わにの日々-中西部編

在米30年大阪産の普通のおばさんが、アメリカ中西部の街に暮らす日記

ぼくの名前はズッキーニ

2018-02-22 | 映画・ドラマ・本
 実は、この映画の内容は何も知らず、図書館で見つけて「これ、最近、日本で公開されてた映画やん」と、軽い気持ちで観たのですが、ネグレクト、麻薬、移民問題を背景に、大人の身勝手さゆえに施設に預けられた子供たちを描いた思いないようでした。日本の公式サイトはこちら

 ストップアニメーションの登場人物たちは、大きな目に、目の周りのクマというブキミなような、ユーモラスなような造形。表情が実に豊かで子供たちがのお話が、こんなにもシビアだとは思ってもいませんでした。



 アル中で育児放棄の母親を、9歳の男の子が意図的ではないにしろ死に至らしめてしまうという、いきなりヘビーに始まった映画は、その後、孤児院にいる子供たちの境遇が語られ、ますますシビアに。主人のズッキーニが赤ん坊のころの両親の写真では、「若い雌鳥を追いかけて」出ていってしまった父親の部分が破り取られています。ズッキーニの宝物は、父と雌鳥を描いた凧と、母の形見の空のビール缶、そして、母が呼んでいたニックネームである「ズッキーニ」。

 まん丸い見開いた目や青い髪に、「ブルードッグ」を思い出しました。ブルードッグは、死んだ犬なんだけど…

 親切な警官、レイモンに連れられて、ズッキーニは、養護施設に住むことになります。そこに住む子供たちは、現代の大人達の社会問題の被害者です。刑事が嫌いで、レイモンが来ると2階から水をかけるアメッドは、父親がモールで息子のために靴を盗んで捕まり刑務所にいる。車の音がするたびに「ママ?」と、玄関を飛出すアフリカ系のベアは、不法移民の母親が強制収監されている。でも、その母親が収監書を抜け出して会いに来た時には、ベアは隠れてしまうのです。

 そして、アフリカ系のベア、母親が精神病のジュジョブ、そして、父親から性的虐待を受けていたことを匂わせるアリス。リーダー的存在のシモンは、両親が重度の麻薬中毒です。壁には、子供たちのその日の気分を示すお天気メーターが貼られていますが、シモンの気分は、いつも土砂降り。このお天気表も含め、小型録音機、紙で折った船、赤いゴーグル、そしてズッキーニの凧… 小物の一つ一つに意味があります。

 そこへ、父親が母親を殺して自殺したという、これまたヘビーな過去を持つ女の子、カミーユがやってきます。ズッキーニは彼女に一目惚れ。子供たちは外の学校へ通わず施設内で教育を受け、まるで外の世界から護られているようですが、雪山に泊りがけで遠足に行ったり、ズッキーニとカミーユがレイモンと遊園地に行ったりもするので、決して、隔離され閉じ込められているわけではありません。

 子供たちは皆、本当に愛おしいのですが、中でも抱きしめたくなっちゃうのが、悪ガキを気取るシモンです。クールなストリートスマートを気取るシモンが、帰り道のバスの中で眠っている時、指をしゃぶっている。そんな細かい演出が素晴らしい。


 2016年のアヌシー国際アニメー ション映画祭で最優秀作品賞と観客賞の2冠に輝いたほか、第89回アカデミー賞でも長編アニメーション賞の候補担っている今作品、Rotten Tomatoesでも高い評価を得ていますが、私もまた、100%を付けたいと思います。素晴らしい、そして心に残る作品でした。


この子達の未来に幸多きことを!

狂気の沙汰

2018-02-21 | Museumsとイベント
 3月21日、一週間前にフロリダ州の高校で17人が死亡した銃乱射事件を受け、トランプがホワイトハウスに集まった、マージョリー・ストーンマン・ダグラス高校の生徒や職員、2012年に多数の児童が乱射事件で死亡したコネチカット州のサンディフック小学校の関係者など約40人に面会しました。このような事件が二度と起きないよう、大統領に措置を講じて欲しいと訴える遺族や関係者に対し、トランプは、教職員に銃で武装させるべきだという提案を「強力に」検討すると言いました。曰く、「銃器を上手に扱える教師がいれば、攻撃を即座に終わったはず」
はぁ?

