私のハーレーダビッドソン史

2006年06月17日 | Harley

 今迄、数千台のハーレーは販売したが、個人的にはハーレーの新車を3台しか購入していない。Flstftank1990年モデルFLSTF1990年に初代ファットボーイを購入した。日本現地法人の出来る直前、バルコムトレーディングが最後に輸入したハーレーだった。これには、いままで思い出せないない程のカスタムをしてきた。いわば仕事上でカスタム教材のような役割もしてきた功労車?2年程前からにナンバーを返納しメガ松戸の2階にディスプレーされている。替わりになるハーレーがあれば降ろしてきてまた乗ってみたいとも思うが、今となってはエヴォリューションモデルはいささか非力で、タンデムでの高速走行が可能になった現在、実用的でないと思う。まぁショベル位まで古ければ、また違った楽しみがあるのだろうが、今のエヴォは、旧車でもなく中途半端な存在かもしれない。

2004年型モデルFLSTS-C Cimg1413 14年間ファットボーイに乗り、初めてのツインカムに選んだのがヘリテイジス・プリンガー・クラシックだ。ファットボーイを会社に寄贈?したのでFLHRSと悩んだ末、48年パンヘッド風のこの車種を選んだ。この頃から規制対応マフラーなんて言葉を耳にするようになった時期なので、プロとして合法的にカスタムをどこまで出来るか挑戦してみたいとも思っていた。マフラーは黒い2イン1に拘ったので、メーカーに頼み込んで造ってもらったがサイレンサーに高熱を発する触媒を仕込んだら、艶黒のクロームの色が維持できなかったのでブラックモデルの市販は実現できなかった。

06_vrscd_2_us 2006年モデルVRSCD 昨年のコロラドデンバーの発表会で「これだ!」ってモデルに出会った。回転する展示台の上で見た。(この資料はフルカスタムの米国仕様)極太タイヤのリヤビューに心を奪われてしまった。元々新し物好きの私だから、エンジン設計にポルシェ社が携わったのVRODを「速くて静かなハーレー」として当初から受け入れていた。だからここ数年、売れ行きが良くないのもなんだか悔しかった。ナイトロッドの仲間入りと新価格で嘘の様に販売好調な今年、やっとVRODにハーレーの仲間入りができそうな存在感が身についてきた。エンジン等に大きな進化が無い限り、このバイクにはしばらく乗りたいと思っている。VRODに心を奪われしまった現在、スプリンガーを止む手放そうと思う。自分なりのセンスでカスタム施してきたこのハーレーはお勧めだ。3台維持することが不可能な訳ではないが、如何せん距離が伸びない。そこでこのスプリンガーが沢山乗ってくれる人の手に渡るといいと思っている。詳しくはここへ


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