小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

国民金融資産は本当に過去最高を記録したと言えるのか?

2023-07-02 15:11:05 | Weblog
6月27日、日銀は3か月ごとに公表している「資金循環統計」で、国民個人が保有する預金、株式、保険などの金融資産は今年3月の時点で2043兆円に達し、過去最高を記録したと発表した。株式市場の上昇が要因とされている。
国民金融資産は昨年3月末気に比して1.1%の上昇だが、株価がバブル的上昇状況に入ったのは今年春から。この6月末の時点での国民金融資産は危険水域に入るほど急騰していると思われるが(日銀の発表は9月後半)、果たして喜んでいいのかどうか。本当に国民生活はそれだけ豊かになったのか~

●「悪夢」だったのは民主党政権時代だったのか
安倍元総理が民主党政権時代(2009年9月16日~2012年11月16日)について「悪夢」と決めつけたことは知らない人はいないだろう(少なくとも私のブログの読者では)。
確かに民主党政権時代、為替相場は【1ドル=79円台】に高騰して自動車や電気製品などの輸出産業は大きな打撃を受けた。その結果、株価も多少の波はあったが低迷し続けた。その要因について日本経済新聞は ①デフレ脱却への取り組みが弱かった ②成長より分配を重視する経済政策 ③外交面の失敗 ④規制緩和に消極的 の4つを上げている。
確かに経済成長は多少のインフレは必然的に伴うことは事実だが、需要増が伴わないのに金融政策で物価を押し上げることにたとえ成功したとしても、それが景気回復を意味するわけではない。
それだけが要因とまでは言わないが、インフレの最大の要因は需要が持続的に供給を上回り続けることで、メーカーは生産を増やす必要が生じ、その結果、設備投資や雇用の拡大、労働力が買い手市場になって賃金も上昇し、消費者の消費意欲が刺激されて需要がさらに拡大するという好循環が生まれるからである。バブルが崩壊するまでの日本経済の急成長はこうした好循環がかなりの長期にわたって続いたからである。
が、日経新聞が指摘したように、民主党政権が誕生する前からデフレ状態は続いており、別に民主党政権がデフレを助長したわけではない。そもそも日本経済の成長神話に終止符が打たれたのはバブル経済が崩壊した1991年3月以降だが、バブル経済時代も崩壊以降も政権を担ってきたのは自民党であり、行き過ぎた資産インフレを助長する金融政策をとり続けた日銀(澄田総裁)もその責めを負うべきである。
しかもこともあろうに、バブル景気の片棒を担いだのが大手銀行だった。支店長自らが融資先のデベロッパーやゴルフ場開発業者の営業マンになって投資用不動産物件やゴルフ会員権を売りまくったのである。かくいう私も取材で知り合ったメガバンクの広報部長などからいくつもの新設ゴルフ場の縁故会員の話を持ち掛けられて浅はかにも欲をかいて一時は10か所近くのゴルフ会員権を買い、バブル崩壊で大半の会員権は紙くずと化した。
ついでのことに、バブル期、たぶん世界で初めて日本で生まれた金融事業があった。「抵当証券販売」を行う金融企業である。この抵当証券事業というのは、デベロッパーやゴルフ場開発企業に対して土地・建物などの不動産を担保に融資を行い、担保に取った不動産を証券化して株式のように販売したのである。もちろんバブル崩壊によって不動産価格が暴落して抵当証券も紙屑化し、抵当証券会社も一斉に倒産した。
実はこの抵当証券事業をその後アメリカで始めたのがリーマン・ブラザース。日本でバブル景気が崩壊した後、世界の金融資産がアメリカに殺到しアメリカでも不動産バブルが始まった。日本の金融機関が住宅ローンを組む場合の審査はかなり厳しいが、アメリカではもともとかなりリスキーな住宅ローンを組む体質が中小の金融業者にはあった。こうしたリスキーな住宅ローン(サブプライムローン)を組むにあたって中小の金融業者が日本生まれの抵当証券事業をヒントにして担保に取った不動産を証券化して販売し融資金を調達した。この抵当証券を買いあさったのがリーマン・ブラザーズで、世界中の金融機関に抵当証券を再販売して一躍大企業になったが、バブルはしょせんバブル。アメリカの不動産バブル崩壊でリーマン・ブラザーズも倒産、その余波で日本の金融業界も大打撃を受けて山一証券や北海道拓殖銀行、東邦生命、日産生命などが倒産した。いわゆる「リーマン・ショック」である。ちなみにリーマン・ショックは民主党政権誕生前の自民党政権時代に生じている。
リーマン・ショックの後に誕生した民主党政権が経済成長至上主義的政策をとらなかったのはそうした事情もあったのではないかと私は考えている。
実はアダム・スミスやマルクス、近代資本主義経済理論の基礎を築いたケインズらが想像もしなかった社会現象がバブル期以前から世界の先進国を中心に始まっていた。
少子高齢化がその社会現象である。