 実は、今回の事件の現場には、銃を持った警備兵が配置されていました。でも、この警備兵は外にいて、銃撃の最中の建物内に入らなかった。そして、教師の銃携帯は、全米ライフル協会(NRA)が長年に渡って提案していること。NRAは2016年の大統領選挙時、トランプに3千万ドルを選挙資金として寄付しています。

 同日、マージョリー・ストーンマン・ダグラス高校の生徒たちは、フロリダの州都タラハッシーの州議会議事堂に集まって、アサルトライフル(自動小銃)の販売規制を求めました。集まった生徒たちは「子供たちを守れ!」、「Never Again!」とシュプレヒコールを繰り返しました。実は、前の日20日、フロリダ州議会は、アサルトライフルと大容量の弾倉禁止条例案が、下院で賛成36、反対71で否決されたばかり。自分の目と鼻の先で、こんな事件が起きたと言うのに、フロリダを代表する議員たちは、同様の悲劇を防ぐつもりすらない。

 銃を買える年齢を引き上げるといいますが、サンディ・フック小学校での銃乱射事件の犯人が使ったのは、母親の収集していたライフルでした。酒もタバコも買えない未成年が、大量殺戮兵器を買えるのはおかしいとアメリカ人も言いますが、アメリカ人以外からすれば、年令に関係なく一般人が機関銃なんかのアサルトウェポンを買えるのがおかしい。

 そして、本来、子供たちを護る場所であるべき学校で、子供たちが殺されないよう何をすべきかの答えが、教師に銃持たせる事という発想は、狂気の沙汰としか思えない。テキサスには実際に、教員が小銃で武装している学校区が有りますが、実際の所、大量の弾丸とマシンガンで襲撃されたら、ピストルでどれだけ対応できるのでしょうか?とにかく、とことんアホ。

 悲劇の翌日、ヘラヘラ笑いながら現地に赴いたかと思えば、ホワイトハウスを訪れた被害者たちを前に「教師が武装してたらよかった」などと言い切る、この国の大統領は、私には「良心」というものを持たない精神異常者としか思えません。そして、そんな男を支持する国民が未だに多いという事実。恐ろしすぎる…


「射撃手を鎮圧しました!」「節子、それ、犯人ちゃう。武装教員や」

被害者の無念を、恐怖を忘れない

2018-02-20 | アメリカのニュース
長谷川良氏のユダヤ人が引きずる「良心の痛み」という記事を読んでいたら、

当方はナチ・ハンターと呼ばれたサイモン・ヴィ―ゼンタール(1908~2005年)と数回、会見したが、彼に「戦争が終わって久しいが、なぜ今も逃亡したナチス幹部を追い続けるのか」と単刀直入に質問したことがあった。するとヴィーゼンタールは鋭い目をこちらに向け、「生きている人間が死んでいった人間の恨み、憎しみを許すとか、忘れるとか、言える資格や権利はない。『忘れる』ことは、憎しみや恨みを持って亡くなった人間を冒涜する行為だ」と強調した。当方はその時、ユダヤ人の死生観に新鮮なショックを受けたことを今でも思い出す(『憎しみ』と『忘却』」(http://blog.livedoor.jp/wien2006/archives/50747054.html)2007年8月26日参考)。


 この中の「生きている人間が死んでいった人間の恨み、憎しみを許すとか、忘れるとか、言える資格や権利はない」という言葉に、強く惹かれました。


 先週起こったフロリダ州の高校銃乱射事件がニュース番組で討論されていますが、銃が悪いのではない、それを使う人間が悪い(だから銃規制は反対)、とか、犯人の精神状態やら、19歳の精神不安定がなんで大量殺りく兵器を購入できるのか等が主点で、ズレてるとしか思えない。精神不安定な未成年が、と、いうより、なんで一般人がアサルトウェポンを買えるのか?

