まずベアトについて。アンベールの『幕末日本図会』には、ベアトの写真を原稿とする版画が挿絵として掲載されているということ。これは知りませんでした。慶応3年(1867年)、ベアトは、オランダ総領事ポルスブルックに同行して富士登山をしているということ。そしてその時、東海道原宿で、随行している幕府役人らの写真を撮ったりもしています。彼は、富士山の写真をいろいろな地点から撮影していますが、それらの写真の多くはこの時に撮ったものと思われます。もしかしたら、小田原や箱根の写真も、この時に撮ったのかも知れない。というのも、当時は外国人の遊歩区域の規定があって、その範囲を越えて旅行する自由は、一般の外国人にはなかったからです。ベアトも、英国艦隊の従軍カメラマンや、領事や大使の旅行に加わらなければ、遊歩区域外に出ることは出来なかったはずなのです。もちろん、進んでいく予定の道筋からベアトだけ遠く外れることも、出来なかったと思われます。ベアトはまた、娼妓・街頭の歯医者・按摩・六部(ろくぶ)・飛脚・車力(しゃりき)・強力(ごうりき)・別当(べっとう)・スヤスヤと眠っている赤ん坊を背負った若い母親・化粧する女(赤ん坊を背負った若い女と同一人物!)・風呂帰りの若い女の写真なと、当時の庶民の姿を鮮やかに写し撮っています。声や息遣いまで聞こえてきそうになまなましい。「よくぞ、写し撮ってくれたものだ!」と、感謝の念を覚えるほど。これらのベアトの写真は、ほとんど幕末期に撮影されたものであり、明治になってからの作品は数枚ほどしかない、と斎藤さんは記しています。 . . . 本文を読む