前回に引き続き、私の地元立川の老舗中華食堂『四つ角飯店』さんを紹介。
今回は移転前、本当に四つ角にあった旧店舗時代を振り返ってみる。後編が過去というのも妙だが、許しておくれ。
移転前の営業は2013年1月末まで。営業最終週は、大行列ができていた。
私が初めて四つ角飯店さんの存在を知ったのは、小学生になったばかりの頃。
母親との買い物帰り、たまたまお店の前を通りかかり、お土産餃子を買ってもらった、と記憶している。
当時は1人前200円で、現在と同様、5の付く日は半額の100円だった。
その後も、何度か夕飯のオカズとして餃子を買ってもらったり、成長した頃には、ひとりでお店に行ったことも。
訪問するのはもちろん餃子半額の日で、注文するのは餃子2人前とライス、以上!
ライスの値段は覚えていないが、確か100~150円くらいだったはずで、お会計は300~350円となる。
母親からメシ代として500円もらい、お釣りをちょろまかすのが常であった。
その後は、市外で遊ぶことが増え、社会人になってからはラーメン屋を巡るようになり、利用回数が減少。
四つ角飯店さんだけでなく、中華食堂にはあまり興味を示さなかった、あの頃の自分を叱ってやりたい。
再び、通うようになったのは、サラリーマン生活に見切りをつけ(会社に見切りをつけられた、ともいえる)、
フリージャーナリストというか無職に転身した、21世紀の初頭から。食堂で飲む楽しさを知ったのも、この頃だ。
仕事はないしお金もないが、ヒマはある。そんな私をいつでも温かく(?)迎え入れ、昼酒とメシを提供してくれたのが、
基本年中無休、さらに中休みナシの四つ角飯店さんだったのだ。
前編でも書いたが、ちょうどこの頃、立川駅周辺の開発が進み、私の望まぬ方向に進んでいく街の風景に反し、
ガキの頃と変わらぬ渋い外観で、四つ角にたたずんでいる、こちらのお店が、たまらなく愛おしかった。
昔は、撮影する習慣がなかったため、私が保持している旧店舗の画像は下記の旧ガラケーで撮影したものだけ。
※手前のおばちゃんが通り過ぎてから撮影すればいいのに…
見づらいだろうが、看板には「1日1食中華食」「餃子の日 毎月5日15日25日」と、現店舗に引き継がれたコピーが躍り、
「謝謝」の文字が入ったのれんがある入口の右側には、「餃子」ののれんが舞う、テイクアウト専用窓口があり、
お持ち帰り餃子を求める客の行列が、画像の外まで続いている。ちなみにこの日は、12月25日だった。
年内最後の5の付く日=半額とはいえ、クリスマスに餃子で行列!?
実は、客の一部はクリスマスではなく、年末年始のために、生餃子を大量(20~50人前)に買い込んだようだ。
撮影直前まで、彼らの買い物や会話を、間近で見聞きしていたのだから間違いない(←お前も並んでたんじゃねえか)。
入口脇に持ち帰り用窓口があり、そのすぐそばに餃子の焼き場があるのは、旧店舗も現店舗も共通。
ただし、現店舗は厨房内に焼き場があるのに対し、旧店舗は、厨房が店内奥にあり、餃子焼き場は独立していた。
結果的に、換気が不十分で、客席にも油が飛び散るため、床や壁は結構ベタベタであった。
マズいことに、「ほぼ年中無休・中休みナシ」なので、正直、清掃も行き届いてなかったはず。
さきほど「昔と変わらぬ渋い外観」と記したが、要するに、店内外ともにキッタナイお店だったのである。
ただ、そのキタナさというか乱雑さが、居心地の良さを醸し出していたともいえる。※あくまで個人の意見です
ここで、ちょっと話題を変えて。かつて存在した従業員について。
5の付く日はとにかく餃子の消費量が多く、店員さんたちが休む間もなく餃子を包んでいるのは、今も昔も一緒。
だが、旧店舗時代は、ベテラン店員が瓶ビールを飲みながら餃子を作成しており、
自分だけでなく、若いバイト店員たちの分までグラスを用意し、「いいから飲め飲め」と注いで回っていた。
繰り返すが、こちらのお店に中休みはなく、客(=私)の前で行われていた行為である。
創業昭和2年の老舗ゆえ、以前はこの店員だけでなく、後述する店主よりも年長と思われる方が数名働いていたが、
中には残念ながら、「昭和の悪しき時代の飲食店」を体現する、勤務態度の店員もいた。
厨房で、くわえタバコのまま中華鍋を振る職人、なんてのはマシな方。
あるとき、私が入店したところ、瓶ビールと飲みかけのグラスを前に、すでに赤ら顔の先客と目が合った。
そいつは、私に向かってなぜか「いらっしゃい」と声をかけてきたが、メンドーな酔っぱらいかと思い無視。
ホールの店員さんも、他の客の応対をしていて私に気づかず、空いている席に勝手に座って待っていたところ、
さっきの酔っぱらいが席を立ち、厨房の方から水の入ったグラスを持ってきて、私の席に置き、
「ご注文が決まったら呼んでください」だと。オメエ店員だったのかよ!
