goo blog サービス終了のお知らせ 

相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!

☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

「さがみの仲よし小道」のアジサイたちの共演美!!

2023-06-11 14:06:36 | 道・緑道
相模原市南区大野台3丁目から南区相模台3丁目にかけて総延長5キロメートルに亘って「相模原の道・橋・花ーさがみはら百選―」の一つ「さがみの仲よし小道」がある。かつての「相模原台地」に昭和23年から16年をかけ「畑かん水路」が造られたが、その後相模原台地は現在の市街地として発展、この水路敷きを活用した緑道が現在の「仲良し小道」である。平成16年3月現在3,616メートルが緑道として整備され今や地域住民のコミュニティーラインとなっている。その「仲良し小道」緑道沿い随所に本数は数えられないほど今もっとも旬の花、梅雨期の代表花、七変化の花と呼ばれている「アジサイ」「あじさい」「紫陽花」が全種見頃となって「仲良し小道」ならぬ「アジサイ小径」と化して全種が共演、色鮮やかな華やいでいる。おそらく今が旬でクライマックスへ近づいている美しさである。(2306)
 
 
 
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

癌封じの寺として知られる「法久山上行寺」

2023-06-11 07:27:46 | 寺院
鎌倉市大町に旧本山は大本山本圀寺(六条門流)、小西法縁で「癌封じの寺」として知られる日蓮宗寺院「法久山上行寺」は鎮座している。正和2年(1313)に日蓮の弟子の日範の創建。明治19年(1886)に名越の妙法寺の「法華堂」を本堂として移築。格天井の絵は細川氏の絵師による。本堂表欄間には「龍の彫り物」が施されており、山門には左甚五郎作とされる「龍の彫刻」も見られる。万延元年(1860)、桜田門外の変で大老の井伊直弼を襲撃した水戸浪士の一人である広木松之介は鎌倉へ逃れた際に上行寺に匿われたが同志が刑死され後文久3年(1863)に切腹した。境内墓地には松之助の墓があり、大正5年(1916)には石碑が建造された。本尊は三宝祖師。本堂右手の堂には身がわり鬼子母神と癌封じの「瘡守稲荷」と鬼子母神が祀られている。北条政子は源頼朝の「おでき」を治すため「瘡守稲荷」に参拝したと伝わる。(2306)
 
 
 
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする