わにの日々-中西部編

在米30年大阪産の普通のおばさんが、アメリカ中西部の街に暮らす日記

スパイダーマン・スパイダーバース

2019-03-03 | 映画・ドラマ・本
 なるほど、これは新しい!と、思いました。失った妻子を取り戻すために、巨大な加速器を用いて異次元と繋がろうと目論むキング・ピンの野望を阻止するため、異なった次元のスパイダー達が集結。キング・ピンの実験を阻止しようとして亡くなったいつものスパーダーマン、金髪碧眼ピーター・パーカー26歳の次元では、クモ・ナンバー42に刺された黒人とラティーノのミックスの中学生、マイルズ・モラリスが、スパイダーマンの遺志を継いで、新たなスパイダーマンとして成長するお話です。そこに家族愛や、友情、自分は一人じゃない、仲間がいるんだ、そして人生の中でやり直しができることなら、やり直す勇気を持とうってメッセージが伝えられ、さっぱりとした味わいの秀作でした。



 スパイダーバースには48人の異なったスパイダーマンがいるそうですが、キング・ピンと、マッドな科学者、ドクター・オクトパス(の娘さん?)の実験で、中途半端に歪んだ次元から飛ばされてきた他のスパイダー達は、白黒世界のスパイダー・ノワール、ピーターが倒れた世界でスパイダー・ウーマンとして戦うグウェン・ステーシー、「こんにちは~」って相棒のマシンとともに未来から来た二次元アニメのペニー・パーカー、マーベルの動物世界ラーヴァル・アースから来たピーター・ポークことスパイダーハム、そしてマイルズの世界から少し未来から来た中年ピーター・パーカーと、いうユニークな面々。

 それぞれの次元に応じて画面が異なり、効果音が書き文字で出てきたり、インクのかすれが表現されてたり、漫画とCGアニメの融合がセンス良く表現され、お話もテンポよく進みます。メイおばさんも、バッドマンのアルフレドのような役割もこなしてかっこいい!昨年、デジタル世界に移住したスタン・リー御大も、コミックショップの店主他、色んな所で顔を出しています。監督曰く、アニメーターが皆、御大を描きたがったから、なんだって。

 なーんか本命が外れたり、受賞者への評価が割れたり、物議の絶えない今年のアカデミー賞だけど、長編アニメのノミネート作全部観て、他の作品も気に入った私も、これは革新性やクリエーティブさで一抜けてるって納得でしたよ。劇場で見たらよかった~


KUSAMA - INFINITY クサマ・インフィニティ

2019-03-02 | 映画・ドラマ・本

図書館にあったので借りてきました。なにしろ、パッケージがこれ⇑ですから、物凄いインパクトです。これ、無視して前を通り過ぎられないでしょう。

 厳格な家庭での生い立ち、第2次世界大戦中のトラウマ、1950年代ニューヨークで受けた性差別や人種差別、そして精神病への偏見といった幾多の困難とともにあった草間の人生にフォーカス。そうした日々のなかでの、絵画、彫刻、インスタレーション、パフォーマンス、詩、文学といった、88歳を迎える現在(撮影当時)にいたるまでのたゆまぬ創作にせまる。


 草間彌生という強烈な存在を語るには、手堅い作りの映画って気がしたけど、多分、現役の日本人クリエーターとしては、ハヤオ・ミヤザキと双璧を成す有名な存在(ヨーコ・オノは流石に過去の人だけど、宮崎駿は引退は言ってるだけで、絶対また創ってくると思うんで)を、真正面から、ただしソフトに捉えて見応えがありました。ドキュメント作品としては型にはまっていても、対象が対象だけに刺激的。

 私は、彼女の作品を実際に目にしたことはなく、正直、気持ち悪いって思っていたのですが、ぜひ、本物を目にしたいと思いました。インフィニティ・ルーム、経験したい。そして、カメラを通し、私の小さなPC画面を通してすらひしひしと感じられる、草間彌生という存在の迫力!正気ではないからこそ生み出された作品群以上に、彼女自身が語る、彼女自身がアップになると、なんとも言えない圧迫感を感じました。

 面白いのは、彼女を長野の恥、松本の汚点とまで罵ってた地元が、今では市の美術館を「世界で唯一、常に草間の作品が見られる」と誇り、彼女の作品に身近に触れることのできる子供たちは幸運と、掌180度返しなのが面白かった。いや、言ってみたいですけどね、松本市立美術館。

 日本での公開は未定だそうですが、彼女の60年代、70年代のパフォーマンスのフィルムは、確かに映倫に引っかかりそう。ある意味、半世紀近くも昔の活動が未だタブーってのは、ちと考え込むものがありますね…

トランプのアメリカだからこそ…「グリーンブック」

2019-03-01 | 映画・ドラマ・本
 言わずと知れた、色んな方向か酷評されてる今年のアカデミー作品賞受賞作品。最初は見るつもりなでまったくなかったのですが、あんまり話題になっているので、見る気になっちゃったわたしゃミーハーです。見るつもりがなかった理由は、単に、あのお素敵なアラゴルンさんが、お腹の出たガサツなおっさん化している姿を見たくなかったから。でも、あまりも見事におっさん化していたので、お素敵アラゴルン様を彷彿させることを全く無く観られました。