客席での休憩も、賄いを食べるのも仕方ないとして、賄いがビール、それも酩酊するほど飲むのはいかがなものか(笑)。
しかし、一番マズかったのは、リーダー格の店員。接客はさほど問題ないが、アイドルタイムは常にしゃべり続けている。
当然、部外者である私が客席にいても、一切気にせず、だ。あるときは休憩時間に近所の雀荘で遊んでいたらしく、
「いや~参った参った。5万切って8万待ちのリーチかけたんだけど、出ねぇでやんの。ガハハハハ」だと。
どんな手役だがわからんが、彼がやったのは、しょーもない引っ掛け手である(麻雀知らない人、ゴメン)。
さらに別の日は「おい、今日19時から4名、席予約な」と業務連絡…と思いきや、そのあとがイカン。
「ホラ、この前来た女4人組。あいつらまた来るんだよ。しっかしなあ、普通4人いりゃあ、ひとりくらいはカワイイのがいるのに、アイツら全員中の下…いや、下の下の下でゲゲゲの鬼太郎だな。ガハハハハ…(以下、延々と続くが略)」
これね、文字にするとイマイチだろうけど、生ライブ(笑)で聞いた私には、メチャクチャ面白かったんだよ。
リーダーの「いかにもおっさん」的な声と口調での、流れるような客の悪口の組み合わせが絶妙でね。
口に含んでいたビールを、つい吹き出しちゃった。それを見たリーダーも、客の私にウケたからか、嬉しそうな顔しやがんの。
飲食店の店員が、客の悪口を吹聴するなんてご法度だが、面白かったのでヨシ。※あくまで個人の意見です
なお、上記で説明してきたダメ店員たちは、移転後はほぼ姿を消した…あ、ひとりだけ残っているか(笑)。
まるで、香港映画に出てくる場末の飯屋のような、乱雑な店内にいかがわしい店員。
そんな移転前の店舗は、今思えば実に魅力的だった。※しつこいけれど、あくまで個人の意見です
ここで、そんな四つ角飯店を長年支えてきた、店主である高橋淳さんの画像を掲載。
2011年、アスペクト発行「餃子グルメ パーフェクトガイド」より。四つ角飯店が載っていたので買ってしまった。
写真左側には、「三代目店長の高橋さん。日本一の呼び声も高い。」との解説がある。
実際は高橋さんは四代目で、日本一とは、「中華料理技術コンテスト 餃子の部」で金賞を獲得したことを指しているようだ。
この中華料理技術コンテスト、一応検索してみたが、それほど大規模な組織ではない。
以前紹介した、茗荷谷『札幌軒』の「全国丼グランプリ」と似たような団体なのかな。
ただし、四つ角飯店さんの餃子は、いつ見ても美しい形状をしており、金賞獲得に異論はない。
今さらだが、ここで旧店舗時代にガラケーで撮影した料理の画像を紹介する。画質の悪さはカンベン。
まずは、現在はメニューにないつけ麺。正式名は「肉つけめん」だが、そんなに肉は多くない気も。
値段は覚えてないが、「普通のラーメンを麺とスープに分けただけなのに、ラーメンより200円上乗せ」だった記憶がある。
続いて、こちらも現在はメニューにない「オムライス」850円(税抜)。奥に見えるのは「餃子」と「水餃子」だ。
オムライスはウマかったので、なくなったのは残念。「天津飯」があるし頼む人は少ないのかな。
そしてこちらは、お店自慢の「餃子」を2人前。焼き色が揃っているのは、さすがは「金賞」獲得商品。
気のせいかもしれないが、この頃の餃子の方が、今よりも野菜の旨味が強く、ウマかった印象があるのだが。
冒頭でも触れたが、旧店舗閉店の直前は連日、長~い行列ができていた。
廃業ではなく、あくまで一時休業なのだから、並ぶことねえのに…と思っていた私だが、
「近隣で再開予定」から、1年以上経過しても復活の気配がなく、このまま滅亡か、と心配し始めたある日。
飲んだ帰りの深夜0時過ぎ、立川市の某ラーメン店で食事をしていたら、酔ったおっさん客の団体が来店し、
