わにの日々-中西部編

在米30年大阪産の普通のおばさんが、アメリカ中西部の街に暮らす日記

乙武さんの車椅子騒動で思ったこと

2013-06-19 | 時の話題
 ニュース・カテゴリではあるけど、全く新しくない話題。でも、ウェブ上では未だ論争が続いてるので、私も尻馬に乗って言いたくなった。スポーツジャーナリスト等として活躍する「五体不満足」の乙武さんが、人気のイタリアンレストランに行ったけど、予約の際に車椅子のことを伝えてなかったからと、当日に断られちゃった、とツイートしたら、店側の対応が悪い、いや、予約時にレストランがエレベーターのないビルの二階にあることを知っていながら車椅子であることを伝えなかった客のほうが悪いと、大論争になりました。そこで、イギリス在住の女性が、イギリスならそんな差別的なことはありえない、日本は障害者に対する差別がひどい、と言い出したので、イギリスに住んでたら上から目線かよ!と、益々、混乱。ここんとこで、アメリカに住む私は、ここじゃどうかなぁ?どう思う?と、息子達に聞いたら、「アメリカでは、障害者法その他で、車椅子でアクセス出来ないレストランはライセンスが降りない。よって、そういった問題を論じるのは無意味である」と、冷めた答えが返ってきた。そりゃそうだ…orz

 この論理で言えば、イギリス人だったら、周りのみんなが助けあって車椅子を担ぎあげただろう、だってイギリス人は親切だから(うふ)を、アメリカ人は、更に上から目線で、アメリカなら最初から問題にならなかっただろう。だって助けを借りなきゃ車椅子では行けないような不親切な高級レストランなんてないから(うふふ)ってな反論ができるなぁ…などと考えてたら、何ともかんともアホらしくなった。なんつーか、そんなことで競い合ってどうする?みたいな。車椅子を助けるのはその場の人たちの意思と能力に任せるという暗黙の了解がある国、車椅子を助けるのは健常人というか紳士の義務という習慣の根付いた国、車椅子だと行けないのは差別だからと法律でバリアフリーを義務付け決めちゃう国。それぞれの文化的背景や社会体制が違うんであって、どこがいいかは、個人それぞれの好みや価値観によって違うのは当然ではないかと。

 乙武さんとトラブルのあった問題のレストランの入っているビルは、エレベーターはあるけど、お店のある二階には停まらないのだそう。ならば、予約時に言っておけば、予め2階に止まるようにすることもできたんじゃないかな?って気がするけど、そこは直接行ってみたわけじゃないんで判らない。でも、二階だけエレベーターのアクセスなしってのは不自然だよね。その時、店員さんが少ないとか、たまたま女性スタッフばっかりだったとか、色んな事情があったのかもしれない。ご本人は、車椅子ではなく自分だけ抱え上げてくれればいいのに、って仰ってるけど、その時は一人だったのかしら?そうでなければ、一緒に行った友人なりご家族が助けられたのでは?それでもダメってレストランが断ったのかしら?でも、そうであっても、予約の時に一言、お宅様は二階にお店がありますが、当方車椅子なのですが、って言っておけば良かったのに…とは思います。

 でも、この一件を基に、日本人は障害者を差別する、冷たいと決めつけるのは如何なものか?私の実家近くのJRの駅にエレベーターが付いたのは最近で、ずっと長~い階段を昇降するしかプラットフォームに行く方法はなかったのですが、階段では車椅子は駅員さんたちが手伝うし、赤ちゃんのベビーカーの運搬を手伝ってあげてる人も何度も見たことがあります。これだって、見ず知らずの人に声をかけるんだから勇気がいるよね。特に若いお母さんに、男性が声をかけるのは「下心ありと思われたら嫌だなぁ」とか、なかなか葛藤がありそうです。

 実は私自身、子供が小さい頃、園駅の階段で子供を抱いて荷物を肩に下げ、畳んだベビーカーを引っ張りあげてたら、後から来た大学生らしい男の子が走り寄ってきてベビーカーを運び上げてくれたことがある。で、その後、逆方向行きのプラットで電車を待ってる彼を見て、一層感激したことがあります。実際に全くの他人に声をかけるのって、度胸がいると思う。フツーの若いにーちゃんだったけど、「お手伝いしましょうか」って(実際には、ぼくが持ったげるわ、とかだったけど)、ひょいとベビーカーを取ってくれた自然さは、実は只者ではなかったかも。だって、普通に「持ちましょうか?」って言われても、私はきっと「いえ、大丈夫ですから」って断っちゃったと思うの。ホントはすごーく助けて欲しかったんだけど。