 きっと深く考えると、世間で言われているように、白人視点(もしくは上から目線?)の黒人のお話とか、白人が黒人を救っていい気分になるとかってなるのかも知れないけど、白人でも黒人でもない私が考えずに観たら、 ( ;∀;)イイハナシダナー な、観終わって良い気分になれる「フィール・グッド・ムービー」でした。

 お話は正直、嘘っぽいと思う。黒人の飲んだグラスを指先で持って捨ててしまうほどに差別主義者だったトニーが、お金のためとはいえ、いきなり同じ車に乗って普通に接してるのは違和感がありました。クラブの用心棒として、殴った相手が面倒くさい相手だったとか、帽子を隠したのが自分だとバレたとかで、暫く街を去る必要があったとかなら、少しは納得できたかもですし、待っている間に他の黒人運転手たちとゲームに興じているのも、急に差別止めたの?と、唐突な展開に驚いた。シャーリーがYMCAで捕まった時も、物分かり良すぎでしょ、と。

 ドクター・シャーリーを演じてアカデミー助演男優賞を獲得したマハーシャラ・アリは、映画が「嘘の協奏曲」だと避難するシャーリーの親族に、映画そのものを、ではなく、この映画によって気分を害したことに対して、丁寧に謝罪したそうです。ドクター・シャーリーの優雅さや高潔さは、演技というより、演じたアリさん本人の持ち味じゃないかって気がする。熱人を演じて主演男優賞を取ったラミ君と逆ね。

 ドクター・シャーリーの、弟さん、モーリス・シャーリーさんによると「兄はトニーを友人と見なしたことは一度もなく、あくまでも(制服と帽子を身につけることに憤っていた)運転手であり、使用人だった。」そうです。そして、映画の中で「弟がいるけど何年も交流がない」というシャーリーに、トニーは「手紙を書いたら?」って言うシーンが有るけど、これは実現しなかったよう。

 この映画は「実話にインスピレーションされた」んであって、ノンフィクションじゃないから、「ボヘミアン・ラブソティー」と一緒で、事実の再現じゃなくても良い作品ならいいと思ってたけど、エンドロールで実際のシャーリーとトニーの写真を出して「生涯、友達だった」とやってるのが、微妙になってくる。脚本を書いているのが、トニーの息子さんなので、トニー側が美化され、トニー一家へのノスタルジーが感じられるのは、仕方ないかもしれませんが。作中のトニーの奥さんはチャーミングも素敵な女性ですが、エンドロールで出た本人の写真で、本当にすっごい美人で、これまた驚いた。

 行く先々でのエピソードがいちいち劇的で、でも、どこかで観たような話ばかり、そして最後はクリスマス・ミラクルで締めるのは、これが映画界において世界的に影響力の大きなアカデミー作品賞のタマか?と、言われると、私にはわからないけど(-人-)、映画ってのは、こういうのでいいんだよ!って気もする。現実のアメリカは今、とてもギスギスしており、人種間での葛藤も悪化していると思います。Oscar So Whiteといわれた一昨年、そして今回のアカデミー賞では、「白人の映画」と「黒人の映画」の対決の感が有りました。

 アメリカのお茶の間番組も、昔から黒人ドラマ、白人ドラマがきっぱり別れていて、ラテン家族やアジア人家族のドラマも出てきては、成功せずに消えていった感じ。実際、私が今住んでいる街も、ビックリするほど白人の街。成長中のコロンバス郊外なので、住民は圧倒的に白人とはいえ、それ以外も住んではいるのですが、それは新参者で、根付いているのは中流の保守的な白人です。こういう街の様子を観ていると、人種のるつぼには、まだまだ程遠い。

 この映画は、50年前には、こんなにも差別が堂々と存在していたことを思い出させてくれます。白人高齢者の多くは、当時の「常識」を未だ根本的には残している。人間、頭では分かっていても、そう簡単に深層心理まで変えられないと思う。傍から見ればトンデモなトランプを、それでも支持して大統領にまで押し上げ、未だに支持しする人々の言うグレートなアメリカは、異質なるものを嫌い、自分たちだけのホモジニアスな社会の心地良さを捨てられない、土地に根付いた人々の、変わりゆく世界への抵抗があるのではないかと思います。

 わにおの母方のお祖母さんは、わにおのお父さんにイタリア系が混ざっていたので「イタ公と結婚するなんて!」と、暫く、お母さんとは絶縁状態だったとか。それって、正に、この映画の時代。トニーは、同じ白人の中でも「新参者」で蔑まれていたイタリア系なので、差別される気持ちはわかる、俺はあんた以上にブラックだって言うけど、そこで納得しちゃだめでしょ、シャーリーさん。

 でもいいんですよ。黒人と白人の間に友情が芽生えるファンタジーで。こんな時代だからこそ、こんなファンタジーがあってもいいと思う。音楽はいいし、それに何よりケンタッキー・フライドチキンが食べたくなっちゃう。黒人大統領ののオバマさんときて、逆方向に振れてトランプで、これからまた一悶着ありそうなこの国で、お伽噺のような友情と、暖かな大家族のお話に、ほっと一息をつく。この映画の意義はそれだと私は思います。

 明日は、KFC(今どきはケンタッキーフライドチキンって名前じゃないの)買いに行こう!

