小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

日本学術会議問題で大混乱に陥った政府と、この問題から逃げ回るNHK 毎日【追記】あり   

2020-10-12 04:44:30 | Weblog
 日本学術会議会員の任命問題をめぐって、国会閉会中審査でもメディアでも大騒ぎになっている。
 日本学術会議の会員の定員は210名で任期は6年、うち半数の105名が3年ごとに改選されることになっており、新会員については日本学術会議法(法律)の第7条2項に「会員は第17条の規定による推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する」とある。
 これまでは学術会議の推薦が拒否されたことはなく(欠員補充の推薦がたなざらしになって欠員が生じたままだったことはある)、推薦者を菅総理が「任命権」を行使して105名の推薦者のうち6名を任命拒否したのは初めてである。 
この問題をめぐっててんやわんやの騒ぎになったのだが、様々な問題が混同して論じられているので、整理しておこう。

●「総合的・俯瞰的判断」の基準は阿弥陀くじか
いま最大の論点になっているのが「任命拒否された6名の学者について、拒否した理由を明らかにしろ」というのが批判する側の最大の論点になっている。
この批判に対して菅総理は「総合的・俯瞰的判断による」としか答えていない。判断の基準が「総合的・俯瞰的」と言われて納得する人は政府内にもいないだろう。「俺が総合的・俯瞰的に考えて判断した」で通る社会はありえない。
たとえば裁判の判決理由で、裁判官が「総合的・俯瞰的に判断して被告を死刑に処す」などという判決を下したら、即その裁判官は首になる。
大学の入学試験で合格基準を「総合的・俯瞰的」にすることもあり得ない。
しかも「総合的・俯瞰的に判断した」はずの菅総理が初めて見た新任会員名簿はすでに6名を排除した後の99人の名簿だったというから、菅総理が判断する余地はなかったことになる。それでも「自分が判断した」と言い切るのだから、おそらく内閣府の担当官僚に阿弥陀くじでも引かせて不採用者を決めたのだろう。その理由は「推薦者全員を任命してきた従来の慣習を打破するため」のようだ。そう考えると、不採用になった推薦学者は不運だったというしかない。ま、宝くじに外れたと思って諦めるしかないのだろう。

が、ちょい待てよ、と言いたくなる。阿弥陀くじで重要な人選を決めるような人が総理大臣になっていいのか。総理大臣の最初の大仕事は閣僚の任命つまり組閣である。組閣については各派閥から国会議員当選回数や見識などを基準に推薦がある。その推薦者の中から総理が「総合的・俯瞰的判断」という名目の阿弥陀くじで閣僚を選んでいるのかという疑問すら生じる。ただ、この阿弥陀くじの対象者は各派閥から推薦された中から選ぶという「従来の慣習」に従っているようだが…。
ま、菅総理が105名の推薦学者全員の名簿を見たことがないというのだから、総理自身が「自分に任命責任がある」という以上、6名の学者を外した理由を内閣府の担当官僚に聞くべきだろう。実際記者インタビューで「排除された学者たちは全員、安保法制や共謀法など政府の法案に反対した人たちばかりだ。それが排除の理由か」と聞かれ、「それは絶対ない」と言い切った。ということは、やはり人選した官僚から6名の排除理由を聞いているはずだ。常識的に考えればの話だが。もっとも常識が通用しない人なら別だが、そうだとすればとんでもない人を国会は内閣総理大臣に指名し、天皇はそういう人を任命してしまったことになる。
いうまでもなく、学術会議会員は内閣総理大臣が「任命する」という学術会議法7条の規定を「総理に任命権と任命責任がある」と政府は法解釈をしている。ならば、これまでも何度もブログで書いてきたように、憲法6条の規定「天皇が内閣総理大臣を任命する」という条文も、「天皇に総理大臣の任命権があり、任命責任も天皇にある」と解釈しなければ法解釈の整合性が崩れる。阿弥陀くじで人事を決めるような人物を内閣総理大臣に任命した天皇の任命責任を問わざるを得なくなる。
誤解されると困るので、私は天皇の任命責任を問え、と主張しているのではない。私が言いたいのは、学術会議法7条によって菅総理に学術会議会員の任命権と任命責任が生じるならば、憲法6条によって天皇に内閣総理大臣の任命権と任命責任が生じるのでなければ法解釈が権力によって恣意的に行われる危険性を指摘しているだけだ。もっとも安倍前総理自身が従来の内閣法制局の解釈を変更して安保法制を強行成立させており、菅総理は「安倍路線の継承」を公言しているから、そういうことだけ「慣行に従った」わけか。「ご都合主義」とは、菅さんのためにある言葉だったようだ。

