小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

「日米同盟」至上主義の虚構を見抜いた――核禁条約に参加しない理由

2021-01-26 07:11:09 | Weblog
22日(金)、核兵器禁止条約が発効した。国連で核禁条約が採択されてから3年半になる。この日を、日本国民とりわけ広島・長崎の市民は一日千秋の思いで待ち続けたに違いない。
が、なぜか世界で唯一の被爆国である日本の政府は核禁条約に背を向けたままだ。意味不明の「第3の道」とやらを探っているという。「第3の道」のコンセプトは「核保有国と非保有国の橋渡しをする」ということらしいが、どんな「橋」を架けるつもりなのかは全く分からない。なんとなく「7色の虹の架け橋」のような感じはするが…。アメリカと北朝鮮のあいだに、太平洋上に超巨大な虹を作って見せるということか。
私は科学者ではないから、そんな巨大な虹を人工的に作れるのかどうかは分からないが、たとえ超巨大な虹の架け橋を作れたとして、その虹を見た金正恩やバイデンが感動して核兵器を太平洋の深海に沈めてくれるのだろうか。言い出しっぺの安倍さんは結局虹をつくらず引退してしまったが…。
えっ、まだ引退していないって? ウソだろう、冗談も休み休みにしてほしい。なに、国会中継で安倍さんを見たって? ああ、あれは私も見たけど、蝋人形だよ。きっと…。安倍さんだって、恥くらい知っているだろうから。

●日本政府が核禁条約に背を向けるための「口実」は…
世界で唯一の被爆国日本の政府が、なぜ全国民の悲願とも言える「核なき世界」の実現に背を向けるのか。現時点では核禁条約に罰則規定がないため、核保有国に対する強制力はない。が、そうであっても、核禁条約は「核なき世界」実現への現実的な第1歩になりうるし、そうする責任は日本が負うべきだ。
そういう意味では、現時点では核保有国に対する強制力を有していないとしても、国連に加盟する非保有国の大多数が核禁条約に賛成し批准すれば、核保有国に対する強烈なプレッシャーになりうるし、核保有国が主張する「核による核抑止力」の論理構造も崩壊する。本来、日本政府は真っ先に核禁条約に賛成・批准して、同志を増やす義務と責任を負うべき立場にあるはずだ。そしてそれが大多数の国民の願いでもある。なぜ日本政府は核禁条約にあえて背を向けるのか、外務省の公式見解はこうだ。

日本は唯一の戦争被爆国であり、政府は、核兵器禁止条約が目指す核兵器廃絶という目標を共有しています。一方、北朝鮮の核・ミサイル開発は、日本及び国際社会の平和と安定に対するこれまでにない、重大かつ差し迫った脅威です。北朝鮮のように核兵器の使用をほのめかす相手に対しては通常兵器だけでは抑止を効かせることは困難であるため、日米同盟の下で核兵器を有する米国の抑止力を維持することが必要です。
核軍縮に取り組む上では、この人道と安全保障の二つの観点を考慮することが重要ですが、核兵器禁止条約では、安全保障の観点が踏まえられていません。核兵器を直ちに違法化する条約に参加すれば、米国による核抑止力の正当性を損ない、国民の生命・財産を危険に晒(さら)すことを容認することになりかねず、日本の安全保障にとっての問題を惹起(じゃっき)します。また、核兵器禁止条約は、現実に核兵器を保有する核兵器国のみならず、日本と同様に核の脅威に晒(さら)されている非核兵器国からも支持を得られておらず、核軍縮に取り組む国際社会に分断をもたらしている点も懸念されます。
日本政府としては、国民の生命と財産を守る責任を有する立場から、現実の安全保障上の脅威に適切に対処しながら、地道に、現実的な核軍縮を前進させる道筋を追求することが必要であり、核兵器保有国や核兵器禁止条約支持国を含む国際社会における橋渡し役を果たし、現実的かつ実践的な取組を粘り強く進めていく考えです。

