しろくま日記

読んだ本の感想を記録してみたいと思います。
なんだか忘れてしまうので。

額田女王 井上靖著 新潮文庫

2017-09-09 | 日本小説
SFが続いたので少し息を入れようかなぁ(?)ということもあり手に取りました。

言の葉の庭」映画版ではヒロインの雪野先生が読んでいる本として大写しされ(たと思う)「小説 言の葉の庭」では雪野先生の愛読書として登場場面に大きくクローズアップされ本作が引用されています。

そんなこんな気になっていたところブックオフ108円棚で見つけて入手しました。

本作は「サンデー毎日」に1968年1月7日号から1969年3月9日号まで連載され、単行本は1969年12月に毎日新聞社より刊行されています。

井上靖氏は戦前(1936年)から作家活動をはじめ、戦後から活発に活動し1980年代まで続く執筆キャリアですが比較的後期の作品といえるでしょうかねぇ。

「闘牛」で1950年芥川賞を受賞していますが、「純文学」でもなくいわゆる「大衆小説」でもなく「中間」的な位置の独特な位置づけにあった作家かと思います。
「敦煌」や「天平の甍」は割と大々的に映画化されていますし「氷壁」等映像化され話題となった作品も多くあらためて考えてみるとポピュラーな作家だったんだなぁと思います。

私と井上靖氏作品ですが高校生あたりで「敦煌」と「あすなろ物語」を読みました。
「敦煌」はほぼ冒険小説として読んだ感じでしたがすごく面白かった記憶があります。

記憶があいまいですが、1980年にテレビ朝日で放送された「蒼き狼」が面白かったのもあり中学生くらいに「蒼き狼」も読んだ記憶があります。

「あすなろ物語」は藤子不二雄の「まんが道」で「あすはひのきになろう」の言葉がでていて印象に残っていて手に取った記憶があります。
自伝的話は好きなのでこれまた楽しく読めましたが….その後「風濤」を入手して、冒頭入り込めずで挫折し著者の他の作品を読もうという気にならなかった記憶があります。

1996、7年頃山登りに凝っていたので「氷壁」も入手して読もうと思ったのですがこれも挫折していました….。

ということで読み始めるまで期待と不安が入り混じった気分でしたが….。

内容紹介(裏表紙記載)
大化改新後の激動する時代、万葉随一の才媛で“紫草のにほへる妹”とうたわれた額田女王をめぐる大ロマン。朝鮮半島への出兵、蝦夷征伐、壬申の乱……と古代国家形成のエネルギーがくろぐろと渦巻く中で、天智・天武両天皇から愛され、恋と動乱の渦中に生きた美しき宮廷歌人の劇的で華やかな生涯を、著者独自の史眼で綴り、古代人の心を探った詩情ゆたかな歴史小説。


読後の感想、前記で「不安」と書いたのはまったくの杞憂でした。
とても楽しく読めました。
終盤読み終わるのがさびしくなったくらいでした。

大化の改新直後から壬申の乱までの激動の時代を描いています。

私は高校でも日本史選択でしたし日本史はそこそこ得意な方でしたが、この時代は都が点々とし、大きな事件だけでも大化の改新・白村江の戦い・壬申の乱と事件が多すぎて登場人物やら事柄を覚えるだけに終始してしまっていました。
今回本作を読んでこの時代をまるで同時代かのように認識することができて非常に身近に感じることができつようになりました。

中大兄皇子が田中角栄的な与党の実力派幹事長のように書かれているのが違和感感じる人には感じるでしょうけども,,,。(笑)

時の実力者、蘇我入鹿を殺してその一派を追い込んで「権力を握る」というのは現代の「天皇」像と相いれないわけですが、まぁ事実(真実)かどうかはともかく「歴史」ですからねぇ。
(日本書紀の記述や「大化の改新」が本当にあったのかどうか現在ではいろいろ説が出ているようです。)

本作では唐の制度にならって「日本」を強い国にしようと強い意志で豪族の力を奪い中央集権化を進め税制やらなにやらを整備していく中大兄皇子と中臣鎌足の姿が描かれています。

そのため中大兄皇子は天皇にならず皇太子に留まり豪族やら税に苦しむ民衆の恨みが直接的に来ないようにしています。
その上、傀儡としていた孝徳天皇と不仲になったら、せっかく遷都したばかりの難波の宮も見捨てて飛鳥に戻り、孝徳天皇が亡くなっても自分が立たず皇極天皇を立てたりと相当ひどいのですが…。

権力確保「だけ」のためならこんなことできないでしょうし、ここまで無茶すれば人もついていかないでしょうからまぁ求心力のあった人だったんだろうなぁと思わせます。

諸制度を整えかけたところで友好国百済が新羅に侵略されれ朝鮮半島に出兵して白村江の戦いでボロ負けして逃げ帰ってきます。
その上折角作りかけの飛鳥の宮を放棄してまったく田舎の大津宮に遷都して求心力を保つため天皇に即位….。

そんなこんなの間、最大の協力者である弟の大海人皇子の娘まで生んでいる額田女王を取り上げ情事を重ねるエネルギーは感嘆しますね。

大海人皇子は中大兄皇子に対する圧力を和らげる比較的「善玉」の役割となっているので、作中の中大兄皇子の「悪役」をいとわない迫力と比べると魅力的には少し落ちるように描かれています。

と、こんな風にこの時代を「同時代」かのように描いている空けですが、「敦煌」でもそうですしたがこの辺の能力の高さは井上靖の特長なんでしょうね。

同じ時代(白村江の戦い~壬申の乱)あたりを手塚治虫が「火の鳥 太陽編」で描いていますが本作の方が臨揚感ありました。

この激動の時代の中、宮中の神女として神の声を伝える「歌」を作る立場の額田女王は大海人皇子の娘を産みながらも、中大兄の求めにも応じ、その上でどちらの庇護も受けず「神秘的な歌人」の立場を守り通すわけですが….。

教え子にいじめられて引きこもってしまう「言の葉の庭」の雪野先生はどんな気持ちで本作読んだんでしょうね....。
「絶世の美女」で「歌」を愛することは共通でもそんなには強く生きられない…。

本作の「額田女王」男性作家目線で描いているわけですが女性目線で見て「額田女王」どう評価されるのかは気になりました。(「雪野先生」も男性・新海誠の妄想ですしね。)

ところどころ額田女王が歌を詠みますが古代は「歌」で奮い立つこともあったのかなぁとなにやら納得してしまう展開でした。

百済へ出兵のため九州に移る途中の松山出港の際詠んだ、
「熟田津(にきたつ)に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕(こ)ぎ出でな」
場面といい中大兄皇子との関係性といいしびれました….。

これに比べると、大津の都の標野での歌会で読んだ大海人皇子と天智天皇との三角関係をうたったとされる
茜指す紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る」(額田女王)
紫の匂へる妹を憎くあらば人妻ゆゑに我恋ひめやも」(大海人皇子)

の場面はは迫力落ちる気がしましたが…。
この後、額田女王と大海人皇子の娘、十市皇女が大友皇子に嫁して、天智天皇没後壬申の乱が起こり....。

とドラマティックな展開でラストを迎えます。

「この通りのことが起こった」などという根拠はまったくないわけですが、「こんなこともあったかなぁ」もしくは「話としては面白いなぁ」と歴史を題材にして物語化された世界に浸る幸せな時間を過ごせました。


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