いわき・うぶすな広場だより

セカンドライフの生き方を書いています。

薄磯・豊間地区の今・・・復活の息吹が・・・豊間そば打ち道場

2012-06-29 08:07:04 | 豊間そば打ち道場

「餓鬼堂遺跡」の今です。
海岸から約20mのところにあります。
大地震後の研究によりますと
古代遺跡のお墓は海岸より
20m位の高さのところにある例が多いとのことです。

我が国の古代人は当時から津波に気が付いていたのではと考えられます。
昨年の3・11大地震後
マスコミがいわきからいなくなった時期
自転車でこの薄磯・豊間・新舞子あたりを半日廻りましたが、
3月24日に
この「餓鬼堂遺跡」は当然なくなっていたと思っていたのですが、
残っていたのに感動したのをブログにも載せた記憶があります。


草がおおっていますが、
復活の息吹が始まりつつあるようです。


測量などを始めていますので、
行政による大枠の計画が決まりつつあるのでは思われます。


早めの復活をと思います。
遅れれば、遅れるほど核となる住民の内の
若いご家族の帰還が少なくなるのが心配です。


遠くに灯台も見えるのですが・・・・・


今回のそば打ちは
集中力がありおいしく仕上がりました。
豊間公民館でのそば打ち道場を再開して3カ月が過ぎました。
こね鉢はTさん所有。
少し浅いので、最初は使いにくかったのですが、
粉がこぼれないように丁寧にこねるようになりましたので、
そばがよく練れるようになったので、
最近はこれを使っています。

豊間公民館でのそば打ち道場のサークルを
再開してから3カ月が過ぎました。

夜から昼間での形にも慣れました。
試食がなくなり、
打つだけなので少しさびしい気がしますが・・・・・

打ったあとの試食と
毎回担当者の「たれ」で食べるのを約10年以上続けてきましたので、
その「そばを打った感じ」や「たれ」の批評を聞けない寂しさがあるのです。

今回は知人にお届けするので、
少し気合いが入り集中できました。
良く出来たのではと思います。

夜おいしくいただいたとのメールがあり、
ホッとしました。

薄磯・豊間地区を少し撮影してみました。
測量も始まっていますので、
大枠の計画が出来始めたようです。

上記写真のような光景は早めになくせるようにしないと。

いのししの場合
出生地が豊間で2年間過ごしましたので余計思い入れが・・・・・

父母が東京・豊島区で3月10日の大空襲で、
焼け出され、
豊間の国立病院(結核病院)に父が赴任し
いのししが生まれましたので特に思い入れが強い。
ですから、
毎月2回、沼の内から豊間に向かう光景は
特に気になる瞬間なのです。

コメント (3)
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