今日のしんぶん赤旗には、「川上貫一氏の国会除名なぜ?」の見出しで、「Q&A」形式で、そのいきさつを説明しています。
大阪の川上貫一議員といえば、レッドパージのあとの総選挙で、共産党の国会議員が激減したときに、当選した数すくない議員です。
今、桜川市富谷には、川上貫一議員の選挙運動で、選挙カーに乗って、アナウンサーをしていたという方が在住しています。私は、その方にあって、当時の話を伺ったことがあります。
Q
政治家女子48党(旧NHK党)のガーシー参院議員が国会を除名されましたが、過去に国会除名された中に、日本共産党の川上貫一衆院議員がいます。なぜ除名されたのですか?
(東京・一読者)
全面講和の実現を求める
共産党への不当な懲罰
A
1951年の川上貫一議員の国会除名と、当選以来、一度も登院せず、国民の負託にこたえなかったガーシー議員への懲罰は問題が性質がまったく違います。
51年当時、日本は連合国軍総司令部(GHQ)の支配下にあり、共産党は占領軍総司令官マッカーサーの指令(50年6月6日)で党幹部が公職追放され、36人いた党議員団も二十数人なっていました。
一方で、サンフランシスコ講和会議(51年9月調印)に向けて、米国の構想に反対しない国々とだけの平和条約(単独講和)でなく、戦争をしたすべての国との平和条約(全面講和)を求める声が大きくなっていました。
そういうなかで同年1月27日、衆院本会議で川上氏は「・・国民の大多数は単独講和に反対しておる。・・再軍備に反対しておる。同時に占領軍の早期撤退を望んでおります。・・ここに日本国民の名において、かような政治を即時中止して、日本国憲法を守って、ポツダム宣言に基づく全面講和を実現するいったいの政策を実行することを要求する」と1時間近い代表質問を行いました。(衆院会議録では削除が多いため、川上著『たたかいの足音』から)
これに対して自由、民主両党(後に合同して自由民主党)の一部が「不穏当な表現」で「議院の品位を傷つけたとして、懲罰動議を提出しました。
川上氏は「一体、国会の権威とは何であるか。戦争に反対し、再軍備に反対し、平和と民族の独立のために忠実なことが威信である。・・私は、この威信、この品位を完全に守っていると思うております」(同31日、衆院本会議での「一身上の弁明」)とのべ、屈しませんでしたが、動議は可決され懲罰委員会にかけられました。
その後、同委員会は川上氏の反論をうけ、「演説内容は問題にしない。ただその表現が不穏当」「本会議で陳謝すべし」とし、本会議に付託。「陳謝」を拒否したことで、衆院本会議で議決されましたが、71人の議員は反対しました。
川上氏の国会除名は、日本国憲法下ではあってはならない、国会での発言に対する言論抑圧そのものです。
川上氏の質問は、占領下でも国民の利益を代弁し平和と民主主義のために不屈にたたかった日本共産党の歴史の1ページです。
(2023・3・16)
大阪の川上貫一議員といえば、レッドパージのあとの総選挙で、共産党の国会議員が激減したときに、当選した数すくない議員です。
今、桜川市富谷には、川上貫一議員の選挙運動で、選挙カーに乗って、アナウンサーをしていたという方が在住しています。私は、その方にあって、当時の話を伺ったことがあります。
Q
政治家女子48党(旧NHK党)のガーシー参院議員が国会を除名されましたが、過去に国会除名された中に、日本共産党の川上貫一衆院議員がいます。なぜ除名されたのですか?
(東京・一読者)
全面講和の実現を求める
共産党への不当な懲罰
A
1951年の川上貫一議員の国会除名と、当選以来、一度も登院せず、国民の負託にこたえなかったガーシー議員への懲罰は問題が性質がまったく違います。
51年当時、日本は連合国軍総司令部(GHQ)の支配下にあり、共産党は占領軍総司令官マッカーサーの指令(50年6月6日)で党幹部が公職追放され、36人いた党議員団も二十数人なっていました。
一方で、サンフランシスコ講和会議(51年9月調印)に向けて、米国の構想に反対しない国々とだけの平和条約(単独講和)でなく、戦争をしたすべての国との平和条約(全面講和)を求める声が大きくなっていました。
そういうなかで同年1月27日、衆院本会議で川上氏は「・・国民の大多数は単独講和に反対しておる。・・再軍備に反対しておる。同時に占領軍の早期撤退を望んでおります。・・ここに日本国民の名において、かような政治を即時中止して、日本国憲法を守って、ポツダム宣言に基づく全面講和を実現するいったいの政策を実行することを要求する」と1時間近い代表質問を行いました。(衆院会議録では削除が多いため、川上著『たたかいの足音』から)
これに対して自由、民主両党(後に合同して自由民主党)の一部が「不穏当な表現」で「議院の品位を傷つけたとして、懲罰動議を提出しました。
川上氏は「一体、国会の権威とは何であるか。戦争に反対し、再軍備に反対し、平和と民族の独立のために忠実なことが威信である。・・私は、この威信、この品位を完全に守っていると思うております」(同31日、衆院本会議での「一身上の弁明」)とのべ、屈しませんでしたが、動議は可決され懲罰委員会にかけられました。
その後、同委員会は川上氏の反論をうけ、「演説内容は問題にしない。ただその表現が不穏当」「本会議で陳謝すべし」とし、本会議に付託。「陳謝」を拒否したことで、衆院本会議で議決されましたが、71人の議員は反対しました。
川上氏の国会除名は、日本国憲法下ではあってはならない、国会での発言に対する言論抑圧そのものです。
川上氏の質問は、占領下でも国民の利益を代弁し平和と民主主義のために不屈にたたかった日本共産党の歴史の1ページです。
(2023・3・16)