いわき・うぶすな広場だより

セカンドライフの生き方を書いています。

まちはキャンパス・・・居心地よく過ごせる市民の巣をつくろ!!

2018-03-30 13:02:21 | いわきの講演会

管理から運営に時代へ・・・・・リノベーションまちづくりセミナーから(主催:いわき市)
講師は
青木純先生(株)nest代表取締役・(株)豆くらし代表取締役
              (株)リノベリング取締役でした。

まちづくりの中で
今までの行政中心から、全国的に
民間主導によるまちづくりの
「リノベーションまちづくり」が広がりつつありますが
今回の青木先生は
東京豊島区を中心として
リノベーションまちづくりを進められている方で
興味があり参加してみました。

不動産オーナーが変わればまちはかわる
家づくり・場づくり・まちづくり
について話していただきました。


個の世帯が集まって共同でくらす
新しい集合住宅。


こんなイメージの家づくりを。


青豆ハウス(8世帯の共同住宅)で
くらす生活。
どんな暮らしができるのか?
余白・距離感・境界線など。
賃貸住宅は人が入れ替わる→街の雰囲気が変わる。


JR社宅(50部屋)のリノベーション。


まちはキャンバス。
大人たちがどのように過ごすか
子どもたちも見ている。


時代とともに価値観は変わっているが
不動産オーナーはなかなか変わらない。


自分の賃貸住宅を自分で変える→空間を考える。


生まれ育った街を変える。


街の日常を
劇場のように。


日常生活に変化を。


賑わいを取り戻す
リノベーション。


実践者=当事者
を生み出しながら
居心地よく過ごせる市民の巣をつくりたいと。


やってみないとわからないがやってみる。


やってみる→コストが大事(コストの圧縮)→リスクを小さくして実行。

遊休不動産の活用・空き店舗を活用した飲食業。
行政とタイアップした公園等の整備、
道路等の公共空間の活用など
小さな工夫でもできる活用例を紹介していただきました。

小さく進めながら、
居心地良く過ごせる市民の巣作り・街づくり
考えたいですね。

青木先生
工夫ある実例ありがとうございました。

 

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自ら動きだしたくなる「地域づくり」のお話・・・高橋信博先生・講演から

2018-03-30 10:23:49 | いわきの講演会

自ら動きだしたくなる「地域づくり」のお話!!

「地域づくりのハナシ」
講師は
高橋信博先生(山形県地域づくりプランナー)でした。

夢へと続く扉を開こう
山形県農林水産部農政企画課のパンフレットから


「地域づくり」2015.11月号から
基本の発展の階段です。


「地域づくり」2015.11月号から
一番最初に必要なことは
地域づくりを進めるための「括り」の設定と。

「地域づくり」2015.11月号から
ワークショップの流れ図と
一目で理解できる行動計画表です。


「夢へと続く扉を開こう」から。
白鷹町大瀬地区の「大瀬物り」の事例。
ひとり一人の助け合い・ふれあい・睦み合い
未来にほこる「大瀬の郷」


「夢へと続く扉を開こう」から。
「吉川の未来を創ろう!!」

「地域づくりのハナシ」・・・主催はいわき市
講師は
高橋信博先生(山形県地域づくりプランナー)

貴重な全国の事例を話され、
実行することの大切さを学びました。

高橋先生は
活き活きと暮らすための条件整備とは?

1)人 物 
  その中の場として、
  みんなで話し合う「場」を設け補完できないかと

2)地域が生き残るための生業を作り出すための視点
     (産業の振興・雇用)
 の2つに基づく集落のマスタープランが大事と。

その視点のお話と
その全国の事例の一端を話されました。

高橋先生は
若いときに「地域づくり」の現場に出会い、四半世紀この道一筋。
そして全国1.000の事例に関係。
    ↓
地域がなかなか動かない
    ↓
地域が動き出したくなる計画づくりが大事
(地域の課題が何で、それがどのようになればよいのか。
それを解決するためにはだれが何をすれば良いのか。
そのために必要な材料は何か。
これらを関係するみんなが納得し整備され動き出す)
    ↓
自らの計画は自らが描くと。
(図1の 関心→参加→発見→理解→創造)の発展段階

