ぶらっと散歩

訪れた町や集落を再度訪ね歩いています。

下関市の蓋井島は本州最西端の島 

2022年09月30日 | 山口県下関市

        
                       この地図は、国土地理院の2万5千分の1地形図を複製・加工したものである。
         蓋井島(ふたおいじま)は響灘に浮かぶ本州の最西端の島で、吉見漁港から約10㎞の海上
        にあって2.44㎢の小島である。
         地名の由来について、「みずしまの池」という清水をたたえる池があり、往古、住吉神
        社(現八幡宮)の神事には、この池から御神水を汲み、汲み終った後は固く蓋がされたこと
        から蓋井島という名が付いたという。地名辞書には「島勢中分し、遠望すれば二島に似た
        り、蓋井はニ処の義と云う」ともいう。(約6㎞、🚻渡船待合所のみ)

        
         JR吉見駅から徒歩約6分と案内されているが、土地勘がないため地図を頼りに約10
                分かけて渡船場に到着する。(渡船場に有料駐車場あり)

               
         吉見港を出港すると正面に竜王山。

        
         吉見本町を訪れた時は、この賀茂島が3つの島に見えたが、船上から見る島は1つに繋
        がっている。この付近でイルカやスナメリが見られるとのことだが、潮流と餌が関係する
        こともあってか拝見できず。

           
         正面に乞月山、左手に城山、最高峰の大山などが見えてくる。

        
         平地が少ないため階段状に民家が並ぶが、三方を山に囲まれた中に立地する。

        
         約40分の船旅を楽しむと蓋井島漁港に入港する。乗船の多くは釣り人や工事関係者な
        どで、下船数分後には姿が見えなくなる。(背後に灯台と城山) 

        
         1933(昭和8)年に防波堤を築造した旨の記念碑が建つ。山口知事の菊山嘉男は農山漁
        村経済更生計画を推進した知事であった。

        
         天日干しの「ひじき」は漁村センター脇の加工場で煮沸して、ここで乾燥させて袋詰め
        されるとのこと。天候が続くこの時期がベストで、夏場はハエが商品に卵を産むので不適
        とのこと。

        
         港から乞月山への道を進むと、ナンバープレートがない車を多く見かける。

        
         島周辺の環境悪化を防止する観点から、2002(平成14)年に下関市漁業集落排水事業
        として整備された。下関市の「し」にフグがデザインされたマンホール蓋。

        
         すぐ左手に八幡宮への参道。その手前は蓋井小学校職員住宅への道である。

        
         参道石段から見る湾内。

        
         蓋井八幡宮は、元々住吉大神のしずまり給う岩戸があるという謂れから氏神として拝し
        ていたが、室町期の1395(応永2)年に八幡宮を勧請したと伝える。

        
        
         第一次世界大戦後は航空機の発達が著しく、下関要塞地帯の防空体制の確立が急務とな
        り、1934(昭和9)年島の海岸2ヶ所に練石積埠頭と取付道路の工事が開始された。この
        工事は近郊村の出役で約1ヶ月の短期間に構築され、下関重砲連隊の第一大隊の本部と2
        つの中隊(1中隊でおよそ200人)が配備される。
         現在も正面に見える乞月山と反対側の大山には砲台や弾丸庫、兵舎跡などが残存するが、
        乞月山への道は廃道化して足を踏み入れる状況ではないようだ。(旧陸軍蓋井島砲台西繋船
        場と乞月山) 

        
         山の神の一ノ山・三ノ山へは左の道を進む。

        
         古来、この「山」と呼ばれる森は神聖な場所として、立ち入ることも枯れ枝を拾うこと、
        枝を切ることも禁じられ、7年毎に島を挙げての神事が行われる時のみ山に入ることが許
        されているという。(三ノ山入口は木などで封鎖)