司会者のいないアカデミー賞

2019-02-25 | 映画・ドラマ・本
 昨夜のアカデミー賞授賞式、面白かったですね!私はケーブルやサテライトの契約もしていないし、そもそもテレビすら持っていないので、ネットでハイライトを見ただけですが、いきなり本物のクイーン+アダム・ランバートで幕開けは、往年のファンであり、映画にも感動したファンとしては嬉しかったです。なに、このかっこいいじっさまたち、なにこのセクシーすぎる男前?!しかも、背後のスクリーンにフレディーが映し出されるなんて、年寄り泣かす気満々やんか。

 司会者のいない授賞式は、実は今回が初めてではないけど、前回は散々だったらしいです。私は、サクサクと首尾よく進んでるって感じました。ハイライトしか見ていないから?と思ったけど、今日のマスコミ見ると、結構、評判よかったみたい。ここ数年は特に、司会者が観客のスターたちを弄るのが、内輪ネタやいじくるというより貶めているようなコメントになってるように感じていたので、もう来年からも、このスタイルでいいんじゃないかな?って思った。もしまだ司会形式でやるなら、来年はメリッサ・マッカーシーがいいな。ウサギのぬいぐるみをいっぱい縫い付けてアン女王に扮して出てきたメリッサ・マッカーシー、ウサギの指人形の可愛さもあって私的にバカウケ。

 出世作の「ブライズメイズ 史上最悪のウェディングプラン」が受け付けなかったのですが、その後、サンドラ・ブロックと共演した「The Heat(日本未公開)」や、「Spy/スパイ」、「[Identity Thief(泥棒は幸せのはじまり)」や「タミー」では、お腹抱えて笑い転げちゃった。主演女優賞にノミネートされた「Can you ever forgive me?(ある女流作家の罪と罰)は、図書館のDVDを順番待ち中。 

 主演女優賞は、「女王陛下のお気に入り」でアン女王を演じたオリヴィア・が取りましたが、私はこの映画を見たばっかりで、女王の顔芸(褒めてるんです~)には、しみじみ感心したので、納得の受賞。一番、呼び名が高かったのはグレン・クローズだけど、実に7回目のノミネーションだそう。ハリウッド映画界のスーザン・ルッチにはまだまだ遠いけど、次にノミネートされたときには取ってほしいな。彼女は私にとっては、いつまでも「危険な常時」の怖いおばさんなのですが、30年経っても未だにその印象が消え去らないほどに、迫真の演技だったのでしょう。この年の主演女優賞にノミネートはされていますが、受賞したのはシェール。ほかの候補者は、メアリ・ストリープにホリー・ハンター(@_@)

 主演男優賞がラミ・マレックは意外でしたが、あれだけ研究して似せてきた役者魂への評価だと思うの。映画の感想にも書いたけど、フレディー・マーキュリーは不世出。この気持をサイバラりえぞう先生が見事に漫画で表現してくれました。

そうなのよ~!!!


 作品賞の「グリーンブック」は観ていないけど、DVDかネットで見ると思う。これは、「ドライビング・ミス・デイジー」の時代からは変わったのだっていう象徴的な選択も有るんじゃないかと思いました。スパイク・リー監督は不満そうでしたが。

「アリー・スター誕生」は、評価の高い作品なので怒られそうですが、正直、私は途中で飽きちゃったんです。劇場で見たら違っていたのかもしれないけど、PC画面じゃコンサートの熱狂とかは伝わらないし。レディー・ガガのアリーは最初からカリスマありすぎ、迫力ありすぎ。だって、ガガ様だもの、仕方ない。レッド・カーペットのガガ様もゴージャスで、正にスター!でしたね。

 昔、バーバラ・ストライザンド版の「スター誕生」は、なんちゃら洋画劇場で見てすっごく感動しました。テーマ曲の「Evergreen」が心に沁みて、今でも聞くと泣きそうなります。声がいいし、情感たっぷりで本当に上手い(だってバーバラだもの)。バーバラ・ストライザンドは、田舎のイモ姉ちゃん風ルックスで決して美人じゃないから(すみません)、説得力あったし、結末も、明らかな自殺より、赤いジャガーでぶつかって、っての方がいい。

 も一つ言っときたいのは、レッド・カーペットのアクアマンさんでしたわ。名前がモモイだけにタキシードがスーツなのは良いとしても、なんかサイズが合ってないような。余りの似合わなさに、上はタキシード、下はドレスの人よりも衝撃でした。

