小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

佐高信が主宰する「社畜」企業『週刊金曜日』の実態 ①

2009-05-11 21:15:34 | Weblog
 もうかなり古い話だが、ないがしろにできないことなのでブログで公表することにした。佐高信氏が主宰する週刊誌『週刊金曜日』の問題である。
 あらかじめお断りしておくが、私は定期的講読者ではない。企業の広告は一切載せないという方針のため薄っぺらい週刊誌が500円もするので、私の住居に近い公立図書館で時々読む程度である。その図書館の職員の話では週刊誌としては文春、新潮に次ぐ人気だそうである(ただし現代やポストは置いていない)。それは結構なことだが、一体佐高信という男はどういうジャーナリスト精神を持っているのか、極めて疑問に思わざるを得ないインタビュー記事を掲載したことがある。佐高氏はかなり前、『文芸春秋』で「日本には本物のジャーナリストは3人しかいない。自分と内橋克人と(高校か大学かの)恩師がその3人だ」と自負したことがある。ただ私が異様に感じたのは学校の教師をジャーナリストとして規定したことと、当時内橋氏は佐高氏を可愛がっており、ヨイショするのが目的だったという感じを受けたことだった。また両氏の対談集が本になったこともある。そうした過去を考えると佐高氏が『週刊金曜日』を立ち上げるに際し、編集委員に内橋氏の名が入っていないことにも異様さを私は感じた。佐高氏が内橋氏に依頼しなかったのか、それとも内橋氏が佐高氏の依頼を断ったのか。もしそうだったら内橋氏が最近の佐高氏のジャーナリストとしての姿勢を問題視するようになった可能性が高い。
そのことはそれほど重大な問題ではないので、これ以上の詮索はしないが、「辛口」評論家を自負している佐高氏の姿勢に疑問を持たざるを得ないインタビューだったので、かなり前の記事ではあるが、ブログで佐高氏の姿勢を問題として取り上げることにした。そのためにも現役時代の私のジャーナリストとしてのスタンスを明らかにしておきたい。私のジャーナリズム論は、改めて朝日新聞の主筆(新聞社における主筆は社長と同格)になった船橋洋一氏が2007年7月25日の朝刊1面に発表した「ジャーナリズム再興論」の検証を通じて明らかにすることをお約束する。

私が、活字離れがとめどもなく進行していく中で、この本が売れなかったらリタイアする覚悟で書いた32冊目の著書『西和彦の閃き 孫正義のバネ』(1998年3月、光文社発行)で「まえがき」と「あとがき」に私のジャーナリストとしてのスタンスを次のように明らかにした。
 まず「まえがき」ではこう書いた。「最後に、ジャーナリストとしての私の信条を述べておく。批判するときは愛情をもって、評価するときは批判精神をもって……」と。
 そして「あとがき」の冒頭ではこう書いた。「私は本書の執筆に際し、二人のアントレプレナーに対しここまで手厳しく迫るつもりは、当初はなかった。西も孫も私の取材に気持ちよく応じてくれた。ただ私のスタンスは、二人のアントレプレナーのほうにではなく、私の本を、お金を出して買い求めてくださるだろう読者のほうに向いていたというだけのことである」と。
 ついでに書いておくことがある。私は著書のゲラを必ず取材先にチェックしていただいてきた。ただし条件をつけさせていただいた。「チェックしていただくのはファクト、つまり私の誤解で事実と異なることを書いてしまった部分だけ訂正します。それ以外、特に私の主張は、誤解や錯覚によって行ったケース以外は絶対に変えませんので、貴殿の主張と異なっていても訂正はしません。ただ例外として私の主張に対する合理的な反論があれば、私の主張は変えませんが、貴殿の反論を追加記述します」と。
 実はこの姿勢がしばしば問題になった。この本の場合でいえば、私はかなり西氏に厳しく書いた。西氏が嫌いだったわけでもなく、西氏も私にビル・ゲイツ氏とけんか別れした原因とビル・ゲイツ氏が日本に来てアスキーとの提携の解消とマイクロソフトの日本法人を設立することを発表するための記者会見(私も出席していた)を行ったとき、西氏は隣の部屋でゲイツ氏の一方的な説明を聞いていてゲイツ氏をぶん殴るため会場に入ろうとしたのを、アスキーの会長だった郡司明郎氏が西氏の腕を掴んで必死に止めたという秘話を「誰にも明かしたことはないけど」と私にはじめて話してくれた。それほど好意的に取材に応じてくれた西氏に手厳しかったのは、西氏の経営姿勢が行き当たりばったりの思いつき経営だったことが取材によって得た私の論理的結論だったからだ。そのゲラを読んだ西氏からは「これで結構です」という返事をもらった。
