小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

佐高信が主宰する「社畜」企業『週刊金曜日』の実態 ②

2009-05-11 21:24:35 | Weblog


(以下佐高氏に対する批判の原文に戻る)
 いずれにせよ、水と油の連合と全労連を共闘させるにはこの程度のデータはジャーナリストの心得として調べておくべきでしょう。ただ「共闘」「共闘」とひたすら叫ぶだけだった佐高氏の発言に何の説得力もなかったのは当たり前といえば当たり前の話でした。
 ここまでは佐高氏の無能を証明しただけでしたが、氏は嘘までついています。高木氏(連合会長)とのインタビューの中で佐高氏はこう言っています。「私も経済誌の編集者として経営者をたくさん見てきましたが、昔は首切りというとまず経営者が自分の首を切っていましたよ」と。私は寡聞にして従業員の首切りの前に自分の首を切った経営者がいた(ホント?)ことをまったく知りませんが、佐高氏がそう断定する以上実例を示すべきでしょう。ジャーナリストが過去の事実について断定できるのは、その「事実」が周知の事柄であった場合だけです。ひょっとしたら私の無知のせいかと思い、朝日と読売にそういう「事実」があったのかどうかの確認を求めましたが、佐高氏の主張のウラは取れませんでした。もし佐高氏が経済誌の編集者として取材でそういう奇特な経営者がいたことを知りえたのなら、少なくとも周知の事実ではないのですから実例を出して「事実の証明」をすべきです。それどころか佐高氏によれば彼が編集者だった時代は経営者が従業員の首切りより先に自分の首を切ることが一般的であったかのような主張をしています。そうなるとひとりや二人の奇特な経営者がいたのかどうかなどという問題を通り越して、佐高氏のジャーナリストとしての資質と資格が問われることになります。つまり佐高氏は「昔の経営者はまず自分の首を切る立派な人ばかりだったが、今の経営者は違う」と言いたかったようで、それが彼の「辛口」の本性なのですね。
 さらに問題なのは、せっかく連合会長と全労連議長という日本の労働界を代表する二人とインタビューする機会を得ながら一番大切な質問を二人にぶつけなかったことです。それは「労働者が主張する権利の要求はすべて正当だと思っていますか?」というものです。もう私が何を言いたいのか賢明な『週刊金曜日』の編集委員の皆さんにはお分かりだと思います。そうです。社保庁の職員、大阪市役所の職員、UR都市機構の職員、雇用能力開発機構の職員、彼らも連合や全労連傘下の組合員です。その人たちがどういうことをしてきたか。そしてその人たちに対して労組やその上部団体である連合や全労連はどういう責任の取り方をしてきたのか。ほとんど実現不可能な「共闘」を呼びかけナベツネの真似事みたいなことをする前に、ジャーナリストにとっては「義務」とさえいえる批判をなぜしなかったのか。私がこの文書の冒頭で佐高氏の「辛口」は「商売道具」にすぎぬと書いたのはこうした確固たる根拠があったからです。
 これで佐高氏批判を終えますが、『週刊金曜日』が真のジャーナリズムを目指す存在であろうとするなら、この文書を同誌に掲載し、佐高氏に反論していただきたいと思います。

 それから約1週間後、私は『週刊金曜日』の編集長・北村肇氏を訪ねた。北村氏は会うなり「私は社会部の出身(筆者注・マスコミ界で絶対にあらゆる誘惑を受け付けず、汚染されない記者集団として知られているのが社会部とされている)で、『週刊金曜日』は私と佐高が代表者です」と胸を張った。そして「私の佐高批判の文書は編集委員全員(雨宮処凛・石坂啓・落合恵子・佐高信・筑紫哲也・本多勝一の6氏)にお渡ししてあり、編集委員の了解が得られれば必ずご希望に沿うようにします」と約束してくれた。
 さらに「佐高は実は大雑把なんです。小林さんのような緻密な思考力に欠けていることは事実です。佐高には多分反論できないでしょうね」とまで言った。その忌憚のない発言で私は北村氏を信用した。そしていま私の最大のテーマはマスコミを権力の座から引きずり落とし、真のジャーナリズムを日本に根付かせることだと伝えた。北村は「私もこれからマスコミ評論にもう少し力を入れていこうと思っています。その時期が来たら小林さんにもお願いしたいことがいっぱいあります」と言ってくれた。
 結局私の佐高批判は『週刊金曜日』に掲載されず、佐高氏からの直接の反論もなかった。だが、私がブログでマスコミ批判を始めたことは北村氏に伝え、投稿するつど北村氏には伝えてきた。そして決定的な瞬間が訪れた。昨年の6月24日、私は『小林紀興の社会保障制度改革論』というタイトルのブログ記事を投稿した。そして翌日北村氏に電話してそのことを伝えようとしたが、北村氏から「もう読みました。特に前半の税制改革論は素晴らしいと思います。読者の共感も得られると思います。いつも小林さんから電話をいただいて申し訳ありません。今度は私のほうから必ず電話します。小林さんの提言を『週刊金曜日』でどう扱わせていただくか、早急に編集会議に掛けます」と言ってくれた。
 が、1週間経っても2週間経っても北村氏からの電話はなかった。痺れを切らして北村氏に電話をかけたが「外出中」とのことだったので、「ではお帰りになったら電話をいただきたい。ただし、北村氏が佐高氏の社畜になられたのであれば結構です」と伝言を頼んで電話を切った。案の定、北村氏から電話はなかった。初めて北村氏に会ったとき、「私は社会部の出身」と胸を張り、「『週刊金曜日』は私と佐高が代表」と同格であると言った北村氏の実態がこの1件ではっきりした。
 そもそも「社畜」とは経営者の言いなりになって、自分の意思で行動することができなくなったサラリーマンを意味する造語で、佐高氏が流行らせたため、佐高氏の専売特許のように思われているが、この造語を考案したのは小説家の安土敏氏である。佐高氏はそのことを全く明らかにせず、あたかも自分が考案した造語のような厚かましい使い方をしてきたため、世間はすっかり佐高氏の造語と思い込んでしまったが、その佐高氏が『週刊金曜日』の社員(編集長でさえ)を「社畜」として扱っていることもこの1件で明らかになった。
 結論  佐高信氏はもはやジャーナリストでもなければ、会社に飼いならされた社員を「社畜」と呼ぶ資格もない傲慢な経営者にすぎない。                                                                                         


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