ぶらっと散歩

訪れた町や集落を再度訪ね歩いています。

防府市の右田ヶ岳に中世の山城跡と摩崖仏 ② 

2023年11月28日 | 山口県防府市

               
         平坦地を過ごすと正面に岩稜が迫る。

        
         上りに入ると岩場の急登が始まる。(コース最大の難所) 

        
         岩場を登って見返すと石船山と防府平野。

        
         更に岩道が続く。

        
         西(南)の峰を近くで仰ぐようになる。 

        
         8合目とされる分岐は左手が西の峰の直登コースだが、従来の道を辿ることにする。

        
         やがて西(南)の峰と中の峰の鞍部に上がる。

        
         本丸跡から高さ6mあまりの坂を東に下ると、東西22m、南北7mあまり、約165
        ㎡の平地が二の丸跡という。平地はここだけなので二の丸跡と推測してみる。

        
         平地から少し上がると西の峰である。

        
         西の峰の頂上には東西約18mの平地に右田ヶ岳城本丸があったという。右田氏は大内
        氏16代大内盛房の弟・盛長を祖とし佐波郡右田荘を領した。鎌倉時代の末に築城されて
        右田氏累代の居城とされる。

        
         右田の地は中世山陽道に接近し、西は山口街道、東は石州街道の要所を占める地形にあ
        り、山口を本拠とする大内氏にとっては防衛の第一線をなすものであったと思われる。(本
        丸の最南端に前嶽) 

        

         大内氏の終わり頃の天文年間(1532-55)には右田氏の勢力は衰え、右田岳城は内藤興盛と
        その子隆世が守った。

         室町期の1557(弘治3)年3月大内義長を攻めるために、毛利元就の軍が若山城に移陣
        するに及んで、内藤隆世は高嶺城に入って義長と合し、右田岳城には右田隆量・野田長房
        籠め置いた。隆量・隆俊親子は毛利の誘いに応じ、野田長房は守りを捨て山口に合した。
        その後、右田岳城は家臣の南方就正が入り300人を添えて守らせたという。(右田の山口
        街道筋) 

        
         中の峰には観音堂跡はあるというので上がってみることにする。(途中より西峰)
       
        
         急登を這い上がると山頂(標高426.0m) 

        
         中ノ峰は巨岩上にある。

               
         山頂の北側にある石垣は観音堂の遺構とされる。この後側に城の生命線ともいえる湧き
        水があったとされる。

        
        
         山頂から見る風景だが霞んではっきりしない。(上が中心地、下が佐波川河口)

        
        
         下りは石の造形を見ながら下る。 

        
         今にも倒れそうな石を見ながら高度を下げる。

        
         平坦な場所まで戻って摩崖仏を見ながら下る。

        
        
         番号は刻字されていないが多羅尊観音で、インド神話の女神が源流とされ、雲に乗り偉
        大な母のように優しい心で、人々の煩悩(欲望や迷いの心)から救うとされる。施主は下関
        市岬之町、西村‥ 大正12年(1923)3月と刻まれている。

         
         20番の六時観音は、慈悲心が24時間常に衆生に注がれていることを象徴する観音で
        ある。法衣をまとい、右手にお経の入った梵筺(ぼんきょう)、左手に摩尼宝珠を持つ立像と
        される。
 

        
         石船山山頂(標高194m)から彼方に山頂があるので、最初にここから見ると挫折した
        かも知れない。

        
         石船山山頂には、曹洞宗大本山永平寺の第64代貫主・森田悟由禅師(1834-1915)筆跡の
        「般若心経」が自然石に彫られている。 

        
        
         般若心経を見て下ると右手に案内板があり、ここには4つの摩崖仏がある。登山道側に
        あるのが22番の延命観音で、水辺の岩に寄りかかり、右の手のひらを頬に当て、水流を
        眺める姿で表現されている。呪いや毒の害を除き、寿命を延ばすことにご利益があるとさ
        れる。

        
         21番の葉衣(ようえ)観音は、古代インドのシャバラ族の衣装とされるパラーシャ樹の葉
        をまとい、左手に羂索、右手に杖、右膝を立て赤蓮華に座る姿で表現されている。病や災
        いから仏教の信者を守るとされる。 

        
         23番の魚(ぎょらん)観音は、大きな魚に乗ったり、魚を手に持ったりして災いを消滅
        させる。起源は中国で魚売りの美女が観音様であったという説話にもとづくとされる。施
        主は下関市田中町の人で、大正13年(1924)と刻まれている。