ラーメンとサイドメニューのご飯ものをガツガツと食べていた。そのうちのひとりが、高橋店主だったわけで。
店主、飲んだあとのラーメン+ライスは、身体に悪いですよ(←お前が言うか)。
すかさず「お食事中すみません、四つ角飯店の方ですよね」と声をかけ、「再開はいつですか?」とたずねたところ、
「来月に再開します。場所はこちらです」と、新店舗の住所が記載された、高橋さんの名刺をいただいた。
「ありがとうございます。必ず行きます!」と伝えてその場は別れ、新店舗で再び挨拶させていただき、
「以前よりメニューは減った(先述のオムライスなど)けど、その分、今のメニューに原価をかけている」こと、
「餃子は、季節によって野菜の配合を変えている」ことなどを教えてもらった。味が変わったと感じたのはそれが理由かな。
現在は若い店員さんが増えたが、高橋さんが不在でも、皆さん飲酒などせず、マジメに働いている。
お店も清潔で、お店の雰囲気は明らかに、現在の方が良くなっている。私個人の好みはともかく(苦笑)。
店内の様子はこんな感じ。カウンター席はないため、ひとり客でもテーブルに案内される。
夜は大勢で飲む団体客も多く、通常ならもっと混雑していて、こんな撮影はできない。早く収束・終息してほしいね。
せっかくなので、現在の料理も紹介。ガラケー写真ばかりでは申し訳ないので。
こちらは「肉と玉子の炒め」780円。私の大好きなKTI=きくらげ玉子炒めだ。
ピーマンも大きいが、豚肉は特にデカい。まるで焼肉定食のお肉だ。
KTIは旧店舗で食べたことがあるはずだが、今回の方が明らかに満足度が高い。少しずつ進化しているのだろう。
シメは初めて食べる「広東麺」880円。とろみのある熱々あんかけスープで舌をヤケドしないよう、慎重に食べていく。
具材はキャベツ、豚肉、きくらげ、人参、チンゲン菜にエビ、うずら。
醤油ベースのスープと、豊富な具材の旨味が重なり、なかなかおいしい。
意外とキャベツが多かったため、お腹いっぱいになったが、汁を少々残したのみで、ほぼたいらげた。
次回は、ちょっと気になった「汁なし担々麺」を食べてみよう。汁なしだからテイクアウトもOKかもね。
多少の空白はあるが、私の人生でもっとも長い間通い続けている飲食店。それが四つ角飯店さんだ。
立川の街を見守り続けて90余年。2027年には創業100周年を迎える。
無論、その後も110年、120年、150年…とお店は続いていくはず。イヤ、続いてもらわなくては困る。
私はたぶん、あと80年くらいしか生きられないが(?)、死ぬ間際も、ここの餃子で一杯やれたらいいな、と思う。
四つ角飯店
東京都立川市曙町1-16-5 (旧店舗は立川市曙町2-2-17)
JR立川駅から徒歩約3分半
営業時間 月~金 11時~23時 土日祝は22時まで ラストオーダーはそれぞれ30分前
定休日 元日、ほか不定休
※日野にも同屋号のお店あり
※2020年4月以降は、しばらく11~20時営業(酒類は19時ラスト)、
日曜は定休、あるいは早じまいの可能性がありそうです
今回は移転前、本当に四つ角にあった旧店舗時代を振り返ってみる。後編が過去というのも妙だが、許しておくれ。
移転前の営業は2013年1月末まで。営業最終週は、大行列ができていた。
私が初めて四つ角飯店さんの存在を知ったのは、小学生になったばかりの頃。
母親との買い物帰り、たまたまお店の前を通りかかり、お土産餃子を買ってもらった、と記憶している。
当時は1人前200円で、現在と同様、5の付く日は半額の100円だった。
その後も、何度か夕飯のオカズとして餃子を買ってもらったり、成長した頃には、ひとりでお店に行ったことも。
訪問するのはもちろん餃子半額の日で、注文するのは餃子2人前とライス、以上!