 3月24日には、首都ワシントンD.C.他、全米で高校生達が「March For Our Lives (私たちの命のための行進)」というデモを行い、銃規制を訴えます。幾多もの悲劇を繰り返しながらも、実現しなかったアメリカの銃規制ですから、今回のデモで急に何かが変わるとは期待できませんが、次代を背負う若い世代が団結して、銃規制を求める行動を起こしている事実は頼もしい。

 正直な所、こういった事件が起こる度に、一瞬騒がれては、立ち消えていく銃規制を求める声に、また今回も喉元過ぎれば何とやら、に終わってしまうのではないかと危惧していました。オバマ大統領が涙ながらに銃規制を訴えた、サンディ・フック小学校での銃乱射事件の後も、こうして大量殺戮兵器であるアサルトウェポンは自由に売買され、国が戦争中でもないのに一般人が殺される事件が日常茶飯事。

 だけど今回は、次世代が行動を起こしました。ダグラス高の生徒であるエマ・ゴンザレスさんは、「どんな法律をつくっても犯罪者は銃を入手すると彼らは言う。それは本当かもしれないけれど、そうした銃の入手を奨励する必要はない」「(銃の入手を)もっと難しくすることはできる。そうすれば、一部の重大な凶悪犯罪や、言葉にできないほど深刻な悲劇は阻止できる。現時点で誰かがそれをやりたくないというのなら、それこそ情けない」と発言したそうです。

 また、「血にまみれたカネを受け取っている政治家は、子どもたちの敵だ。殺し屋に資金を提供するか、それとも子どもたちの側に立つかのいずれかだ。子どもたちにはお金がない。私たちは働いていないから、あなた方のキャンペーンに資金を提供できない。あなた方が現時点で、私たちをサポートするまっとうな道徳心を持ってくれればと思う」とも。凄く正論。

 既に高校を卒業して数年になる、うちの息子たちも大いに感銘を受け、感化されています。この悲劇を生き延び、恐怖を味わった高校生たちの言葉が、次代を担う同世代の若者たちに多くのインスピレーションを与えています。突然に人生を中止させられた仲間たちの恨み、憎しみ、恐怖は、生きてる人間が許すだの何だの言える資格はないけれど、それを伝えていくことが、凄く日本的な感覚だけど、「供養」になるんじゃないかって思います。

 こんな縁もゆかりもない奴に、いきなり何の理由もなく撃ち殺されるなんてイヤすぎる。そんなリスクは有ってはならない。えー加減にせえ、アメリカ!

アメリカ:振れない振り子

2018-02-15 | アメリカのニュース
 昨日はバレンタインデーでした。アメリカでもバレンタイン・デーは一大イベント。同時に今日は、カトリック教徒には大事な、イースターの46日前、「灰の水曜日(Ash Wednesday)」でもあります。で、日本では「ふんどしの日」なんですって?今年、初めて知りました。なんでも記念日にしてんじゃねぇっ!って気もしますが、きっと恋人たちがカードやプレゼントを交換し合って楽しい日であったに違いない、フロリダの高校でまたしても銃乱射による大量無差別殺人という悲劇が起こりました。マイアミの近くのマージョリー・ストーンマン・ダグラス高校に、この学校を去年、退学になった19歳の男が17人を殺害するという悲劇が起こりました。

 銃による無差別殺人はアメリカでは日常茶飯事、いちいち大々的に報道されません。今年だけでもケンタッキー州の高校生が校内で2人を射殺し、死者は出ませんでしたがカリフォルニア州の学校でも生徒による発砲事件がありました。ですが、今回は被害者の数が多いことで、大きく取り上げられています。昨年には、10月にはラスベガスで58人が殺害された事件もあり、その動機もまだ解明されていません。これはコンサート会場に向けた全くの無差別殺人ですが、銃乱射事件は、職場や学校での事件が多い。

 学校内で起きた無差別殺人として、直ぐに思い浮かぶのが、1966年のテキサス大学オースティン校で発生したのテキサスタワー乱射事件。そして、13人が殺害された1999年のコロンバイン高校銃乱射事件、2007年のバージニア工科大学の事件、そして20歳の男が幼い子供たちを含む26人を殺害したサンディフック小学校事件