The Favourite / 女王陛下のお気に入り

2019-02-22 | 映画・ドラマ・本
 18世紀初頭の英国宮廷を舞台とする、ゴージャスかつグロテスクにアン女王を巡る侍女同士の覇権争いを描いた映画。史実を基にしているというのが驚きです。「The Favourite(お気に入り)」になることが、政治的実権を握ること。彼女たちが争うのは、今どきの#MeTooやらガールパワーなんて生易しいもんじゃありません。一国のみならず。周辺諸国の命運を決める究極の権力です。

 本当は映画館で観たかったけど、寒いし、引っ越してから映画館が遠くなって出かけるの面倒臭いので、図書館で借りたDVDで鑑賞。正直、下働きの女性の台詞とか、聞き取れなかったろうから、DVDで字幕付きで観られて良かった。お上品な言葉使いに、現代風の4文字言葉が混じってる面白さも、字幕なしじゃキャッチできなかったと思う。そういや、ダンスもやけにアバンギャルドでしたね。


初めは成程、女王が二人にいいように利用されてるのかと思ったけど


 監督は「ロブスター」(観てないけど、あらすじだけで無理)や「聖なる鹿殺し」(物凄く後味悪くて観て後悔)の、ヨルゴス・ランティモスなので、いや~な映画だろうなとは予想がついたのですが、エマ・ストーンとレイチェル・ワイズという、お気に入りの女優さんが出てて、豪勢なお城にドレス、合間に可愛いウサギがはねている。これだけ好物を揃えられては、避けて通れない。

 クイーン・アン様式って、建築スタイルや家具があるように、装飾的で優美でありながら、ゴシックほどにはごてごてしていないのが特徴。本物のお城で撮影されたのだそうで、建物、お庭、そして豪華な内装は目の保養。特に壁に所狭しとかけられたタペストリーときたら、もう目眩しそうw

 そして、ドレスの豪華さ!とはいえ、アン女王は未亡人だからかもしれません、彼女に使える二人のドレスもモノトーンで、それとは対称的に男性軍はカツラに厚化粧、つけボクロ。「男はPrettyでなくっちゃ」という台詞がありましたが、その分、男装のレイチェル・ワイズがかっこいい~!この女優さん、「ハムナプトラ」でのチャーミングなエヴェリン役ですっかり好きになったのですが、あの映画も、もう20年も前の作品なのね。この映画じゃ、立派なお局様であられます。

 Wiki先生によりますと、サラは1660年生まれで1744年に亡くなっており、アビゲイルは1670年生まれ1734年死去と、サラより10年後に生まれ、10年早くに亡くなっています。そしてアン女王は 1665年生まれの1714年死去で、49歳で亡くなっています。映画では、もっと高齢に見えましたが、ちょうどサラとアビゲイルの間の年齢。女優さんたちの本当の年齢も、同じ順番で、女王役のオリヴィア・コールマンのほうがレイチェル・ワイズより若いのね。歯に衣着せぬ凛々しい美貌の年上の幼馴染、戦争推進派でホイッグ党を支持するサラと、自分を褒めちぎって尽くしてくれる可憐で優しい年下、トーリー党と親しいアビゲイルの間で揺れ動く女王と同時に、国家も一緒に振り回される。


可憐で繊細に見えて、実はふてぶてしくしたたかなアビゲイル


 女王は、映画の中でも痛風に苦しみ、車椅子を使っていましたが、実際に極度の肥満で、崩御後の棺桶は正方形に近いものだったとか。一体どんだけ?現在では、17人の子どもたちが皆、流産、死産か早世なのも、免疫性疾患を患っていたからではないと言われています。死んだ17人の子供の代わりに、17羽のウサギを子供たちと呼んで可愛がる女王の孤独に、いわばつけ込んで権力を得た二人ですが、作中何度も「女王は私よ!」の台詞があるように、最後のシーンが示すのは、所詮ふたりとも、女王の胸先三寸で運命の変わる存在に過ぎず、女王の愛するうさぎたち以下の存在なのかも… 最後のアビゲイルの表情が、それに気付いてしまったようかに思われます。

 追放を知らせに来る一団を見ながら、この国は飽きたから他所へ行きましょうというサラ。「あたかも勝ち誇ったような良い草ね」と言ったサラに、アビゲイルは「勝ったのよ」と言い放ちますが、権力は失っても、愛する夫と後生を過ごし、その子孫には、英国の命運を握ったウィンストン・チャーチルや、ダイアナ・スペンサーがいる。お家断絶になったアビゲイルと、本当の勝者はどちらだったのでしょうか?
 

結局、お人形はどっちだったのか?


 話題通り、3人の女優さんの演技は素晴らしい!アビゲイルの台詞はいちいち洒落てるし、後味の良いお話ではないけど、見応え充分、満足の一作でした、でも、エンドテーマがエルトン・ジョンなのは判らなかった。なぜ?