ライスの値段は覚えていないが、確か100~150円くらいだったはずで、お会計は300~350円となる。
母親からメシ代として500円もらい、お釣りをちょろまかすのが常であった。
その後は、市外で遊ぶことが増え、社会人になってからはラーメン屋を巡るようになり、利用回数が減少。
四つ角飯店さんだけでなく、中華食堂にはあまり興味を示さなかった、あの頃の自分を叱ってやりたい。
再び、通うようになったのは、サラリーマン生活に見切りをつけ(会社に見切りをつけられた、ともいえる)、
フリージャーナリストというか無職に転身した、21世紀の初頭から。食堂で飲む楽しさを知ったのも、この頃だ。
仕事はないしお金もないが、ヒマはある。そんな私をいつでも温かく(?)迎え入れ、昼酒とメシを提供してくれたのが、
基本年中無休、さらに中休みナシの四つ角飯店さんだったのだ。
前編でも書いたが、ちょうどこの頃、立川駅周辺の開発が進み、私の望まぬ方向に進んでいく街の風景に反し、
ガキの頃と変わらぬ渋い外観で、四つ角にたたずんでいる、こちらのお店が、たまらなく愛おしかった。
昔は、撮影する習慣がなかったため、私が保持している旧店舗の画像は下記の旧ガラケーで撮影したものだけ。
※手前のおばちゃんが通り過ぎてから撮影すればいいのに…
見づらいだろうが、看板には「1日1食中華食」「餃子の日 毎月5日15日25日」と、現店舗に引き継がれたコピーが躍り、
「謝謝」の文字が入ったのれんがある入口の右側には、「餃子」ののれんが舞う、テイクアウト専用窓口があり、
お持ち帰り餃子を求める客の行列が、画像の外まで続いている。ちなみにこの日は、12月25日だった。
年内最後の5の付く日=半額とはいえ、クリスマスに餃子で行列!?
実は、客の一部はクリスマスではなく、年末年始のために、生餃子を大量(20~50人前)に買い込んだようだ。
撮影直前まで、彼らの買い物や会話を、間近で見聞きしていたのだから間違いない(←お前も並んでたんじゃねえか)。
入口脇に持ち帰り用窓口があり、そのすぐそばに餃子の焼き場があるのは、旧店舗も現店舗も共通。
ただし、現店舗は厨房内に焼き場があるのに対し、旧店舗は、厨房が店内奥にあり、餃子焼き場は独立していた。
結果的に、換気が不十分で、客席にも油が飛び散るため、床や壁は結構ベタベタであった。
マズいことに、「ほぼ年中無休・中休みナシ」なので、正直、清掃も行き届いてなかったはず。
さきほど「昔と変わらぬ渋い外観」と記したが、要するに、店内外ともにキッタナイお店だったのである。
ただ、そのキタナさというか乱雑さが、居心地の良さを醸し出していたともいえる。※あくまで個人の意見です
ここで、ちょっと話題を変えて。かつて存在した従業員について。
5の付く日はとにかく餃子の消費量が多く、店員さんたちが休む間もなく餃子を包んでいるのは、今も昔も一緒。
だが、旧店舗時代は、ベテラン店員が瓶ビールを飲みながら餃子を作成しており、
自分だけでなく、若いバイト店員たちの分までグラスを用意し、「いいから飲め飲め」と注いで回っていた。
繰り返すが、こちらのお店に中休みはなく、客(=私)の前で行われていた行為である。
創業昭和2年の老舗ゆえ、以前はこの店員だけでなく、後述する店主よりも年長と思われる方が数名働いていたが、
中には残念ながら、「昭和の悪しき時代の飲食店」を体現する、勤務態度の店員もいた。
厨房で、くわえタバコのまま中華鍋を振る職人、なんてのはマシな方。
あるとき、私が入店したところ、瓶ビールと飲みかけのグラスを前に、すでに赤ら顔の先客と目が合った。
そいつは、私に向かってなぜか「いらっしゃい」と声をかけてきたが、メンドーな酔っぱらいかと思い無視。
ホールの店員さんも、他の客の応対をしていて私に気づかず、空いている席に勝手に座って待っていたところ、
さっきの酔っぱらいが席を立ち、厨房の方から水の入ったグラスを持ってきて、私の席に置き、
「ご注文が決まったら呼んでください」だと。オメエ店員だったのかよ!
