創業30周年に思うこと 組織が追いつけない成長時期

2015年07月31日 | 日記

 

1996年、いよいよHarley、BMW、DUCATIの御三家の販売権を得たので、最も台数の売れるハーレーダビッドソン専売の支店を松戸市の馬橋に出店した。

本店は営業のKに仕入れまで任せ、自分はメカニックのAと採用したばかりの従業員でハーレーを売りまくった。

面白いもので、Kに任せた本店と支店は良い意味で競争意識が生まれ、強力な商品力と相まって業績は右肩あがりだった。

やる気のある社員に権限を与えると、立場が人を育てるのだ。

全てが上手く行きかけていたが、仕事を終えて経営参謀のコンサルタントのAと打ち合わせをしていたら、入社五年目のサービス責任者Tから相談があった。

聞けば夫婦仲が悪く離婚するらしく自分が幼い娘を引き取るので、これまで同様の勤務が出来ないのとのことだった。

確かに松戸店開店披露のパーティーでも亭主への不満を愚痴っていたが、まさか離婚までとは思わなかった。幼い娘が聴覚に障害があるのに大変だろう。

どんな事情があろうが、父親が子供を引き取ること自体が普通じゃない。

高価なバイクを値引き販売せずに売りまくった時期だから、残業はあるがメカニックの収入だって今よりずっと高かった。

人員を増やして対策をしなければならないのだが、急成長で採用が間に合わず従業員1人あたりの負担が増えていた。サービス業だから週末に来客が集中する。

 

さて、Tの申し出をどうしたものか思案した。しかし、数年間共に働いていて気になっていたことがあった。

本来試乗車に入れるガソリンのポリタンクから周囲の目を盗んで、自分の通勤のバイクに燃料を入れていたTを度々見かけた。

交通費も支払われているのに、部下を持つ立場のTがすることじゃない。

他にも、技術講習会に通う交通費の事でも嫌なやり取りがあった。

サラリーマンだって自己投資は必要だと思う。

子育てを背負ったTを同じ賃金で雇用して皆で負担できるほど、小さな会社に人材は余ってなかった。

金の切れ目は縁の切れ目、Tとの雇用条件の折り合いは付かず退職することになった。

 

 こんなケースもあった。創業から勤めていたYが、「友人と四谷でJリーグバーを共同経営するので退職したい」との事だった。

話を聞けば漠然とした甘い計画で、上手く行くとは思えない話に他の仲間が降りてしまい、Yに話があったようだ。

共同経営のYの同級生は、創業時に8時間耐久に出したら帰って来なかったメカニックを頼ってRS250を持ち込んで許可無く整備して揉めた男で、練習で転んでレース活動は終わった。以来、バツが悪いようで店には寄り付かなかった。

説得してはみたが、Yの決意は固いので承諾した。

創業時に貢献してくれたのだから、「皿でも買えよ」って気持ちで、出来たばかりの退職金制度に上乗せして80万円を支払ってあげた。

その後、Jリーグバーとやらに様子を見に行ったが、安い人工芝を敷き詰めた店内は目の肥えた都内の客層に支持されるとは思えない残念な店だったから、一年もしないうちに閉店することになった。

その後Yは会社に戻って、整備士免許も取ってBMWの整備に従事してくれている。

グッドウッドを退職した人材は、他のディーラーでも働いているし、また出戻ってくる従業員もいるのだ。この辺を乗り越えられないと、年商10億円を超えられない。

続く・・・

 


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7月のお誕生日会

2015年07月30日 | 日記

 昨夜、行きつけの鮨屋さんで今月のお誕生日会を開催、新入社員から古参まで、ビールから日本酒まで何でもござれの酒豪揃い。

この企画、最初のスタートした店がここだった。


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創業30周年に思うこと 小さな会社に人材を集める

2015年07月29日 | 日記

 事業が上手くいきかけても、小さな会社になかなか人材が集まらないのは相変わらずだった。

専門誌に載せた広告の隅にスタッフ募集なんて出しても効果がないので、思い切って、権威のあるライダースクラブ誌に募集だけの広告を出してみた。(後に、この手法を真似た広告がずいぶん増えた)

すると、数枚の履歴書が届き始め、電話の問い合わせがあった。募集側の本気が伝わったのだろう。

 現在、グッドウッド二輪商会ナンバ-2で営業部長を勤めるKは大阪のカワサキの販売店で働いていた。

自費で三級整備士を取得し、外国車の販売で一から修行したいとのことだった。

大阪まで行き、勤め先の都島のカワサキ系販売店Oモータースの前から店を見てから、夕方、宿泊先のビジネスホテルで面接をした。

手書きのグラフで、販売店収益についてのレポートを熱心にプレゼンするKに「この青年と仕事がしたい」と直感的に思った。

小さなOモータースさんの店長が退職すると、お店が困るのではと聞くと「そのために自分の部下を一年以上かけて教育しました」とのこと、ますます気に入った。

どんな会社でも退職がある、理由は給料なのか、人間関係なのか、待遇なのかいろいろだが、自分の都合で辞めれば、それまで共に働いた同僚や、これまで働いた組織に穴をあけて迷惑がかかるが、普通はそんなことは考えずに辞表を置いて行くものだ。Kの計画性と責任感には感心させられた。

