ぶらっと散歩

訪れた町や集落を再度訪ね歩いています。

周南市の呼坂から勝間の旧山陽道

2023年11月07日 | 山口県周南市

        
                この地図は、国土地理院の2万5千分の1地形図を複製加工したものである。
         呼坂(よびさか)は島田川の支流である中村川の上流域に位置する。地名の由来は、町が東
        西にV字形の坂上にあって、坂下へは呼び声が手近く、よく聞こえることによるという。
        また、坂が海老のように曲がっていることから海老坂と呼び、これが転訛して呼坂となっ
        たという説もある。
         勝間は笠野川の支流である中村川流域の盆地に位置する。地名の由来を地下(じげ)上申は、
        天竺の昆首羯摩という人が作った仏像があることから、羯摩(かつま)村と呼び、豊臣秀吉が
        寄宿したことにより勝間に改めたという。(歩行約3.6㎞・🚻は高水駅、勝間駅のみ) 

        
         JR徳山駅から防長バスゆめプラザ熊毛行き約55分、原バス停で下車する。今回は3
        6停留所を経由するが、車では凡そ通ることのない場所を巡るバス旅はおもしろい。

        
         バス停から引き返し交差点を右折すると、左手に寺嶋忠三郎誕生の地を示す案内板があ
        る。

        
         西原集会所には寺嶋忠三郎生誕地碑と辞世の句碑、76番札所および刀山寺嶋先生碑(裏
        側に靖国神社に合祀、正四位を贈らる)と刻まれた石碑がある。

        
         1843(天保14)年寺嶋忠三郎は呼坂で生まれ、16歳で吉田松陰の門下生となり尊攘
        運動に身を投じる。1864(元治元)年7月の蛤御門の変で敗れ、鷹司邸で久坂玄瑞と刺し
        違えて自害する。享年21歳。
         辞世の句 
           賊勢 潮の如く砲雨飛ぶ
           快なるかな我が死心と達す
           日向草木秋まさに残(そこなわ)
           首養なお期す晩暉(ばんき)を留めんことを 

        
         狭い里道を抜けると旧山陽道の緩やかな下り坂に合わす。ここに街道らしい町並みがあ
        り、右手の屋敷はかって西原庄屋であったK宅とされる。

        
         左手に兜造りの大きな民家。 

        
         旧熊毛町章の周りにナベヅルが描かれたマンホール蓋。

        
         過去に路地を入って行くとT家の方がおられて快く家前を通していただいたことがある。
        生誕地の経緯についてお聞きすると、この地が寺島忠三郎の生誕の地であって、集会所は
        碑が設けられただけとお聞きしたことがある。
         今回は声掛けしたが不在のようで、畦道を利用して墓地のある場所へ上がる。

        
         崩れかけた石段を上がると、この付近に寺があったようで坊主墓と寺嶋家と刻まれた墓
        がある。

        
         墓は閉眼供養を終えているとのこと。左が忠三郎の髪の毛が納められていた墓で、右手
        が弟の直道の墓。忠三郎の墓は京都にあるという。

        
         街道はV字型になっている。 

        
         時に古民家が見られる。

        
         交差点から中村川までは下り坂。

        
         右手にある橿原(かしはら)神社は、平安期の811(弘仁2)年9月に紀伊国熊野神社より勧
        請し、初め関屋の森重山に鎮座する。その後に呼坂市の西端に移動し、年代は不詳だが当
        地に遷座したという。

        
         鳥居の周辺には金毘羅権現の他、八十八ヶ所札所などが祀られ、向い側には日清凱旋記
        念碑がある。

        
         社伝によると王子権現と称していたが、明治になると大権現は仏道であるので解消すべ
        しとされる。神武天皇東征の折に呼坂に一泊した故事にちなんで、1873(明治6)年に橿
        原神社と改める。