 コロンバイン高校の事件は、全米い大きな衝撃を与え、後に、マイケル・ムーアが「ボウリング・フォー・コロンバイン」という映画でも取り上げられました。コロラドに住んでいる時、息子たちが通っていた小学校が、コロンバイン高校と同じ学校区内で、生徒の言動に大変に敏感でした。上息子は、口喧嘩して、相手に「I will kill you!」と言って停学を食らいましたし、同級生の女の子が、やっぱり仲良しと口ケンカして「I want to kill myself」と言ったのを聞かれて、精神科に送られる結果に。因みに当時、上息子は小学4年生。

 目前のクリスマスを楽しみしていたであろう、幼い子供たちが被害に遭ったサンディフック小学校の事件は、今、思い出すだけで涙が出ます。本来、学校とは、災害時のシェルターの役目を兼ねるように、安全であるべき場所です。朝、いつもと普通に送り出した我が子と、その友人たちが、恐ろしい状況の中、絶望に満ちた最期を迎え、二度と返って来なかった親御さんたちの気持ちを思うと、自分も親として悲しみで一杯になってしまいます。たとえ生き残っても、恐怖の記憶は、決して去ることはない。子供たち本人も、その親御さんたちもまた、平穏に暮らすことが難しのではないでしょうか。

 それにしても、ほんの数分間で大量の殺人を可能にするライフル銃とは、なんと恐ろしい武器なのでしょう。今回のフロリダの事件も、昨年のラスベガスの事件も、使われたのは「AK15タイプ」という「連射可能で火力の強いアサルトライフル」。今回の犯人は、普段から情緒障害が認められ、大量の武器と共に「これを使って殺したい」という内容をSSNにポストしていました。

 幼いころに養子に出て、最近、その養父母を亡くしたばかりという悲劇的な家庭環境にあったことが伝えられていますが、ただでさえ、問題行動で高校を退学になり、ご近所でも評判の情緒不安定に加え、育ての親を亡くして益々不安定な上、今回の事件を示唆していたにも関わらず、なぜ事前措置が取れなかったのかと、今後、問題になりそうですが、ラスベガス事件の犯人にしろ、今回にしろ、アメリカ政府はもスリムのテロリストばかり警戒していますが、実際には、アメリカ人を無差別に殺しているのはアメリカ生まれのアメリカ人の白人です。テロ攻撃の何百倍もの速さでアメリカ人を殺しているのは銃です。

 ですが、今後もトランプ政権は、イスラム教徒への攻撃を緩めることはないでしょうし、イスラム教徒の入国を禁止しようとし、実際主義的政策を批判し否定し続けるのでしょう。世界的にアメリカに対する憎悪の種をまき散らし、国内の分断を進め、アメリカをどんどん弱体化させていく。今回もまた、銃規制の話題は一瞬だけ騒がれ、そのままお流れになるでしょう。アメリカは変われない。変わらない。#MeTooは、極端な方向に降りすぎてしまっているように思いますが、銃規制の報告に振り子が触れることはこの先もないのでしょう…

悪霊退治に最強の魔除け

2018-02-11 | 犬と猫、たまに人間の息子
 引き続き、本のお話。

 英語以外の本も充実していると聞いて、コロンバス東部のWorthington図書館に行ってみました。コロンバスび図書館システムのホームページから、日本語の本を選んで取り寄せてもらうことも出来ますが、実際、手にとって選びたくて。車で30分以上掛かるけど、前回行った、ダブリンよりは近いし。

 結局、帆布バッグ一杯に日本語の本を借りて来て幸せです。棚に村上春樹の著書や推理小説が多いのは判るような気がしますが、司書さんの趣味なのか、なぜか怪談系が多い。歴史小説と、懲りずに現代文学、宮部みゆき氏と小野不由美氏の、ちょい怖系の短編集を借りました。

 日本の怪談って、貞子さんのようにフットワークの軽いお化けさんの方が珍しく、家とか土地に憑いてる地縛霊系が多いみたい。そんなお話を読むと私がいつも思うのは、なぜ犬猫を飼わない!?奥座敷に何かいる気配を感じる、とか、天井から何かが見下ろしてる、とか、誰もいないはずの二階から音がする、とか。犬猫がいれば、全て無問題。