●閑話休題――米軍が多大な犠牲を払って沖縄戦を始めた理由
ちょっと横道にそれる。先の大戦が終わって以降、おおむね世界の先進国は長期にわたって平和の時代をおくってきた。そして「第2の産業革命」と言われたエレクトロニクス技術の開発によって次々と関連産業が生まれ経済成長をけん引していった。
とくに敗戦国であり、東京以西の大都市はほぼ焼け野原と化した日本は、廃墟と化したことが経済復興の原動力になった。以前ブログで書いたことだが、米軍は1944年7月サイパンの日本守備隊3万人を全滅、この周辺地域を完全制圧した。米軍にとって最も重要だったのは日本軍が建設したテニアン島の飛行場だった。これをほぼ無傷で米軍は手に入れた。B25やB29による日本本土への空襲攻撃が始まったのはそれ以降である。広島・長崎への原爆投下もテニアン島から飛び立った爆撃機による。そういう意味では米軍は沖縄戦を強行する戦略的意味はなかったと私は考えている。
実際、おそらく米軍も沖縄守備隊の民間人まで動員しての猛抵抗は予想していなかったのではないか。ただ、こう考えれば米軍が多大な犠牲を出してまで沖縄戦量に固執したのは、沖縄諸島に存在していた飛行場が欲しかったのではないだろうか。
すでに書いたように、米軍による東京以西への空襲はほぼ日常的だった。が、東京以北へは米軍は空襲を行っていない。たぶんB25やB29の航続距離は往復で東京までが限界だったのではないか。東京以北を空襲するには沖縄諸島の飛行場を制圧する必要があったのではないだろうか。結果的には沖縄守備隊や民間人の激しい抵抗によって沖縄周辺の飛行場はすべて破壊され、終戦までに攻撃拠点として利用することが不可能だったと思われる。いまの沖縄を含む周辺の飛行場はすべて米軍が修復しあるいは新設したものばかりである。アメリカが沖縄支配にいまだ固執しているのはそうした事情もあったと私は考えている。「地盤たちが作ったのだから、自分たちに権利がある」…権利意識が強い個人主義の欧米人ならではの発想だ。

ちょっと話が横道にそれたが、適正な物価上昇(インフレ)は持続的な経済成長をもたらすことは疑いを入れない。需要が持続的に供給を上回っていれば【生産増加のための設備投資→従業員の雇用増加→賃金上昇→生産人口の可処分所得増加→需要増加→…】という経済成長の好循環が機能するからだ。
一方デフレはどういう状況か。需要が供給を下回るため物価が下落する。で、こういう悪循環が生じる。【メーカーは需給バランスをとるため生産調整を図る→設備投資をストップし雇用も手控える→賃金は下落→生産人口の可処分所得減少→需要減少→…】という経済停滞の悪循環が始まる。
が、実はデフレとかインフレはこうした単純な需給関係だけで決まるわけではない。経済環境を左右する決定的な2大要素があるのだ。

