スズメ目ホオジロ科でスズメより少し大きい鳥です。
本州の中部以北~北海道で繁殖し、秋から冬にかけて中部以西の暖地に移動し
越冬中は山林内の地上で草の種子や昆虫を探して食べています。
スズメ目ホオジロ科でスズメより少し大きい鳥です。
本州の中部以北~北海道で繁殖し、秋から冬にかけて中部以西の暖地に移動し
越冬中は山林内の地上で草の種子や昆虫を探して食べています。
ツル目クイナ科の鳥で、大きさはハト位の大きさの鳥です。
この時期に見られる個体は殆どが未成熟の幼鳥で、3~4月になって成鳥期を迎えると
嘴の中ほどから額板に掛けての部分が鮮やかな鮮紅色に変化します。
(下段は2013年3月に撮影した成鳥のストック画像です)
江戸時代の後期、京都に中神琴渓という稀代の名医がいました。
寛保4年(1744)近江国栗田郡南山田村の農家の次男として生まれ、幼くして
大津の某糀屋の養子に出され、その後に大津の医家、中神家に養嗣子として入り
中神家の医業を継ぎましたが、詳しい時期は不明です。
30歳前後で古医方派、吉益東洞の「古方便覧」「方極」を読んで深く感銘を受け、以後は
古医方の実証主義に傾倒していきますが、吉益東洞の門人であったかは不明です。
本格的に医師としての道を歩み出したのは、寛政3年(1791)48歳にして京都の四条で開業して
からで、医師としての評判は高まり当時、医家の四天王と呼ばれていたようです。
文化10年(1813)には光格天皇を診察したことにより禁裏御用地であった田村新田を拝領し
庄屋を継いでいます。その後、江戸を始め各地に赴いて自説を広めますが、門人は延べ3000人
とも伝えられます。
69歳で隠居後は田村新田に住み、半農半医の生活を送りましたが、天保4年(1833)に亡くなり、
その墓が現在も田村新田の有王集落に残っています。
※京都府綴喜郡井手町田村新田 JR奈良線玉水駅より府道321号線を東へ6km
カワセミは都市周辺の水深20~30cmの河川や湖沼で身近に見られる
人気の野鳥です。
泳いでいる魚が見えるような澄んだ川で、水面に突き出た杭や川面に突き出た木の枝
などに止まって、小魚やカワエビなどを見つけると勢いよくよく飛び込んで捕食します。
生息には澄んだ水や自然環境の存在が必要で、環境指標生物と呼ばれています。
近年、下水道整備で水質が改善されてカワセミが戻ってきたという話はよく聞きますが、
一方では営巣には土の崖のような環境が必要で、コンクリートで固められた川岸の崖が
営巣を妨げています。
西日本では冬に南下飛来するチドリ目シギ科の冬鳥です。名前からのイメージでは
海岸の干潟や岩礁でゴカイなどを食べて生活していると思われていますが、自然の
海岸が少なくなっている現在、河川や湖沼で生活するものの方が多くなっています。
西日本では冬鳥として飛来するカモ科ウミアイサ属の鳥です。
カワウのように潜水して魚を捕食しますが、個体数は少なく、特に目立った
漁業被害問題は発生していません。
画像は上が雄で下が雌です。
河川や湖沼に棲息し、高い潜水能力を使って水中の魚を捕食します。
かなり大食で餌生物は鮎など人間の漁業対象種と重なるため、漁業被害問題が
各地で起きています。食物連鎖では上位に猛禽類が挙げられますが、実際には
猛禽類に捕食される例は稀です。