 一方孫氏についてはかなり高く評価した。特に「孫」という韓国姓のままで日本国籍を取得するため数年がかりで市役所の戸籍係と交渉して来たが、つねに「孫」という姓の日本人がいないという理由で受け付けてもらえなかった。日本国籍を取りたければ日本人が持つ姓に変えろというのが役所の言い分だった。そういう状況の中で孫氏が日本女性と結婚することになり、婚姻届を出そうとしたが、やはり「孫」姓での婚姻届は受け付けてもらえず、妻が裁判所に「夫の姓で婚姻届を出したい」と訴え、勝訴した。その結果「孫」姓の日本人が初めてできた。孫氏はその結果を役所に申し立て、すでに「孫」姓の日本人がいると主張し、ついに姓を変えずに日本国籍を獲得した。その彼の姓に対するこだわりについて私はこう書いた。
「孫は、韓国姓へのこだわりを貫き通すことで、日本人としての誇りを自らの内に確立したかったのではないかと、私は推測する。彼のような人を同胞として持てたことを、われわれ日本人も誇りとすべきであろう」
 しかし私は孫氏の経営者としての問題点も二つ批判した。孫氏は自分の経営戦略(あるいは経営ポリシー)を「デジタル情報インフラの分野で世界一になること」と常々公言していた。そうであるならばおかしな事業展開が二つあった。一つはアメリカの増設メモリーボードの最大手企業だったキングストン・テクノロジーを1620億円という巨費を投じて買収したことだ。「この買収は孫さんのポリシーから外れているではないか」と私は指摘した。それに反論して孫氏はこう主張した。「パソコンが情報を提供するメディアだとすると、情報の容れ物に相当するのがメモリーボードで、その分野のナンバーワンがキングストンです。例えば出版の世界でいえば紙に相当するのがメモリー。つまりメモリーはデジタル情報のインフラの一つなんです」孫氏を取材したジャーナリストのすべてがこの非論理的説明をすっかり鵜呑みにしてきた。が、私はこんなこじつけにごまかされるほど馬鹿ではない。で、「キングストンはパソコンの周辺機器メーカーであり、それをあえてデジタル情報インフラと位置付けるなら、パソコン関連のビジネスはすべてデジタル情報インフラになるではないか」と主張した。このやり取りの結果、孫氏はついに本音を吐いた。「実はキングストンを買収した理由は三つあります。一つはJスカイBの創業赤字をどう埋めるか。おそらく2~3年はソフトバンクだけで100~200億円の赤字を覚悟しなければならない。その赤字を埋める収益源が必要でした。二つ目はソフトバンクはソフトだけを流通させてきたわけではなく、現在では売り上げの5割以上がハードになっていてその中心がメモリーボードなんです。だから、いずれはやりたいと思っていたんです。三つ目はキングストンの二人のオーナーとずっと付き合ってきて、彼らならそのまま経営を任せることができると判断しました」。 
 これがキングストン買収の本音だった。そこで私はこう書いた。「だがもしそうなら、キングストンはソフトバンク・グループにとってまったく異質な存在であり、もちろんグループ各社とのシナジー効果など望むべくもない。私はキングストン買収は単に孫個人の“ハードもやりたい”という、自らのストラテジーと反する個人的感傷によるマネーゲーム以外の何物でもない」と批判して「すぐにも手放すべきだ」と主張した。
 もう一つは、孫氏が“メディアの帝王”と呼ばれていたルパート・マードック氏と組んでCS放送局のJスカイBを設立しようとしていたことだ。もちろんJスカイBだけが日本でCS放送を計画していたのだったら成功する可能性が高いことは私も否定しなかった。しかし当時すでにパーフェクTVとディレクTVという二つのCS放送局が先行していて、そこにJスカイBが割り込んだら共倒れになることは必至であるという結論を、別の取材によって得ていたからだ。実は主要国に研究者を派遣してTV(地上波)や衛星放送(BSやCS)の状況を調査しているところが日本に一つだけある。東京・港区の愛宕山にあるNHK放送文化研究所である。そこを訪ね、マードック氏がメディア事業を展開しているアメリカ・イギリス・オーストラリア・香港の各研究者にマードックの事業状況について取材した。その結果、アメリカとイギリスでは大成功したが、オーストラリアはまあまあ、香港は大失敗していることが分かった。その中で日本でCS放送がどの程度根付く可能性があるかを考えるのに参考になるのはイギリスと香港のCS放送の状況であることが分かった。簡単に結論を言うと、イギリス政府はアメリカのような文化的退廃を嫌い、TV放送はエンターテイメント番組がほとんどなかった。