この地図は、国土地理院の2万5千分の1地形図を複製・加工したものである。
津黄(つおう)は日本海を北面にする地で、海食崖が高さ250mをなす中にあって、入江
奥のすり鉢状に集落を形成する。
地名の由来について、風土注進案は向津の奥だから津奥(つおう)で、奥と黄の音が似てい
ることから津黄となったのではないかと推論している。(歩行3.0約km)
津黄地区への公共交通機関は、デマンド交通(予約制)のため利用できない。やむを得ず
車で訪れたが、漁港付近の駐車地は住民用とされているので、津黄大橋近くの空地を利用
させてもらう。
大橋から見る元乃隅神社と竜宮の潮吹がある岩場。
橋を渡り終えると右手に厳島神社。
厳島神社の由緒については知り得ず。
1968(昭和43)年漁港関連道路が魚市場まで完成し、後背には県道が整備されて、今
では元乃隅神社への観光車両が利用する。
漁港前がデマント交通の乗降場。
津黄浦の漁業は捕鯨に特色があり、1699(元禄12)年立石・津黄鯨組を創設し、幾度
か中断しながら明治中期頃まで操業していた。現在はいか釣りを主体とするようで、漁船
に集魚灯が設けてある。
港は狭いが深く、嵐の時に打ち寄せる波が大きくて高いため、以前は港内でのつなぎ船
が不用心で浜に引き上げて繋いでいたとのこと。
1962(昭和37)年から数次にわたって漁港の整備が施行され、大型防波堤の構築、港
内の拡充と施設の整備がすすめられた。港入口には波消しブロックが高く積み上げられて
おり、波の高さを計り知ることができる。
津黄漁港の西方500m付近の海食崖に、「竜宮の潮吹」とよばれる国の天然記念物が
ある。その途中に「南無阿弥陀仏」と刻まれた石碑が、海を拝む形で建てられている。海
難事故なのかわからないが鎮魂の碑のようだ。
一帯は第四紀洪積世(現在より約200万年~1万年前)の玄武岩からなり、潮吹きは打
ち寄せる海の激浪が岸壁の孔内に突入し、気象条件が揃うと海水を最大30mも吹き上げ
る噴潮現象を見せる。その様子が竜が天に向かって昇る様から「竜宮の潮吹」といわれる
ようになったとか。
竜宮の潮吹は気象条件が悪く見ることができなかったが、その反対側の元乃隅神社には
多くの観光客が押し寄せていたのにはびっくりする。以前は中腹に石鳥居と小さな祠があ
って、津黄側からの階段があるのみであった。
1955(昭和30)年地元の網元がお告げにより建立した個人所有物で、1987(昭和6
2)年から10年かけて123基の鳥居が設置されたとのこと。
もとは元乃隅稲荷神社だったが、外国人観光客にも覚えやしようにと現神社名に改称さ
れた。
米国のニュース専門局のCNNが、2015(平成27)年3月「日本で最も美しい場所3
1選」として紹介したことで観光スポットになったようだ。
山からの雨水は水路で海へ注ぐのだが、その途中が崖のため滝のようになっている。
すり鉢状の地形に家が密集し、家々を結ぶ道は狭くて急坂である。
2つの生活道には商店があるが、こちらはすでに廃業されている。
曲がりくねりながら山手に延びる道。
漁港と津黄大橋。
山手の県道に近い住宅は、軽自動車が進入できるほどの道幅である。
2つの生活道は横道で繋がっている。
橋のある道がもう1つの生活道。
見返ると先ほど歩いた家並みが広がる。
生活道から枝分かれして各家を繋いでいる。冷蔵庫など重たいものは、業者さんが二輪
運搬車を利用して複数人で運び込むとのこと。
生活道を下ると川傍に谷村商店。
郵便局は開局されておらず、漁協津黄支店があるものの毎日の営業ではないようだ。
大橋に設置された吹き流し標識。棒と吹き流しの角度によって、受ける風速の強さが表
示されている。ちなみに大橋の強さは、概ね62度なので風速6m/S(秒)である。