小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

『週刊金曜日』はやはり社畜企業だった。

2009-12-01 20:03:01 | Weblog
 半年ほど前、私はブログで『週刊金曜日』は社畜企業だという趣旨の主張を書いた。その後同誌の北村編集長と電話で話し合う機会があり、北村氏は私の主張を否定し、「自分は佐高信と同格であり、私の編集方針に佐高が口を挟んだことはない」と主張し、北村氏が同紙の編集権を事実上握っていると言い切った。そしてその証拠として佐高氏に対して痛烈な批判をしたにもかかわらず、私にメガバンクに対する批判を同誌で書いてほしいと依頼された。
 私のメガバンク批判は、私がメインバンクとしているメガバンクの支店長自身が私のブログを読んで「まったくご指摘の通りです。一言の弁解もできません」と言ったほどだった。そのブログ記事の要点は、政府から公的資金の援助を受けて経営改善を果たしただけでなく、規模の拡大競争に走り、その結果集めすぎた預貯金の運用先として、こともあろうに博打に大金をつぎ込んだ結果、大損失を出したことを批判し、政府の支援策に対しても「これはメガバンクの自己責任だ。メガバンクを救済すべきではない」と主張し、その元原稿(私はブログ記事の原稿をワードで書いている)をプリントして金融庁と内閣府に送った。その効果があったのかどうかはわからないが、結局政府はメガバンクへの支援を中止した。
 かくして糧道を絶たれたメガバンクは今年6月1日一斉に、赤字の穴埋めのため3000億円を上回る増資を行うことを発表した。この増資策に対する批判を書いてほしい、というのが北村氏からの原稿依頼だった。その原稿の核心部分を転記する。
 
 米国で通常の銀行の審査には通らない低所得者を相手に住宅ローンを貸し付け(これをサブプライムローンという)、担保に取った土地と建物を有価証券化して(日本でもバブル期に不動産を担保にした抵当証券が出回りヒット商品になったことがある)世界中の金融機関やヘッジファンド(投機集団)に売りまくったのである。これに飛びついたのが金余りで困っていた3大メガバンク。我先にと買い漁った。その結果、米国の土地バブルの恩恵を受けた昨年度の決算では史上最高益を計上できたが、バブルが崩壊した余波を受けた今年度の決算では一転して史上最大の赤字を計上するハメになった。(中略)
 「ノーリスク・ハイリターンの金融商品などあり得ない」という常識すら見失ったメガバンクの経営陣がいま取るべき責任は次の四つしかない。
① 経営陣はすべての私財を投げ売って赤字幅をできるだけ縮小すること。
② 二度と博打が打てないように、銀行が果たすべき社会的責任の範囲(将来性が見込める企業を金融面で支え日本経済の発展に寄与すること、融資基準を少し緩めて若い夫婦が住宅ローンを借りやすくすること、カードローンの審査基準も少し緩め多くの人が高利の消費者金融に頼らずに済むようにすること)以上の資金を集めないこと。
③ そのためにはこれまでのような規模の拡大競争に終止符を打ち、②の範囲を果たせる範囲に規模の大幅な縮小をすること。赤字を埋めるためではなく大リストラを行うために必要な資金であれば、増資によって調達してもよい。
④ ここまでが現経営陣の責任で、あとは総退陣し、若い人に信頼回復を任せるべきである。そこまでやらないと、メガバンクに対する国民の信頼は回復しない。

 以上がメガバンク批判の要旨だが、この原稿を掲載したために北村氏は佐高信氏の逆鱗を買ったようだ(これは私の推測)。その後北村氏は私の電話に一切でなくなった。こういう場合の手法は①外出中②会議中、である。もちろん私は①お帰りになったら②会議が終わったら電話してください、と電話に出られた人に伝えた。それだけでなくその都度私の電話番号も伝えた。が、一度も北村氏からの電話はかかってこなかった。で、9月18日北村氏に抗議のFAXを送った。その全文をパソコンに保存しておけばブログ記事に張り付け投稿できたのだが、保存していなかったため肝心の部分だけもう一度転記する。「週刊金曜日」が佐高信氏の社畜企業であることが明確になるはずだ。

