ぶらっと散歩

訪れた町や集落を再度訪ね歩いています。

周防大島の神浦は揚げ浜塩田があった地 

2021年02月05日 | 山口県周防大島町

       
                 この地図は、国土地理院の2万5千分1地形図を複製・加工したものである。
        神浦(こうのうら)は屋代島の北海岸(内海)東部の入海砂州に立地する。地名は浦中に疫神
       の新宮大明神、浦沖に弁財天が古くから祀られていることから神浦と名付けられたとい
う。
        域内は浜の市の他に、東・西、ワキ、サンギヤの6地区からなる集落で、18世紀中頃、
       
他の集落と同じように揚げ浜塩田が盛んに行われた地でもある。(歩行約1.8㎞)

       
        内海と外海の地を散策することにしたが、バスは1日3便と少ないため車で訪れる
(横
       断歩道の所に神浦バス停)

        
        1889(明治22)年の町村制により、神浦、和佐、森、平野村の4ヶ村が合併して森野
       村となる。その後、東和町を経て、現代は周防大島町神浦である。バス停前にあった店も
       閉じられたようだ。

       
        周防大島は金魚の形をした島であることから、金魚島と呼ばれているそうだ。東西に長
       く神浦は尾びれの部分に位置し、
山は急峻ではないが、雨水を海に流すための水路が域内
       に数本見られる。

       
        住宅は海に背を向けて建っている。

       
        海からの強い風と波によって屋根の破損を防ぐため、瓦は漆喰で塗り固めてある。

       
        東端から見る集落の海岸線。堤防と波消し
ブロックで大波対策がされている。

       
        静かな域内に飛来して爆音を残して飛び去る。

       
        集落の東端に新宮神社。

       
        神社の由緒がないのでわからないが、「新宮」とあるので熊野三山の熊野速玉大社(新
       宮)に関係するのか、新しくこの地に社を移したので、新宮と名付けたという2つが考え
       られる。

       
        旧道に入ると住宅入口に樹木の潜り門が見られる。

       
        門構えのある家の手前には、海へ通じる路地の中央に井戸と、その横には塀と石柱に支
       えられたタンクが置かれているが、防火用に関係するものだろうか。

       
        門構えのある民家。

       
        白く見えるほどに塗り固められた屋根。

       
        2010(平成22)年度調査によると、35の世帯数・人口61人の集落であったが、1
       0年も経過しているのでもっと減少していると思われる。(旧道から山手側に入ってみるが
       空家が目立つ) 

       
        ガスボンベはセットされているが雨戸は閉じられている。

       
        中央に旧東和町の町章、周囲には町木のサクラ、鯛、みかんの花と実がデザインされた
       マンホールで、市街化区域外の特定環境保全下水道として整備されている。

       
        中央付近で和佐集落への道が横断している。(左手に神浦公民館)

       
        1889(明治22)年に周防大島八十八ヶ所が創設され、この地には第66番
札所がある。

       
        第66札所(神浦大師堂)の本尊は地蔵菩薩。詠歌は「神の浦 幼な子どもに 拝みけり
       地蔵菩薩の 慈愛の深さを」とある。

       
        ここに上がれば神浦集落が見渡せる火の見櫓。半鐘もスピーカーもないのでホースを干
       すのが役目のようだ。先の大戦で鉄の供出が行われ、そのほとんどが木製で代用されたよ
       うで、鉄製のため戦後以降に建てられたものと思われる。

       
        火の見櫓を過ごすと民家は歯抜けした感じで建っている。

       
        西端に墓地があるが、集落内に寺は存在しない。1632(寛永9)年正覚寺が創建された
       が、1684(貞亨元)年に小泊へ移ったので隣集落の森、平野の寺が門徒とのこと。 

       
        国道を東進して出発地に戻る。


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