●NHKが学術会議問題から逃げ回る理由
11日にはテレビで対照的な討論番組が三つあった。NHKが午前9時からの『日曜討論』と午後9時からの『NHKスペシャル』。そしてBSテレビ朝日が午後6時からの『激論クロスファイア』である。
が、いま最も世間をにぎわしている学術会議問題をテーマにしたのは田原総一朗氏が司会を務める『激論クロスファイア』だけ。NHKの『日曜討論』のテーマは「不妊治療 保険適用 いま必要な少子化対策は」で、『NHKスペシャル』のテーマは「令和未来会議 新型コロナの不安 どう向き合うか?」だった。
なぜ、いま「不妊治療問題」であり、「新型コロナ問題」なのか。
私は11日早朝、メールでNHKに質問状を送った。いまのところ、NHKからの回答はない。その質問状を添付する。

少子化対策のためにも不妊治療は一定の条件で保険適用できるようにすることは必要だと思っていますが、いま「日曜討論」で取り上げなければならないような問題でしょうか。
いま一番社会・政治問題として国民が関心を持っているのは学術会議問題です。昨日今日、突然出てきた問題というならいざ知らず、1週間以上前から大騒ぎになっている問題です。イギリスの科学雑誌で世界的権威のある『ネイチャー』ですら、異例の警告を出しているくらいです。
なぜこの問題をあえて避けたのですか。この問題をテーマにすると政府が困るからですか。

NHKはいま受信料問題や体制改革問題に取り組んでいる。受信料は10月1日からほんの少し引き下げたが、肝心の体制改革はこれからだ。来年1月までに改革案とまとめるということで、視聴者からも提言を募った(応募はすでに締め切っている)。私も本来の公共放送の在り方という視点から「経営委員会の公選制」「番組編成の在り方」「受信料制度の改革」について革新的な提言をした。私の提言はこのブログの最後に添付する。
とりあえず、この時期にNHKが重要な討論番組で学術会議問題を避けたのは、政府に忖度するために「総合的・俯瞰的判断」した結果と、私は思っている。NHKの職員が全員、政府に忖度しているわけではなく、ジャーナリズムとしての本分を果たしたいと考えている職員の方がはるかに多い。が、上が腐っているから、こういう時期に当たり障りにない不妊治療やコロナ対策をテーマにせざるを得ない状況に、いまNHKはある。
ついでに、検察庁問題が生じたとき、アイデアとして私は「三権分立制」から「五権分立制」への移行を主張した。詳論はそのうち書くつもりだが、要するに「立法(国会)・行政(政府)・司法(裁判所)」の三権に加え「捜査・立件(検察・警察)」「公共放送(NHK)」の独立性を担保すべきだというのが私の持論。そうなればNHKも政府の顔色を窺わずに番組編成ができるようになる。