 結局、困っている他人を助けるか助けないかは、個人の判断次第ですよね。私が車椅子の方が階段の前で困っているのを見かけても、非力なので何の助けにもならない。むしろ、出しゃばって車椅子を引き上げようとするほうが危険。だからきっと、見て見ぬ振りしちゃう。同様に、紳士の国、英国でも、誰もが車椅子を助けられるとは限らない。逆に、法律で助けが必要な機会が少ないアメリカでも、車椅子が困っていたら、ガタイのいい兄ちゃんやおっちゃんがすかさず寄ってきて助けるだろうと思う。アメリカって基本的にマッチョ文化だから。

 ならば日本はどうかといえば、まず「他人様に迷惑をかけず、控えめに振舞い、知らない人には手も口も出さないのが礼儀」という考えが常識になっているところがある。だから、入店拒否された!と店名までツイッターして一悶着起こした乙武さんに対する反感がネットでも爆発したのは、そのせいもあるのではないかと思う。一方で、多くの車椅子の人達はむしろ、乙武さんの対応に困惑しているそうなのは「車椅子だからって迷惑かけたくない」という気持ちが強いのではないかしら?乙武さん自身も、決して「俺は車椅子だから助けられて当然」なんて思っていないでしょうし、お店の名前を出しちゃったのは、自分の発言のネット上の影響力を見くびってたのかもしれない。

 お手伝いする側にも、見ず知らずの人には可能な限り干渉すべきではないという価値観が根底にあるから、アメリカ~ン!なマッチョのおっさん達みたいに、通りすがりに気軽に「へーい、オレが運び上げてやるぜ!オレ力持ちだし―!」と言い出すにも勇気がいる。お年寄りに席を譲ったら、どうぞお構いなく、って断られた。思い切り立ってしまったオレ、どうしたらいいんだ?的な経験は、多くの人にあるんじゃないかしら?むしろ、お年寄り扱いして悪かったかなと申し訳無くなる。そして、その気不味い状況を見て見ぬふりの周りの乗客も、内心微かに気不味い。譲られた側も、自分がそんなジジババに見えたか?なんて落ち込む。Win-Winならぬ負け負け状況。小さな親切、大きなお世話ってね。でも、「だから、こっちの方が優れてる、あっちは劣ってる」という議論は当て外れだし、非生産的だと思うな。

 お店側が車椅子のお客に対して失礼という意見も、見方を変えれば一人のお客様の為に他のお客様を待たせたり、食事中なのに車椅子を通すために席を開けてくれるように頼むよりは、その他大勢のお客様の便利を考えたのかもしれないって意見もあると思う。このレストランは予約をとるのが難しいのでも有名らしいので、やっと予約できて、待ちに待ったお食事を楽しんでいるのに、あースイマセン、乙武さんが見えられてるんで、お迎えに行く間、ちょっと待っててくださいね~、ってゆーか、車椅子上げるの手伝ってくれませーん?ってやるほうが、お店的には失礼だと判断したのではないでしょうか。やっぱ、ここは、予め言っておけばお店側もそのために余分な人員を準備できたんじゃないの?って、結局、話が元に戻る。ちゃんと伝えて、いや、アンタ一人のために介助員とか余計なお金使いたくないから。だいたい、運び無碍に断ったんだったら、そりゃ怒っていいと思うけど。
 
 他人事な意見で申し訳ないけど、私の個人的な思いは、この件を通じて日本で障害者やバリアフリーに対する議論が大いに戦われたことは意義があると思う。これで初めて、車椅子の人の不便さとか、車椅子だって有名レストラン行きたいって、当然なんだけど普段わざわざ考えないようなことに「そういや、そうだ」って気づいた人だっているかもしれないし。乙武さんは、日本の「障害者であることは恥」みたいな隠れた風潮を薙ぎ払うステップへの道を開いた一人だと思うし、この件が一段落ついたら、バリアフリーについて、障害者のお出かけについて、少しだけ前進してればいいなと思います。

 私の従兄の一人が、生まれてからずっと車椅子なんだけど、ホントにね―、日本で車椅子で外出って大変だもん。アメリカじゃ義務付けられてる車椅子対応のバスを25年前に初めて見た時、いいなぁ、これなら従兄のK君ももっと頻繁にお出かけできるよ、って羨ましく思ったよ。

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