以上の文書は核禁条約について外務省が公表している「日本政府の考え」の全文であり、1字1句、手を加えていない。その論理の虚構を明らかにするため、「考え」の論点を整理する。
① 核禁条約が目指す核兵器廃絶という目標は共有している。
② 北朝鮮の核・ミサイルは日本にとって重大で差し迫った脅威である。
③ 北朝鮮の核に対する抑止力として米国の核抑止力の維持が必要。
④ 核禁条約には安全保障の観点がない。
⑤ 核禁条約に参加すれば、米国による核抑止力の正当性を損ない、国民の生命・財産を危険にさらしかねない。
⑥ 日本政府は国際社会における橋渡し役を果たし、現実的かつ実践的取り組みを進めていく。
●日本政府の「軍縮と軍拡の両立」政策は可能か
日本政府は核禁条約に背を向ける一方、核不拡散条約(米・英・仏・露・中の5か国にのみ核兵器保有の権利を認め、それ以外の国の核開発・保有を禁止した条約)には参加しかつ支持している。核不拡散条約参加・支持についての日本政府の考え方についての外務省の公式見解はこうだ。

日本は唯一の戦争被爆国として,「核兵器のない世界」の実現に向け,国際社会による核軍縮・不拡散の議論を主導してきています。日本は,すべての核兵器保有国に対し,軍備の透明性の向上を図りつつ核軍縮措置をとることを呼びかけ,具体的な行動を起こしています。

日本政府は過去のいつ、アメリカを含む「すべての核兵器保有国に対し、核軍縮措置をとることを実際に呼び掛け、具体的な行動を起こして」きたのか、私は寡聞にして知らない。国民のだれも知らないのではないか。少なくとも「虹の架け橋」はそのイメージさえ私たち国民にはつかめない。その一方で、政府は「北朝鮮の核の脅威」を必要以上に強調して、むしろアメリカに「核抑止力」の強化をお願いしているではないか。平ったくいえば、核軍縮の議論を主導しつつ、アメリカには北朝鮮の脅威に対抗すべく各軍事力の強化をお願いするというわけだ。この論理、理解できる人、いますか?

1987年12月8日、米レーガン大統領とソ連ゴルバチョフ書記長の間でINF条約(中距離核戦力全廃条約)が締結された。日本政府が両核大国に核軍縮を呼び掛けた結果、ではもちろんない。
2019年2月1日、米トランプ大統領はINF条約の破棄をロシアに通告、ロシアも直ちに条約の履行停止を発表、軍拡競争が再び始まりだした。
日本政府は両国に対して「核軍縮の国際的要請に反する行為」として抗議したか。するわけがない。日本の安全保障をアメリカの核抑止力に依存している以上、アメリカの核戦力の強化は歓迎すべきことだからだ。この一点だけでも、日本政府の「考え」が矛盾だらけのことが明々白々だ。野党もメディアも、そのことになぜ気付かないのか。子供でも理解できる論理だと思うが…。
実際、日本政府は「米国の核抑止力に頼らなければ、北朝鮮の核の脅威から日本国民の生命・財産を危険にさらしかねない」と主張しており、その立場から考えても日本政府がアメリカに核軍縮を要請できるわけがない。アメリカの核戦力が弱体化すれば、それは即日本の安全保障上のリスクが高まることを、日本政府の「考え」に基づけば、意味するからだ。それとも「両立」が大好きな日本政府は「軍縮と軍拡の両立」を目指すということなのか。
15日の金曜日に『ザワつく金曜日』で、世界トップクラスのカード・マジックを見たが、日本政府はこのマジシャンを最高顧問として雇用したらどうか。ひょっとしたら両立政策を可能にしてくれるかもね…。
私は「軍拡と軍縮の両立」は、現実世界ではは不可能と思うが、日本政府だけは可能だと思っているようだ。そうではないというなら、安全保障の基本をアメリカの「核抑止力」に依存しながら、核軍縮のための「虹の架け橋」をつくるという両立政策のエビデンスを明らかにしていただきたい。ここまで書いても日本政府の「両立」論の矛盾に気が付かない人は、この先を読んでも時間の無駄だ。テレビの『ザワつく金曜日』を見た方が健康のためにもいい。

