世田谷区桜一丁目に吉良家の菩提寺である曹洞宗寺院「延命山勝光院」は鎮座している。江戸期、天正19年には家康から御朱印寺領30石を与えられた高格式の寺である。初め「金谿山竜凰寺」と称し、吉良氏が建武2年(1335)創建(伝)。平成13年に世田谷区指定史跡に指定さる。「山門」前の左側に面積 176㎡の墓所の中央に「吉良氏墓所」があり義祇(明暦3年没、1657年)以降の吉良家代々の墓、家臣の墓が置かれている。世田谷吉良家の「系図纂要」では足利家の嫡男左馬頭義氏の子義継が三河国吉良荘に住して始めて吉良氏を称した。これが東條吉良氏の祖である。吉良義繼ー經氏ー經家ー貞家ー治氏ー治家ー頼治ー頼氏ー頼高ー政忠ー成高ー頼康ー氏朝ー頼久ー義祇ー義成ー義俊ー義所ー義豊ー義房ー義発ー義方と22代続く。貞家が奥州探題を命ぜられ「奥州吉良」と呼ばれている。その後、世田谷の地を与えられてから「武藏吉良」または「世田谷吉良」と称せらている。松の廊下刃傷,後の討ち入り「吉良上野介」は「西條吉良」と言われている。墓石の形態は「宝篋印塔」、「五輪塔」、「位牌型」などで、整然と墓石が並んでいる。又、区画の隅に古い墓塔もある。同墓所内で最も古い墓石は貞和5年(1349)で、「興善寺殿」の院殿号と「吉良頼氏」の名が刻まれた「宝篋印塔」である。唯、同塔側面に刻まれた寛永19年(1642)制作であるが、江戸時代になって追善のために建立されたと考えらる。(2502)





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