図2で地域づくりを話し合う基本として一番最初に
括り検討カルテの作成が大事と
人材・社会・環境・文化・経済
    ↓
地域ワークショップ
    ↓
地域診断の材料を基に
課題の発生→計画と実行(対策)→その後の展開→次のステージへ

その後、
山形県や全国の事例をいくつか話されました。

☆山形県上山町の山元地区の
 山元そば祭り(32回開催)

☆愛媛県
 遊子の水荷浦の段畑の二度いも(じゃがいも)の事例

☆三重県神瀬の深蒸し茶の事例

☆山形県白鷹町深山地区
 深山和紙の事例など
事例の一端を話されました。

いろいろな事例で
成功されているのに感心しました。

高橋先生は
実践につながらない計画はいらないと
地域が動き出すためには
自ら動き出したくなるような生きた計画づくり
が必須だと

帰りたくなる郷・住みたくなる郷
になる地域づくりをしたいですね。

高橋先生
貴重な実践の記録
ありがとうございました。

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孫たちと手打ちそばを・・・いわき

2018-03-30 08:44:26 | いのしし君一家

一昨日に帰宅した子供一家と
手打ちそばを楽しみました。
猪苗代産そば粉二八で打ちました。
子どもたちが帰宅した時の
いのしし宅の定番です。


おいしくいただきました。
「たれ」も「辛味大根・3種」も自家製でした。


子どもたちが、
旅人町の「こんにゃく」を作っている方を訪ねて購入してきました。
刺身蒟蒻(こんにゃく)でゆず味噌でいただきました。
おいしかったです。

こんにゃくは植えてから3年はかかる
手間がかかりますが
本物はやはりうまかった!!

日めくりカレンダーから
☆パパ、
 電池入れてあげるね。
 
   埼玉県 主婦の方

電車のおもちゃが大好きな3歳の息子さん。
パパと高い高い高いして遊んでいましたが、
パパがつかれて倒れこんだ時の一言でした。

パパは
電池で動いていると思っているようでした。

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愚庵の義侠・羯南の情理の講演会

2018-03-29 14:19:11 | いわきの講演会

愚庵の義侠・羯南の情理の講演会・・・・・愚庵会主催より
講師は
高木宏治先生(陸羯南研究会顧問)でした。


陸羯南のおこした新聞「日本」。
陸羯南・・・1857年(安政4年)11月30日~1907年(明治40年)9月2日


このような新聞を発行していました。
ここに正岡子規が俳句関係を書いていました。
この新聞がなければ、正岡子規は存在しなかったのでは
と思われます。

 

 


陸羯南全集第9巻から。
明治23年9月。


陸羯南全集9巻から。
明治23年9月。


陸羯南全集第10巻から。


陸羯南全集第10巻から。


愚庵の書の紹介。
天田愚庵・・・1854年(嘉永7年)7月2日~1904年(明治37年)1月17日

 

 愚庵の義侠・羯南の情理の講演会…愚庵会主催
講師は
高木宏治先生(陸羯南研究会顧問)でした。

 

今回は
天田愚庵と生涯にわたり交流があり、
また俳句の正岡子規に書く場所を与えた
明治時代の日本新聞社主として活躍した
新聞日本の経営者である陸羯南(くがかつなん)
陸羯南研究者の高木先生から
愚庵と陸羯南の友情(愚庵亡くなった後の全集の発行等)
エピソードを中心に話されました。


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娯楽の王様「映画」の記憶・・・小宅幸一先生講演会から

2018-03-29 11:53:53 | いわきの講演会

三函座(みはこざ)・・・常磐です。
1983年(昭和58年)閉館。
建物は平成19年(2007年)国の登録文化財に指定されましたが、
3.11で全壊し、現在は取り壊されました。