●アフリカを除く世界規模の社会現象はなぜ生じたか
現在先進国だけでなく、中進国も含めて世界中に大きな社会現象が生じている。「少子高齢化」の波だ。いまのところ、人口が増え続けている地域はアフリカ諸国だけなのだ。
「少子高齢化」と一言でくくられているが、実はこれは別々の社会現象である。ただ偶然同時期に二つの大きな波が世界を襲ったため一つの社会現象であるかのようにメディアが扱っているだけだ。
「少子化」は「合計特殊出生率」(一人の女性が一生の間に産む子供の数の平均値)が2.1を割ると人口が減少するとされている。OECD諸国でこの数値を上回っているのは周辺を敵対関係にあるアラブ諸国に囲まれ、戦前戦時中の日本と同様「産めよ増やせよ」政策をとっているイスラエルだけである。イスラエル以外で出生率が最も高いのはフランスの1.86だが、フランスはアメリカと同様多民族国家であり、合計特殊出生率を白人系と非白人系に分けて計算したら、おそらく白人系の出生率は大幅に下がっていると思われる。日本は21年が1.30,22年は1.26と持続的な減少傾向が続いており、岸田総理は「異次元の少子化対策」というアドバルーンを打ち上げたが、その政策は「異次元のバラマキ」でしかないことは今年3月30日にアップしたブログで明らかにしたので繰り返さない。
結論だけ簡単に言うと、日本国民が平和を享受し、高度経済成長の恩恵を被る中で子供たちとくに女性の高学歴化が急速に進んだ。日本の工業製品の品質向上に大きな役割を果たしてきた東京・蒲田や東大阪市の中小工業部品製造技術を継承してきた「金の卵」の中卒集団就職の時代はもう遠い昔の話になった。女性の高学歴化はもっとハイスピードで進み、現時点では4大卒の男女比はまだ男性のほうが4~5%多いが、短大卒まで含めると男女の高学歴化比率は逆転している。
社会や企業も女性の能力を活用することを重視するようになり、女性が社会で活躍する機会が増えている。まだ「男尊女卑」の風習を残している世界もあるが、女性の社会的地位は確実に上昇し、社会での貢献度は急速に高まっている。もう女性の生き方として「良妻賢母」を求める時代ではないのだ。
そういう大きな社会現象の波がアフリカなどを除いて先進国や中進国では急速に広がっている。当然、女性の意識も変わる。子育てや家庭を守ることより、社会でいかに自分の能力を発揮し、さらに自分自身が成長できるかに意識が大きく傾いている。女性にとって結婚や出産、子育てがもはや人生のゴールではなくなっているのだ。だから「子育て支援」は金で解決できる問題ではなく、自分の価値観と子育てを両立させうる社会をどうやって作っていくかが重要であって、「子供を産み、育て、教育にかかる費用さえ援助してやれば少子化対策になる」という愚かな発想は、かえって女性たちの反発を買うだけだ。
いずれにせよ、少子化に歯止めをかけられなかったら日本を含む先進国・中進国の人口は減少に向かう。もうすでに日本だけでなく問題化しているのは人口構成がいびつになっていることだ。
私はしばしば人口構成を「地下1階地上2階」の建物に例えて書くことがあるが、地下にはまだ社会に出ていない赤ちゃんから学生までの人たちが棲んでいる。1階の住民は仕事をしている現役世代(生産人口)。そして2階には私のようにリタイアした年金生活世代。健全な社会を維持し、さらに経済活動を支え、生産と消費の中核をなす現役世代が減少し続けているのだ。
はっきり言わせてもらう。私たち年金世代は現役時代、額に汗して必死に働き、税金を納め、年金も払って当時の年金生活者の生活を支えてきた。いま私たちが年金世代になった時、当然今の現役世代に生活を支えてもらう権利がある。権利はあるが、その権利を行使できなくなりつつある。現役世代が減少し、そのうえ現役世代の収入が増えないため2階の住民の生活を支えることができなくなりつつあるからだ。いまの現役世代が2階に上がって年金成果者になった時、2階を支える柱がボロボロになって建物が崩壊する。
確かに現在の年金制度であるマクロ経済スライド制は現役世代が支払う年金の範囲内で年金支給の総額を定めるやり方だが、年金制度そのものは100年どころか1000年でも理論上は持つことになるが、年金だけでは生活できなくなった人たちの最後のよりどころは生活保護にならざるを得ない。現に、いま生活保護の申請が各自治体に殺到しているようだ。

