鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2008年 夏の北海道西海岸・取材旅行 「函館 その2」

2008-08-30 06:15:15 | Weblog
飛行機というものは、「旅情」というものからはほど遠い。私がかつて寝台列車で北海道に向かい、真夜中、青函トンネルに入るのを「今か、今か」と待ち受けていたようなあの気分はありません。たった1時間半近くのフライトで、函館空港に降り立ってしまう。「はるばる来たんだな」と実感したのは、函館市内へ向かうバスを「湯の川温泉」で降り、いきなり、潮の香りを含んだ、肌寒さを感じるヒヤッとした大気に触れた時でした。大気は水分を余り含まずカラッとしている。「ここは本土(北海道の人からいえば「内地」)とは違う!」ということを、大気の感触から実感しました。さて、宮城県塩釜の萩の浜からの船旅で、函館港にやってきた兆民にとって、初めての北海道の地への上陸は、どういう印象なり感慨をともなうものであったのか。兆民が、「粗服に兵児帯(へこおび)姿」で、上野から一番列車で仙台へ向かったのは7月21日のこと。雨の仙台駅に到着したのは午後6時過ぎのことでした。翌22日、用事を済ませた兆民は午前11時に旅館を出て、仙台駅から汽車で塩釜に向かいました。海老屋という旅館に入った兆民は、昼食後、舟を雇って松島を見物し瑞巌寺を参詣しています。翌日23日、塩釜神社に参詣した兆民は、菖蒲田浜というところで海水浴をし、再び同じ旅館(海老屋)に宿泊。そして翌24日、塩釜から萩の浜行きの小蒸気に乗り、萩の浜から函館行きの「相模丸」(日本郵船会社)に乗船。「相模丸」は午後4時過ぎに出航し、その翌日25日の夕刻に函館港に入港しました。東京を出立してから函館に到着するのに、4泊5日(船中1泊を含む)もかかっているのです。飛行機で1時間半という早さとは、比べ物にならない。「旅情」や「感慨」という点では、格段の差があると思わざるをえない。ましてや、鉄道や蒸気船以前の人々にとっては、北海道(あるいは「蝦夷地」)は、最果ての土地であり、帆船を利用したとしても、「北の大地」に上陸した時の感慨は、現代のわれわれのそれとは格段に異なるものであったでしょう。 . . . 本文を読む