●日本学術会議は行政機関ではない
さて田原氏の『激論クロスファイア』だが、政府側からは山下貴司・自民党国会対策副委員長、野党側からは蓮舫・立憲民主党代表代行、田村智子・共産党政策委員長の3人が出席した。田原氏がいきなり「こういう苦しい状況の中でよく出席してくれました」と持ち上げた山下氏は元法務官僚で、政界入りしてからは法務大臣・法務大臣政務官・内閣府大臣政務官の要職を務めてきた法律のプロ。が、防御から攻撃に転じようと思ったのかどうかはわからないが、法律のプロらしからぬミスを犯した。
「日本学術会議は行政機関だから、行政府の長である内閣総理大臣に任命権がある」と。
確かに日本学術会議法の第1条2項には「日本学術会議は、内閣総理大臣の所轄とする」と記載されている。が、第3条には「日本学術会議は、独立して左の職務を行う(1項:科学に関する重要事項を審議し、その実現を図ること。2項:科学に関する研究の連絡を図り、その能率を向上させること)とあり、さらに第4条では「政府は、左の事項(略)について、日本学術会議に諮問することができる」第5条「日本学術会議は、左の事項(略)について、政府に勧告できる」とある。
この規定によれば、日本学術会議は常設の政府諮問機関であり、諮問がなくても勧告する権利が付与されていることになる。山下氏が言うような行政機関では明らかにない。ただ、下村氏が述べたように活動実績がほとんどないことについて、学術会議側は「政府の諮問がないから」と反論したが、たとえ政府の諮問がなくても第5条によって政府が求めなくても「政府に勧告できる」権利が保障されているのだから、やはり本当に活動実績が乏しいとなれば怠慢のそしりは免れ得ない。
ただ、この山下氏の詭弁に対して、蓮舫氏も田村氏も全く突っ込まなかった。司会の田原氏も同様。野党もジャーナリストも、「なぜ6名を任命しなかったのか」という問題だけに集中しすぎているから、問題の本質があやふやになってしまう。日本学術会議は法律に従えば、相当の権限を持っており、その権限を行使して日本の行政のゆがみを放置してきた責任は免れ得ない。そのくらいの自負を持って責務に取り組んでもらいたいと、私は願っている。

●私のNHKに対する提言
 ① 経営委員会についてー―経営委員会はNHKの最高意思決定機関であり、公正で公平な意思決定ができるように、公選制にすべきである。現在のように政府によって経営委員が任命される制度では公共放送としての、権力との適正な距離を保つことができなくなる。現に、かんぽ生保の不正販売についての番組に経営委員会が不当に関与し、公共放送としての信頼性を著しく損なったこともある。
 ② 番組編成について――NHKは公共放送であり、民間放送局には放送できないような公共性の高いコンテンツに絞るべきである。かなり前(数十年前)は娯楽が少なく、民間放送局も自前でドラマなどを制作できなかった時代には、NHKが自前でドラマ制作して放送することも合理性があったが、今はそんな必要はない。「民間ができることは民間に」が公共放送の原則であるべきだ。NHK3人娘(馬渕晴子・富士真奈美・小林千登勢)をNHK職員として育成しなければならなかった時代ではない。どうしてもエンターテイメント・コンテンツを外せないというならNHKを半官半民にして、娯楽番組は民間放送局と同様CMで制作費を賄うか、あるいは課金制のコンテンツにすべき。
 ③ 受信料制度について――かつてはテレビは一家に1台だった時代があり、いまの受信料制度はその時代に適正だった制度をいまだに続けている。いまはNHKの放送を受信できる設備も多様化しており、またテレビ自体も一家に1台から一人1台の時代に移っている。放送法64条はNHKの放送を受信できる「受信設備を設置したものは、協会とその放送の受信についての契約をしなければならない」となっており、この規定によれば「世帯単位の契約」は無効である。現代では一人数台の受信設備を持っている人もいる時代であり、世帯単位の受信契約でなく個人単位の視聴契約にすべきである。また現在の受信料制度は憲法14条の定めによる「法の下での平等」に抵触する可能性も高い。「法の下での平等」が「世帯単位」で行使されているのは事実上NHKの受信料制度だけであり、受信料未払で裁判になった場合、「一人暮らしの単身世帯と5人家族でテレビも5台ある世帯の受信料が同一なのは憲法違反である」と、憲法14条の解釈が争点になったら、おそらくNHKは敗訴する。
 そこで放送法64条の一部を「協会の放送を受信することのできる受信設備を設置した世帯に属し、協会の放送を視聴できるものは、協会とその放送の視聴についての契約をしなければならない。ただし、満1歳未満の幼児および著しく聴覚障害がある者で協会が定めた基準に該当する者は、その限りではない。また未成年者については世帯主が代理で契約することを妨げるものではない。協会と視聴契約をしたものは協会に視聴料を支払わなければならない。ただし、未成年者については世帯主が代わって支払うことができる」と改定することを求める。なお、この改訂によって事業所向けの受信料制度は廃止する。視聴の二重契約になるからである。
 また、生活保護世帯に属するものや障碍者に対する受信料(新しくは視聴料)免除制度は廃止することも求める。この制度は本来社会福祉に属する性質のもので、国なり各自治体が行うべきことである。彼らが負担すべき視聴料を一般の視聴者に自動的に負担させることは違憲の可能性がある。