●高齢化現象を解決する方法は一つしかない
『21世紀の民主主義』なるちょっと興味をそそられる著書を書いて日本でも話題になった米エール大学の助教授・成田悠輔氏がとんでもない「高齢化対策」を提案したことがある。「高齢者集団自決」論だ。
確かに昔、日本には「姥捨て山」文化があった。日本が農業国家だった時代で、農作業などもできなくなり、寝たきり状態になった高齢者を山の中に作った雨露しのげる掘立小屋に運び、息を引き取るまで水と多少の食料を家族が定期的に運ぶという風習だ。成田は、その時代を想定したのだろうか。
現実問題として、集団自決など強制できるわけがないが、高齢者の長寿化を合法的に抑える方法がないわけではない。
そもそも平均寿命がなぜ延び続けたのか。それを分析しないことには解決策は見つからない。長寿化の要因は3つある。 ①医療技術の高度化(医薬品や医療機器の開発) ②健康志向の高まり(核家族化が進み、子供たちの世話にはなれないことから自分で自分の健康は責任を持たざるをえなくなったこと)。その結果、サプリメントで栄養補給をしたり、ゴルフやフィットネスクラブでの運動。 ③家庭生活の崩壊によって「昼カラ」や「ディサービス」などで家族以外との人間関係の構築。
この3つの要因のうち、政府がやれることは高齢者に対する保険医療の制限だけだ。具体的には医療費が膨大になる高度先端医療を、高齢者に対しては健康保険対象外にすること(例えば後期高齢者の75歳以上にするなど)。ただし、高度医療保険制度を充実させて、その保険に入れば健康保険ではなく高度医療保険の適用によって高度医療を受けられるようにすること。
また本人が望めば病状によって安楽死を認めること。また植物状態の患者に対しては家族の同意、あるいは第3者委員会の判断で医師が安楽死させることができるようにすること。こうした方法以外に高齢者の増加を防ぐことは不可能である。
高齢者増加を法的に防ぐ方法はこれ以外にはないが、いずれの方法をとるにせよ、現在の法制度の下では不可能である。はたしてこのような法制度改正が可能かどうかは広く国民の議論を経る必要があるので、早急に解決することは困難と思われる。

