小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

思わず、 涙した。黒田投手の広島復帰――野球人生最後の生き様は日本人の誇りだ。

2014-12-29 06:44:25 | Weblog
 26日に投稿したブログで、今年最後のブログにするつもりだったが、最終編の続編を急きょ書くことにした。
 黒田博樹投手(39)が、広島東洋カープに戻るという。夢破れて、の日本球界復帰ではない。
 私は初めて明かすが、子供のころからの阪神ファン。藤村とか別当、若林といった名選手などが活躍した第1期タイガース黄金期時代からのファンである。当時、私は小学3,4年生。父の勤務先の関係で兵庫県伊丹市に住んでおり、休日にはしばしば甲子園に連れて行ってもらった。父がタイガース・ファンであり、私もその影響を受けて阪神ファンになった。
 実は阪神が星野仙一氏のサジェッションを受けて井川投手を米大リーグに放出したとき、広島の黒田投手を獲得できると考えていたようだ。実際、広島カープを国内フリーエージェント(FA)宣言して阪神に入団した選手は「兄貴」と呼ばれて慕われた金本選手や新井選手などがおり、黒田投手も阪神入りを真剣に考えていた時期もあったらしい。
 が、野球人として自分の力が大リーグでどこまで通用するか試してみたいという気持ちのほうが、黒田投手の心の中で勝った。
 08年、FA宣言で大リーグのドジャースに移った黒田投手は、同年9勝10敗、09年8勝7敗と、そこそこの成績に終わったが、翌10年からがすごかった。10年11勝13敗、11年13勝16敗と二けた勝利を上げると、ヤンキースに移籍した12年からは16勝11敗、11勝13敗、昨年も11勝9敗と5年連続で二けた勝利を上げるという金字塔を立てた。
 そのヤンキースをFAとなった黒田選手の動向に、大リーグファンの注目も集まっていた。39歳という、投手としての選手生命の峠を越えつつあるという事情もあったと思う。黒田投手の今季年俸は1600万ドル(約19億円)。高年齢高年俸というネックはあったものの、大リーグではまだまだやれる力は持っている。実際、黒田獲得に動いていた大リーグ球団も複数あったようだ。が、黒田投手は広島カープへの復帰を決めた。1年契約で年俸は4億円プラス出来高払いだという。
 思い起こすに巨人からヤンキースに移った松井秀樹選手の「散り際」も見事だった。巨人からの「戻っておいで」とのラブコールを、「巨人ファンは、松井秀樹の過去のイメージで私を迎えてくれるだろう。その期待を裏切るわけにはいかない」と断った。思えば、阪神ファンの私にも松井選手は因縁のある選手だった。星陵高校時代の松井選手の部屋には、阪神選手のポスターや球団グッズが埋め尽くされていたという。もしドラフト制がなかったら、松井選手は間違いなく阪神に入団していただろう。
 王貞治氏も阪神入りするはずだった。阪神のフロントがバカだったのは、なぜ条件面で合意に達したときに、直ちに仮契約を結ばなかったのかということだ。阪神側は、話が一気に進むとは考えていなかったため、仮契約の書類を用意していなかったのかもしれない。が、「王、阪神入り」のスクープ記事が翌日のスポーツ紙の1面を飾った。
 びっくりしたのは読売巨人軍。まだ合意に至っただけで仮契約はしていないことをキャッチするや、品川主計社長が直々に王家に乗り込んで、一説には阪神が提示した契約金の1.5倍を提示し、王氏の父親が巨人入りを強力に進めたため、その場で王氏は巨人との仮契約に応じたという。
 契約金の話を除いて、私が王氏と会ったとき、そうした巨人入りの経緯が事実であることは確認している。
 ただ王氏が阪神に入っていたとして、果たして「世界の王」になれたかどうかは別である。巨人には荒川コーチという名伯楽がいて、彼の打撃センスを最大限に引き出すために一本足打法を生み出した。阪神の選手になっていたら、一本足打法は生まれなかったと思う。
 だが、私は王氏と会ったとき、こう聞いてみた。
「もし、一本足打法でなかったら、ホームラン数は激減したかもしれないが、ヒット数は相当増えていたと思う、ひょっとしたら、空前絶後の4割バッターになれていたかもしれませんよ。一本足だと重心移動の関係から引っ張るしかできないため、守る側はレフト方向には球は飛んでこないと考えて“王シフト”を容易に敷くことができた。レフト側ががら空きだということが分かっていても、一本足打法では当たりそこない以外に球が左方向に飛ぶことはありえませんからね」
 王氏はにこっと微笑んで、「その通りです。当時の野球評論家たちはまったく勘違いの解説をしていましたけどね」と答えてくれた。もちろん王氏は、私がスポーツ関係のジャーナリストではないことを承知していた。
 その王氏の「引き際」も見事だった。
 イチロー選手も、私たちを感動させてくれた。どの内閣の時代だったか覚えていないが、国民栄誉賞受賞の話があった。イチロー選手は「まだ現役だし、私は自分の野球に挑戦を続けている。引退したとき、私の野球人生にそれなりの価値を認めていただけたら、そのときは喜んでお受けさせていただく」と受賞を断った。このテレビでの会見を見て、私は涙した。
 黒田投手の話に戻る。
 彼は大リーグで5年連続二けた勝利という金字塔を成し遂げた。が、黒田投手は毎年のように200インニング前後を投げ続けてきた。年齢も投手としては限界に近付きつつある。自分の野球人生をどういう形で締めくくるべきか、その一点に、彼は「日本に戻る。広島カープに戻る」という決断の思いを込めたのではないだろうか。
 だとしたら、広島カープの首脳陣にお願いしたい。彼の起用法には格別の配慮をしてほしい。どんなに調子が良くても酷使は避けてほしい。黒田投手の雄姿をいつまでマウンドでファンに見せることができるか、に最大限の配慮をお願いしたい。それが、一日本人が示した心意気に対する、日本の組織が報いる唯一の方法だと思うからだ。黒田投手が引退する時、もう一度、涙を流せるような引退の場面を、テレビで見たいと思う。