        
         参道入口にある古民家。

        
         中村川に架かる橋が見えてくる。

        
         河内家は代々庄屋・大庄屋であり、家業として酒造業を営む。天明年間(1781-1789)頃
        に本陣を引き受け、江戸末期まで続いたという。

        
         呼坂宿は人足49人、馬15疋が置かれ、不足の時は原集落などより調達されていた。
        大名・公家などが宿泊する本陣であったが、宿泊は少なく休憩所にあてられた。

        
         中村川の先からは上りとなっている。川を挟んで西側が西町、東側が本町である。

        
         正式な宿場町として発展したのは近世に入ってからで、初めは西側丘陵の場所(古市)に
        あり、やがて現在の場所に移転してきたそうで、大きな町家も現存する。(かって漢方薬店
        を営んでいK家)

        
         藩政時代には呼坂御米蔵の余剰米が大坂市場で売却されていた。運搬経路は呼坂橋の袂
        から川に沿って枝往還が南の安田に通じ、ここから島田川の川舟で光市浅江の河口に送り、
        本船に積み替えて室積の米倉庫へ運ばれていた。
        
        
         橋左手の二軒目に、木戸孝允の祖父で町医者の藤本玄盛(げんしょう)の旧宅があったよう
        だが解体されていた。

        
         右手には吉田松陰・寺嶋忠三郎訣別の碑がある。1859(安政6)年に江戸送りとなった
        吉田松陰が、6月3日に呼坂宿へ到着する。見送るため橋の袂まで出向いたが、人垣の中
        から師を見送るだけであったとされる。
           手前の石碑には
               かりそめの 今日の別れは幸なりき 
               ものをも言はば 思いましなん  松陰

               よそに見て 別れゆくだに 悲しさを 
               言にも出でば 思いみだれん  忠三郎 とある。 

        
         呼坂宿西市の松屋小路入口に市戎があったが、往還改修の際に山田屋の裏庭に遷した。

        
         小路に入ると塀越しに銅板葺きの屋根が見えるが、これが市戎のようだ。

        
         山田屋さん隣の立派な門構えは、地主だった石光家だが現在は無住とのこと。

        
         右手の門構えは旧庄屋宅で屋号を松屋という。(木村家)

        
         手前から門構えのH家、元ミシン商会、玩具店と続く。

        
         旧山陽道は直進して古市へ向かう。

        
         西善寺(真宗)は本陣が宿泊にあてられた際、脇本陣として宿泊の用を承る。
         1831(天保2)年防長全域にわたる大一揆では、9月21日から24日にかけて呼坂村
        ほか7ヶ村の農民300余名が同寺に集まり、呼坂村と大河内村の庄屋・富農宅を打ち壊
        した。 
         要因は、藩が財政難打開のため安い値段で特産物を買い上げる「御内用産物方」を設置
        した。この制度は専売制の強化策であったことや、吉敷郡小鯖村の皮番所で、産物方用達
        が禁忌を犯して動物の皮を持ち歩いたことも契機となった。 

        
         交通の難所の1つとされた坂道は、距離は短いが大変な急カーブ(通称コックリ曲り)が
        ある。上がれば呼坂が一望できる。

        
         古くは古市に宿駅があったが坂の下に町屋が移り、江戸中期頃に坂の下が宿駅と定まっ
        た。(右手に一等水準点・標高71.1m) 