 まず抗議をさせていただきます。私が書いた銀行批判は「投稿」ではありません。貴殿(北村氏)からの依頼原稿のはずでしたよね。ただし私は以前から原稿料はいらないと言ってきましたから、報酬が500円の図書券2枚だったことについて不満はありません。ただその後貴社の営業の方から「投稿ありがとうございました。私たちは広告を取っていませんから読者がスポンサーです。ぜひ購読をお願いします」と電話があったことには極めて不愉快になりました。
 そのことはともかく、貴殿は私に二つの約束をされました。一つは真のジャーナリストを育てるため「週刊金曜日ジャーナルというサイトを立ち上げネットでジャーナリストを目指す人にチャンスを与えよう」という私の提案に全面的に賛同され、「私(北村氏)、当社のプロコンピュータ技術者、小林さんの3人で相談しよう」と言われましたが、それはいつになるのですか? 私は現在の頭脳が健全である限り、日本で最高のジャーナリストだと思っています。現にブログや「週刊金曜日」に書いた論文を超える論評をできる人はいないはずです。(中略)
 さて北村氏にお尋ねしたい。一つは私以上にフェアで論理的整合性を最重要視するジャーナリストがいたのですか? 言っておきますが、私は、ジャーナリストは日本国憲法が保障した宗教・思想・主義主張の自由を放棄すべきだと考えています。そうでなければ自分の価値観を基準に主張することになるからです。私のジャーナリスト論は「自分の主張が本当にフェアか、論理的整合性があるか」を赤子のような素直さで常に自ら検証する訓練を積むことです。私以上にそれだけ厳しい自己管理ができるジャーナリストが今日本にいますか。いたとしたらだれですか。そういう人がいるのであれば、その人にマスコミ評論をお任せください。
 次に私と約束した「週刊金曜日ジャーナル」というサイトを立ち上げ、まだ色に染まっていない若いジャーナリストやジャーナリスト志望者を育てようという構想はどうなったのですか。あの約束は気まぐれだったのですか?
 以上の質問に文書でご返事を下さるか、それとも私に会いに来てください。

 当然のことだと思うが、いまだ北村氏からの返答はない。「私と佐高は同格」と豪語した北村氏は、私が最初に会ったとき「私は社会部の出身」と誇らしげに語った。マスコミで社会部の出身といえば、いかなる権力にも屈せず、汚染もされないというのが通説である。だから北村氏は「私は社会部の出身」と胸を張ったはずだ。が、所詮「私は佐高と同格」と誇らしげに語った北村氏は佐高信氏の社畜でしかなかったことを自らの私への対応で明らかにした。
 私はジャーナリズムは日本で最高の権力者だと思っている。「週刊金曜日」など掃いて捨てるほどの価値しかないジャーナリズムでしかないが、読売や朝日は政府や官公庁すら手を出せない絶対的な権力を持っている。政府や官僚が読売や朝日の主張に口を出そうものなら、たちまち「言論弾圧」と金きり声をあげる。私はしばしば両紙に「この主張はおかしい」と批判の電話をするが、読売の読者センターはちゃんと対応してくれ、必ず「担当者にお伝えします」と言ってくれるが、朝日はお客さまセンターの部長代理の小堺氏が「小林の意見は聞くな」という指令を出して以降、私が電話すると「小林さんの意見は受けつけないことになっています」といきなり電話を切ってしまう(小堺氏の指令が届いてない方もいて私の意見に耳を傾けてくれる人もいる)。
 朝日の傲慢さはマスコミ界では有名だが、マスコミ界と縁がない人には朝日の傲慢さはご存じないと思う。
 いずれにせよ、マスコミは購読料を払って読んでいる読者の批判すら一切受け付けない。現に読売も朝日も読者の投稿欄を設けているが、読売や朝日の主張に批判的な投稿を掲載したことは一度もない。読売の読者センターの方は私について「もっとも影響力がある読者」と言っては下さるが、私の意見や提案が紙面に反映されたことはない。
 そもそも読売や朝日は「あの戦争(私にはそういう言い方しかできない。なお読売は昭和戦争を統一用語としており、朝日はもともとは岩波用語だったアジア太平洋戦争を統一用語にしている)についての報道は権力(軍部)に屈した」という誤った歴史認識をしている。「権力に屈した」ことは結果論として事実だが、もし読売や朝日が権力に屈せず、日本の侵略戦争を批判していたら、権力の弾圧を受ける前に読者からそっぽを向かれ、新聞はまったく売れなくなっていたはずだ。なぜなら戦意高揚の世論を煽ってきたのが読売であり朝日であった。つまり日本の侵略戦争の片棒を担いできたのがマスコミであって、権力に屈したわけでなく読者に迎合してきたのが当時の読売であり朝日だったのだ。だから読者の反発を買うことが必至の「戦争反対論」など書けるわけがなかったのだ。これが「あの戦争」の時の読売や朝日のスタンスであった。自ら読者の戦意高揚を煽ってきた読売や朝日が、今頃になって「権力に屈した」などとしおらしいことを言っても、その主張自体が自ら侵略戦争の片棒を担いできたことを覆い隠すための「免罪符」でしかないのだ。
 言っておくが、私は共産主義者ではない。いずれブログで書くつもりだが、マルクスが『ゴータ綱領批判』で明らかにした「社会主義社会では労働に応じて受け取り、共産主義社会では必要に応じて受け取る」という生産と分配の法則が、かつてのソ連をはじめとする共産党政権の独裁と腐敗を生む原因だったことだけ、今は明らかにしておく。

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