【追記1】13日0:00現在、NHKからの回答なし。「総合的・俯瞰的観点から判断した」との回答を期待していたのだが…。
 なお実際に6名の推薦学者を排除したのは、2012年12月から内閣官房副長官を務めている、元警察官僚の杉田和博氏であることが判明した。安倍政権時代から菅官房長官の片腕として強権政治を支えてきた人物である。さもありなんという感じがする。
 ただ、菅総理は「自分が見た名簿は(6名排除後の)99人の推薦名簿だった」と主張していたが、加藤官房長官によれば「105名記載の名簿も添付して総理に渡している」とのことだ。総理に恥をかかせた加藤氏は「この恨み、倍返し、いや10倍返しだ」と、根に持つタイプの菅総理から睨まれること間違いない。宮仕えが下手な加藤氏を女房役の官房長官に任命したのは菅総理自身だが、自分に都合の悪いことは忘れる人だから、これで加藤氏が近いうち冷や飯を食わされることになるだろう。(13日)

【追記2】最高裁が安倍「働き方改革」にソッポを向いた
13日、最高裁は別々の訴訟で「画期的」な判決を下した。二つとも非正規社員たちが起こしていた訴訟で、ともにフルタイムの従業員だったが、退職金が支払われなかったケースと、賞与が支払われなかったケースで、正規社員との間の不合理な差別待遇についての判決である。
実は二つの裁判はともに高裁で原告(非正規社員側)が勝訴していたが、被告(雇用主側)が上告した最高裁は高裁判決を退け、原告敗訴を言い渡した。いうまでもなく安倍前総理は成長戦略の総仕上げとして「同一労働同一賃金」の原則を日本の雇用関係に導入した。
この二つのケースはともにフルタイムというだけでなく、従事した業務内容も正規社員とほとんど変わらなかったが、「正規社員とは負う責任の重さが違う」という理由で、最高裁は原告にゼロ回答の判決を下した。原告勝訴の判決を下した高裁も、正規社員と同一基準の退職金や賞与を原告に支払えと命じたわけではなく、格差については6割程度が妥当という判断を下したのだが、最高裁は「同一労働同一賃金」の原則を真っ向から否定した。
安倍政策を継承するはずの菅政府は、当然、この判決を下した最高裁判事を弾劾裁判にかけるんだろうね。

中国が国家プロジェクトとして進めている「千人計画」に日本学術会議が「積極的に協力している」という根拠のないブログ記事が問題になっている。書いたのは元経産相などを歴任した自民党の重鎮・甘利氏。そんな事実はないと指摘されて「間接的に協力しているように映ります」と訂正したが、13日のブログで訂正した理由について「表現が適切でないとしたら(※「適切でなかったから」ではない)、改めさせていただきます」と述べた。しばしば問題発言を繰り返している杉田氏も「発言が適切でないとしたら(※つまり「真意が伝わらなかったとしたら」?)、改めます」と同じ言い訳か。
念のため、中国の「千人計画」は優秀な研究者の海外流出に歯止めをかけるため、アメリカや日本などに海外留学している研究者を特別待遇で本国に戻そうというもの。ノーベル賞やフィールド賞受賞者を増やそうというのが目的で、そうした計画への協力を仮に学術会議が頼まれたとしたら、拒む理由はない。それが不都合だというなら、法律で海外からの留学生は一切受け入れないようにすればいいだけのことだ。その場合、言うまでもないことだが、日本人の海外留学も不可能になる。甘利氏もいい年こいて、何を寝ぼけたことをほざいているのか。