 奥座敷にいる何かが、ネズミであろうが、妖怪であろうが、猫が捕まえてバリバリおやつに食べてくれるでしょう。朝起きたら、枕元の死んだ蛇や河童のミイラの横で、猫がドヤ顔してるかもしれません。二階の物音は、犬がフロリングをかつかつ歩いてるのかも。わたしリカちゃんが2階から電話かけてきたって、不法侵入者には犬が吠えてくれる。誰も入ってこないのに、玄関のライトが点灯する?それも犬ですね。自宅警備に励んでいるのでしょう。

 何も無い中空に向かって、猫がシャーシャー言ってる?なぁに、小さい虫ですよ。うちの猫も、何もない壁に向かってとびかかっていることがありますが、よく見ると極小の虫がへばりついていたりします。ペットを飼えば、ホラーの半分は解決してしまいそうな気がします。しかも、うちにはリアル黒猫がいますから、魔除け効果は最強。怖いものなし。お家がたたられているような気のする方は、今すぐ、保護団体に行って黒猫をアダプトしましょう。幸せな生活をお約束しますv


シェイプ・オブ・ウォーター

2018-02-10 | 映画・ドラマ・本
 ダークな「スプラッシュ」

という感想を抱いた辺りが年バレ。ギレルモ・デル・トロらしい、ダークで空想力豊かな画面は魅力的ではありますが、Wikiに出ていた、Rotten Tomatoの評、同監督の「映像技術で最高の作品」ってのは、えー?そうなのー?というのが、個人的感想。あとになるほど、技術は進歩するのは当然なので、最新作が最高なのも当然だと思うけど、だから、次作は更に凄い映像を期待します。

 だって、「パンズ・ラビリンス」とか「ヘル・ボーイ」の世界や映像が好きなので、いやいや、他の作品の映像も凄いと思う。但し、いつもなら、デル・トロだから大画面で見なきゃ!なのですが、今作はむしろ、グロくて、劇場で見たのを後悔するシーンも有りました。


 卵が好きな半魚人、亜人と孤独な女性の恋愛、彼らを支える孤独な老人モチーフは、「ヘル・ボーイ」そのもの。秘密研究所の内部も似ているように思いました。原作のしがらみで自分の好きなようにできなかった所を、思い切りやっちゃった、のかも?と、思わずに入られませんでした。そもそも、半魚人を演じるダグ・ジョーンズは、「ヘル・ボーイ」の半魚人、エイブ・サピエン役の人。

 研究所所長の大佐(マイケル・シャノン)は、アメリカ軍人だけど、ナチスっぽい。嫌なやつではあるけれど、彼もまた、上司の将軍に責められてツラい中間管理職です。奥さんとはラブラブだし(夫が一人でがっついてたけど、誘ったのは奥さんのほうだよね)、息子に慕われているところも、ナチスの冷酷な将校が家庭では良き夫、父だったというのを思い出させました。

 ですから、映像技術的には凄いのかもしれないけど、デル・トロの独創性という点では、どっかで見た画面で、「なんで、こんな世界を思いつくのー!?!」なインパクトが余りありませんでした。それは、上記の通りの「ヘル・ボーイ」との相似点と、「パシフィック・リム」が、巨大ロボット戦闘ものデル・トロ風なら、こちらは「ヘル・ボーイ」デル・トロ風味。しかも、いきなり主人公の妄想の中で踊りだしたりして「ラ・ラ・ランドかぁ~っ!?」なった(フレッド・アステアらしいけど)。

 お話は、すでに日本でも紹介されている通り、冷戦時代のボルティモア(首都ワシントン近くの港町で、名門医学部を擁するジョンズ・ホピキンス大が有ります)を舞台に、発話障害の女性清掃員と、南米で捕獲された半魚人の恋愛を主軸に、米ソのスパイ合戦サスペンスとか、人種差別・同性愛者差別の社会問題とかを盛り込んだもの。すごい、今のアメリカで受けそうじゃないですか。 狙ってきたね、オスカー

 2018年3月1日に公開されるものは一部のシーンが処理されたR15+指定バージョンだそうですが、冒頭のヒロインがお風呂で自慰行為するとこなんかも処理されるのかな?元々、水の中でそういう行為をするのが好きだった、という前フリだと私は思いましたが。主人公は、初めからサリー・ホーキンスを念頭に置いたキャラクターだそうですが、彼女自身の半魚人っぽさというか、どこか人外風なトコ(ごめんなさい)が、インスピレーションになったのかな?

