子供の頃、祖母(名前は晴、私の名前は祖父と祖母の名前を並べて敏晴になったみたい。いい加減なものだ)に「お前は襟元にホクロがあるから、衣装持ちになるよ」ってよく言われた。祖母は明治の頃、行徳にあった船積み人足相手の飲食店 魚久(うおきゅう)の娘で「人が遊んでる時に働かなくちゃいけないから、食べ物屋さんにはなるな」って言ってた。その時代の料理屋は住居と店舗は一緒だろうから、年をとってもかなり酒も飲むし、踊りも上手、私をおんぶ紐でおぶってタバコを吸ってパチンコ屋に通うような人だった。
そんなんで、子供の頃から服飾に興味があったのだろう。