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朝昼晩、時間を問わず飲んで喰って面白おかしく過ごす人生を歩みたいです。※旧名「日が沈む前に飲む酒はウマい」

100周年、そしてその先も。 立川『四つ角飯店』-後編-

2020年04月24日 | 中華食堂
前回に引き続き、私の地元立川の老舗中華食堂『四つ角飯店』さんを紹介。
今回は移転前、本当に四つ角にあった旧店舗時代を振り返ってみる。後編が過去というのも妙だが、許しておくれ。
移転前の営業は2013年1月末まで。営業最終週は、大行列ができていた。

私が初めて四つ角飯店さんの存在を知ったのは、小学生になったばかりの頃。
母親との買い物帰り、たまたまお店の前を通りかかり、お土産餃子を買ってもらった、と記憶している。
当時は1人前200円で、現在と同様、5の付く日は半額の100円だった。
その後も、何度か夕飯のオカズとして餃子を買ってもらったり、成長した頃には、ひとりでお店に行ったことも。
訪問するのはもちろん餃子半額の日で、注文するのは餃子2人前とライス、以上!
ライスの値段は覚えていないが、確か100~150円くらいだったはずで、お会計は300~350円となる。
母親からメシ代として500円もらい、お釣りをちょろまかすのが常であった。

その後は、市外で遊ぶことが増え、社会人になってからはラーメン屋を巡るようになり、利用回数が減少。
四つ角飯店さんだけでなく、中華食堂にはあまり興味を示さなかった、あの頃の自分を叱ってやりたい。
再び、通うようになったのは、サラリーマン生活に見切りをつけ(会社に見切りをつけられた、ともいえる)、
フリージャーナリストというか無職に転身した、21世紀の初頭から。食堂で飲む楽しさを知ったのも、この頃だ。
仕事はないしお金もないが、ヒマはある。そんな私をいつでも温かく(?)迎え入れ、昼酒とメシを提供してくれたのが、
基本年中無休、さらに中休みナシの四つ角飯店さんだったのだ。
前編でも書いたが、ちょうどこの頃、立川駅周辺の開発が進み、私の望まぬ方向に進んでいく街の風景に反し、
ガキの頃と変わらぬ渋い外観で、四つ角にたたずんでいる、こちらのお店が、たまらなく愛おしかった。

昔は、撮影する習慣がなかったため、私が保持している旧店舗の画像は下記の旧ガラケーで撮影したものだけ。

※手前のおばちゃんが通り過ぎてから撮影すればいいのに…

見づらいだろうが、看板には「1日1食中華食」「餃子の日 毎月5日15日25日」と、現店舗に引き継がれたコピーが躍り、
「謝謝」の文字が入ったのれんがある入口の右側には、「餃子」ののれんが舞う、テイクアウト専用窓口があり、
お持ち帰り餃子を求める客の行列が、画像の外まで続いている。ちなみにこの日は、12月25日だった。
年内最後の5の付く日=半額とはいえ、クリスマスに餃子で行列!?
実は、客の一部はクリスマスではなく、年末年始のために、生餃子を大量(20~50人前)に買い込んだようだ。
撮影直前まで、彼らの買い物や会話を、間近で見聞きしていたのだから間違いない(←お前も並んでたんじゃねえか)。

入口脇に持ち帰り用窓口があり、そのすぐそばに餃子の焼き場があるのは、旧店舗も現店舗も共通。
ただし、現店舗は厨房内に焼き場があるのに対し、旧店舗は、厨房が店内奥にあり、餃子焼き場は独立していた。
結果的に、換気が不十分で、客席にも油が飛び散るため、床や壁は結構ベタベタであった。
マズいことに、「ほぼ年中無休・中休みナシ」なので、正直、清掃も行き届いてなかったはず。
さきほど「昔と変わらぬ渋い外観」と記したが、要するに、店内外ともにキッタナイお店だったのである。
ただ、そのキタナさというか乱雑さが、居心地の良さを醸し出していたともいえる。※あくまで個人の意見です

ここで、ちょっと話題を変えて。かつて存在した従業員について。
5の付く日はとにかく餃子の消費量が多く、店員さんたちが休む間もなく餃子を包んでいるのは、今も昔も一緒。
だが、旧店舗時代は、ベテラン店員が瓶ビールを飲みながら餃子を作成しており、
自分だけでなく、若いバイト店員たちの分までグラスを用意し、「いいから飲め飲め」と注いで回っていた。
繰り返すが、こちらのお店に中休みはなく、客(=私)の前で行われていた行為である。

