いわき・うぶすな広場だより

セカンドライフの生き方を書いています。

「神仏分離令と放生会」・・・いわき地域学會・市民講座より

2019-02-26 12:27:44 | いわき地域学會

「神仏分離令と放生会」
~飯野八幡宮に見る神仏混淆~
講師は
山名隆弘先生

いわき地域学會・市民講座より


文化文政時代の飯野八幡宮の全図。
左は現在の飯野八幡宮。
右はお寺でしたが、
150年前の明治元年・神仏分離によりなくなり
現在は駐車場に。
この1枚の図面で
神仏分離令とはどのようなものだたかがわかる!!


飯野八幡宮の放生会とはどのようなものだったのか、
飯野家文書や
長谷川安道さんの寛政十一年農家年中行事(なるほど歴史塾で現代訳しました)
から説明されました。


キヤコン(口琴)も行われていました。


大須賀筠軒著・・・磐城誌料 歳時民俗記(夏井芳徳氏校訂)から。


キヤコン(口琴)が書かれていました。


お寺にありました
毀釈により失われたのことが書かれています。
飯野八幡宮で毎日鳴らしていた鐘は
今どこに!!


神仏分離令した近代日本が見失ってしまったものとして
神司馬遼太郎さんが書かれた文章を紹介しています。
「いたわり」「他人の痛みを感じること」「やさしさ」
の3つの提言に
鎌倉武士の信心が息づいているのではと。

先週の土曜日
「神仏分離令と放生会」

~飯野八幡宮に見る神仏混淆~
講師は
山名隆弘先生

いわき地域学會・市民講座より
に参加してきました。

市民講座では、考えられない
110名を超える大人気の講座になりました。

数年前、
タリバンの仏像破壊が報道されましたが、
150年前の明治政府は神仏分離令として
同じことをしていました。

いわきでは、
泉地区にはお寺さんがないことに気が付くでしょう。
破壊され
お寺がなくなったのです。
全国各地に見られました。

今回
山名先生のお話は
このような150年前(明治元年)・・・戊辰戦争の時期
☆神仏分離令はどのように断行されたのか
☆いわき地方の例として飯野八幡宮を挙げ
 ・放生会はどのような行事であったのか
 ・なぜ流鏑馬だけ残ったのか
 ・鷹狩の鷹もキヤコン(口琴)も
  神仏習合の姿であったことを
熱弁されました。

貴重なお話に感謝いたします。


鷹のお話は
次回のようでしたが。


日本経済新聞で2月2日に紹介された
(本郷和人さん)
戸田光則(松本藩」7万石の最後の城主)

菩提寺の全久院を解体し
徹底的に廃仏をおこなったことが書かれています。

本郷さんは
1868年(明治元年)に神と仏の分離を命じ
「神仏分離令」を出しましたと。

古代から江戸時代に至るまで
日本では神と仏共存していました。
この「神仏混淆」を国家が正式に否定したのが
「神仏分離令」!!
これを機に
仏教を徹底的に破壊する「廃仏毀釈」
の嵐
日本中に吹き荒れたと。

 

 

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