イギリスに民放が誕生したのは敗戦国日本より2年もあとの、言うならメディア後進国だったのだ。そこにマードックがエンターテイメントを主力にしたCS放送を始めたため、イギリス人にとってはまさに干天に慈雨だった。つまり最初から成功が約束されていたようなものだった。が、それはイギリスの政界やメディア界に巨大な影響力を持っていたマードック氏だからCS放送を始めることができたのであって、マードック氏以外には不可能な事業だったのである。一方香港ではなぜ大失敗したか。香港には日本の首都圏のようにエンターテイメント主体の地上波が乱立し、食うか食われるかの競争をしており、マードック氏といえどもエンターテイメントを武器に乗り込んでも入り込む余地がなかったのである。この成功と失敗のケースを孫氏はまったく調査していなかった。彼がこの情報を得たのは私が渡したゲラによってであった。そのことは率直に孫氏も認めたが、私が出した結論「テレビ電波そのものが、地上波も含めていずれすべてがデジタル化されるのは間違いないだろうが、そうなってもCSの生き残りは極めて難しいと思う。孫は深手を負わないうちにCSから手を引いたほうがいい、と私は考えている」という結びの文について孫氏は必死に反論を試みた。孫の言い分は書き加えるが、その主張に対しての私の批判も書かせてもらう、と私は応じるしかなかった。私への説得が無理とわかった孫は最後に「私はこの事業に命をかけている。それをわかってほしい」と哀願してきた。私は「私もジャーナリストとして命をかけて書いている。命をかければ成功するなら、みんな成功する」と応じた。延々3時間かけた孫との論争はこれで終止符を打った。私は武士の情けとして孫の非論理的懇願は本に書き加えなかった。のちにソフトバンクの広報室長から「もう2度と小林さんの取材は受けない。そのつもりでいてくれ」と孫から言われたと聞かされた。そのことを今になってブログで明らかにしたのは携帯電話の番号ポータビリティが実現し、ソフトバンクが参入することが明らかになった時点で、私はソフトバンクが大躍進するだろうと思い、講談社に企画を持ち込み、編集会議で正式に企画が通ったことを副編集長(当時)の間渕隆氏から伝えられ、ソフトバンクの広報室副室長(当時)栃原且将氏に取材を申し入れた。栃原氏は講談社という日本最大の出版社から上梓されるということを大いに喜び取材を受け入れることを述べた。ただ私は孫との間で論争になった過去の事件を伝えておく必要があると思ったので、栃原氏にそのことを話した。数日後、栃原氏から電話があり、「本を読みましたが、小林さんがお書きになった通り、キングストンからもCS事業からも孫は手を引きましたし、全体的には高く評価していただいていますから孫もいつまでもこだわっていないと思います。で、孫に取材する前に携帯電話事業の実質的責任者であるソフトバンクBBの取締役副社長兼COOの宮内謙と常務取締役の宮川潤一の二人に取材して頂きたいのですが」と言われ、私も承諾して両氏に取材した。さらに栃原氏は講談社の間渕氏を表敬訪問したいと私に仲介を求めた。が、そこまでの時点から栃原氏との連絡が全く取れなくなった。代わりに広報室アソシエイトの中村仁氏が電話口に出て「栃原は外出中なので私が御用件を伺います」と言うので「ではお戻りになったら電話をもらいたい」と申し入れたが、栃原氏からの電話はなかった。そういうケースが何回か続き、結局孫氏が昔のことにいまだにこだわり、取材を拒否したと判断せざるを得なくなった。
こうしたケースの場合、私が告訴すれば間違いなく損害賠償の要求が認められるが、訴訟を起こすのも面倒くさく、孫氏の人間的体質の卑劣さを知ったことを、いつかチャンスがあったら公表することで孫氏の人間的体質を明らかにすべきだと思ってきた。佐高氏への批判が本来の目的であるこのブログ記事で、私のジャーナリストとしてのスタンスを明らかにする好材料として孫氏の私に対してとった行動を明らかにしたのはそういう意味もあったということである。
 
さて本論に戻ろう。私が孫氏の卑劣さをこの機会に書いたのは、佐高氏も孫氏に負けず劣らずの卑劣漢であることを証明するためであった。 
いま私が問題にしようとしていることは昨年の『週刊金曜日』1月11日号に掲載した連合と全労連のトップとのインタビュー記事である。この記事に対し私は痛烈な批判の文書を書き、編集部に送った。その全部を転記するのは消耗な作業になるし、私は佐高のようなチンピラをジャーナリストとして認めていないので要点のみを転記(あるいは要約)することにする。(以下『週刊金曜日』の編集部に送ったFAXの一部を転記する)