客席での休憩も、賄いを食べるのも仕方ないとして、賄いがビール、それも酩酊するほど飲むのはいかがなものか(笑)。
しかし、一番マズかったのは、リーダー格の店員。接客はさほど問題ないが、アイドルタイムは常にしゃべり続けている。
当然、部外者である私が客席にいても、一切気にせず、だ。あるときは休憩時間に近所の雀荘で遊んでいたらしく、
「いや~参った参った。5万切って8万待ちのリーチかけたんだけど、出ねぇでやんの。ガハハハハ」だと。
どんな手役だがわからんが、彼がやったのは、しょーもない引っ掛け手である(麻雀知らない人、ゴメン)。
さらに別の日は「おい、今日19時から4名、席予約な」と業務連絡…と思いきや、そのあとがイカン。
「ホラ、この前来た女4人組。あいつらまた来るんだよ。しっかしなあ、普通4人いりゃあ、ひとりくらいはカワイイのがいるのに、アイツら全員中の下…いや、下の下の下でゲゲゲの鬼太郎だな。ガハハハハ…(以下、延々と続くが略)」
これね、文字にするとイマイチだろうけど、生ライブ(笑)で聞いた私には、メチャクチャ面白かったんだよ。
リーダーの「いかにもおっさん」的な声と口調での、流れるような客の悪口の組み合わせが絶妙でね。
口に含んでいたビールを、つい吹き出しちゃった。それを見たリーダーも、客の私にウケたからか、嬉しそうな顔しやがんの。
飲食店の店員が、客の悪口を吹聴するなんてご法度だが、面白かったのでヨシ。※あくまで個人の意見です
なお、上記で説明してきたダメ店員たちは、移転後はほぼ姿を消した…あ、ひとりだけ残っているか(笑)。
まるで、香港映画に出てくる場末の飯屋のような、乱雑な店内にいかがわしい店員。
そんな移転前の店舗は、今思えば実に魅力的だった。※しつこいけれど、あくまで個人の意見です
ここで、そんな四つ角飯店を長年支えてきた、店主である高橋淳さんの画像を掲載。
2011年、アスペクト発行「餃子グルメ パーフェクトガイド」より。四つ角飯店が載っていたので買ってしまった。
写真左側には、「三代目店長の高橋さん。日本一の呼び声も高い。」との解説がある。
実際は高橋さんは四代目で、日本一とは、「中華料理技術コンテスト 餃子の部」で金賞を獲得したことを指しているようだ。
この中華料理技術コンテスト、一応検索してみたが、それほど大規模な組織ではない。
以前紹介した、茗荷谷『札幌軒』の「全国丼グランプリ」と似たような団体なのかな。
ただし、四つ角飯店さんの餃子は、いつ見ても美しい形状をしており、金賞獲得に異論はない。
今さらだが、ここで旧店舗時代にガラケーで撮影した料理の画像を紹介する。画質の悪さはカンベン。
まずは、現在はメニューにないつけ麺。正式名は「肉つけめん」だが、そんなに肉は多くない気も。
値段は覚えてないが、「普通のラーメンを麺とスープに分けただけなのに、ラーメンより200円上乗せ」だった記憶がある。
続いて、こちらも現在はメニューにない「オムライス」850円(税抜)。奥に見えるのは「餃子」と「水餃子」だ。
オムライスはウマかったので、なくなったのは残念。「天津飯」があるし頼む人は少ないのかな。
そしてこちらは、お店自慢の「餃子」を2人前。焼き色が揃っているのは、さすがは「金賞」獲得商品。
気のせいかもしれないが、この頃の餃子の方が、今よりも野菜の旨味が強く、ウマかった印象があるのだが。
冒頭でも触れたが、旧店舗閉店の直前は連日、長~い行列ができていた。
廃業ではなく、あくまで一時休業なのだから、並ぶことねえのに…と思っていた私だが、
「近隣で再開予定」から、1年以上経過しても復活の気配がなく、このまま滅亡か、と心配し始めたある日。
飲んだ帰りの深夜0時過ぎ、立川市の某ラーメン店で食事をしていたら、酔ったおっさん客の団体が来店し、
ラーメンとサイドメニューのご飯ものをガツガツと食べていた。そのうちのひとりが、高橋店主だったわけで。
店主、飲んだあとのラーメン+ライスは、身体に悪いですよ(←お前が言うか)。
