鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2008.8月「村山浅間神社~中宮八幡堂」取材旅行 その1

2008-08-04 06:01:14 | Weblog
数日間の天気予報を確認し、金曜日の休みをとった上で、2泊3日の取材旅行に出かけました。目指すは、富士宮市の村山にある浅間神社(村山浅間神社)。そこから村山口登山道を登って、中宮八幡堂まで行って戻って来るのが、今回の取材旅行の一番の目的。村山浅間神社の標高はおよそ500m。中宮八幡堂の標高はおよそ1300m。標高差およそ800m。そこまでの登山道をゆっくりと登り、13:00頃には引き返し、遅くとも17:00までには出発点へ戻って来る(暗くならないうちに下界へ戻る)というのが、おおまかな予定でした。富士宮登山口の新六合目の登山小屋まで、村山登山口からは、山歩きに慣れた人であってもおよそ10時間。私の場合は、道々で取材をしたり写真を撮ったりするので、およそ1.5倍はかかる。ということでざっと15時間。早朝5:00に出発したとしても20:00(午後8:00)到着。途中、水場も山小屋もいっさいない。ということは、一気に新六合目まで登るのはまったく無理であり無謀なこと。まず1回目は、富士山一合目に沿った線のやや上、中宮八幡堂まで、と設定しました。「先達(せんだつ)」となる本は、畠堀操八さんの『富士山 村山古道を歩く』(風濤社)。前に、吉原本町から村山浅間神社まで歩いた際、神社前の山本商店に入った時、店番のおばあちゃんの頭の上の棚に並べられていた本です。その時は持ち合わせのお金が無かったために、帰宅してからインターネットで調べ、購入したのです。この本で、村山口登山道を一人で登る決心がつきました。この登山道は、かつて、江戸方面や上方(かみがた)方面から富士登山を志してやってきた人たちが、大宮(現富士宮市)の浅間神社を参詣した後、「道者道(どうじゃみち)」を通って村山に向かい、村山の興法寺(こうぼうじ・現、村山浅間神社)で禊(みそぎ)を終えた後、富士山を目指したという、かなり長い歴史と伝統をもつ登山道(信仰の道)。東海道から大宮に入り(大宮街道や村山道を利用して)、村山興法寺を富士登山の起点としました。あのイギリス公使ラザフォード・オールコック一行(外国人で初めて富士登頂を果たした人々)も、江戸(高輪の東禅寺─大使館)→神奈川(浄瀧寺〔じょうりゅうじ〕─領事館)→箱根→三島→吉原→大宮→村山経由で(つまり東海道→大宮街道→村山口登山道を利用して)、富士山の頂きを目指したのです。 . . . 本文を読む