思い違いや勘違いは良く起ることですが、大抵の場合は一寸したきっかけで気付くものです。
でも、一生思い違いをして終わる物事も有るのだと最近思いました。
「自費」と「実費」を混同している人が意外に多いのですが、この人たちは恐らく一生涯思い違いのまま終わるのでしょう。これを読んでいる人の中にもその一人と言う人がいるかもしれません。統計を取ったら面白いだろうな、と思うのは私だけ? 日本人の何パーセントがそんな使い方をしているのか大いに興味があります。
「会社の仕事なのに実費でなんて嫌だわ、出してくれたって良いじゃないの」
等と言う会話を聞いた事はありませんか?
酷くトンチンカンに聞こえるのですが。。。
実費とは実際に掛かった費用の意味であり、自腹を切るのが自費であることを納得していないのです。
ある時、ツアーの夕食の時間に雑談に花が咲いていました。
「情けは人の為ならず」の意味は。。。が話題でした。
子供の頃教えられた事の一つです。「情けは人のためにあらず、あなた自身のためなのだ」と。そして、私なりに
「人に何かしてあげるのはその人が喜ぶのを見て私自身が幸せになるから、その自分の幸せのためにして上げるのであって、その人の為なのではない」“だから、恩に着せてはいけない”
と解釈していました。
ところが、最近は
「情けを掛けてあげるとその人が増長したり、我が儘になるからその人の為にならない」“だから、親切にしてはいけない"
と解釈している人が居ると言うことを、笑っていたのです。
と、「アラ、私そう思っていたわ」と言う人が居て、何となく座が白けてしまいました。
もう、60歳にはなろうと言うこの婦人は、絶対自分の考えが正しいと自信を持っていたようです。この言い草を覚えたのが10歳頃とすれば、もう半世紀もの長い間そう信じて来たわけですから「今更…」と言う気がしなくもないのですけど。
仏教について特別学んだことも無いのですが、この言葉は仏教の教えから来ていると思っています。仏の心は慈悲の心、と何処かで読んだ気もしますし、「増長するといけないから情けを掛けてはいけない」なんて随分冷たいではありませんか。
次の食事が何処から来るかも判らない状態で暮らす貧困の国の人たちに援助の手を差し伸べて、と募金している組織が幾つもありますが、この人の考えに従えばこれら組織のしていることは間違っていることになります。
この婦人は一見優しそうな人で、且つ行動的な人でしたから困っている人を見殺しにするなど考えられず、実に不思議な感情が私の胸に沈んで行きました。
でも、一生思い違いをして終わる物事も有るのだと最近思いました。
「自費」と「実費」を混同している人が意外に多いのですが、この人たちは恐らく一生涯思い違いのまま終わるのでしょう。これを読んでいる人の中にもその一人と言う人がいるかもしれません。統計を取ったら面白いだろうな、と思うのは私だけ? 日本人の何パーセントがそんな使い方をしているのか大いに興味があります。
「会社の仕事なのに実費でなんて嫌だわ、出してくれたって良いじゃないの」
等と言う会話を聞いた事はありませんか?
酷くトンチンカンに聞こえるのですが。。。
実費とは実際に掛かった費用の意味であり、自腹を切るのが自費であることを納得していないのです。
ある時、ツアーの夕食の時間に雑談に花が咲いていました。
「情けは人の為ならず」の意味は。。。が話題でした。
子供の頃教えられた事の一つです。「情けは人のためにあらず、あなた自身のためなのだ」と。そして、私なりに
「人に何かしてあげるのはその人が喜ぶのを見て私自身が幸せになるから、その自分の幸せのためにして上げるのであって、その人の為なのではない」“だから、恩に着せてはいけない”
と解釈していました。
ところが、最近は
「情けを掛けてあげるとその人が増長したり、我が儘になるからその人の為にならない」“だから、親切にしてはいけない"
と解釈している人が居ると言うことを、笑っていたのです。
Hello! 5月13日にはよちよち歩きだった雁の子もこんなに大きくなりました。 |
と、「アラ、私そう思っていたわ」と言う人が居て、何となく座が白けてしまいました。
もう、60歳にはなろうと言うこの婦人は、絶対自分の考えが正しいと自信を持っていたようです。この言い草を覚えたのが10歳頃とすれば、もう半世紀もの長い間そう信じて来たわけですから「今更…」と言う気がしなくもないのですけど。
仏教について特別学んだことも無いのですが、この言葉は仏教の教えから来ていると思っています。仏の心は慈悲の心、と何処かで読んだ気もしますし、「増長するといけないから情けを掛けてはいけない」なんて随分冷たいではありませんか。
次の食事が何処から来るかも判らない状態で暮らす貧困の国の人たちに援助の手を差し伸べて、と募金している組織が幾つもありますが、この人の考えに従えばこれら組織のしていることは間違っていることになります。
この婦人は一見優しそうな人で、且つ行動的な人でしたから困っている人を見殺しにするなど考えられず、実に不思議な感情が私の胸に沈んで行きました。
日本でこんなかわいい顔で人に近づいたらたら大変ですね。
ニュージランドのエスぺランティストの所にpigo(かささぎかな?)3羽いました。ヒナを1羽残して親が消えたのでエサをやったらいつの間にか3羽に増えていたんですって。夫妻の所にはよって来るけれど、誰にも邪魔されず老人村の庭でのんびり。羨ましい !
成長が早いんですね。成長記録を載せるのもいいかもしれませんね。
親鳥は人が近づくと「カーッ」と威嚇しますが、それでも、しょっちゅう見ていたり餌を貰ったりしていると憶えていて形式的な威嚇で済ませてますね。この子はカメラに興味があったようです。
この子は6羽組の1羽ですが、10羽組の1羽が消えました。いくら数えても9羽しかいない。親は淡々としているように見えるけど、やはり悲しむのかなァ。
車に轢かれたのか他の動物に襲われたのか。。。
悲しいです。
ついでに、
情けが仇・・・これがその間違った解釈に近いですね。
情けが過ぎれば仇となる・・・というのもあります。
ナルホド、と思うことです。
「人に情けをかければ、それが巡りめぐって自分のためになる」
確かに。母がそういうことを言っていました。
エスペランチストの誰かに言われたことがあります。
お世話になった人にお礼をするより、その感謝の気持ちを次の、世話を受けたい人に廻せば順繰りに、お互い面倒見られる。と。
受けた情けをバトンタッチと言うことで。これも然りと思います。