尼崎の悲惨な事故の報道がTVの画面から遠退きはじめ、各地からインターネットの情報が入って来るようになりました。同時に個人的な意見も、です。
事情がいろいろ判ってくるに連れて、この事故の発生原因に対する批判も個人の段階では厳しい意見が多いです。
高が90秒の遅れのために、この悲惨さ。その90秒の遅れは直前に止まった駅での停車位置の調整のためだったと聞くとなおのこと苛立ちを覚えます。しかもその陰には遅れに対する運転士への厳しい罰則があったと言うことに、ただただ唖然とするばかり。
停車位置のズレと言っても恐らく何メートルも無かったでしょう。乗客が数歩多めに歩けば済む事ではないのですか?
「スペイン語の放送が運転士は何処かへドロンしてしまったと言ってたよ」と夫が言った時私は恐らく遺体が見つからないだけなのではないかと思ったのですが、当たっていたようです。90秒の遅れを取り戻すため速度を上げた彼をバカモノと怒る前に考えて下さい。仕事に忠実な人だったのでしょう。どうしても遅れを取り戻さなければならない立場にあったのです。何が彼をそうさせたのか、考えてみて下さい。
日本社会の列車時刻の正確さに対する期待は度が過ぎると言うことを。
時刻も正確、しかも安全運転で無ければならない。。。何を夢見ているのですか?
もし、彼が肝っ玉の大きな人で、罰則ぐらいナンダ、命あっての物だねだ、と90秒を無視できていたら、起らずに済んだ事故だったかもしれません。でも彼は忠実な性格だったのでしょう。誰がそれを責められますか?
ブログを始めてから、私も良く他のブログを訪問します。時間が有ればコメントも残します。
多くのブログを読んで思うのは、皆さん心にゆとりのある人ばかりであると言うことです。このゆとりが日本社会に欠けているのです。だから、みんながブログを書くようになれば、重箱の隅をほじくるような、90秒の遅れにこだわる社会では無くなるでしょう。
目覚めてよ、日本人!
と私は言いたいのです。そう皆さんに呼び掛けたいのです。
この事故の被害者皆さんを犬死させないで下さい。
各国からの報道には、この国では15分の遅れは遅れのうちに入らない、などとありましたが、そのくらい大らかな国に作り直して下さい。日本に住む全ての人の責任です。
亡くなられた皆さんの冥福を祈り、怪我された方々の迅速な回復を祈りつつ。。。
Post tiu tragedio kelkaj mizeraj akcidentoj sekvis, cxu ne? Kolido de granda sxargxauxto kaj JR trajno de Jxooban-linio, Renversigxo de auxtobuso cxe ekspresa auxtovojo Ban-ecu,kolido de ekspresa sxipo cxe Japana Maro,ktp.
Mi deziras neniun tragedion okazu dum la ora semajno!
どうやったらゆっくりリズムに慣れるのでしょうか。
狭い日本の中でそんなに急いでどこへ行く。
そして、生活時間い追われている。意識的にノンビルすることからしたいですね。なんろなく惰性で過ごし、記憶が無いのに時間は経過していたなんてこと良くあります。これを意識して経過させればリフレッシュできるでしょう。
メリハリをつけて時間を使うように心がける事にします。
慰めの言葉もなくに張ろうとしたのですが間違いました。
間違った方を消してください。
よろしく!!
Olduloさんのコメントを読んで、そんなに事故が続いてあったとは知らずにいたものですから驚きました。
日本の列車の安全さ、正確さを極当然の権利のように思っていてはいけないと言うことでしょう。
ちさとさん、ご自分のブログに書けなくて(書かなくて)もいいのですよ。国内の人にとってこれは私たちより身近な出来事だし、痛みもひとしおと想像します。
glimiさん
私はまだトラックバックのことが良く判らないのです。どうすればつながるのか、どうやって消すのか判りませんので、当分このままです。