さらに憂慮すべきことは、妙な事件で著名人になった異色の経済学者・高橋
洋一氏が経済政策担当の内閣官房参与に任命されたことである。高橋氏が一躍有名になったのは東洋大学教授をしていた2009年3月、豊島園・庭の湯で他人のロッカーから30万円相当の高級腕時計などを盗み、即日逮捕されたが、本人が罪を認めて反省したため書類送検の上起訴猶予処分になったという、あまり芳しくないエピソードによってである。その直後、東洋大学は懲戒免職になり、嘉悦大学教授として今日に至っていた。
 異色の経済学者というのは、子供のころ数学者を目指して東大理学部数学科を卒業したが、同大経済学部経済学科に学士入学して卒業、大蔵省(現財務省)に入省、バブル崩壊後の日銀の金融政策(悪性インフレを恐れて金融引き締めを継続した)を批判し、いわゆるリフレ派官僚の筆頭になった。小泉政権では経済政策担当大臣・竹中平蔵氏の補佐官を務め、安倍政権でも一時、内閣参事官として経済政策立案にかかわったことがある。
 学術会議問題が突然生じたため、いったん中断しているが、私のブログ『菅政権は安倍政権の「負のレガシー」とどう向き合うか② アベノミクスの検証(1)』で、リフレ派とMMT派は紙一重の差でしかないことを検証している。日銀・黒田総裁は「無制限に国債を買う」と公言している(今のところ、単なるアドバルーンにすぎず、日銀自体も私の取材に「MMTに転換したわけではない」と、黒田バズーカ砲が空砲に過ぎないと主張している)。
実際日銀の主流を占めるリフレ派の主張は「MMTはインフレ率の目標設定をしていない」だけの差でしかなく、MMT派も数字目標は設定していないがインフレが悪性化しそうになったら国債発行をストップすると主張しており、日銀が目標としているインフレ率(消費者物価指数上昇率)2%設定の科学的根拠は明らかにされていない。高橋氏は一応数学者らしく、数式を考え出しているが、どの時代でも通用する数式ではない。
現に池田内閣の所得倍増計画時に、消費者物価上昇率は2%どころではなく4.8%と異常に高かったが、ハイパーインフレにはならなかった。消費者物価指数上昇率以上に勤労者の所得上昇率がはるかに上回り、インフレ下においても需要が供給をつねに上回る状態が続いたため高度経済成長が実現したのだ。いま世界先進国のすべてで人口減少が続いており(とくに日本の合計特殊出生率は1,49と、人口維持に必要とされる2.08をはるかに下回っている)、消費者市場は継続的に縮小しつつある。需要が増加しないのに、金融緩和で供給を増やそうという結果になっているのがリフレ派やMMT派であり、経済学者ではない私ですら「何を血迷ったのか」と言いたくなるような経済理論だ。
なお、14日午前0:00現在、NHKからの回答はまだない。(14日)

【追記3】15日0:00現在、NHKからの回答はまだない。(15日)


【追記4】 最高裁はとうとう気が狂った
 15日、最高裁は日本郵便の契約社員らが日本郵便を相手取って起こした、扶養手当や有給の夏休み・冬休みなどを与えろと主張した訴訟で、裁判官5人は全員一致で訴訟5件のすべてに原告勝訴の判決を下した。
 2日前の13日には、このブログの【追記2】で書いたように、2件の非正規社員(東京メトロの子会社「メトロコマース」の契約社員と大阪医科大学のアルバイト社員)がそれぞれの雇用主を相手取って起こした訴訟(退職金や賞与の支給を要求)では、原告敗訴の逆転判決(高裁ではともに正規社員の6割程度の支給が妥当との判決)を下し、安倍政権が行った「働き方改革」の柱である「同一労働同一賃金」の基本原則を無視したばかりだった。
 判決理由では、事細かに原告の主張をすべて認めた雇用事情、ゼロ回答をした雇用事情を述べているようだが、はっきり言って分かりにくい。13日の判決でも、雇用事情によっては非正規社員にも退職金や賞与を支給すべき場合もあると最高裁は述べており、正規社員と非正規社員の待遇差を認める基準が法的に明確ではない。
 15日の最高裁判決を私が知ったのは同日夕方のテレビニュースだったが、昼前時事通信のネット配信で来秋から郵便物の配達を週5日にすることが決まったというニュースがあった。つまり土日は配達しないということだ。管轄官庁の総務省が許可したのだと思うが、実にばかばかしい決定だ。総務省は郵便局員の労働条件を少し改善することで、かんぽ生保の不正販売のような不祥事を根絶できるとでも思ったのか。
 かんぽ生保の不正販売は、はっきり言って郵便局員個々の問題ではない。私は郵便局員によるかんぽ生保の不正販売は、小泉郵政改革の「負のレガシー」だと、ブログで何度も書いてきた。で、さっそく、日本郵便に電話をして、この程度の労働条件改善では不祥事はまた起きると警告した。理由はこうだ。

