思惟石

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井伏鱒二『荻窪風土記』なつかしさがすごい

2019-10-01 16:43:33 | 日記
むかしむかし、私がまだうら若き18歳のころ。
大学に通うために草深い埼玉から上京し、
貧乏下宿生活を営んだのが、荻窪でした。

住所だと上荻ですね。

タウンセブンのファミレスでバイトしたものの続かなかったり、
四面道交差点のラーメン花月でにんにくましまししたり、
善福寺川のほとりをほとほと歩いて(電車賃がもったいなかった)
西荻窪に住む東京女子大の友人宅まで行ったり、
逆方向に歩いてオーケーで見切り品の野菜を買ったり。

森見氏よりはちょっとだけ広い5畳半の下宿で
課題したり、二日酔いになったり、友人と鍋したり、ケンカしたり、
悶々としたり将来に不安になったり人生に逆切れしたり。
青臭くて痛々しくて酸っぱすぎる思い出ばかりがですね、
4年分、みっちりと詰まっている土地なのです。

胸が痛い痛いいたいいたたたたた!!!

というわけで、荻窪と言われると
しょーもない自意識にグリグリされる私だったわけですが、
さすがにこの年齢になるとね。
もういいかな、って思うよね。

課題の〆切直前にヘロヘロ状態でスリーエフ行こうとして
草履で犬のうんち踏んだのも、いい思い出になるよね。
ならないか。
今でも、踏んだ瞬間に香りがぶわぁっと立ち上ってきたの、覚えてるわ。
めちゃくちゃ凹んで、私は建築向いてないなってシミジミ思いました。
今、まったく関係ない仕事してるのは
深夜の荻窪で犬のうんち踏んだからだと思う。

いや、なんだっけ。なんの話しだっけ。

井伏鱒二の『荻窪風土記』ですよ。
自宅の本棚に以前から持っていたんですが、
こういうメンドクサイ心情がありまして、
読んでなかったんですよ。
で。
そうは言ってももういい歳だし、大丈夫だろ。
と思って読んだわけですよ。

まあ、悶絶はしなかったけど、
そこそこ、懐かしさが暴力的でしたよね。
って、いやもう、我がことながらどうでもいいけどね!
めんどくせえな!!

で『荻窪風土記』ですよ。

「教会通り」「天沼」「四面道」とか今でもなじみ深い地名たちは、
井伏鱒二の時代から変わらないんですね。
へえ~。

当時から作家や画家、詩人が多く住んでいたというのも、
なんか変わらないんだなあ、と思っておもしろかった。
私が住んでいた当時も、吉祥寺の路上で朗読する詩人とかいまして。
田舎から出てきた身では路上ライブくらいは知っていたけど
詩の朗読とか斬新すぎて、東京のサブカルすごいなあって思いました。

天沼キリスト教会についての文章で、
洗礼を受ける者は、善福寺川の薪屋の堰というドンドンで水を浴びるので、
ここの土地っ子は善福寺川をヨルダン川と言っていたという。

と書かれていますが、これはどこらへんなのかな。
心当たりはないけど、探すと今でもわかるんですかね。

井伏鱒二の周辺の、同時代作家たちのお話しもおもしろかった。
上京したての太宰治が「会ってくれなきゃ死んじゃう」って
手紙をよこして強引に面会し、近所に住みつき、
弟子にまでなるってのはなかなかです。
というか安定の太宰ですね。
他にも、外村繁や中村地平、小山清などは、私はあまり知らなくて、
人間臭くも温かい井伏節で語られると
彼らの作品にも興味が湧いてきます。
小山清はだいぶエッジの立ったダメ男だけど。

林芙美子への辛口コメントも良かった。
「サヨナラダケガ人生ダ」は、芙美子インスパイアなんですね。
井伏氏は林芙美子に対してバッサリな感じでしたが、
彼女は滞欧中に井伏に絵葉書を送ったりしているらしい。
それなりにお付き合いはあったんですかね。社交辞令かな。

『文人御馳走帖』でも思いましたが、
1900年初頭生まれの文士はおもしろい人が多いですよね。
なんでかなあ。
もうちょっと近代の勉強しないとな。
コメント
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