●国民金融資産が最高水準に達したのに、なぜデフレ脱却できないのか
世界経済はいま大きな曲がり角に差し掛かっている。すでに書いたが「少子」「高齢」化の波がアフリカなど一部の地域・国を除いて大きなうねりとなって世界中を覆っている。子供の数が減り続ければ、当然生産人口(現役世代)も減り続ける。一方高齢者は増え続ける。
が、高齢者は金をあまり使わない。ちょっと古いが総務省統計局が2002年に行った2人世帯の家計調査がある。それによると全世代の月平均家計支出は28万999円で、うち食費支出は7万7095円、エンゲル係数は27.0%である。エンゲル係数とは家計支出に占める食費(外食も含む)の割合を示した数値で、エンゲル係数が高いほど文化的生活水準が低くなる傾向にある。現役世代でエンゲル係数が最も高いのは40代前半で30.3%だが、それ以降はいったん減少するが、リタイア後の70代前半には30.0%、80代前半になると33.7%まで増加している。
私は昨年10月17日にアップした長文のブログ『日本の消費者物価が欧米並みに高騰しない本当の理由を、NHK「日曜討論」の識者たちは分かっていない』で明らかにしたが、金融庁が老後生活の不安を煽り立てた、いわゆる「老後2000万円問題」がいかにでたらめかを数字で明らかにする。
金融庁が行った試算の根拠は夫が65歳で定年退職し、60歳の妻が専業主婦の場合、厚生年金収入だけでは月5万5千円生活費が不足し、夫婦が30年間生き続けるとして不足額を計算すると【5.5×12×30=1980】で、約2000万円不足することになるというものだ。
確かに総務省統計局の超セでも定年退職後の60台前半の家計支出は月30万2950円、60台後半でも27万1365円支出しており、厚生年金だけではかなり不足する計算にはなる。が、その後70代では24万円台、80代では19万円台と家計支出は急減しており、年金収入ではかえってお釣りが出るようになる。金融庁の高級官僚の頭の悪さがよ~く分かっただろう。
私がこの稿で証明したかったのは、高齢化するほど消費支出が減り続け、日本経済の足を引っ張っていることを明らかにすることだった。一方、高齢者にかかる社会福祉費用は増える一方で、しかも高齢者福祉を支える現役世代は減少の一途をたどっている。しかも金融庁の「老後2000万円問題」もあって消費活動の中核をなしている現役世代の消費意欲が減退し、老後のための預貯金に回す傾向が強まっている。
国民の金融資産がいくら増えても、それが消費に回らなければ(つまり需要が増えなければ)デフレからは絶対に脱却しない。安倍元総理や岸田総理はサラリーマンの給料を増やせ増やせと経済団体の尻を叩いて、正規社員の給料はそれなりに増えてはいるが、買いたいものがなければ消費は増えず、デフレは止まらない。なお今の食料品など生活必需品の物価上昇は全く別の要因で生じており、電気代や食料品が高騰した分、かえって自動車や電気製品の需要が減少するという結果を招いている。

●消費意欲を刺激する新しい工業製品も誕生していない
さらにもっと大きいのは、戦後の日本の高度経済成長を支えてきた「3種の神器」や「3C」といった消費意欲を刺激する商品が2000年代に入ってほとんど生まれていないことだ。せいぜいスマホが1人1台と普及しているが、スマホの値段なんか昭和時代の「3種の神器」や「3C」に比べたら景気をけん引するほどの力にはなりえない。
また若い人たちの都市集中が進み、大都市では公共交通機関が整っていることもあってクルマ離れが激しい。家電製品に至ってはエレクトロニクス技術の進歩によって製品の寿命が大幅に向上して買い替え需要も大きく後退している。地デジ放送がスタートしたのは2003年12月だが、その時私は初めてブラウン管テレビから液晶テレビに買い替えた。ブラウン管テレビの平均寿命は7年と言われていたが、ブラウン管の場合、故障すると一瞬で画面が真っ暗になってしまい、買い替えるしかなかった。
が、今使っている液晶テレビは今年で満20年になるが、まったく故障しない。おそらく顕微鏡で細かく調べれば、画面を構成している液晶の数%は故障しているだろうと思うが、一度に10%くらいの液晶が故障でもすれば画面の不鮮明さにすぐ気づくだろうが、20年の間に少しずつ故障していったらまず気づかない。量販店などで新製品のテレビを見れば、「あ、きれいだな」と思ったりすれば買い替え需要に結びつくかもしれないが、用もないのにわざわざ量販店に行ったりしない。
それに一般消費者の画質に対するニーズはそれほど高くない。たとえば昔の録画装置であるVTRの場合、私の娘はドラマなどを3倍録画して週末にまとめて見るようにしていたが、画質に対するニーズはその程度なのだ。だから4Kだ、8Kだとメーカーは売り込みに必至だが、高画質を求めて買い替える需要層はそう多くはないと思う。が、音質にはこだわるユーザーがかなりいて、いまのCDに変わる画期的な音質のオーディオ機器が誕生したらかなり大きなマーケットが生まれる可能性はある。
そういう状況下で経済成長を目指そうという経済政策自体が、もはやアナクロニズムとさえいえる。