 小泉郵政改革は郵便事業に民間の参入を促し、競争環境をつくることで業務の効率化と顧客サービスの向上を目指そうというものだったが、全国一律のユニバーサル・サービスを義務付けた。そのため、当初は参入の意向を示していたヤマト運輸がいったん撤退を表明した。が、郵便ポストの代わりにコンビニを窓口にすることで参入条件をクリアして「メール便」という格安の郵便事業に乗り出した。
 が、ヤマトの配達人は社員(非正規も含め)ではない。請負の個人事業主である。そのため、配達人による不祥事がしばしば生じた。とくに問題が生じたのはヤフオクなどでの株主優待券や商品券などの金券類の発送方法だった。通常の郵便で発送する場合は発送記録が残らないが、ヤマトのメール便の場合は補償はないが、発送記録と追跡記録が残る。金券類のオークションには極めて利便性が高い方法だった。そのため、ほとんどの出品者はメール便を利用した。
 実は私自身が被害にあって分かったことだが、郵便局員は封筒の手触りで大体中身が分かるというのだ。信書なのか、金券類なのか、あるいは現金なのか。とくにオークションで出品した人は、出来るだけ配送コストを安上がりにするため安い茶封筒を使う。はっきり言って配達人には見え見えなのだ。そのため不着問題が頻発した。それだけではない。郵便局の配達課の課長から聞いた話だが、ヤマトのメール便は配達量が多い都市部ではヤマトの契約配達人が配達するが、配達量が少ない地方はヤマトが郵便料金を払って郵便局に配達を丸投げしていたようだ。結局ヤマトはコスト割れと不祥事の続出で個人のメール便事業から撤退することになった。
それはともかく、小泉郵政改革にとって最大の強敵があらわれた。携帯電話である。当初は携帯電話の目的は通話オンリーで、通話料金もめちゃくちゃ高かったので、あまり普及しなかった。が、この分野では民間業者の参入が相次ぎ、5分間かけ放題とか、10分間かけ放題、時間無制限かけ放題と、サービス競争が激化し、高齢者もスマホが手放せなくなった。ラインや様々なSNSツールがスマホに搭載されるようになり、手紙・はがきといったアナログ通信手段が激減したのだ。日本郵便が赤字体質になったのはそのためだ。
しかも手紙やはがきの料金改定は総務省の許可がいる。郵便料金を集配コストに見合うよう値上げしたら、内閣支持率に大きく影響する。そのため郵便料金は消費税増税分しか値上げできない状態が長く続いている。当然郵便事業は慢性的な赤字体質から抜け出せず、日本郵便は経営難に陥った。かんぽ生保の不正販売は、こうした事情を背景に生まれるべくして生まれた。私がかつてブログで「かんぽ生保の不正販売は小泉郵政改革の負のレガシーだ」と指摘したのはそのためだ。
で、15日、日本郵便に提案した。「都市部の集配は平日毎日でもいいが、地方は需要に応じて週3回(月・水・金:火・木・土)、週2回(月・木:火・金:水・土)、週1回にすべきだ。国鉄民営化でJRになったとき赤字路線は廃止したし、第3セクターに移行した。日本郵便も民間会社になったのだからコスト優先の集配体制に変える権利があるはずだ」と。「速達はどうしたら?」と聞かれたので「速達はポスト投函を禁止し、書留と同様郵便局で受け付けるようにして速達と書留の料金は距離制を導入したらよい」と答えた。「過疎地の郵便局はすべて廃止し、書留とかゆうパックなどやかんぽ生保・郵貯事業は地域の農協とかコンビニ的な小売店に事業委託すればいい」とも。
とにかく郵便事業の赤字体質を根本から改善しない限り、新たな不正事業を生み出さざるを得なくなる。郵便局はやくざを雇っていたわけではない。が、やくざも手を出さないような不正販売に手を染めざるを得なくなった根本を改善しない限り、手を変え品を変えになるだけである。
なお16日0:00現在、NHKからの回答はまだない。