●海外の人たちは、日米関係をどう見ているか
 もし米朝が軍事衝突した場合、金正恩総書記は、「真っ先に火の海になるのは日本だ」と公言している。なぜか。日本は特段、北朝鮮に対して敵視政策をとっているわけではない。が、米朝有事の際には在日米軍と在韓米軍が真っ先に動員される。北朝鮮はまだアメリカ本土を総攻撃できるほどの核・ミサイル戦力を有しているとは思えないから、在日米軍基地と在韓米軍基地が真っ先に北朝鮮の攻撃目標になることは間違いない。
実際、最近日本でも有事の際には敵の攻撃基地をたたくことが憲法上認められるかという議論が盛んになっている。これまでの日本防衛の役割分担は自衛隊が「盾」(防衛)、米軍が「矛」(攻撃)とされてきた。憲法解釈として自衛隊の「実力」行使は「専守防衛」に限定されるとされてきたが、敵のミサイル攻撃を「盾」の役割だけで防げるのかという議論が始まったのだ。私に言わせれば、なに今頃という思いを禁じ得ない。ボクシングのスパーリング練習じゃあるまいし、敵の攻撃を防ぐだけの「防衛力」などありえないし、防備なしの「攻撃力」もありえない。防衛力と攻撃力は一体でなければ、「専守防衛」も不可能だ。実際、どこかの国と軍事衝突が生じたとき、いちいちどこまでが「専守防衛」で、どこから憲法違反になるか、などと考えていられるわけがない。

では、日本が目指すべき安全保障策とはどうあるべきか。基本はアメリカの抑止力に頼るのではなく、日本が他国から敵視されないようにふるまうことだ、と私は考えている。
北朝鮮は、自国民に対してすら銃を向けることをいとわない軍に守られている金一族が支配する朝鮮労働党独裁政権だが、国民生活を犠牲にしてまでは核・ミサイル開発に狂奔することはできない。北朝鮮が東南アジアの最貧国であることはおそらく間違いないが、一部に報道されているような、北朝鮮国民が食べるものにも事欠くほどの極貧生活に陥っている状況ではないと思う。
実は、同じ共産党独裁政権の中国やベトナム、キューバでも、国民生活を犠牲にする経済政策を行い国民が飢えるような事態になったら、権力を維持することはできない。経済政策に失敗すれば、いかに軍によって支えられているといっても、国民は飢えれば必ず暴動を起こす。自分の命を犠牲にしてまで国民が共産党政府に忠誠を尽くすことはありえない。
日本でも江戸時代、一揆は謀反扱いされた。首謀者は死刑である。それでも飢饉でわずかに収穫できた米を藩によって奪われたら、「どうせ飢え死にするなら」と百姓一揆がしばしば起きた。そういう時、村長(むらおさ)は死刑になることを覚悟のうえで、一揆の先頭に立った。だから村長は農民を束ねるだけの権威を持っていたのだ。
だから権力を維持するための最高の手段は、経済政策で失敗しないことだ。が、今年5年ぶりに開かれた北朝鮮の労働党大会で、金正恩は経済政策の失敗を認めながら、「永久欠番」と目されていた「総書記」の地位に昇格した。そうでもしなければ、権力の地位を維持できない状況になったのだろう、というのが私の見立てである。一方、実妹の与正党第1副部長を政治局員候補から外して形の上でけじめを付けた。そのうえで、「米大統領がだれになろうと、アメリカは我が国に対する敵視政策を止めない限り、つねに主敵である」と改めて宣言した。経済政策に失敗しても、核・ミサイル開発はやめないという国際社会への挑戦である。
私は疑問を抱き続けた。日本の安全保障政策の基本はアメリカの覇権を強大化し、そしてアメリカの庇護を受け続けることであるべきか、と。他国の庇護を自国の安全保障政策の基本に据えるということは、事実上その国の属国になることを意味する。その基本原則は、古今東西を問わず、不変である。そのことに、日本政府やメディア、国民は気づいているのか。
私たちがどう考えようと、国際社会は、日本をアメリカの属国とみなしていることだけは疑いようのない事実だ。日本とアメリカの関係を海外の人たちがどう見ているか、世界中でアンケートを取ってみれば明らかになる。