一番記憶に残る名作です。

改装なった「聚楽館」
オードリーへップバーン主演「ローマの休日」の封切りがかかった写真。
昭和28年(1953年)長谷川達雄氏撮影


いわき市生涯学習プラザに
今も飾られていますのでご覧いただけます。
懐かしい写真やポスターが。


観た映画もあり
懐かしいポスターたちです。


パンフレット。
いのししも映画・演劇等のパンフレットがありましたが、
3.11で全壊扱い後、処分しました。


懐かしいのがたくさん。


きちんと保存しないと
資料が散逸してしまいますね。


講演中の小宅先生です。
貴重な資料・お話、ありがとうございました。


福島民報の
ハイー!!みんぽう
2017年11月号より
本宮映画劇場が紹介され、
館主・田村修司さんが話された記事がありましので
載せてみました。
映写室が載っていましたので。
建物は1914年(大正3年)に建てられた。

娯楽の王様「映画」の記憶
いわき地方の豊かな映像文化を生み出した背景を考える
講師は
小宅幸一先生(いわき明星大学地域基盤型客員教授)でした。

P14のレジメで
いわき地方の映画の歴史を話していただきました。

1.映画の登場

1)映画の誕生・・・日本では1896年(明治29年)12月25日神戸にて上映。
          映画館は1903年(明治36年)東京浅草にて。
2)大衆演劇から映画館へ
 いわきでは1905年(明治38年)に平駅前に「平座」が劇場として開場。

  大正時代末期から昭和時代初期にかけ
 いわき市泉町出身の鈴木傳明という絶大な人気俳優がいました。
 演劇の合間に映画を上映。

3)サイレント映画からトーキーへ
 音声技術がいない無声映画(トーキー)であったので
   解説役として活動写真弁士(活弁)が活躍。
   昭和4年(1929年)トーキーが導入。
 いわきでは昭和7年(1932年)頃には平館で「音の出る映画」=トーキーを上映。
 芝居小屋専門の「聚楽館」は専門映画館に模様替えに。

2.映画全盛期と映画館
1)トーキー映画の登場
  1931年(昭和6年)松竹蒲田製作の「マダムと女房」が初めての発声映画に。
2)第一次全盛期の映画館

3.戦時下の映画
4.戦後の映画復活と第二次全盛期
1)娯楽の王様「映画」
  昭和21年(1946年)には戦前のピーク数を超える。
  筋書きは二の次でいかに受けるかの時代に。
  子供に人気のあったのはチャンバラ映画(25年解禁)。

  昭和30年代、テレビが家庭に入るまでの20年から30年代にかけ
  映画は第二次全盛期。

2)いわき地方の映画館
  昭和29年(1954年)には16館
  昭和32年(1957年)には30館
  昭和34年(1959年)には46館と増加に。
  平市と磐城市には各10館ずつ。
  炭鉱住宅があった川部村と旅人村にも映画館が誕生!!

  全国の映画入場者数は
  昭和33年に約11億2.745万人がピークに。
  国民一人当たり年間約12回弱観ていたと。
  いわきの平税務署の入場者調査では
  432万2.460人で入場料金収入は2億6.000万円でしたと。
  
3)
ニュース映画
4)全盛期の映画館あれこれ

5.苦堺に立つ映画と、減少する映画館
 いわき地方では
 昭和39年(1964年)の映画入場者数は145万3.000人
 昭和40年(1965年)には114万3.000人
 昭和48年(1973年)には54万6.000人まで減少・・・映画館もも22館へ。
 平成4年(1992年)には11館に→現在は平のみと。


6.いわき地方の映画・映画館文化
 明治38年(1905年)に最初に上映された映画。

現在では一握りになってしまったが
小宅先生は
歴史は
記憶記録から成ると話され、

芳醇な映画・映画館文化は
今のいわきのベースを創った
という事は忘れてはならないと強調
されました。

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