 【追記5】 NHKが回答しない理由が分かった
 17日0:00現在、依然としてNHKからの回答はない。過去だけでなく、今後もないことが分かった。NHKの予定によれば、18日の『日曜討論』のテーマはコロナ禍での学生生活について萩生田文科相を「お招き」して対策を伺うようだ。前回の「日曜討論」(11日)のテーマは田村厚労相を「お招き」して菅総理の目玉政策である不妊治療の保険適用について政府のためのプロパガンダ番組だった。
 ここまでやるのはなぜか。すでに視聴料値下げは発表しているし、値下げをするのに政府の顔色をうかがう必要はないはずだ。私自身はこのブログで公表したように、NHK改革についての提言はしたが、私の提言を潰すために政府におもねる放送をする必要もあるまい。
 そう頭をかしげていたら、16日共同通信がびっくりするようなニュースをネット配信した。共同通信によれば、16日、受信料制度などの在り方を検討する総務省の有識者会議で、あろうことか家庭や事務所がテレビを設置した場合はNHKに届けることを義務化する制度変更を要望したようだ。受信契約を結んでいない世帯の居住者の氏名や、転居した場合は転居先などの個人情報を公的機関などに紹介できるようにする仕組みの導入も求めたという。テレビを設置していない場合も届け出を求めるという。
 放送法64条には、こうある。

協会の放送を受信することのできる受信設備を設置した者は、協会とその放送の受信についての契約をしなければならない。ただし、放送の受信を目的としない受信設備又はラジオ放送(音声その他の音響を送る放送であって、テレビジョン放送及び多重放送に該当しないものをいう。第126条第1項において同じ。)若しくは多重放送に限り受信することのできる受信設備のみを設置した者については、この限りでない。

この条文が唯一の義務条項だ。この条文に書かれていることは、テレビを設置したものはNHKとの間に受信契約をしなければならないことだけである。受信契約をする必要はあるが、受信料の支払い義務についての条項は放送法にはない。受信料についての規定はNHKが勝手に決めている内規にすぎず、これまでもNHKは何度も受信料についての規定を放送法に盛り込むよう政府に求めてきたが、その都度、門前払いされてきた。NHKがまだ公共放送としての良心を失っていなかった時代だったからかもしれない。
実際、いまでも保守的な国民は、NHKを朝日新聞と同列に扱って「左翼的傾向が強い」と思い込んでいる人が少なくない。朝日も例の慰安婦誤報謝罪騒動以来、報道姿勢を革新リベラルから保守リベラルに転換しつつあり、いまでは革新リベラル・メディアは毎日新聞と東京新聞くらいだ。
4年前にトランプが大統領になったことが、また安倍政権が7年8か月の長期にわたって続いてきたことも、あるいは習近平が覇権主義を強めてきたことも、時代の大きな変化の兆しといえるかもしれない。
資本主義経済の原理を唱えたアダム・スミスも、近代経済学の祖・ケインズや科学的社会主義経済の原理を主張したマルクスも、また来年の大河ドラマのモデルで新1万円札の肖像画になる「日本資本主義の父」と呼ばれている渋沢栄一も、高度に発達した先進国がそろって人口減少時代を迎えるなどということは予想も想定もしていなかった。
一人の女性が生涯に産む子供の数の平均値を「合計特殊出生率」(杉田水脈に言わせれば女性の「生産率」?)というが、経験値として人口を維持するためには2.08が必要とされているが、日本の場合はいま1.49で将来、社会保障制度が崩壊すると懸念されている。アメリカは白人の人口減少は想像以上で、すでに白人は少数民族になっている。白人以外のヒスパニック系・黒人・アジア系がまとまらないから、まだ白人優位の社会が続いているが、白人以外がまとまるような事態になれば世界がどういう時代を迎えることになるか、想像もできない。政治経験がまったくないトランプのような人物が大統領になれたのも、白人社会の危機感の表れといっていいかもしれない。
お隣の韓国も、実は日本以上の人口減少時代を迎えており、文大統領の反日政策も人口減少による経済停滞が原因かもしれない。
もっとリスキーなのは中国だ。現在は世界1の人口14億人を誇っているが、90年代の「一人っ子政策」のせいで人口がじわじわ減少し、2100年には人口が5億人を切るという試算もあるらしい。中国という巨大市場は今世紀のうちに消滅するかもしれない。
数年前、フランスの経済学者ピケティが、高度に発達した資本主義社会では格差が拡大するという理論を発表して話題を呼んだが、格差の拡大どころか世界中で供給が需要を上回る状態が生じ(実はもう生じている)、縮小した市場の争奪戦が始まるかもしれない。そのとき、人類の知恵が第3次世界大戦を未然に防ぐことができるかどうか、新しい「人類共存」のための理論が必要となるだろう。(17日)