●政府は尖閣諸島を「有効支配している」と言うが…。
アメリカでバイデン新政権が誕生した直後、日本の北村国家安全保障局長はバイデン大統領補佐官(国家安全保障問題担当)のサリバン氏に電話し、尖閣諸島が日米安保条約5条(アメリカが日本防衛義務を定めた条文)が適用されることを確認したという。
実は昨年11月12日、バイデン氏の勝利がほぼ確実になった日に菅総理は、電話でバイデン氏から尖閣諸島についての安保条約5条の適用範囲であるという言質をすでにとっている。北村氏は念には念を入れたのだろうが、さらに大統領になったバイデン氏から正式に「口約束」を取り付ける必要がある。
米大統領が尖閣諸島について安保条約5条の適用範囲であることを初めて「口約束」してくれたのはオバマ氏だが、トランプ氏も「口約束」を継承した。が、日本が米大統領の「口約束」を明文化してくれといくら頼んでも(すでに頼んでいるはずだ)、アメリカは絶対、明文化には応じない。米大統領が「口約束」するときは、4年か8年に一度、どでかい「お年玉」を日本からせびり取れる大きなチャンスだからだ。
が、「口約束ほど当てにならないものはない」ことは洋の東西を問わず、普遍的真理だ。明文化したものを反故にするのは大変だが、口約束は「そのときと事情が変わった」で、簡単に反故にできてしまうからだ。ガースーは、安倍さんが岸田氏との「口約束」を反故にしたから総理の座に就けたことを忘れてはいないだろうね。
昨年、菅総理がNHKのインタビューで「尖閣諸島は日本が有効支配している」と発言したので、さっそく「有効支配」と「実効支配」の違いをネットで調べてみた。よく理解できなかったので、外務省に問い合わせたが、やはり違いはよく分からなかった。
実は私は外務省(中国・モンゴル課)に、アメリカの大統領の口約束が有効なうちになぜ尖閣諸島を「実効支配」しないのかと何度も聞いている。外務省によれば、そういう問い合わせは国民からたびたび寄せられているという。尖閣諸島を最初に所有者から買い取った東京都の石原都知事(当時)も、日本政府に「転売」したのちも、早く実効支配に踏み切れと何度も申し入れているようだ。
実効支配とは言うまでもなく、たとえば魚釣り島の中央の平地に自衛隊員の駐屯用建造物をつくり、少人数でも自衛隊員を配備するとか、日本漁船の緊急避難用の港湾施設をつくるとか、日本の領土であることを既成事実化することを意味する。現に日本政府が我が国の領土だとしている竹島や北方領土は、韓国とロシアに実効支配されており、日本は手も足も出せない。どうして日本は尖閣諸島を実効支配しようとしないのか、と外務省に聞いたが、私の頭では理解できない説明しか返ってこなかった。やり取りをかなり忠実に再現する。

「我が国は海上保安庁の監視船が尖閣諸島付近の領海を守っており、不法に侵入した中国公船には直ちに領海域から退出するよう警告しています」
「そういう行為が有効支配しているという意味ですか?」
「そうです」
「ということは、竹島や北方領土付近の海域(本来は日本の領海のはずだが)に日本の漁船が入ると直ちに拿捕されてしまうのは、竹島も北方領土も韓国やロシアに実効かつ有効支配されていることになる。日本の領土と主張するなら、なぜ実力で奪還しないのか」
「日本の両海域であっても外国船が航海中通過することは国際法上認められています」
「中国公船はどこかへ行くための航海中に尖閣諸島海域を通過したのですか」
「……」
「それだったら、退去を警告するのは国際法違反になりませんか」
「……」
「何度も警告したにもかかわらず違法侵入を繰り返す場合は撃沈することは国際法で認められていますよ。かつて大韓航空の民間機がスパイ撮影するためソ連領空を侵犯して撃墜された事件がありましたが、国際法上の自衛手段として認められていますよ」
「日本は話し合いで解決するという方針ですから」
「しかし尖閣諸島については、日本は中国との間に領土問題は存在しないという立場を取っていて、中国と話し合おうとはしませんね」
「その通りです」 