 さて辛口を商売道具(失礼!)にされている佐高氏のインタビューですが、連合と全労連の共闘を主張された意図がまったくわかりません。連合と全労連はその発足の経緯を考えればそれぞれバックの旧社会党系の総評の流れをくむ連合と共産党系の全労連は水と油の関係にあり、原爆反対の運動にしても労働者の「祭典」(と化した)メーデーでも同一歩調を取ることができない状況からして(共産党系の全労連は「民主連合戦線」を熱望している同党の意を受けて連合に秋波を送り続けていますが)共闘する可能性はたった一つのケースを除いて皆無と言っていいでしょう。佐高氏が、ナベツネが画策した(ナベツネは小沢が言いだしっぺだったと言っていますが)保守大連立(連合を抱え込んでいる民主党が革新政党でなく保守政党とみなされている奇妙さは置いておいても)に張り合って労働大連立を画策しようと考えているとしたら思い上りもいいところであり、氏の無知ぶりをさらけ出したインタビュー記事でありました。
 と批判しただけでは佐高氏は痛みも痒みも感じないでしょうから、私が考えた「共闘できるたった一つの可能性」を述べておかないと、私の批判もただの八つ当たりにすぎないことになります。その「共闘」の可能性とは(両労働組織の存立基盤から実現の可能性は極めて低いのですが)再賃制改革闘争です。全労連の坂内氏は今年最低賃金が平均14円(たった、ですよ)上がったことを全労連の闘争の成果と誇っていますが、私に言わせればこんな労働団体は解散したほうがいいのです。が、ワーキングプワーの実態を調べたこともない(はずです)佐高氏は、この坂内発言に対して何の批判もできませんでした。氏の「辛口」が真のジャーナリズム精神に基づいたものでないことがこの一事だけでも明らかです。

(以下要約)
 その1年ほど前、最低賃金制が大きな社会問題になっていた。当時の最低賃金の全国加重平均は673円だった。その額は生活保護者への支給基準よりかなり低いと、朝日新聞は社説で主張したほどだった(現在は最低賃金の全国加重平均は703円。東京や神奈川は766円)。そうした状況の中で2月25日のサンデープロジェクトに内閣府の大田弘子大臣(当時)が出演し、田原総一郎氏から「生活保護を受けている人への支給額は、もし働いて得た賃金とみなした場合、時給に換算するといくらになるか」と、格差問題の核心を突く質問を受けた。その質問に対する大田大臣の答えが、大臣失格と烙印を押されてもやむを得ないほどひどいものだった。大臣の答えはこうだった。「1日8時間、月22日働いたとして、時給に換算すると600円少々になります」
 だとしたら格差問題は生じていないはずである。田原氏が大臣をどこまで追い詰めるかと胸をわくわくさせたが、田原氏は「ああ、そうですか」と聞き流してしまった。田原氏もサンデープロジェクトのスタッフも格差の実態を全く調べず、核心に迫る質問をしながら大臣の無知を批判できなかったのである。
 で、私が田原氏に代わって大臣失格の検証をすることにした。まず大臣の主張に基づいて生活保護基準の計算をしてみる。
 22×8×600=10万5600円が生活保護基準ということになる。
 生活保護基準が一番高いのは東京や神奈川だが、最低賃金のように単純に計算できない。特殊なケースを除くと大きく分けて①食費等②光熱費等③住宅費の3つがあり、食費は年齢に応じて8段階に分けられ、光熱費は世帯の人数により支給基準が細かく決められ、11月から翌年3月までの5カ月間はやはり世帯の人数によって異なる冬期加算が支給され、住宅費も世帯の人数により3段階に分けられている。そこで働けるほぼ上限でかつ賃金も最低額に近い65歳の単身者という条件を設定して生活保護基準を東京を事例にして計算すると、こういう結果になる。
① 食費等   3万6100円
② 光熱費等  4万3430円(冬期加算は3000円)
③ 住宅費   5万3700円(この額以下の家賃の場合は実費)
この総額13万3230円(ただし冬期加算が支給される5カ月間は13万6230円になる)から年金などの収入を差し引いた額が実際に支給される生活保護費となる。一体大田大臣が田原氏の質問に答えた生活保護基準の10万5600円はどの国の話をしたのだろうか。せっかく格差問題の核心に迫れる質問をしながら、大臣のでたらめな返答を批判できなかった田原氏もジャーナリスト失格と断定せざるを得ない。
