海外旅行は博物館がおもしろい 大英博物館や故宮博物院に行こう! 山田五郎『知識ゼロからの西洋絵画入門』

2020年11月24日 | 海外旅行

 「美術教師なんて、ホンマ信用ならんわ!」

 そんな怒声をあげそうになったきっかけは、山田五郎『知識ゼロからの西洋絵画入門』を読んだときのことであった。

 私は博物館が好きである。

 旅行好きの中には「美術館めぐりが趣味」という人も多く、ガイドブックやネットの観光案内などでも大きくスペースが割かれているが、どうもそちらには食指が動かない。

 もともとに造詣が深くないうえに、絵画鑑賞の基礎教養も足りていないから、いまいち楽しめないのだ。

 というと、絵画を味わうのに、そんな小難しい理屈などいらないではないか。

 美しいものを、その感性のままに受け取ればいいではないかという意見はあるかもしれないが、どうもその考えにはくみせないところがある。

 それには、まだ中学生だったころの思い出がからんでおり、当時、美術の時間に教科書に載っている絵や彫刻のなにがいいのかサッパリわからなかった。

 そこで先生に、

 

 「こういう美術ってミケランジェロもゴッホも、なにがええのかピンとけえへんのですけど、どこがええのか、鑑賞のポイントを教えてください」

 

 そう訊いてみたところ、

 

 「解説とか、絵を頭で理解しようとする必要はないのよ。心のおもむくままに、素直に感じればいいだけよ」

 

 なんて諭され、そのときは、まあそんなもんか、ワシって感性が鈍いもんなと「素直に」受け取ったが、後年、『知識ゼロからの』をはじめ、美術の本などをあれこれ読んでみて、

 

 「なんかそれって、おかしいんでねえの?」

 

 思い直すことになる。いやいや、ちがいますやん、と。

 特に西洋絵画はそうなのだが、ヤツらの絵というのはセンスで描いているように見せかけて、実はメチャクチャに理詰めである。

 感性どころか、むしろ「記号的」といっていいほどの理屈っぽいものばかり。

 たとえば、片隅にそっと描かれたヘビは「背徳のシンボル」だったり、「女の後ろの壁に掛けられた海図」は夫が船乗りなので、

 

 「妻がさみしくて、『他の男によろめきかけている』という合図」

 

 だったり、それはそれはロジカルなのである。

 つまるところ、西洋絵画を楽しむというのは、そういった「作者側の仕掛け」にどう反応するかという「かけひき」なのだ。

 

 「あ、この絵のあそこにある小さな黒い影は死を象徴しているから、一見幸せそうに見えるこの場面には、のちに不幸が起こるという暗示になってるわけやね。死はペストのことかな、それとも時代的には三十年戦争?」

 

 などと、読み解きながら鑑賞するのが「」なのだ。

 そこに「感性」などというフワッとした武器だけで挑むなど、バットも持たずにバッターボックスに入るようなもの。

 

 「わからんヤツはここで置いていく」

 

 とばかりに完全に相手にされない。連続三振の山。なーんにもわからず、トンマなことこのうえない。

 つまるところ、美術鑑賞に必要なのは「感性」よりも「教養」。というか、そもそも「感性」なるものは、「教養」によって磨かれるのだ。

 世界史全般は当然として、各国の古代の神話キリスト教やら政治体系やら歴史的事件から絵の技術まで、全方向的になんでも知ってないといけない。

 その材料をもって、さらに対象とする絵を「読み取る」頭脳も必要なわけで、そらパープリンな中坊に歯が立つはずもない。

 これは西洋絵画のみならず、それこそカンボジアアンコールワットでも、あのレリーフのすばらしさは『マハーバーラタ』や『ラーマーヤナ』の知識が、かすってる程度でもないと、その感動も半減である。

 それがわかったときは、心底腹立ちましたね。

 コラァ、美術教師! ガキや思うて手ェ抜くなよ!

 あんとき教えてくれてたら、オレももうちょっと美術に苦手意識を払拭できたかもしれないのに。

 ……なんて過去のグチとくらべて、博物館気楽である。

 もちろん、博物館でも「深い教養」は必要とされるのだろうが、そんなもんなくても、それなりに楽しめるのがいいところ。

 ハッキリ言って、なんにもわからず絵だけ見てもたいしておもしろくはないが、博物館は彫刻あり、古本あり、アンティークあり、もちろん絵もあって、バラエティーに富んでいて飽きない。

 まさに今目の前にある「マテリアル」の存在感で、充分に惹きつけられるのだ。

 要するに、モノって案外、見てるだけでも楽しい。

 一番のオススメは、やはり略奪……じゃなかった大英博物館

 台北故宮博物院もすばらしかったが、大英博物館もその中身は負けていない。特に私はが好きなので、中世ヨーロッパの本棚とか、本当にワクワクしました。

 気分はカール・マルクス。毎日でも通いたい。

 あと、なにより「無料」というのがすばらしい。

 私のような美術スカタンでプロレタリアートでも、そこそこには楽しめる大英博物館。

 でも、ロンドンは他の物価が、血の尿でるくらい高かったな……。

 

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2 コメント

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Unknown (なお)
2020-11-25 23:39:21
お疲れ様でございます。いつも有り難うございます。このブログで思い出したのですが大学時代、友人がドストエフスキーの罪と罰が面白いって言ったときに、ワタシは真顔で「原書で読まないとあの良さはわからない」って日本語すらおぼつかないどころか読んでもないのに平然と言ったんですよね。教授の先生よりもひどいでしょ(笑)でも本当に教授のおっしゃることは何にでも通用しますよね。芸術でも文学でも映画でも、それに通じるある程度の教養がないとわからないですよね。でも馬鹿でも簡単に入れるよっていうのが漱石の小説とか黒澤の映画になるんですかね。馬鹿でも楽しめるけど教養があればもっと面白いよっていうか…
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Unknown (sharon106)
2020-11-26 16:52:45
なおさん、いつもありがとうございます。

『罪と罰』はなかなか罪作りな本で、私も後輩に「なんか、おもしろい本ないッスか?」って聞かれて、半分冗談ですすめたら、次会うときから全然本の話をしてくれなくなりまして(笑)。

まあ、長いし、私も一応読みましたが、別に苦労してまで読まなくてもいいなーと思ったし(←じゃあ、すすめてやるなよ)。

「教養ないとしんどい」問題は、いろいろありますよねえ。

それこそ、将棋はアマ級位者クラスでも、指すのも観るのも、そこそこ楽しめますが、囲碁は最初の敷居が高く、初学者はそこでつまづいてしまうといいますし。

井山裕太四冠も、これに関して「初段くらいになれば、その奥深さも理解していただけると思うんですが……」と語っていて、「ハードルなかなか高いな!」ってつっこんでしまいました。

まあ、阿部光瑠六段のように、そこから将棋に転向してプロになる人もいたりするから、合う、合わないって大きいんですね。


 
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