Widows/妻たちの落とし前

2019-02-17 | 映画・ドラマ・本
 日本では4月公開だそうです。また何とも安っぽい邦題を付けたものですが… 確かに、内容を反映しているといえないこともないですが、原題は「未亡人達」で、これだけでもカッコいいような気もするけどな。



 お話はタイトル通り、ヤマに失敗して警察に追い詰められ、逃走車もろごと爆発炎上しちゃった銀行襲撃集団の未亡人たちが、死んだ夫の盗んだ2億ドルを返せと脅され、襲撃団リーダーの残したノートをもとに、5億ドルの強奪を企むが、その背景に、議事選をめぐる陰謀やら、親子間の確執やら、人種問題や階級格差やら、DVやら、夫婦関係やら、汚職やら、まぁ、よくもこれだけ盛り込んだものだと感心するほどに、複雑に絡み合った事情があります。

 その中でも、今作のテーマといえるのは、女性のエンパワーメントでしょうか?昨年、一昨年には、#MeToo運動によって生まれた、女性の強さを強調する作品が、ブロックバスターから、インディペンデント作品に至るまで、ゴロゴロ公開されましたが、ピンからキリきりどころか大型ドリル級まで公開された、そんな作品群の中でも飛びぬけていると評されているのが、この作品で、私が興味を持って観てみたたのも、それが理由でした。あと、予告に出てたわんこが可愛い。

 いきなり、中年夫婦の激しいキスシーンから始まるので、おっさんとおばはんの濡場見たいか~と、辟易する間もなく、いきなり場面は、銃撃戦へ。奥さんは本当に、この後すぐ死んでしまう旦那のことを思っていたのね、と、切ない。シャワーを浴びるご主人(おっさんのシャワーシーン、見たいか~)に、スキットルでお酒を届ける奥さんとの無言のやり取りが、これが大仕事の前なんだと匂わせます。禊のような?で、今まで一度もヘマをしたことのない、この襲撃団のボス、ハリー(おやっさんアクションといえば、この人!な、リアム・ニーソン)が、今回は失敗しちゃった、と。

 ほかの3人のうち、一人は奥さんが目の周り黒くしてるし、もう一人はギャンブル狂いの旦那が、経営してるブティックのお金をむりやり持っていく(そのうえ、お店を担保にして、債権者に全部持っていかれちゃう羽目に)と、苦労しています。なんで、そんな男と別れない!?なのですが、精神的に依存しちゃってるんだろうな…って、とこに、旦那全滅。まずは途方に暮れる女性たちですが、議員選挙に参戦中の冷酷なギャングリーダーは、金返せ!って迫ってくるし、生活の糧はないしで、これは大きなヤマを当てるしかない!と、決意。4人の未亡人のうち、一人は危険を冒したくないと降りますが、一度、決意した女は強い!

 浮気、DV、ギャンブル狂いの犯罪者たちという、最低夫でも、頼って生きていた妻たちが、落とし前をつけるために一致団結。リッチなリーダーの奥様、ヴェロニカ(ヴァイオラ・デイビス 品と迫力があってぴったり)、ミシェル・ロドリゲス姐さん(重い札束を担いで走るの「無理~」とか言ってて笑った。普段のアンタなら、一人で、100キロの札束担いで100m11秒レベルで駆け抜けて逃走するくらい朝飯前だろw)。

 エリザベス・デビッキは、美人で若く魅力的なのに、暴力亭主から離れられず、夫が死んだあと、母親に勧められて(!)エスコートサービスを始めますが、クライアントを利用して情報を入手するなど「誰にも私のやっていることを馬鹿にはさせない!」と言い切れるほど強くなり、自分の体を自分の意志でどうこうするのはいいのよ!って、#MeToo以後の変化が見られます。尊厳の新しい社会規範といいますか… 逆に言えば、自分の意志に反して男性が何かするのは、絶対許さないよ!なのでしょう。

 #MeTooの普及しなかった日本でも、先日、「どろろ」6話で、戦の陣内で働いて孤児たちを養う美少女、みおが、どろろに、その仕事とは「おいらの母ちゃんが絶対にしなかった仕事(=売春)」だったと知られても、「(これによって子供たちを養っていけるから)私は恥じてない」と言ったと同じで、時代が変わりつつあるのを感じます。

 さて、強奪メンバーの4人のうち、3人は未亡人ですが、仲間になるシングルマザーのベル(シンシア・エリヴォ)は、初めから強い。昼間、美容師として働く他にも、ベビーシッターとして働いています。娘の面倒を見ていた母に「この子はずっと、あなたの帰りを待っていたのに」と言われても、「でも、1時間12ドルになるのよ!」と、バスに間に合うために走る。小柄だけど筋肉ムキムキで、美貌を武器とする、むっちゃ背が高くスリムなエリザベス・デビッキと対照的。ベルさんは、隠れ家にあるパンチバッグをバシバシ殴ってました。「未亡人たち」との対照としての、頼る男のいないシングルマザーが培った強さを見せたのかな?