そして、自動車整備士から転職してきてくれた、TとAからも応募があった。

Tは既に既婚で、大型トラックの整備経験者、ハーレーダビッドソンに憧れる少年のような眼をしたAはスズキのディーラーからの転職だった。

創業時からのメカニックYはこの時点で整備士資格がなかったから、新人が入ったのを機会に陸運局の認証工場を取得、従業員が増えるとより稼がなければならなくて大変だが、念願の社員旅行をしたりで職場に活気が出始めた。

勢いがついて、「平均年齢27才の私たちです」なんて、これまでの販売の広告から会社の広告を出稿したりもしてみた。

老舗のディーラーのありきたりな広告を見慣れた読者に好印象だったようで、業暦の積み重ねよりも、若い経営者とスタッフの想いが伝わったようだ。

しかし、現実の雇用には大きな会社同様に規則や給与制度が必要になる。

そこで、外資系の総務人事を専門のA氏に就業規則の作成と、労働基準局(十名以上の会社は届出義務がある)への届出を一年あまりかけて行い、有限会社グッドウッドから株式会社グッドウッド二輪商会に変更した。あえて、旧い商会なんて社名にしたのは、老舗販売店へのコンプレックスの表れだったのだろう。

人材が集まれば、新たなエリアに出店して商圏エリアの拡大を考え始めた。

続く・・・


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創業30周年に思うこと 一冊の経営書

2015年07月28日 | 日記

 さて、ビジョンを現実させるのには、ヒト・モノ・カネが必要だ。 売り物は欧米の歴史有るブランドの製品だから申し分ない。 まだまだ保有台数も少なく、一部のマニアしか所有してないから、これらを所有することにオーナーは誇りを持てる。

 展示車や魅力的なショウルームにするには金がかかり、会計上は黒字でも「勘定合って金足りず」が常で、かなりの運転資金が必要だ。

当時はBMWモトラッドのディーラー権を取得するのに、試乗車二台、展示車五台、什器、工具や用品、消耗品の在庫をしても保証金を除けば、建物があれば、二千万もあれば開業が出来た。現在は、新規開業には建物、用地取得、在庫で二億五千万以上は必要だから、最近は資金力に乏しいバイク販売店からの出店は少なく、主に自動車ディーラーからの参入が多い。

また、急な中古車の仕入れ資金も必要になるから、銀行融資の方法としては当座貸越が良いと思うが、これは実績が無いとなかなか銀行の決済が取れず、最初のうちは資金がないので、中古車は一日も早く換金しなければならなかった。中古車は換金性が高いが、数ヶ月自社で持ちこたえれば利益になるのだが。

当時は、仕入れの支払いは銀行振り込みか小切手、大きな支払いは期日の数日前に振り込むが、文章振込みが手数料が安いのだが、数日前に資金を手配しなければならず、千葉興行銀行の窓口に振り込み一覧と小切手を持参すると、窓口の女性に「電信振込みでなくていいいんですか?」って毎月聞かれるのが、どうにも恥ずかしかった。

でも、この数日のゆとりを持って資金計画しておくことが結果的には良かった訳だ。小さな会社の場合、買掛金をあてにして、無計画に仕入れると資金繰りが行き詰まる。小さな会社には担保がないと、短期の運転資金すら融資を渋られるのだ。

創業時、たまたまバブル時期だったから、社屋や家を担保に入れると、担当者は「社長、金に色はついてませんから、外車を買うなり、名目は異なっても遣ってください」なんて、浮かれた時代だったから、少し儲かりだした1990年くらいには借り入れでポルシェを買った。小さな会社の経営者は、好きなことを励みに頑張るのだ。

10億20億と売り上げが多くなり、自己資本も積み重ねられ、業歴も長くなり、返済の実績を積み重ねると、銀行の融資はこちらに有利な条件で調達できるようになり、他行との競争原理も働くから、尚更低金利で調達できる。でもなかなか10億を越えるオートバイ販売店は少なく、三億ちょいも売れば、現状維持に満足してしまうケースが殆どだ。

こんな、小さな会社を大きな会社にしたいと悩む経営者に良く売れた本で、学者や評論家が書いた本でなく、ある日、本屋の棚から手に取った経営書があった。著者自身が、出版社を起業した体験を書籍にした「11人までの小さな会社の社長業」を読んだ。※初版は1990年、後に「社員パート30人までの小さな会社の社長業」も出版された。この二冊の本は今でも私のデスクに置いてある。

 書き出しに、家業、生業から会社運営に変わるのが、11人からだと書いてあった。そして、法人税を払い社会的認知度を上げると資金と人が集まるものだと、説いてくれた。

数年前、著者の石野誠一さんと電話でお話しする機会があった。現在は出版社をご子息に譲られたようで、「この本に勇気付けられました」と伝えると、喜んでいただき「既得権体質の二輪輸入車業で、若手だった関口さんの会社の成長は伝え聞き気になっていましたが、私の読者だったとは知りませんでしたが、大変嬉しいです」と言っていただいた。

さて、経営者としての考え方は理解できた。でも、問題は小さな会社には集まらない人材、この葛藤については次回。続く・・・・


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ドイツのバイク市場

2015年07月27日 | 日記
ドイツのモトラッド誌のFacebookに、国内の毎月販売台数が掲載される。
1月から6月までのR1200GSの売れ行きはダントツだった。
RNineTも健闘で、日本市場同様にBMWの好調が伺える。イタリア勢のスクランブラーの10位は凄いと思う。

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