創業昭和2年の老舗ゆえ、以前はこの店員だけでなく、後述する店主よりも年長と思われる方が数名働いていたが、
中には残念ながら、「昭和の悪しき時代の飲食店」を体現する、勤務態度の店員もいた。
厨房で、くわえタバコのまま中華鍋を振る職人、なんてのはマシな方。
あるとき、私が入店したところ、瓶ビールと飲みかけのグラスを前に、すでに赤ら顔の先客と目が合った。
そいつは、私に向かってなぜか「いらっしゃい」と声をかけてきたが、メンドーな酔っぱらいかと思い無視。
ホールの店員さんも、他の客の応対をしていて私に気づかず、空いている席に勝手に座って待っていたところ、
さっきの酔っぱらいが席を立ち、厨房の方から水の入ったグラスを持ってきて、私の席に置き、
「ご注文が決まったら呼んでください」だと。オメエ店員だったのかよ!
客席での休憩も、賄いを食べるのも仕方ないとして、賄いがビール、それも酩酊するほど飲むのはいかがなものか(笑)。

しかし、一番マズかったのは、リーダー格の店員。接客はさほど問題ないが、アイドルタイムは常にしゃべり続けている。
当然、部外者である私が客席にいても、一切気にせず、だ。あるときは休憩時間に近所の雀荘で遊んでいたらしく、
「いや~参った参った。5万切って8万待ちのリーチかけたんだけど、出ねぇでやんの。ガハハハハ」だと。
どんな手役だがわからんが、彼がやったのは、しょーもない引っ掛け手である(麻雀知らない人、ゴメン)。
さらに別の日は「おい、今日19時から4名、席予約な」と業務連絡…と思いきや、そのあとがイカン。
「ホラ、この前来た女4人組。あいつらまた来るんだよ。しっかしなあ、普通4人いりゃあ、ひとりくらいはカワイイのがいるのに、アイツら全員中の下…いや、下の下の下でゲゲゲの鬼太郎だな。ガハハハハ…(以下、延々と続くが略)」
これね、文字にするとイマイチだろうけど、生ライブ(笑)で聞いた私には、メチャクチャ面白かったんだよ。
リーダーの「いかにもおっさん」的な声と口調での、流れるような客の悪口の組み合わせが絶妙でね。
口に含んでいたビールを、つい吹き出しちゃった。それを見たリーダーも、客の私にウケたからか、嬉しそうな顔しやがんの。
飲食店の店員が、客の悪口を吹聴するなんてご法度だが、面白かったのでヨシ。※あくまで個人の意見です
なお、上記で説明してきたダメ店員たちは、移転後はほぼ姿を消した…あ、ひとりだけ残っているか(笑)。
まるで、香港映画に出てくる場末の飯屋のような、乱雑な店内にいかがわしい店員。
そんな移転前の店舗は、今思えば実に魅力的だった。※しつこいけれど、あくまで個人の意見です

ここで、そんな四つ角飯店を長年支えてきた、店主である高橋淳さんの画像を掲載。


2011年、アスペクト発行「餃子グルメ パーフェクトガイド」より。四つ角飯店が載っていたので買ってしまった。
写真左側には、「三代目店長の高橋さん。日本一の呼び声も高い。」との解説がある。
実際は高橋さんは四代目で、日本一とは、「中華料理技術コンテスト 餃子の部」で金賞を獲得したことを指しているようだ。
この中華料理技術コンテスト、一応検索してみたが、それほど大規模な組織ではない。
以前紹介した、茗荷谷『札幌軒』の「全国丼グランプリ」と似たような団体なのかな。
ただし、四つ角飯店さんの餃子は、いつ見ても美しい形状をしており、金賞獲得に異論はない。

今さらだが、ここで旧店舗時代にガラケーで撮影した料理の画像を紹介する。画質の悪さはカンベン。
まずは、現在はメニューにないつけ麺。正式名は「肉つけめん」だが、そんなに肉は多くない気も。


値段は覚えてないが、「普通のラーメンを麺とスープに分けただけなのに、ラーメンより200円上乗せ」だった記憶がある。
続いて、こちらも現在はメニューにない「オムライス」850円(税抜)。奥に見えるのは「餃子」と「水餃子」だ。


オムライスはウマかったので、なくなったのは残念。「天津飯」があるし頼む人は少ないのかな。
そしてこちらは、お店自慢の「餃子」を2人前。焼き色が揃っているのは、さすがは「金賞」獲得商品。


気のせいかもしれないが、この頃の餃子の方が、今よりも野菜の旨味が強く、ウマかった印象があるのだが。

冒頭でも触れたが、旧店舗閉店の直前は連日、長~い行列ができていた。
廃業ではなく、あくまで一時休業なのだから、並ぶことねえのに…と思っていた私だが、
「近隣で再開予定」から、1年以上経過しても復活の気配がなく、このまま滅亡か、と心配し始めたある日。
飲んだ帰りの深夜0時過ぎ、立川市の某ラーメン店で食事をしていたら、酔ったおっさん客の団体が来店し、
ラーメンとサイドメニューのご飯ものをガツガツと食べていた。そのうちのひとりが、高橋店主だったわけで。
店主、飲んだあとのラーメン+ライスは、身体に悪いですよ(←お前が言うか)。
すかさず「お食事中すみません、四つ角飯店の方ですよね」と声をかけ、「再開はいつですか?」とたずねたところ、
「来月に再開します。場所はこちらです」と、新店舗の住所が記載された、高橋さんの名刺をいただいた。
「ありがとうございます。必ず行きます!」と伝えてその場は別れ、新店舗で再び挨拶させていただき、
「以前よりメニューは減った(先述のオムライスなど)けど、その分、今のメニューに原価をかけている」こと、
「餃子は、季節によって野菜の配合を変えている」ことなどを教えてもらった。味が変わったと感じたのはそれが理由かな。