        
         古市の西端に火伏地蔵。

        
         国道2号線を横断する用水路。

        
         下って行くと国道2号線に合わすが、岩徳線は古市トンネルで古市の下を通り抜けてい
        る。街道は線路の左側を通っている。

        
         岩徳線のトンネル上を越えると「トンネルの強度不足につき車両通り抜け禁止」とあり。
        街道は鉄道敷設により寸断されて遠回りしなくてならない。

        
         岩徳線大江踏切を過ごすと呼坂大江地区に入る。

        
         少し国道歩きとなる。

        
         歩道橋がある所で街道筋の勝間集落に入る。

        
         勝間は亀甲模様に旧熊毛町の町章が入ったマンホール蓋である。
      
        
         国道2号線の裏道になったためか寂しい通りとなっている。

        
         四差路から右手を見ると、こんもりとした森に熊毛神社が鎮座する。

        
         国道2号線から灯籠の並ぶ参道を進む。

        
         熊毛神社の創建年代は不詳であるが、奈良期の738(天平10)年の周防国正税帳に「熊
        毛神社に稲四十束の臨時祭祀料奉献」とある。延喜式神名帳には熊毛郡では石城神社とと
        もに式内社として記載されているが、その後の変遷はつまびやかでない。
         鎌倉期の1245(寛元3)年の大内弘貞社領安堵状には勝間八幡社とみえ、これ以前に勝
        間八幡社とよばれていたと思われる。
         内藤氏や毛利氏などの厚い崇敬を受け、1870(明治3)年熊毛神社と社号を改める。現
        在の社殿は明治期に再建されたものである。 

        
         JR勝間駅は盛土上にあって、勝間の町並みを眺めることができる。

        
         1934(昭和9)年に周防花岡駅と高水駅の開通と同時に開業する。ホームは徳山に向か
        って右側に単式1面1線であるが、左側にもホームのようなものが残されている。 


山口市秋穂の串山遊歩道に青い海と空

2023年11月01日 | 山口県山口市

                
                この地図は、国土地理院の2万5千分の1地形図を複製加工したものである。
         秋穂(あいお)は周防灘に突き出た地で、東は大海湾、南は周防灘、西は秋穂湾に面する。
        その中央を北の大海山から経納山、南部に串山連峰が突き出て東西に二分する。串山遊歩
        道とされる峰は南北に細長く形成されている。(歩行約5.3㎞) 

        
         JR防府駅(9:05)から防長バス秋穂漁港行き約40分、秋穂総合支所前バス停で下車す
        る。

        
         バス停から引き返すと遊歩道を示す大きな看板がある。秋穂コミュニティセンター(にこ
        にこ館)があるので車だと駐車可能である。(柵のある左道を上がる)

        
         この地には、1984(昭和59)年に閉校した山口県立山口農業高校秋穂分校があった。
        (遊歩道入口は左手) 

        
         入口には「秋穂荘まで3㎞」と案内されている。

        
         上り始めるとすぐ右手に宝篋印塔と坊主墓がある。宝篋印塔の傍には「円城比丘供養之
        碑」「天明元年(1781)5月7日この地にて御入寂」とあるが詳細を知り得ず。

        
         見上げると山頂まで続くのではと思われるほどの階段である。

        
         秋穂 花巡礼 八十八串山連峰コースの花見表が設置されている。春夏秋冬に区分され
        て33ヶ所に設置されている。

        
         小さなタブが点々と取り付けてあるが、145個取り付けてあるというので20m間隔
        と思われる。

        
         少し下って登り返すと標高117.3mの善城寺山山頂に到着する。四等三角点の先に展
        望が広がる。

        
         善城寺山の東面には小浜山と日地山、入り込んでいるのが青江湾で、1957(昭和32)
        年に湾口は閉め切られて埋め立てられる予定だったようだが、農地化されず湖面を見るこ
        とができる。

        
         北東方向に大海山と大海湾、その先に防府の山々。

        
              単なる石柱と思っていたが、「出会いー88」という芸術作品だそうだ。秋穂には八十
        八ヶ所霊場があり、
札所周辺より採取した石を遊歩道に沿って置いたという。

        
                 コミュニティセンターより1㎞地点。

        
         展望はないが樹間から陽が差し込む明るい稜線である。

        
         善城寺山から下って少し登り返すと右手に展望地がある。

        
         下山後に歩く花香集落と秋穂湾。

        
                 山の上とは思えない遊歩道である。 

        
        