        
         20番の瑠璃(るり)観音は、水に浮かぶ大きなハスの葉に座り、香炉を手に持って、病や
        災いを消滅させる。薬師如来の化身(生まれ変わり)とされる。

                
         25番の一葉(いちよう)観音は、水に浮かぶ一葉の大きなハスの葉に乗る姿で表現され、
        人びとを水難から守ることにご利益があるという。  

        
        
         31番の馬郎婦(ばろうふ)観音は、右手に法華経、左手に髑髏(どくろ)を持つ美しい天女の
        姿を表現されている。仏教を信じない人たちに教えを導く。仏さまに通常は性別がないそ
        うだが女性とはっきりしている。馬郎婦とは中国北方の騎馬民族の夫人に対する呼称だそ
        うだ。施主は下関市岬之町の人で、大正11年(1922)11月15日とある。

        
         右手の枝道に入ると2つの観音像が並ぶ。右が一如観音、左が能静観音。
       
                
                  27番の一如観音は、雷を制するように雲に乗って空を飛び、空にかかわる災難から人
        びとを守るとされる。 

        
         29番の蛤蜊(こうり)観音は、大きなハマグリに乗って海を渡る姿で表現され、漁師の
        安全を祈っている。「ハマグリ観音」とも呼ばれる。

        
         蛤もしくはおむすびの形をした岩は、傾斜のある台に上にあるが転げ落ちないのが不思
        議である。
      

        
         3□番の不二(ふに)観音は、天衣をまとい水中に立つ姿で表現され、衆生を災害から守り、
        「慈悲(優しさ)」と「怒り」の2つの心で人びとを導く。金剛力士に変身するとされてい
        る。

        
         33番の灑水(しゃすい)観音は、右手に柳の枝を持ち、左手に香水の入った水瓶を持つ立
        像で表現されている。灑水とは密教で加持した香水で煩悩や穢れを清める儀式のこと。そ
        のため煩悩や穢れを除くご利益があるとされる。
         1番の楊柳観音を除けば、巨岩に刻まれたすべての観音摩崖仏は現存するが、刻字され
        た番号はダブったり欠落番号があったりはする。摩崖仏には色彩が施されていたと思われ
        るが、消え失せてしまったようだ。

        
                  右田小学校前で容易に登らせてくれなかった右田ヶ岳に一礼し、塚原バス停(14:51)より
                JR防府駅に戻る。
      


防府市の右田ヶ岳に中世の山城跡と摩崖仏 ① 

2023年11月28日 | 山口県防府市

                
                この地図は、国土地理院の2万5千の1地形図を複製加工したものである。
        右田ヶ岳は防府市北西部に位置する山。佐波川下流の右岸にあって、右田平野に臨み、岩
       峰地形を成す。黒雲母花崗岩からなり垂直の節理が発達し、岩壁が高峻奇峰の山容をつくり、
       地肌は白く見える。
        この山には西峰に右田ヶ城跡と、石船山周辺の巨岩に刻まれた33体の摩崖仏(1つだけ摩
       崖仏でない)がある。(歩行約4.6㎞、🚻参道脇より右田小学校使用可) 

        
         JR防府駅から防長バス堀行き約8分、塚原バス停で下車する。(10:00)

        
         バス停付近から見る右田ヶ岳は、左から石船山(せきせんざん)、小ピーク、西(南)の峰、
        中の峰、東(北)の峰へと続いている岩峰である。

        
         お目当ての1つである天徳寺の大銀杏は、この2~3日の強風で落葉していたが、それ
        でも見応えのある姿を見せてくれる。

         
         天徳寺は源頼朝が創建したと伝えられる古刹で、右田毛利氏の菩提寺でもある。寺の左
        手から登山道に入ると石灯籠までは石段が続く。

        
         2つ目のお目当ては、33体の観音摩崖仏を見て歩くことである。観音堂には1番の陽
        柳(ようりゅう)観音が祀られていると思ったが、観音様は当初より彫られておらず、「聖観
        世音菩薩」をもって充当したのではないかと案内されている。
         もと右田ヶ岳中の峰にあって周防国三十三観音霊場25番札所とされ、1872(明治5)
        年現在地に移転し、岩に観音像を彫って遥拝所とする。陽柳観音は病苦からの救済を使命
        とし、右手に柳の枝を持つのでこの名がある。

        
         観音堂の右手には8番と刻まれた水月観音で、形像は一定しないようだが、天の月と水
        面に映る月を見ながら手に楊柳と瓶を持つ姿とされる。財宝や旅行中の安穏にご利益があ
        るという。

        
         観音堂の先に大きな石灯籠が立ち展望が開ける。

        
        
