTV番組で船村徹はちあきなおみに‘帰ってこい’と呼びかけていた。
それは日本最高の女性シンガーの復活を願う全ての人の声を代弁する叫びでもあっただろうか。その突然の引退は姿を消すという異様な形で現れ、夫の死に際してのコメントを送付するという一方的なメッセージを発して以降、その姿も声も自ら消去したちあきなおみはもはや、引退という観念すらない消失の形をとった。おそらくもう、ちあきなおみは居ない。居るのは瀬川美恵子という本名に戻った一人の女性だけなのであろう。
しかし、にもかかわらず、各種復刻音源がヒットし、テレビで特集番組が何度も繰り返し組まれ、新しいファンを生み出し続けるという稀有の事態を私は本物の歌の実在を知るエネルギーの鼓動と見る。それは歌が喪失された時代に必要なものの復古を待望する声なき声の反映なのだ。

私達がちあきなおみの歌にいくら感嘆し、その感動をレスポンスしようとしても、その賞賛は彼女には届かない。そんな‘世間の喧騒’もまた、ちあきなおみにとって外界の出来事なのだろうか。結果的にちあきなおみの自己消去の徹底性は歌の歴史に終止符を打った。 ‘美空ひばり亡き後の後継者’と言った船村徹が認識した重要性は日本歌謡の連綿たる流れにおける支柱の倒壊であった。美空ひばりの逝去後、僅か3年の後にちあきなおみも歌を止めてしまったのだから。

たこ焼き屋のラジオで聴いた「夜間飛行」の言い知れぬ感動が出会いだった。子供の頃、テレビで観ていた‘あの大人の女性’の記憶が甦り、その歌の魅力に一瞬にして目覚める。ちょうど昭和の歌謡曲に関心を持ち始めた頃であり、早速、音源探しが始まった。『百花繚乱(91)』(当ブログ08年4月参照)がリリースされた頃であろう。このラストアルバムで私のちあきなおみ熱はスタートし、曲がダブりまくる各種ベスト編集ものCDをうんざりしながら仕方なく買い集めながら、オリジナルアルバムの復刻を待ち、辛抱しきれず中古店で高いLPを探し求めていた。紙ジャケビジネス到来によってオリシナル音源が再発され、ようやくその全貌の片鱗が表れてきたのは2000年からだ。あの『virtual concert2003』、『virtual concert 2005』の衝撃もその歌の数々の秘められた魅力を伝える貴重な記録であったと思う。そう、ちあきなおみはベスト編集を施してもその魅力は発揮できない。一つのアルバムに収められた全ての歌が最高であり、重要である。私はそれを感じずにはいられない。ちあきなおみとはその‘全て’を聴かねばならないアーティストなのだ。

今回復刻されたのはライブ音源である『オン・ステージ(1971年 日劇)』、『ON STAGE(1973年 渋谷公会堂)』、『リサイタル(1974年 中野サンプラザ)』の3種類。このうち、『リサイタル(1974年 中野サンプラザ)』はボックスCDに収録されていたので、『オン・ステージ(1971年 日劇)』と『ON STAGE(1973年 渋谷公会堂)』が初のCD復刻となる。
いずれも70年代初期のライブの‘実況録音盤’だが、3作を通して聴くとちあきなおみのライブパフォーマーとしてのその全方位的な広角表現が確認できる。即ち80年代以降に顕在化する一人舞台での歌のレベルアップに直結するような狂気や神秘性が既に70年代初期のちあきなおみに備わっていた。それは歌うジャンルの幅広さや舞台進行の完成度、声の七変化、人格や性が入れ替わる憑依の感覚などに見られるちあきなおみの多様性が将来の方向性や芸術的昇華をこの時点で約束していたとも言えようか。70年代後半に接近した奇才、友川かずきの楽曲で見せた予想外の展開すら、その初期活動期からの自然な延長線上に在る形として証明され得るような多面的な可能性をこの時期、既に胚胎していた。そんな想いにとらわれる音楽性が今回の3種のライブアルバムの感想であった。