今度こそ本当に「よい、お年を」


追記  26日、NHKは11月に横浜市で酒気帯び運転で道交法違反の現行犯逮捕されたNHK放送文化研究所の男性職員(49)を同日付で諭旨免職の処分にしていたことが分かった。事故を起こしたわけではなく、警察署によるネズミ捕りに引っ掛かったようだ。
 この処分についてNHKふれあいセンターの職員は、報道機関として飲酒運転撲滅を訴えている立場でもあり、一般の方から見ると重すぎる処分という声もあるが、あえて一罰百戒の意味も込めての処分にしたのではないかと思うと感想を述べた。あくまで一職員の感想であり、NHKの公式見解ではないが、通常、この程度のケースであれば戒告、重くて停職1~2週間程度の処分だろう。が、NHKがこのような厳しい処分を下したということが社会に与えた影響は、決して軽くない。諭旨免職処分された職員には気の毒だが、このケースが社会に大きな警鐘を鳴らす一事となれば、それはそれで大きな意味を持つ。
 私は70歳になったとき、運転免許書を返上した。67歳のとき、幼稚園の孫と Wii Fit というテレビゲームで遊んでいて、孫がバランス・ボードの上でぴょんぴょん跳ね回った後、得意げな顔で「じいちゃん、やってごらん」と挑発され、日ごろフィットネスクラブでエアロビクスやステップなどで汗を流していた私としては、4歳や5歳の孫に負けるわけがないと挑んでみたが、まるで歯が立たなかった。その結果、バスや公営地下鉄などが乗り放題になる「敬老パス」が支給される70歳になったのを機に、運転免許書を返上することにしたのだが、前にもブログで書いたが、車は「走る凶器だ」という認識をすべての運転者は持ってほしい。
 私は今年1月10日から4回にわたって『法務省官僚と国会が世論とマスコミの感情的主張に屈服して、とんでもない法律を作ってしまった』と題するブログを投稿したが、一定の基準を超えた運転操作(スピード違反、飲酒運転、ドラッグ運転など)は、道交法で取り締まるべきではなく刑法で取り締まるべきだと主張した。つまり一定の基準を超えた運転は「走る凶器の操作」に相当し、刑法による犯罪行為として扱えるようにすれば、交通ルール違反は一気に減少する。ネズミ捕りは、罰金取りが目的ではないだろう。

 

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