         さらに進むと左手に展望岩があり、善城寺山から見た角度とは違うので足を止める。

        
        
         コミュニティセンターから1.4㎞地点の先が展望地。西側に秋穂湾一帯の展望が得られ
        る。

        
         展望地から少し登ると東側に中道海岸、前方に行者嶽の山頂を示す鉄塔が見える。

        
         少し下って登り返すと露岩が見られるようになり、その岩上で生長する松の木が見られ
        る。 

        
        
         秋穂荘まで1㎞の距離標を過ごすと左手に大岩があり、大岩から中道海岸が見えるよう
        になる。

        
         串山連峰といわれるので多少のアップダウンがある。

        
         今度は西側に大岩があって、秋穂湾と秋穂の町並み、山口湾と周防大橋など見飽きない
        展望が広がる。秋穂は日本で初めて車エビの養殖が行われた地であり、1963(昭和38)
        年この地に山口県内海栽培漁業センターが設置され、車エビの他、瀬戸内海に生息する漁
        種の種苗や培養が行われている。

        
         ロープが張られている場所が行者堂跡への道と思われる。(先に行者嶽)  

        
         坂を上がると山頂には、標高151.7mを示す三等三角点がある。

        
         山頂には四阿とベンチが設置されており、海を見ながらランチが楽しめる。

        
         眼下には白砂青松の中道海岸と赤石鼻が見られる。日本の白砂青松100選というのが
        あるそうで、山口県では虹ケ浜海岸が選定されているが、白砂と青い海は引けを取らない。

        
         少し北側に目をやると日地山の海側が見えるが、採石場とされて山形が崩れつつある。

        
         潜り岩を通って西側に出ると、岩上に展望台が設けてある。

        
         秋穂湾の先に臼美遊歩道と岩屋の鼻、山口湾の先にきららドーム。

        
         串山連峰の尾根に沿った最南端にあるのが草山で、尻川と中道に挟まれた標高116m
        の頂上には、白い灯台が設置され公園化されている。
右手の小島は周囲1.9㎞竹島で、島
        全体が魚付保安林に指定されている。

        
         左手が「行者様」への道で約80mの距離と案内されている。

        
        
         案内によると大岩の下に祠には、行者を中心にこの地方の安全のために蔵王権現、不動
        明王の3体の石像と、海上安全の金比羅権現、火災予防に愛宕権現と秋葉権現の各石板碑
        がある。かって祠前の広場にお堂があったとのことで瓦が残されている。

        
         遊歩道に戻り舗装道を下って行くと、国民宿舎あいお荘の駐車場に出る。 

        
         秋穂荘バス停にバスが待機していたが、1便遅らせて車道を下る。角度は違うが秋穂湾、                    
        岩屋の鼻やドームが見える。 
                 
         
          下山途中にはウガ・ドラヴア(1954-   )のアート作品2点が展示されている。「個虫の
         形成物」と「おみくじゲート」だが、彼はラトビア生まれでカナダに移住しているとされ
         るが、旧秋穂町の関係は知り得なかった。

         
          下って行くと花香地区の入江が見えてくる。

         
                 県道25号線(宇部防府線)に入ると、菜の花がデザインされた旧秋穂町のマンホール蓋。

         
          花香集落の中心部通り。 

         
        
         集落内は見るべきものはなかったが、秋穂八十八ヶ所霊場の81番・花香南大師堂があ
        る。海辺にも祠があったが詳細不明であった。 

        
         秋穂の海岸沿いには、古くから採石場が点在し、右手の花香山もその1つで、山頂に花
        香灯台があったが、採石の関係で草山に移転する。
         花香山の東麓に小さく見えるのが「猿岩」で、奇形な形をしているという。(海に浮かぶ
        島は竹島)

        
        
         海岸から見る草山。四差路に戻って花香バス停(13:15)よりJR新山口駅に戻る。