いわき・うぶすな広場だより

セカンドライフの生き方を書いています。

大正101年 暮鳥圏の人々・・・いわきヒューマンカレッジより

2012-10-14 08:20:55 | いわきの講演会

いわき市文化センター前にあります
「暮鳥生誕百年詩碑」です。
昭和59年5月3日除幕されました。
道路を挟んで市の美術館が・・・・・


3・11地震でコンクリートは割れたまま。


落ち着いたところに建てられています。
やっと昨日撮影できました。


「雲」の詩碑が。
文字が見えるように撮影しましたら影が。

2005年7月16日~9月19日まで
「いわき市立心平記念文学館」で開催された
「山村暮鳥展・・・磐城平と暮鳥」
のパンフレット。
P60のコンパクトにまとめられている
暮鳥を知るの最適の資料です。


今回のいわき市ヒューマンカレッジ いわき学部で行われた
吉田先生のレジメの一部です。
P10に丁寧にまとめられた暮鳥圏の人々の資料です。
貴重な資料になりました。

先日
いわき市ヒューマンカレッジ いわき学部

大正101年 暮鳥圏の人々
・・・一粒の種が芽生えるとき・・・・

講師は
吉田 隆治先生(いわき地域学會 代表幹事)でした。

やっと昨日暮鳥の詩碑を撮影できました。
これで何回目の撮影でしょうか。
3・11以後は初めてです。

1)暮鳥(184年=1924年)に始まる磐城の詩の風土についてまとめられました。
  三野混沌・猪狩満直・吉野せいなどを育てる一方
  暮鳥自身、最も輝いていた時代で
  日本の近代史上まれに見る言語実験作品集が書かれた時期だったと。

  暮鳥は文学の伝道者で
   「人と人をつなぐネットワーカー」だったと。
  その為いわきから有能な詩人がどんどん出てきたと。

2)新聞揺籃時代・・・いわきの地域新聞・いばらき新聞
  などが文芸に力を入れたのも大きかった。

3)比佐邦子著「ご家庭を訪れて」(1897年(明治30年)~1937年)
  大正14年(1925年)5月25日から磐城民報社が半年間159回連載したもので
  女性を対象にいわき地方に暮らした名士の妻や娘を紹介。
  この時代のいわきの雰囲気を紹介されました。

4)暮鳥圏の人々(1)・・・中央で活躍していた人々。

  雑誌「風景」の主な寄稿者の紹介。
  創刊号(大正3年5月)・・・その時暮鳥30歳。
  ちょっと名前だけ紹介。

  ☆表紙画・・・南薫造(1883年~1950年)その時31歳
 ☆扉画・・・・・小山周次(1885年~1967年)その時29歳
 ☆三木露風(1889年~1964年)・・・赤とんぼで有名。
 ☆片上伸(1884年~1928年)その時30歳
 ☆前田夕暮(1883年~1951年)
 ☆室生犀星(1889年~1962年)その時25歳
 ☆白鳥省吾(1890年~1973年)その時24歳
 ☆西宮藤朝(1891年~1970年)
 ☆門間春雄(1889年~1970年)その時25歳
 ☆吉江孤雁(1880年~1940年)
 ☆村田光烈(1885年~1949年)
 ☆岩井緑汀(1994年~1918年)その時20歳
 ☆萩原朔太郎(1886年~1942年)その時28歳
 ☆並樹秋人(1893年~1956年)その時21歳
 ☆柴田量平(1889年~1980年)・・・表紙画
 ☆五十嵐力(1874年~1947年)その時40歳
 ☆尾山篤二郎(1889年~1963年)その時25歳
 ☆早坂掬紫(1889年~1923年)その時25歳
 ☆広川松五郎・・・表紙画


その後活躍された人々を輩出したと
丁寧に紹介されました。

4)暮鳥圏の人々(2)・・・いわきの人々

 ☆花岡謙二(1887年~1968年)・・・大正3年父の赴任地の平に移住して暮鳥と交流。
 ☆磯貝弥(1995?~1919年)
 ☆斎藤千枝(1894年~1924年)その時20歳
 ☆村上辰太郎(1892年~1978年)その時22歳
 ☆八代義定(1889年~1956年)その時25歳
 ☆佐々木顕
 ☆本井商羊
 ☆松本徳一
 ☆三野混沌
 ☆猪狩満直
 ☆猪狩轍弥(1897年~1974年)当時17歳
 ☆草野心平(1903年~1988年)当時11歳
 ☆高久晩霞(1881年~1952年)当時33歳
 ☆古和口虎雄(1890年~1968年)当時24歳
   ・・・大正元年に開設された「いばらき」平支局の初代支局長
 ☆馬場京助(1894年~1953年)
 ☆島田忠夫(1904年~1945年)
 ☆野口雨情(1882年~1945年)

といわきの若い詩人も寄稿。

5)雑誌「第三帝国」と吉野せへ

 吉野せへさんが
 18歳でデビューしてその後40数年後に再び筆を取るまでのお話を詳しく。

 

このように
中央の若い伸び盛りの文学者といわきの若い詩人たちが
雑誌「風景」を媒介にして
暮鳥が「人と人をつなぐネットワーク」の役割を果たしたとことを
丹念にまとめて
今回吉田先生は紹介してくれました。
暮鳥に興味があるいのししにとりましては
大変貴重な講座になりました。

今後も研究されて次の講座でお話をお聞きしたいです。
吉田先生
ありがとうございました。

山村暮鳥につきましては
過去2回ほど
山村暮鳥・上記に名前が出た花岡謙二が交流した大正時代の
建物があるところを散歩しながら廻りながら
勉強する講座があり参加してきました。

3・11の大地震で、
原歯科医院・中野用品店さんの時計台などの建物が解体され、
暮鳥が歩いたであろう建物はほとんどなくなってしまいました。

残念です!!


  

コメント
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