【追記6】18日0:00現在、やはりNHKからの回答はなかった。私の問い合わせ内容はすでに明らかにしているが、NHKが確実に受理したという証拠に、メール送信した直後に返信があり、問い合わせ番号も添付されていた。
問い合わせ番号は D713064-3713085 である。
明日19日、改めてNHKに私の問い合わせがどうなっているのか聞く。
 まだ大方のメディアが菅総理の「庶民性」をヨイショしていた今月5日、私は『菅新総理が早くも強権体質をむき出しにしだした』と題するブログを投稿しており、それはジャーナリズムとしてはかなり早い方だったと自負している。
 なお、明日にはブログを更新する。河野行革相が強力に推進している行政改革はいまのところ私もある程度評価しており、携帯電話料金引き下げについても私の提案を書く。
 まだ書きかけの途中なので、書くかどうか決めていないが菅行革は野党にとっても踏み絵になる。菅行革の目的は中曽根行革や小泉行革と違って、中央省庁の従来の業務慣習に思い切ってメスを入れ業務の効率化を目指していると思われる。そのために口先だけに過ぎなかった小泉氏ではなく、実行力のある河野氏を行革担当相に起用し、いまのところ官僚の抵抗を押し切って大胆に業務の効率化を推進しようとしている。その展望と課題について明日のブログでは書くつもりだが、公務員の業務の効率化は無能な中間管理職が「針のむしろ」に座らされることを意味し、野党としては反対はしずらいが連合にもいい顔をしたいという、相反する立場に置かれることを意味する。
 共産党はともかく、新立憲が全国民のため行革に協力しながら、こういう効率化の方法もあると積極的に行革の旗振りを始められるかどうかに、新立憲の将来がかかっている。


 とくに国家公務員法改正には新立憲が前のめりなのが気になる。もともと政府は黒川東京高検検事長を検事総長にするため、検察庁法改正と抱き合わせで実現しようとした案件だ。その姑息なやり方は国民の反発もあって葬られたが、コロナ禍の襲来もあって国家公務員法改正も見送られる結果になった。コロナ禍で非正規社員が次々に職を失い、有効求人倍率・失業率も旧民主党政権時代以来の水準という困難な時代を迎えている日本で、なぜもっとも優遇されている国家公務員の定年延長を目的とした法改正を急ぐのか。連合のために汗をかく政党という烙印を押されたら、新立憲の未来はないことに執行部は気付かないのか。
私は公務員の定年延長に反対しているわけではないが、いまとなったら検察庁法改正と抱き合わせで行っても差し支えないはずだ。が、時期が悪い。まずコロナ禍根絶に全力を挙げ、失業に追い込まれている人たちの仕事を回復させてからの法改正だろう。
連合が公務員の定年延長を求めるのは分かるが、新立憲としては連合に一定の理解を示したうえで、「いま急ぐべき時期ではない。いまはコロナ禍根絶と仕事を失った人たちの仕事をいかに1日も早く回復するかが私たちの務めだ」と連合との微妙な距離感を保つことが重要な時期だ。そうでないと、仮に新立憲が政権を取れるときが来たとしても旧民主党の二の舞を踏むだろう。(18日)


 
 






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