大田大臣の誤りはそれだけではない。彼女は民間出身(経済学者)の大臣だが、「1日8時間、月22時間」という労働者の勤務実態についての無知丸出しの条件設定をしたことである。まず大臣が1日8時間とした労働者の勤務実態は明らかに間違いである。零細小企業の場合は労働基準法を無視しているケースが多いが、通常の企業は午前9時から午後5時までを勤務時間と定めており、その8時間の中には1時間の有給の昼休みが含まれていて、実労働の時給を計算する場合は1日7時間を時給計算の基準にするのが合理的である。
さらに「月22日」という勤務日数の条件設定も明らかに誤りである。大臣が「月22日」とした根拠は、おそらく週休2日という条件を設定したうえで
 365÷12÷7×5=21.7(4捨5入で22)
という計算に基づいたのであろう。しかし一般の企業(零細企業や小商店を除く)は有給の年末年始と夏休みが10日前後あり(労基法では夏休みの有給化を義務付けてはいない)、今年(2009年)の場合土日以外の休日(祝日)が15日もある。さらに半年勤務すれば年に10日の有給休暇が生じ、毎年増え6年半後には最高限度20日になる。しかも消化できなかった有給休暇は翌年まで繰り越せる(退職時まで延々と繰り越せる会社もある)。一応年次有給休暇を10日と20日の間をとって15日としたうえで、ひと月の実労働時間は週休2日とすると
  365-(10+15+15)=325(日)÷12÷7×5=19.3(日)×7=135(時間)
 つまり役所や、零細企業などを除く一般の企業の職員・社員は月に20日も働いていないのである。それでも海外から「日本人は働きすぎ」と批判されるのは残業(サービス残業は数字として表面化していないので批判の対象になっていない)が多すぎるからである。この「働きすぎ」批判を受け厚労省も何とか残業時間を減らそうと年間労働時間の目標(実労働時間ではなく有給の昼休みや有給休暇も含めてのインチキ目標だが)を1800時間程度に納めようとしているが、なかなか難しいのが実情である。
 さていよいよ最も賃金が安いと考えられる65歳の単身生活保護者の保護基準は時給に換算するといくらになるかの計算をしてみよう。おそらくこのブログ記事を読んでくださっている方はその結果に目をむくだろう。
  13万3230円(生活保護基準)÷135(月間労働時間)=987円
さらに冬期加算が支給される5カ月間は 13万6230円÷135=1009円 となる。
最低賃金額が最も高い東京や神奈川での格差は987(1009)-766=221((243)円もある。これは時給の格差だから月間の格差は221(243)×135=2万9835(3万2805)円にもなる。格差の実態はそれだけにとどまらない。生活保護者は一切の税金や国民年金・国民健康保険が免除になる。唯一の例外は介護保険料で、これだけは免除されない。免除されないが、徴収された保険料は福祉事務所が支給額に上乗せするため実質的には免除されている。さらに東京の場合、都が運営している交通機関(都営地下鉄や都バス、都電)の無料パスが貰える。このメリットは生活保護者がどの程度これらの交通機関を利用するかによって得られる経済的利益が異なるので一概に数値化することはできないが、特に都バスは23区内のほとんどの地域に路線があり、このメリットは少なくない。
 さらに生活保護者にとって最も優遇されているのは医療の分野である。若い人は知らないだろうが、企業が加入している政府管掌や組合の健康保険に入っている人の医療費負担はかつては1割だった。その扶養家族は保険料の負担がなく医療費負担は3割だった。それが2割負担になり、今は3割負担になって自営業や無職(学生など)の人たちが加入する国民健康保険と同じになってしまった(ただし組合健保の場合、患者の負担額をある程度組合が還付していることが多い。本来その還付は所得として課税対象になるはずだが、源泉徴収している会社はないようだ)。
 一方医者の世界はかなり厳しい競争世界になっている。かつては医者(医師会に属する開業医)の収入に対する優遇税制によって、開業医は最も魅力のある職業になったため医者を目指す学生が急増し、開業医の世界はいま極めて厳しい競争世界になってしまった。そのうえ患者の負担が増えたため、高額な費用がかかる医療を開業医が避けるようになった。高額な医療費負担がかかるという評判がたつと患者がそのクリニックを避けるようになるからである。そうした状況に追い込まれた医者にとって生活保護者は最もおいしい患者になった。患者の医療費負担がないので、(あくまで保険医療の範囲内だが)どんどん高額な費用がかかる医療を行うようになったのだ。                                                                                          

コメントを投稿