わにの日々-中西部編

在米30年大阪産の普通のおばさんが、アメリカ中西部の街に暮らす日記

Wild Flowers in Tylersville Metropark

2015-04-19 | 犬と猫、たまに人間の息子
 1学期の間だけ、代行で日本人補習校の中学部の先生をしているので、土曜日も就労日な今日このごろ、お休みの日曜日は、愛犬モカへの週日中の短い散歩への罪滅ぼしと、自分の運動不足回収のため、近くの公園に行って歩き倒しております。今日の行き先は、ちょっと遠出で車で45分先のメトロパーク。自転車道甘美なので、そちらでジョギングをする人やサイクリングを楽しむ人達で賑わっていましたが、舗装されていないトレイルは、他にすれ違う人もありませんでした。でも、そこが野の花咲き乱れる地上の楽園、妖精の国を彷彿させる素敵な散歩道でした。


妖精の国に迷い込んだような遊歩道




ワイルドフラワーが咲き乱れています


不思議な空間に迷い込んだよう


 今日はざっと11キロ強を歩きました。さすがに帰りの車で、モカはクーカー昼寝していましたが、私はせっかく遠出したのだからと、周辺のスリフトショップで寄り道を。結構、収穫ありましたよ。ふふふ…

日々是元気

2015-04-16 | 犬と猫、たまに人間の息子
 今週は、もう夏かと思うほどに日中は気温が上がって、朝夕の犬の散歩も楽しいのですが、来週にはまた気温が下がり、雨ばっかの予報。早く暖かくなって欲しくもあるのですが、気温が上がれば花粉もヒャッハー!で目は痒いし、鼻水ズルズル… 困ったもんだ。

 家の周りを歩くだけでも汗ばむような日は、血糖値ガー!お腹周りの脂肪ガー!と、言い続ける割には常に冷凍室に常備のアイスクリームに手が伸びるのですが、我が家ではアイスを食べるのはバトルです。猫がアイス大好きで追いかけまわしてくるから。

   


 エリーの本当のお誕生日はわからないのですが、だいたい4月末くらいだろうというのが獣医さんの見解なので、そろそろ一歳。すっかりハンサムで凛々しい猫に育ってくれて母はメロメロでごじゃります~v

ユニオン郡の橋

2015-04-15 | 田舎暮らし
 ここ数カ月間、毎週、仕事で車で二時間弱の場所にプチ出張しています。何時も同じ道じゃつまんないので、たまにルートを変えたりしていますが、社用車じゃあんまりウロウロと寄り道は出来ない。でも今週は、たまたま社用車が全部出払っていたので、自分の車で行くことになりました。実は、出張先の自動車会社と違う会社の車なんだがw 

 しかも今日はとってもお天気が良い!そこで、何時も横目で見て気になっていた「この先、屋根付き橋」のサインのある方向へ曲がってみました。
   
外観と内部


 この、スペイン・クリークに掛かる橋は1866年に作られました。窓と覆いの部分は1930年以前に付け足されたものです。1988年にも車の交通に耐えられるよう修復されました。小さいけれど、長閑な田舎道にぴったりの情緒ある橋です。

「マディソン郡の橋」の小説や映画のヒットで、日本でも有名になった屋根付橋、オハイオにも多く点在しています。どの橋も実は似たり寄ったりなんだけど、あると見に行きたきなってしまう、写真を撮りたくなってしまう不思議。お隣のペンシルヴァニア州には、国の歴史登録財になっている橋もあります。写真を見ると、やっぱり似たり寄ったりなんだけど、なんだか見に行きたくなってしまうような…??

デイトン博物館続き:アメリカの印象派

2015-04-13 | Museumsとイベント
 さて、昨日のデイトン美術館訪問ですが、実際には絵付け皿の展示を見に行っただけではありません。開催中の特別展、
American Impressionism:The Lure of the Artists' Colony(アメリカの印象派:アーティスト・コロニーへのいざない)も観たかったから。普通に楽しい展示でしたが、やっぱり「印象派」というくくりだけに、ルノワールっぽい、とか、セザンヌっぽいとかって感想が先ず頭に浮かぶ。つまり、自分独自のスタイルが確立できなかった、とも取れる。でも、アメリカの代表的印象派画家、ホイッスラー、ホマー、サージェント、メアリー・カサット等の作品は、ワシントンD.C.の国立美術館や、NY、LAで何度も対面した私には、むしろ、こういったマイナーな芸術家郡の作品が新鮮でした…って、すげー上から目線だけど、許してくだされ。

   
DAIのFacebookページからお借りした展示作品の写真


 全開の特別展示もそうでしたが、所有権や書作権の問題があるのか、写真撮影も禁止なら、特製グッズがないのが寂しい。気に入った作品は、写真、絵葉書、ポスター、カタログ本等で家に連れ帰りたい。NYCのメトロポリタン美術館やMOMA、DCの国立美術館、LAのラックマ、ノートン・サイモン、ハンティントン等々ではいつも、特別展の出口にギフトショップがあって豊富なグッズが並び、大変お財布に宜しくなかったものですが。ミュージアムのカフェやギフトショップは、どこも大概レベルが高くて、博物館や美術館に行くお楽しみの一つ。DAIのギフトショップも、センスの良いグッズが揃っていますが、もっとグッズがほしいのよん。