 映画は、途中であっと驚く展開に。いや、こう言うお話にはよくあるパターンなんだけど、私は映画やドラマは、あんまり物事考えずに見てるせいか、全く予想してなくて、画面に向かって、「えーっ!?」でした。わんこの存在意義が、ここにあったのか、と、感心しました。襲撃前に、わんこを預ける場面では、もしも帰ってこれなかった時のために準備してるのかも、と、自分も犬を飼ってる私は胸につまされました。

このわんこはオリビアちゃん。
いろんな映画ラドラマに出ているスターらしい


 監督は『それでも夜は明ける』でアカデミー作品賞を受賞した『それでも夜は明ける』などで知られるスティーヴ・マックイーン、共同脚本は、『ゴーン・ガール』原作者で、映画化作品の脚本を執筆したギリアン・フリンのコンビ。執念で奴隷の身分から逃れた主人公を描く作品と、ひたすら「女は怖い」な作品を生んだ二人なだけに、なんだか凄く納得した。

 人生いろいろ、この後の未亡人たちと、その子供たちに幸大きことを… でも、最後のヴェロニカの行動は、唐突だったなぁ。彼女の職業から鑑みると不思議じゃないけど、何か伏線あったっけ?

万引き家族

2019-02-16 | 映画・ドラマ・本
 第71回カンヌ国際映画祭で最高賞のパルム・ドールを獲得し、今年のアカデミー賞外国映画賞にノミネートされてている、大変に評価の高い作品です。是枝裕和監督の作品はあまり見ていないのですが、2015年の「海街diary」がとても好きです。有名なので、ストーリーの概要はいろいろなところで紹介されており、読んだ限りでは、自分の好きそうなお話じゃないな、と思ったけど、話題作ということもあって観てみました。うん、ダメだった。


良いご家族だとは思うけど、だからこそ嘘っぽい


 事情はどうあれ、人を騙したり、物を盗ったりを正当化している(ように思えた)のが、古い人間の私には受け付けられなくて、見ている間中、あまり良い気分じゃありませんでした。万引きや金の無心、脱税、クリーニング屋に出された服のポケットに残っている物の抜取り、故人の年金受取等々、やること為すこと悪意がないままにやっているようなのが、更に質が悪いと思う。お店にあるものは未だ買われていないから誰のものでもないとか、家で勉強ができない子供は学校に行くなんて真っ赤な嘘を教えているのもむかつく。

 映画も小説本も深読みせずに、ほけーっと見る(読む)だけの私の頭では、説明不足で食い足りない部分が多すぎ。映画内でも触れられていた、なぜゆりの両親は、娘の失踪後、1か月も経ってから急に捜索願を出したのか?祥太は赤ん坊のころにパチンコ屋の駐車場に停めてある車中に放置されてたから救ったというけど、それが本当だとしたら、車から赤ん坊が消えていたのに親は何もしなかったのか?あきの覗き部屋の顧客、4番さんに、せっかく売れっ子の池松を起用しながら、これも中途半端な感じ。4番さんが聾唖者であることや、自傷をしている事にも、重要な意味があんだろうな、とは思うけど、それを、いきなり池松くんみたいなイケメンが出てきて、都会の孤独な若者です、とか言っても、現実味なし。

 女性刑事に「子供を産まなきゃ母親じゃない」って台詞を言わせるのも、あざとい。アメリカのように養子が一般化していない日本でも、昔から「生みの親より、育ての親」っていうじゃありませんか。このシーンは、信代を惨めな気持ちに追い込んで、その慈母愛を引き立てようとしてるのかもしれないけど(実際、ここの安藤サクラさんの演技はすごかったと思います)。この映画を私的に一言で表すと「無神経」なのですが、この台詞は正にそれを象徴しているよう。リリー・フランキーの裸や、安藤サクラとの濡れ場も、わざわざ見せるな、って思った。

 祥太くんは、「西郷どん」の子供菊次郎役だった子役さんなのですね。利発そうで、この映画の対極のような「誰も知らない」の、柳楽優弥くんみたいに大成したらいいな、とも思うけど、柳楽くんほどのカリスマは無いかも。奇しくも、映画のクライマックスが、家族で海に出かけるシーンというのは、昨年、高い評価を受け、アカデミー賞外国語映画賞最有力候補のライバル「ローマ」と同じです。私個人の感想では、「ローマ」が格段、上だな。


 しかし、超高級リゾートのカンヌで、この家族(?)の一年分の収入の何倍もの値段のドレスや宝石に身を包んだセレブたちが、日本の下町で底辺の暮らしをしている人々の話を観て感動してるって、かなりシュールだ。実は、今日は折角の晴天の土曜たにもかかわらず、昨夜から体調が悪くて、一日中寝てしまいました。やっと、起き上がっても、でかけたり、何かをしようという気分ではないままに観たのが、この映画。自分が弱っているから、益々、気が滅入っちゃたのかも…

どろろ

2019-02-05 | 映画・ドラマ・本
 月曜日の夜のお楽しみは、BSアニメ「どろろ」です。米のアマゾン・プライムで観られるのだな。子供のころは、「ゲゲゲの鬼太郎」や「どろろ」のアニメが大好きでした。不気味だけど不思議な世界感に魅かれた、なんて大人っぽい理由ではなく、結局は勧善懲悪のお話なので、鬼太郎さんや百鬼丸がかっこよく妖怪と戦うのが好きだっただけなのでしょうが、この時代から少し後でも、「妖怪人間ベム」とか「デビルマン」とか、おどろおどろしいアニメが多かったような?