現在は若い店員さんが増えたが、高橋さんが不在でも、皆さん飲酒などせず、マジメに働いている。
お店も清潔で、お店の雰囲気は明らかに、現在の方が良くなっている。私個人の好みはともかく(苦笑)。
店内の様子はこんな感じ。カウンター席はないため、ひとり客でもテーブルに案内される。


夜は大勢で飲む団体客も多く、通常ならもっと混雑していて、こんな撮影はできない。早く収束・終息してほしいね。
せっかくなので、現在の料理も紹介。ガラケー写真ばかりでは申し訳ないので。
こちらは「肉と玉子の炒め」780円。私の大好きなKTI=きくらげ玉子炒めだ。


ピーマンも大きいが、豚肉は特にデカい。まるで焼肉定食のお肉だ。


KTIは旧店舗で食べたことがあるはずだが、今回の方が明らかに満足度が高い。少しずつ進化しているのだろう。
シメは初めて食べる「広東麺」880円。とろみのある熱々あんかけスープで舌をヤケドしないよう、慎重に食べていく。


具材はキャベツ、豚肉、きくらげ、人参、チンゲン菜にエビ、うずら。


醤油ベースのスープと、豊富な具材の旨味が重なり、なかなかおいしい。
意外とキャベツが多かったため、お腹いっぱいになったが、汁を少々残したのみで、ほぼたいらげた。
次回は、ちょっと気になった「汁なし担々麺」を食べてみよう。汁なしだからテイクアウトもOKかもね。

多少の空白はあるが、私の人生でもっとも長い間通い続けている飲食店。それが四つ角飯店さんだ。
立川の街を見守り続けて90余年。2027年には創業100周年を迎える
無論、その後も110年、120年、150年…とお店は続いていくはず。イヤ、続いてもらわなくては困る。
私はたぶん、あと80年くらいしか生きられないが(?)、死ぬ間際も、ここの餃子で一杯やれたらいいな、と思う。



四つ角飯店
東京都立川市曙町1-16-5 (旧店舗は立川市曙町2-2-17)
JR立川駅から徒歩約3分半
営業時間 月~金 11時~23時 土日祝は22時まで ラストオーダーはそれぞれ30分前
定休日 元日、ほか不定休
※日野にも同屋号のお店あり


※2020年4月以降は、しばらく11~20時営業(酒類は19時ラスト)、
日曜は定休、あるいは早じまいの可能性がありそうです
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5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (紺野)
2022-05-31 23:42:24
記事をありがとうございます。。、
前の駅近のお店。。ガ〜ドから出て右には書店、左角には、雑貨屋さん!
その頃の店長さんは、何代目でしなか??
背が高くいつも笑顔が印象的でした
3代目でしたかな〜。。、
現在、私は77歳(笑)
仕事柄、店長さんから
ベンチャーズ!全員のイラストをまれ
しばらくの間、店内に飾られておりました
私は現在、調布市在住ですが
近々、現在の四ツ角さんに
いって見よと思います。。、
ヘイスブック名は、紺野昭博と申します
お時間の有る時にでも検索して下さいませ。

同じ四ツ角飯店フアン!!

ありがとうございました。
返信する
Unknown (日が沈む~(略))
2022-06-01 18:30:08
紺野様
コメントありがとうございます。
現店舗にも、ぜひ足を運んでみてください。
返信する
Unknown (紺野)
2022-06-02 15:50:35
ご丁寧に、ありがとうございます。
必ず!✌️近いうちに。
返信する
Unknown (紺野)
2022-06-10 07:15:32
所ジョージさんの番組にて、
紹介されていた四ツ角飯店!!

写真は、鮮明では有りませんでしたか、
50年ぶりでしょうか?
あね笑顔!!
懐かしく!。。。店長さんを想い出していました。。。。もう一度!会えたらと。。。

嬉しかったです。
返信する
Unknown (紺野)
2022-07-10 04:32:58
おはよーございます。 
今!夢で
あの!私が度々食べにいった
店長にお会い出来ました!!!!

あの時のままでした!、
店長さんも、あの時の笑顔で!
私を覚えていてくれますした。。。。

夢の中の店長さんは
あの時ままの笑顔😃でした~
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