すかさず「お食事中すみません、四つ角飯店の方ですよね」と声をかけ、「再開はいつですか?」とたずねたところ、
「来月に再開します。場所はこちらです」と、新店舗の住所が記載された、高橋さんの名刺をいただいた。
「ありがとうございます。必ず行きます!」と伝えてその場は別れ、新店舗で再び挨拶させていただき、
「以前よりメニューは減った(先述のオムライスなど)けど、その分、今のメニューに原価をかけている」こと、
「餃子は、季節によって野菜の配合を変えている」ことなどを教えてもらった。味が変わったと感じたのはそれが理由かな。
現在は若い店員さんが増えたが、高橋さんが不在でも、皆さん飲酒などせず、マジメに働いている。
お店も清潔で、お店の雰囲気は明らかに、現在の方が良くなっている。私個人の好みはともかく(苦笑)。
店内の様子はこんな感じ。カウンター席はないため、ひとり客でもテーブルに案内される。
夜は大勢で飲む団体客も多く、通常ならもっと混雑していて、こんな撮影はできない。早く収束・終息してほしいね。
せっかくなので、現在の料理も紹介。ガラケー写真ばかりでは申し訳ないので。
こちらは「肉と玉子の炒め」780円。私の大好きなKTI=きくらげ玉子炒めだ。
ピーマンも大きいが、豚肉は特にデカい。まるで焼肉定食のお肉だ。
KTIは旧店舗で食べたことがあるはずだが、今回の方が明らかに満足度が高い。少しずつ進化しているのだろう。
シメは初めて食べる「広東麺」880円。とろみのある熱々あんかけスープで舌をヤケドしないよう、慎重に食べていく。
具材はキャベツ、豚肉、きくらげ、人参、チンゲン菜にエビ、うずら。
醤油ベースのスープと、豊富な具材の旨味が重なり、なかなかおいしい。
意外とキャベツが多かったため、お腹いっぱいになったが、汁を少々残したのみで、ほぼたいらげた。
次回は、ちょっと気になった「汁なし担々麺」を食べてみよう。汁なしだからテイクアウトもOKかもね。
多少の空白はあるが、私の人生でもっとも長い間通い続けている飲食店。それが四つ角飯店さんだ。
立川の街を見守り続けて90余年。2027年には創業100周年を迎える。
無論、その後も110年、120年、150年…とお店は続いていくはず。イヤ、続いてもらわなくては困る。
私はたぶん、あと80年くらいしか生きられないが(?)、死ぬ間際も、ここの餃子で一杯やれたらいいな、と思う。
四つ角飯店
東京都立川市曙町1-16-5 (旧店舗は立川市曙町2-2-17)
JR立川駅から徒歩約3分半
営業時間 月~金 11時~23時 土日祝は22時まで ラストオーダーはそれぞれ30分前
定休日 元日、ほか不定休
※日野にも同屋号のお店あり
※2020年4月以降は、しばらく11~20時営業(酒類は19時ラスト)、
日曜は定休、あるいは早じまいの可能性がありそうです
今!夢で
あの!私が度々食べにいった
店長にお会い出来ました!!!!
あの時のままでした!、
店長さんも、あの時の笑顔で!
私を覚えていてくれますした。。。。
夢の中の店長さんは
あの時ままの笑顔😃でした~
紹介されていた四ツ角飯店!!
写真は、鮮明では有りませんでしたか、
50年ぶりでしょうか?
あね笑顔!!
懐かしく!。。。店長さんを想い出していました。。。。もう一度!会えたらと。。。
嬉しかったです。
必ず!✌️近いうちに。
コメントありがとうございます。
現店舗にも、ぜひ足を運んでみてください。
前の駅近のお店。。ガ〜ドから出て右には書店、左角には、雑貨屋さん!
その頃の店長さんは、何代目でしなか??
背が高くいつも笑顔が印象的でした
3代目でしたかな〜。。、
現在、私は77歳(笑)
仕事柄、店長さんから
ベンチャーズ!全員のイラストをまれ
しばらくの間、店内に飾られておりました
私は現在、調布市在住ですが
近々、現在の四ツ角さんに
いって見よと思います。。、
ヘイスブック名は、紺野昭博と申します
お時間の有る時にでも検索して下さいませ。
同じ四ツ角飯店フアン!!
ありがとうございました。