 そして、ここの館内カフェ、Leo's Bistroは、正直なところ、お味の方は特に印象的でもないんだけど、雰囲気が好きで、何時も必ず寄ってしまいます。今日頂いたのは、メリーランド・クラブケーキとリンゴ入りのコールスローに、いつもの白ワインとローストトマトのスープ。
   
右は折角なんで「美味しく見えるよう」加工してみた一枚

「最後の晩餐」展を鑑賞した後のランチでは考えてしまいました。私は「最後の晩餐」には何をお願いしたいかなぁ…

最期の食事@デイトン美術館

2015-04-13 | Museumsとイベント
 パワフルな展示を見ました。折角のお天気に恵まれた日曜日、いつもなら愛犬と公園に散歩へ行くところですが、デイトン美術館(Dayto Art Institute)で、見逃したくない展示がありました。The Last Supper: 600 Plates Illustrating Final Meals of U.S. Death Row Inmates(最後の晩餐:アメリカ死刑囚達の最期の食事を描いた600枚の皿)が、今日が最終日だったのです。


白い壁に、白いお皿が並べられているだけの展示です

  
やっぱりピザとハンバーガーが人気のメニュー

  
ハーゲンダッツのアイスクリーム、ジョリーランチャーというキャンディーというリクエストも

 死刑になる前の、自分の人生における最後の食事。どうせなら今まで食べたことのないような高価で豪華な物を食べて死にたい、と、私などは思うのですが、実際に、これが最後と思うと、食べ慣れた物が欲しくなるのでしょうか?それとも、ピザやファーストフードのハンバーガー以外に思いつかないような人生を送ってきた人々なのか… 

製作者、ジュリ-・グリーンさんの意図は、
the work illustrates the very human aspect of nurturing an individual condemned to death, but the art also raises the complexities of "the death penalty, the victims, the heinous crimes committed, the individuals executed, the large number of minorities on death row and the margin for error in judicial process."
極刑に処せられる個人の大変に人間的な面を描き出すとともに「死刑、被害者、凶悪犯罪、極刑に処せられる個人、死刑囚官房で死を待つ囚人のほとんどが有色人種であるという事実、そして司法手続における「誤差」の複雑性に対する問題提起

だそうです。


その死刑囚が要望したのはピザですが、彼は一度も誕生日ケーキを食べたことがないので、私達はバースデーケーキを注文しました


 死刑囚とて、私達と同じ人間であり、モンスターじゃない。死刑制度を考え直す機会となって欲しいという意図を込めた作品群です。産まれてから一度も誕生日を祝われることすらなかった男の人生は、一体どんなものだったのでしょうか?哀れとも思えますが、だからって許される理由にはならない。死刑を宣告されるのは、重大犯罪、殺人を犯した人です。今のアメリカに、思想犯だとか政治犯で極刑になる人はいません。彼らに殺された被害者は、最後の食事を選ぶ機会すらなかったはずです。

 私自身は、死刑擁護者です。大事な主張なので太字にしました。基本的にキリスト教国であるアメリカでは、死刑反対の理由として、「人に人を裁く権利があるのか?」という声がよく聞かれます。でも、人が人を裁かねば、他の何が審判を下すのでしょうか?本当に「神」がいるのならば、何故、その神は被害者が殺されることを赦したのか?被害者たちの唐突な人生打切りを「神」はなぜ赦すのか?神様には神様の言い分があるのかもしれないけど、そこんとこ伝わってこないから、自分たちで何とかしなきゃ、っしょ?自分たちで決めるのがイヤだから、神様に任せましょ、ってのは逃げだよ。

 もちろん、現在の方システムには多くの欠点があると思います。上にある通り、死刑囚全体の割合に見るアンバランスな黒人の多さ、冤罪の可能性に加え、例えば、死刑を禁止する州もあれば、比較的簡単に死刑宣告下す州もあるという自治体による刑の重さの違いや、法の執行者である。例えば警官を殺したら自動的に極刑といったような「人の命の重さの差」など。特に、白人警官による黒人射殺の事件が続く昨今の状況と関連付けてみると、死刑囚には黒人が多く、警官を殺害したら自動的に極刑という今のシステムのおかしさが浮き彫りになります。

 こと、つい先日起きたばかりの、逃げる丸腰の黒人を白人警官が背後から何度も撃って射殺の上、隠蔽を図ったことが、通りすがりの人がスマホで撮った動画によって真実が暴露された事件など、手軽に写真や動画が撮れ、SNSでの拡散ができるようになった現在ならではの一件でしょう。実際、撮影された動画が広まって警官の横暴が暴露される例は多いのですが、今回に関しても、たまたま誰かが動画を撮影していなければ、いくら目撃者が自分が目にした真実を訴えたとしても、自分が逮捕される可能性だってある。たまたま、その場に目撃者がいなかったら、今回の事件は、一方的に警官側の言い分だけで闇に葬られたはず。

 この社会は、法システムは、どれだけ信用のおけるものなのか?そう思えば、確かに、この「最後の食事」の皿を前にした数時間後、死刑になった人々の中に本当に冤罪の犠牲者はいなかったのかと気になります。されど、何か疑われるような行いをしたことあるから信じてもらえなかったんじゃないか、とも思う。そして、死刑囚にかかる費用は莫大なので、ハリウッド映画よろしく、立て籠って人質を殺めた等の明らかに有罪って犯人は、とっととその場で射殺した方が世間の為、なんて非道徳なことも考える。

 あんまり考えたくないことだけど、人の命や法律について考えさせれた展示でした。迷ったけど、見に行ってよかった。