鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

フェリーチェ・ベアトと五雲亭貞秀 その3

2008-08-22 04:54:35 | Weblog
次に、五雲亭貞秀について。横田洋一さんの「横浜浮世絵と空とぶ絵師五雲亭貞秀」によると、貞秀は、文化4年(1807年)、下総国布佐に生まれました。本名は橋本兼次郎。どういうわけか江戸に出て来て、住んでいたところは、最初は亀戸(かめいど)天神のあたりであったという。歌川国貞(三代豊国)門に入り、玉蘭斎・五雲亭貞秀などの号を用いました。文政9年(1826年)に最初の作品を描いているということですから、10代の後半には絵師としての生活を出発させているようです。そして間もなく、世間から認められ、将来を嘱望される絵師の一人となりました。それからは実に多くの版本類の挿絵を制作しています。これには驚きました。彼は、弘化3年(1846年)のアメリカ使節ビッドルの浦賀来航に関心を持っています。彼は、外国の動きに敏感に反応し、好奇心を持っていったようです。ジャーナリスティックな感覚ないし才能の持ち主でもあったようです。さて、この貞秀は、富士山に登っていました。しかも1回だけでなく数回に渡って。浮世絵師で富士山に実際に登ったものは、それほどいないように思われますが、この貞秀は、その数少ない絵師の一人であったのです。実は、そのことが、彼が精密な鳥瞰図を描くようになった大きなきっかけであったようだ、ということを、この横田洋一さんの論文から知りました。以下、そのところについて少し詳しく…。 . . . 本文を読む