『オン・ステージ(1971年 日劇)』と『リサイタル(1974年 中野サンプラザ)』いずれも
二枚組CDである。『オン・ステージ(1971年 日劇)』はちあきなおみが剣を持って演じる殺陣で始まり、ヒットナンバーや洋楽、道中ものや大衆演芸ものまで披露した舞台音楽の収録盤。『リサイタル(1974年 中野サンプラザ)』はちあき歌唱の集大成のような完成度を持つ大作で、その七変化たるパフォーマーぶりが凝縮された傑作である。その場面転換の物語性やセルフナレーションの一種、異邦人めいた客観性に後の『virtual concert2003』、『virtual concert 2005』に通じる劇的な表現の極みを見る。ポップ歌謡から演歌、ファド、シャンソン、哀愁歌謡、笑う歌、等々のあらゆる歌がまるで幾人かの歌手によるオムニバスアルバムであるかのような多彩さを持って収録される。頽廃感と悲喜劇が同居するエレジー「ねえあんた」の初演がこのステージであったようだ。ここで聴かれる歌による一人芝居の劇的な力は凄い。私は以前、‘アメリータ・バルタールの歌は聴くだけで眼前に大劇場が広がる’と書いたが、同時代、日本にはちあきなおみがいたのだ。これを同時代的共振と見るのは筋違いではない。しかもこの入魂のサウンドトラックの後にポップ演歌「円舞曲(わるつ)」の流麗な世界にふっと移行するのだ。もはや完璧な音楽絵巻だろう。今回リリースされた3作の中で最も聴きごたえのあるのが、この『リサイタル(1974年 中野サンプラザ)』である事に異論はない筈だ。

しかし私が今回、もっとも注目したのは『ON STAGE(1973年 渋谷公会堂)』である。
私が微かに期待、予感したのは70年代初期の時代的空気、そのアンダーグラウンド感覚であり、それはサブカルチャーとしての毒を孕んだようなエネルギーをちあきなおみのパフォーマンスから感じたいという欲求であった。70年代とはサブカルチャーがハイカルチャーと同様の内的質実や力を持った時代。それはカルチャーと相互補完する形で図らずも文化的普遍性を持ったポップカルチャーの成熟期であると私は認識している。大衆芸能を基盤として社会認知的上昇を見せた歌謡曲も紛れもなくサブカルチャーの一形態であり、一つの時代的産物であろう。従って当時の歌謡曲は個人の史実や物語を日本的情念に求めながら、その形なき表現欲求の発露をマイナー志向や対抗文化にまで無意識につながる様式として成立していたと感じる。そんな感覚を総じてアングラ(アンダーグラウンド)な匂いと私は敢えて規定したい欲求に駆られるが、それは現在のJポップなどという女子供に迎合する事でしか商業主義が成り立たない時代の音楽とは全く異なるものなのだ。本来、良い歌とは子供に判るものではない。歌を大人が聴いた時代。物語を有した大人が歌を求め、歌った時代の豊饒な器がちあきなおみが生きた70年代という背景であった。

果たして『ON STAGE(1973年 渋谷公会堂)』はそんな時代的空気が充満する鋭利な作品性を持つものであった。特にセルフナレーションで語りを入れる「バラードA」、「劇場」、「バラードB」からラストの「喝采」へ至る流れに、個の情念や半生をかみしめるような物語が展開され、歌が自己等身化していくように現実とフィクションが重なったり、離れたりする微妙な場面の語りを体験する感慨にとらわれる。

私はここにきて判る事がある。
ちあきなおみが歌い続けた様々な歌の数々はちあきなおみ自身の歌であった。従って、ここに彼女が歌う事をやめた理由も自ずと浮かび上がるだろう。
歌の世界に憑依し、歌詞の中に全身全霊で入り込んでゆくちあきなおみが、その言葉の数々を自己の境遇抜きに、その想いを外に追いやる事などできはしないのだ。自分の物語に歌を投影せずにはおられない性こそがちあきなおみの歌の生命力であったのだから。

    <かなしみ模様>

    あなたがそこに
    その場所にいるなら
    ただ、それだけで 悲しみは消える

    ああ、あなたはどこに あなたはどこに
    涙が描く かなしみ模様


    <喝采>

    いつものように 幕が開き
    恋の歌 歌う私に届いた知らせは
    黒い縁どりがありました



    <夜間飛行>

    あそこで愛されて あそこで別れた
    このままずっと どこへもおりず
    この夜の果て
    二度と帰らないの そして帰らないの


    <バラードB>

    だまって一人 坐っていると
    いろんなことを 思い出します
    恋の炎が 消されたことも
    涙が枯れて 乾いたことも



つまり、ちあきなおみはもう、歌えない。
夫の死を忘れるために歌を止めた彼女が、歌う事でその悲劇を自ら再現する事など、あり得ない話であろう。 ‘帰ってこい’と呼びかけた船村徹も実は分かっているのだ。おそらく関係が断たれた彼は、ただ、ちあきなおみを慰め、偉業を祝福したいだけに違いない。
そして私達ももはや、ちあきなおみを聴くしかない。それだけで十分なのだ。

2010.2.16




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