 妖怪人間やゲゲゲの鬼太郎のアニメは何度もリメイクされていますが、どろろは実にほぼ半世紀ぶりのアニメ化だそうです。始まる前は、かなり楽しみにしていたので、第一話のオープニングを見たときは、正直がっかり。なんだか中途半端に手塚治虫氏風なキャラクターや、妙に英語と日本語の混じった「どうだ!かっこいいだろう?!」と言わんがばかりのオープニング曲に不安を感じたのですが、実際に本編が始まると、すっかり夢中になりました。

 今風のきれいな画面にシャープな動き、原作では百鬼丸はテレパシーで目鼻口耳が欠けていても会話ができる設定で、どろろと出会った時には既に会話もできるし、軽い兄ちゃんでした。アニメでは、聞こえないし、声もない、表情もないく人間らしさに欠ける百鬼丸が、鬼神を倒して体の部位を取り戻していくにつれ、少しづつ人間らしさや感情を得ていくという感じ。目は見えないけれど、魂の色が見えるので、鬼神と人間を見分けることができるという設定が面白いと思います。

 どろろの声優さんは、13歳の女の子だそうで、作った声ではない自然さがいい。なかなか、おきゃんな感じの声で私は好き。このアニメでは、どろろが女の子であることを隠すつもりはない(まぁ、今更ですが)ようですね。百鬼丸の声を演じるのは、舞台役者さんだそうです。今のとこ、台詞無いけど。


ほげほげたらたらほげたらぽん


 上はネットで拾って思わず保存した、オープニングと、その場面のもとになった原作のコマ。空をかける首のない馬の群れは凄いと思ったのですが、ちゃんと原作にあったシーンだったのですね。50年前に時代劇サイボーグ妖怪漫画を送り出した手塚治虫氏は矢張り凄い!原作は、昨年、手塚治虫生誕90周年記念で、電子書籍で作品が読み放題だった時に初めて最後まで読みました。アニメでは、百鬼丸から色々奪っていった魔物は48匹でしたが、アニメは魔神12体。原作は途中で投げ出されちゃったような形で終わっていましたが、アニメではきっちり12体と戦いそう。他にも、どろろの過去や、百鬼丸と弟の確執等、魔物退治だけではない要素がありますが、オープニングを見る限り、アニメでも触れてくれそうで、楽しみです。


エンディングのどろろちゃん。とても可愛い


 暗いお話で、原作では百鬼丸の軽さや、手塚神お得意の、唐突なギャグで救われていましたが、アニメはシリアス。悲劇に向かうしか無い、辛いお話ですが、今後の展開が気になってたまりません!今の所、2クール、24話の予定だそうなので、最後まで見たいと思っています。

未来のミライ 好きくない感想

2019-01-27 | 映画・ドラマ・本
 過去の細田守監督作品は全く相性が合わず、最初から内容や予告を見ただけで避けるか、途中で挫折したか、だったのですが、今回はアカデミー賞ノミネートという話題性があって見てしまいました。でも、やっぱ苦手だぁ~

 「4歳の男の子と未来からやってきた妹との不思議な冒険!」「小さな庭から時を超えた世界の旅が始まる!」とか、「未来のミライ」ってタイトルすらも、なんか「それ違うんじゃね?」で。未来のミライちゃん、そんなに出てないし。


 赤ちゃんが来て、両親の愛情を取られたと感じる4歳の男の子、くんちゃんが、未来から来た妹のミライちゃんにいざなわれ、お洒落だけど凄く住みにくそうな、小さい子供が転げ落ちて危険そうなお家の庭から、不思議な世界(最初の方で、くんちゃんが放り投げた本のタイトルが「ふしぎなにわ」でしたね)から、お父さんやお母さんにも子供の頃があり、ひいお祖父ちゃんやひいお祖母ちゃんにも若い頃があり、小さな偶然と積重ねの上に自分がいる奇跡を理解して、「くんちゃんはミライちゃんのお兄ちゃん」と、成長を遂げるほのぼのしたお話かな?と、勝手に想像していたので、くんちゃんが一人で時代を飛び跳ねる展開に「あれ?」

 未来から来た女の子といえば「たんぽぽ娘」。未来のミライちゃんが可愛くて魅力的なので、もっと活躍してほしかったなぁ。過去の曾祖父ちゃんは、どうだ!かっこいいだろう!?と言わんばかりで、はいはい、ごちそうさまです。それにしても、お母さん側ばっか取上げられてて、お父さん側のじじばばは赤ちゃん見に来ないの?ってのも不思議。