●国民金融資産の増加で日本人はかえって貧乏になった
通常、私たち一般国民にとってお金は物を買うための手段である。クレジットカードで買う場合、その場では現金は必要ないが、カードの決済日には引き落とし銀行に預金残高がないと大変なことになる。
しかしお金にはもう一つの顔がある。お金が商品という顔を持つ世界があるのだ。その世界でお金の本当の価値が決まり、いまは10万円で買えた商品が1年後には12万円払わないと買えないということが生じうる。そうするとたとえ給料が5%上がったとしても、お金の価値が下がってしまうため給料は上がったが、かえって生活は貧乏になるのだ。
実はお金の価値は生産者と消費者では相反する。たとえば1ドル=100円だった場合、輸入価格が100ドルの商品の場合は100×100=1万円で買えることになる。ところが1ドル=140円の円安になると輸入価格100ドルの商品を買うのに100×140=1万4000円払わなければならなくなる。
ところが生産者の場合、原材料も含めてすべて国内調達したとして100ドルで輸出した場合、1ドル=140円の為替相場だと日本円で1万4000円もお金が入ることになる。
逆に1ドル=80円の円高になった場合、消費者は輸入価格100ドルの商品を8000円で買えることになるが、生産者の場合は100ドルで輸出した場合生産者に入るカネは8000円にしかならない。
確かに民主党政権の2年半の間に円高が進んで1ドル=80円を切った年もあった。その結果、輸入品価格が暴落して消費者の家計は潤ったが、輸入品価格が下落したため物価も下がり、いわゆるデフレ状態になった。その一方生産者は輸出競争力を失い、株価も低迷した。
この状態を安倍元総理は「悪夢のような民主党政権時代」と決めつけたのだが、為替相場を円安誘導して生産者の輸出競争力を回復しようとしたのが、いわゆる「アベノミクス」である。
が、安倍氏が見落としていたのが日本製品の輸出先である先進国・中進国の現役世代人口が減少してマーケットそのものが縮小していたことだ。つまり円安誘導して日本企業の輸出競争力を回復させても海外市場が縮小していたため円安効果がほとんどなく、生産者は増産しても売れないから設備投資もせず、したがって雇用も増えず、わずかばかりの賃上げでは購買力に火が付くわけもなく、円安による輸入品価格だけは上昇したが、肝心の日本も現役世代の縮小で購買力は増えず、「消費者物価2%上昇」というインフレ目標は「絵に描いた餅」に終わってしまったというわけだ。
円安誘導のために行った日銀・黒田総裁の「バズーカ砲」によって円安は急速に進んだが、すでに見てきたように「円安効果」でかえって消費の手控えが進み、いまや円の価値は民主党政権時代に比べて6割近く下落した【80÷140≒57%】。言い換えれば国民金融資産の価値は民主党政権時代の約6割の価値しかないことを意味する。
ということは、国民金融資産は民主党政権時代より6割増えていなければ、国民はかえって貧乏になったことになる。なお民主党最後の年、2012年末時点の国民金融資産は1546兆円。したがってその6割増しの金額は2473兆円になる。ということは現在の貨幣価値を基準にした場合、国民金融資産は民主党政権時代に比べて2043÷2473≒82%に減少していることになる。この計算、高橋洋一氏でもできないだろうね。
かといって今更日銀が金融緩和政策を転換したら確実にスタグフレーション(悪性インフレによる大不況減少)が生じる。進むに進めず、引くに引けずの状態に日本経済はいまある。民主党政権時代は「悪夢」だったとしたら安倍政権以降は「地獄」と言うしかない。
民主党政権時代に比してお金の価値は約6割に減少したが、それに間尺が合うだけ国民金融資産は増えてはいない。むしろ貧乏になったと言っていいだろう。






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