私は、今、笠間図書館から半藤一利さんの本を3冊借りてきた読んでいる。「昭和史 戦後編」「世界史の中の昭和史」「もう一つの『幕末史』」の3冊である。
今日の東京新聞・コンパス欄には、中村信也氏が「半藤さんが残した宿題」として書いている。うなずける意見なので、紹介したい。
先ごろ亡くなった、編集者出身の作家・半藤一利さんを惜しむ声が広がっている。いつもは論調が違う大手メディアも異論がないようだ。新聞記者出身の作家・司馬遼太郎のときと似た状況だ。
生前の半藤さんに切り出せなかった疑問を書いて、勝手ながら追悼としたい。
半藤さんに一つ年上の中塚明さんがいる。陸奥宗光の外交記録「蹇蹇録」の研究で知られる日朝関係史泰斗である。
中塚さんは「司馬遼太郎の歴史観に、明治の初めから朝鮮侵略という史実が抜け落ちているという(『司馬遼太郎の歴史観』)。司馬遼太郎の歴史観を大ざっぱに言えば「明治は成功、昭和は失敗」というものだが、史料を引いて追及している。
司馬と似た歴史観を、半藤さんの『昭和史』にも見ている。「平和憲法を基軸に」という半藤さんに同意しながらも、中国の抗日運動を書く一方で朝鮮独立運動に触れないなど朝鮮の影が薄いという(『現代日本の歴史認識』)。原因の一つは戦前教育の影響ではないかとみる。半藤さん以外にも苦言を呈している。
歴史を語るのは、ビーカーの中の科学反応を説明するような訳にはいかない。語り手もビーカーの中だ。半藤さんは複雑な昭和史を分かりやすく伝えてくれた。急所とされた日朝関係史は、残された者の宿題なのかもしれない。
(中村信也)
注)私は、今の日本において、ヘイトスピーチが「朝鮮」に対してのものが多く、また執拗過ぎるのは、司馬遼太郎氏の書いた本に影響されているのではないかと思っている。私も、一時、司馬遼太郎氏の本にどっぷりつかったことがある。「坂の上の雲」である。しかし、冷静に明治以後の歴史をみれば、日清、日露、日中、太平洋戦争へと突き進んできた、日本の軍事拡大路線が、『日清、日露』までは正しい戦争で、『日中、太平洋』の戦争は、「鬼っ子」であったというような、司馬史観にはたてない。
司馬氏の本は、読みやすく、魅力的である。それだけに、司馬史観から脱却するのに、私は苦労した。
私は、冷静に戦争を知るためには、吉村昭の「海の史劇」「戦艦武蔵」「ポーツマスの旗」などを推奨する。
今日の東京新聞・コンパス欄には、中村信也氏が「半藤さんが残した宿題」として書いている。うなずける意見なので、紹介したい。
先ごろ亡くなった、編集者出身の作家・半藤一利さんを惜しむ声が広がっている。いつもは論調が違う大手メディアも異論がないようだ。新聞記者出身の作家・司馬遼太郎のときと似た状況だ。
生前の半藤さんに切り出せなかった疑問を書いて、勝手ながら追悼としたい。
半藤さんに一つ年上の中塚明さんがいる。陸奥宗光の外交記録「蹇蹇録」の研究で知られる日朝関係史泰斗である。
中塚さんは「司馬遼太郎の歴史観に、明治の初めから朝鮮侵略という史実が抜け落ちているという(『司馬遼太郎の歴史観』)。司馬遼太郎の歴史観を大ざっぱに言えば「明治は成功、昭和は失敗」というものだが、史料を引いて追及している。
司馬と似た歴史観を、半藤さんの『昭和史』にも見ている。「平和憲法を基軸に」という半藤さんに同意しながらも、中国の抗日運動を書く一方で朝鮮独立運動に触れないなど朝鮮の影が薄いという(『現代日本の歴史認識』)。原因の一つは戦前教育の影響ではないかとみる。半藤さん以外にも苦言を呈している。
歴史を語るのは、ビーカーの中の科学反応を説明するような訳にはいかない。語り手もビーカーの中だ。半藤さんは複雑な昭和史を分かりやすく伝えてくれた。急所とされた日朝関係史は、残された者の宿題なのかもしれない。
(中村信也)
注)私は、今の日本において、ヘイトスピーチが「朝鮮」に対してのものが多く、また執拗過ぎるのは、司馬遼太郎氏の書いた本に影響されているのではないかと思っている。私も、一時、司馬遼太郎氏の本にどっぷりつかったことがある。「坂の上の雲」である。しかし、冷静に明治以後の歴史をみれば、日清、日露、日中、太平洋戦争へと突き進んできた、日本の軍事拡大路線が、『日清、日露』までは正しい戦争で、『日中、太平洋』の戦争は、「鬼っ子」であったというような、司馬史観にはたてない。
司馬氏の本は、読みやすく、魅力的である。それだけに、司馬史観から脱却するのに、私は苦労した。
私は、冷静に戦争を知るためには、吉村昭の「海の史劇」「戦艦武蔵」「ポーツマスの旗」などを推奨する。