 この、くんちゃんの声に、まずは違和感。なんで、わざわざ女子中学生みたいな声の声優さん選ぶかな?で、くんちゃんも、小さい頃のお母さんも、我儘過ぎて、もう憎々しい。私自身も二人の男の子を育てた親だけど、こんなガキいやだ。そして、子供に怒鳴る親、公園で赤ん坊放置する父親は、アメリカじゃ超マズい。虐待で、ソーシャルワーカーに、子供を取上げられかねない。

 子供ができたら犬を構わなくなる飼い主、優しいけど気弱な夫と、文句ばかり言っている妻。個人的に、皆嫌い。お父ちゃん、頑張ってるのに、奥さんも我儘すぎ。わんこ、変なおっさんだし。うちには、息子たちが生まれる前に犬がいました。彼は子供達が幼い頃に死んでしまったのだけど、彼は永遠に息子たちの「お兄ちゃん犬」です。子供達が幼い頃は、一生懸命、守ってくれました。そして、死を目前にしながらも必死に生きようとした姿が、息子たちに生きることの重要さを教えてくれました。

 4歳児の動きがリアルって意見を読んだけど、うっそー!あざとい仕草で、4歳の男の子の可愛いらしさが出せてないと思わなかったよ。あ、不気味な未来の東京駅や、黒い新幹線の造形は好きです。でも私は、この映画、好きくない… 同じく、綿々と続く家族のつながりや愛を描いた「リメンバー・ミー」は、映画の間中、ずーっとワクワクしてて、楽しくて大好きな映画なんだけどな。

社長さんは大変!「空飛ぶタイヤ」

2019-01-23 | 映画・ドラマ・本
池井戸潤氏の「空飛ぶタイヤ」が発表されたのは、2015年でした。この本のことは、ずっと気になっていたのですが、一昨年前にやっと、図書館から借りて読むことが出来ました。それまで、タイトルから勝手に、飛行機でタイヤやその材料であるゴムを輸出入するお話かと思っていましたが、本当に大きなトラックのタイヤがびょーん!って飛ぶ話だった。

 この本を読んだ感想はひたすら、「社長さんって大変だなぁ」だった。社員とその家族の生活を両肩に背負って、難しい決断をどんどん下していかなきゃならない。親の代から運輸会社を引き継いだ、主人公の二代目オーナー社長も、自社トラックが人身事故を起こして、会社のみならず、家庭もが窮地に陥りながらも、自社社員を信じて巨大企業に挑みます。ちなみに、池井戸作品の映画化は、今作が初めてなんだって。ちょっと意外。

 長いお話を二時間ちょっとにまとめるために、映画では簡略化されたエピソードが多くて、ラストに向けてなし崩し的に問題が解決しちゃうので、池井戸作品の醍醐味、一発逆転勧善懲悪!のカタルシスも弱かったような。特に、子供へのイジメや、PTA会長も務める主人公への弾劾といった、同時進行の家庭の問題は、ちょっと触れられただけ。纏めちゃうなら、夫を信じて、明るく励ます赤松社長の奥さんを見せるだけで良かったような。本当に理想的な奥様ですよね。深田恭子さん、綺麗だし。

 なのに、長男が「お前のとーちゃん、人殺し」と、インターネットで悪口を書かれて、このお母ちゃんが犯人を突き止めるために、同じクラスの子供の家に一軒一軒、「これ書いたの、誰よ!?」って聞いて回ったってのは、原作で描かれた背景無しだと、結構、ドン引き。奥さんの行動力を見せたかったのかもしれないけど、これだけポンと出すくらいなら、いっそ、子供へのいじめの件を持ち出さなくともよかったのに、って思いました。

 映画では、主人公の赤松社長(この苗字がいかにも熱血!って感じでいいねぇ)役は、TOKIOの長瀬 智也さん。本のイメージより、強面で押しが強い感じ。本のイメージでは、街の運送屋さんの大将らしく、もっと朴訥として、腰も低い感じだったから、なんだかシュッとしすぎて、庶民性が感じられなかったなぁ。ポスターの表情なんて、ヤンキーだし。素敵な奥様に立派なお家。上等のスーツを着こなした大企業のエリート達とは対称的な、中小企業の悲哀がゼロだった。

 そのエリートたち、高橋一正さんと、ディーン・フジオカさんの端正さと、一方で岸部一徳のいやらしさ。生き残りをかけて戦う中小企業と、大企業の中でうごめく魑魅魍魎、野心、そしてあえて正しい道を歩もうとする男たち、というストーリーも消化不良だった。なるほど、必ずと言ってもいいほどドラマ化される池井戸作品、今まで映画化されなかったわけだ…と、納得の一作でした。


 ところで、会社の社長さんだけではなく、組織の上に立つリーダーは皆、大きな責任を背負って、難問に日常的に対峙し、常に最良の決定を下さねばならない、そのプレッシャーたるや大変なものだと思うけど、アメリカって巨大な組織の長が、すぐ癇癪起こす3才児、トランプってのは、本当に辛い…