         2番の龍頭観音は、龍の背中に乗り、災難を取り除き、吉祥と平安を与えるとされ、さ
        らに恵みの雨を降らせたりするとされる。

        
         3番の円光観音は背後で円光を輝かせ、念珠を以って合掌し盤石に趺座する。能(よ)
        災風火を伏し、世間を明るく照らすとされる。(この付近に3体が並ぶ) 

        
         4番の白衣(びゃくえ)観音は、純白の衣をまとい、一切苦悩を吉祥に変え、さらに消災や
        延命、平安、安産を授けるご利益が経典に説かれているため、子供の死亡率が高かった時
        代に女性たちの間で信仰の対象になったという。(下の四角は施主の住所、氏名、日付が刻
        まれている)

        
         5番の持経(じきょう)観音は、盤石に座り右手に経典、左手は膝の上に置く姿で表現され
        ている。仏の声聞を聞きながら得度に励んでいる人を表しているとされる。 

        
        右が蓮臥観音、左は施薬観音。

        
         7番の蓮臥(れんが)観音は、蓮華座に乗って合掌して横向きに座る姿で表現され、人びと
        の幸せを願っているとされる。

        
         これも7番と刻まれた施薬(せやく)観音で、右手は頬に当て肘を何かに寄りかけ、左手に
        薬草を持つ姿で表現されている。病を治し、苦痛を取り除くことからこの名がある。

        
         9番の威徳観音は、盤石上に趺座し左手に蓮華を持つ姿で表現されている。困難を切り
        開くことにご利益があるとされる。

        
         右田地域おこし協議会の案内板から左の枝道に入る。 

        
        
         31番の持蓮(じれん)観音は蓮華座に立ち、両手で一輪の蓮の花を携えた姿で表現されて
        いる。華を支えながら、人びとの心を美しく咲かせることを誓っている。

        
        
         案内では未完成と記載され、消去法で18番の岩戸観音とされる。蛇などの毒虫が棲む
        岩窟の中で入定(瞑想)している姿で表現される。どのような毒(悪い心)でも消し去ること
        ができると説いている。

        
        
         10番の遊戯(ゆげ)観音は左膝を立て左手を膝に置き、右手は人差し指で地面をさした印
        相(降魔印)で、彩雲に乗る姿で表現され、自由自在に人びとを導くとされる。

        
         11番の阿耨(あのく)観音は盤石の上に左膝を立て、両手を交差させて遠くの海を眺める
        姿で表現され、人びとを水難から守るとされる。

        
         登山道に合流して下ると左手に枝道がある。(上り方向を撮影したので枝道は右)

        
        
         12番の滝見観音は岩の上に座って滝を見る姿で表現され、降雨にご利益があるとされ
        る。

        
        
         12番の普悲(ふひ)観音は両手で法衣の前垂れを持ち、山の上に立つ立像で表現されてい
        る。すべての人に慈悲(優しさ)を注ぐとされる。

        
         14番の阿麽堤(あまだい)観音は造形がはっきりしないが左足を曲げ、右手を垂らした姿
        と思われる。一切の三障四魔や衆悪を取り除き、道を切り開くご利益があるという。

         
        
        
         一部切り立った場所もある。

        
         岩を越えて急峻な坂を下ると摩崖仏2つ。

        
         15番の衆宝(しゅうほう)観音は地上に趺座し右手を地につけ、左手を膝に乗せ、法衣に
        たくさんの宝石をちりばめた姿で表現されている。一人でも祈れば他の人も救われると説
        き、富貴繁栄の現世にご利益があるという。 

        
         16番の青頸(しょうけい)観音は、もともとはシヴァ神(インドの破壊の神様)が仏教に取
        り込まれて観音になったという。魔から衆生を救済するために人の害する毒を食らい、そ
        の毒で首が青くなったとされる。

        
         正面に多々良山と天神山、白い線は佐波川と新幹線。

        
        
         17番の合掌観音は蓮華座に座って合掌した姿で表現されている。仏教では右手が浄土、
        左手が衆生を意味し、合掌で仏と一体なる帰依を象徴している。人びとのお手本となるよ
        う自ら拝んでいる。

        
         矢筈ヶ岳と大平山、手前に右田の集落が広がる。 

        
         18番の徳王観音は盤石の上に趺座、右手に柳の枝を持ち、左手を臍(へそ)に添えた姿で
        表現されている、常・楽・我・浄の四徳を備え優れているので、この名がついたという。
        出世栄達にご利益があるとされる。

        
         登山道に合わし、ここでひとまず三十三観音巡りを中断して右田ヶ城跡を目指す。