        
         説明によると「山ノ神」は、島内各家の祖先が、それぞれ四つの「山ノ神」の森に帰属
        するという祖霊祭祀とも関連付けられていることが特色とされる。
         一ノ山(爺さんの森・神木はスダジイ)、二ノ山(婆さんの森・神木はヤブツバキ)、三ノ
        山(爺・婆の娘の森・神木はスダジイ)、四ノ山(娘婿の森)で、この御神木は特に大きくな
        く、この樹の周りを2~3mの長さの枯れ木を組んで作った神籬(ひもろぎ)に、当元(山ノ神
        の祭に関わる最も古い家系と考えられる4つの家)の祭壇から持参した御幣を入れ、縄で巻
        きつけてあるようだが、島にとって神聖な場所とされるので森に入らず。

        
         二ノ山には鳥居が設置されている。神事は2018(平成30)年11月に行われたので、
        次は2025年に行われることになる。

        
         乞月山の軍事遺構は残念して集落に戻る。

        
         32世帯84人が暮らす島には商店や民宿がある。

        
         海岸道路から集落内に入る。

        
         蓋井島漁港は利用範囲が地元を主とする第一種漁港である。 

        
         屋敷地のみと思っていたが畑地もある。

        
         島特有ではあるが、ここもネコが多い。

        
         地図がないと歩けそうもない迷路が続く。

        
         一段上がれば一段下の屋根。集落は四組に分けられいるが、強い連帯感で結ばれた集落
        のようだ。

        
         正覚寺(浄土宗)は室町期の1443(嘉吉3)年、恵全法師が開山した真言宗であったが、
        1598(慶長3)年に下関の引接寺(いんじょうじ)の和尚が来島して浄土宗に改めたという。

        
        
         車道に出ると対面に灯台への石段があるが、地元の方が言うように荒れ放題の道だが、
        近道のため難を押して上がる。 

           
         蓋井島灯台は、1912(明治45)年に石油蒸発白熱灯を光源として業務が開始されたが、
        1951(昭和26)年日本で初めての風力発電装置が導入され、発電には直径9mの風車が
        使用されたとのこと。1967(昭和42)年吉母~島内に海底ケーブルが敷設されて送電が開
        始され、灯台も電力による点灯となる。

        
         蓋井島の湾内と乞月山、遠くに下関の山並みが連なる。

        
         少し進むと金毘羅社の鳥居と金毘羅山(城山)の山頂が見えてくる。

        
         鳥居から三叉路までは下り坂の舗装路であるが、展望は期待できない。(三叉路は右手に
        進む) 

        
         次の三叉路を右折すると左手に畑地が広がる。

        
        
         小学校への道を下って行くと、小屋にエミューのイラストが描かれている。二足歩行の
        飛べない鳥に属するエミューは、オーストラリア原産のダチョウに次ぐ大きな鳥で、島お
        こしの一環として飼育が始められたという。 

        
         1883(明治16)年に開校した蓋井小学校は、のちに尋常小学校などを経て今日に至る
        
が、終戦の年には機雷が爆発して校舎が大破するという戦禍を受けた。中学校は1947
          (昭和22)年豊西中学校蓋井分校として開校するが、1968(昭和43)年廃校となる。
         しかし、2023年4月から小学校の児童が進学するのに合わせ、小中一貫校にするた
        め小学校の一部を改修中である。

           
         海が見える地に龍神が祀られている。 

        
         路地筋の屋根にネットが張られている家を見かけるが、風で瓦が飛ばされないようにさ
        れているのだろう。

        
         15時50分が最終便のためか工事関係者、釣り人、行政関係者など大勢が乗り込む。
        湾外に出ると白波が立つ中を少し揺られながらの船旅であった。

        
         夕日に映える風景が美しいとされる賀茂島だが、夕日には少し早い時間帯であったが、
        その雰囲気を十分に味わう。港から大急ぎでJR吉見駅に戻り、16時59分の下関行き
        に乗車して島旅を終える。