 半魚人さんに関しては。かっこいい、とか、超イケメンという評もありますが、私には魅力がわからなかった。彼の造形に関しては、なんか、さかなクンさんの意見を聞いてみたい。ともあれ、私的には、余り魅力の感じられない作品でした。


ちなみに、「スプラッシュ」のラストシーンと、本作のラストシーン


 ところで、ヒロイン、イライザの首の傷跡はエラの痕で、元々は人魚だったってことなのかなぁ?口がきけないのも、脚の代わりに声を失った人魚姫みたいだし。だから半魚人さんと惹かれ合ったたのかも?おとぎ話モチーフといえば、デル・トロ監督は、「美女と野獣」が、野獣も結局はハンサムな王子様になってめでたし、めでたし。『心の美しさと見た目の美醜は関係ない』って話なのに、美人とイケメンで、それを言うか?!という気持ちが、この作品を作るきっかけ、みたいな記事を読んだ覚えがあるのですが、それは凄い共鳴したな。

ビニール傘

2018-02-09 | 映画・ドラマ・本
 年末に日本人人口の多い地域、ダブリンの図書館で日本語の本を借りてきて以来、寝る前に日本語本を読むのが日課になっています。始めは無難に知っている作家の本を選んでいましたが、だんだん選択肢が狭まってきて、初めて知った人の現代純文学にも手を出し始めましたが、どうも、この分野には相性が悪いよう。私の感性が鈍いからなのか、単に時代に浮いていけないだけなのか… 多分、その両方。

  折角借りたんだからという理由だけで読み進め、読み終わっても「で、何だったんだろう?」と、途方に暮れる作品が多い中、岸政彦氏の「ビニール傘」は、深く印象に残りました。舞台が大阪で知っている地名が出てきたり、挟まれる大阪の風景の写真や、大阪弁の台詞に懐かしさを感じるから取っつきやすいのかも。語り手の視点が急に変わる文章は、初めは「??」でしたが、一旦、こういう手法なのだと分かってからは、ちゃんとお話しについていけました。気になって調べてみれば、作者の岸氏は社会学者なのだそう。なるほど、市井の人々の観察によって生まれた作品かと納得がいきました。

 私が買うのは安価な文庫本ばかりなので、裏表紙の内容紹介や解説を見て買うかどうかを決めます。でも、ハードカバーだと、そういった情報が与えられていないので、内容が全く分からない。図書館に並んでいるのは、逆にほとんどがハードカバーなので、作者やカバー絵から察するしかありません。今どきは、ケータイですぐに内容や評判も調べられますが、私は怠け者なので、一冊、一冊調べるだけの根気がないので、ぱっと見で決めちゃう。

 その結果、鈴木光司氏(すごいお名前だねぇ)の本なのでホラーかと思ったら、 家族の再生を描いた甘い短編集だったり、「死せる魂の幻想」ってタイトルだけど、ゴーリキには全く関係もなければ幽霊譚でもなかったりと、意外性があって、自分で選んで読むような本が読めるのは、選択肢の限られた状況だからこそ。何があるか分からないグッドウィルでお宝探しをするのと似たような楽しみがあります。

 でも、結局は、やっぱ私って、山本周五郎とか藤沢周平とかの文章が好きな古い人間だわ、やっぱ東野圭吾はムチャやけどおもしろいわ~、逆に、やっぱ宮部みゆきアカンわ~、苦手やわ~、という再確認にもなったのでした。今んとこのめっけもんは、上記「ビニール傘」と、大江健三郎自選短編集。ずっしり分厚くて、読み応え十分だった。当分、大江世界はいらんってほど、堪能(?)したわw