 日本の外交姿勢がますます分からなくなった。日本の主張の正当性を話し合いで認めさせるというなら、堂々と国際司法裁判所で争えばいいと思うのだが。

●日本が尖閣諸島を「実効支配」できない理由
日本政府が安全保障政策の基本を「日米同盟の強化(または深化)」に置いている以上、永遠に尖閣諸島問題も、竹島や北方領土問題も解決しない。日本が尖閣諸島を「実効支配」に踏み切ったら、アメリカが困るからだ。
アメリカは東南アジアの覇権を中国と争ってはいるが、中国と正面から軍事衝突はしたくない、というのがホンネだからだ。もし日本が尖閣諸島の実効支配に踏み切った場合、日中間で軍事衝突が生じかねない。そうなると、たとえ「口約束」であっても、唇も渇かないうちに約束を反故にして「おら知らねぇ」と知らんぷりするわけにはさすがにいかない。国際社会でのアメリカの権威が失墜しかねないからだ。ではなぜ、米大統領の「口約束」が有効なうちに実効支配に踏み切らないのか。
もちろん日本政府も尖閣諸島の実効支配に踏み切る場合は、事前にアメリカにお伺いを立てる必要がある。おそらく、もうすでに日本政府は「尖閣諸島の実効支配に踏み切ってもいいでしょうか」と、米政府にお伺いを立てていると思う。アメリカの回答は目に見えるようだ。「やめとけ」。
はっきり言えば、米大統領の「口約束」は、ペットの子犬の頭を「よしよし」となでるのと、実は全く変わらない。なのに、日本は「口約束」を取り付けただけで大喜びだ。しかも、「口約束」を取り付けるたびに、すでに書いたようにアメリカに季節外れのどでかい「お年玉」、はっきり言えばアメリカの軍需産業のために「防衛装備品」なる高いおもちゃを、それもアメリカ側の言い値で買わされてきた。日米同盟の強化(あるいは深化)とはそういう意味なのだ。
アメリカ大統領の「口約束」を「外交成果」と誇る政府も政府なら、それで喜ぶメディアや国民はよほどお人好しなのだろう。
実は領土問題を現実的に解決する方法は二つしかない。
領土問題の「話し合い」での解決は、別に日本の外交姿勢の問題ではなく、これまで成功した試しは国際的にも皆無だ。
① 国民投票を経て日本がアメリカの51番目の州になるという方法。そうすれば、尖閣諸島も竹島も北方領土もアメリカの領土ということになり、その場合はアメリカも実力行使をいとわなくなる。で、尖閣諸島、竹島、北方領土がアメリカ合衆国日本州の領土として実効支配できるようになったら、今度は日本州政府が州民投票を実施してアメリカ合衆国から離脱・再独立する。実はアメリカ合衆国はイギリスと同様、連邦制だから、例えばウクライナからクリミアが分離独立してロシアに編入したようなことができるのだ。もっとも、そんな見え透いた手にアメリカが乗るとは思えないが。
② 次に、この方法は理論的には最適な方法だが、アメリカ本土に自衛隊基地をつくることだ。そうすれば、「日米同盟」は完全に双務的な関係になり、日本はアメリカに対して対等にモノが言えるようになる。そして、それが可能な論理的根拠は期せずして安倍前総理とトランプ前大統領が作ってくれている。
まず安倍氏が作った論理的根拠は安保法制である。集団的自衛権という概念は国連憲章が初めて国際法上の権利として認めた権利だが、国連憲章51条はあくまで自国を防衛する手段として自国の軍事力だけでなく、他国(単独でも複数でも可)の軍事力も自衛手段として利用してもいいという国際法だ。これを日米安保条約の解釈に適用すれば、日本が他国から攻撃を受けた場合、アメリカは日本を防衛する義務を負うことになっており、日本はアメリカに対して自衛隊と一緒に日本防衛を要請できる権利があるという意味だ。それ以外に解釈のしようがないのだが、内閣法制局はどうトチ狂ったのか、「親密な関係にある他国が攻撃を受けた場合、日本はその国を軍事的に支援する固有の権利はあるが、憲法の制約によって、その権利を行使できない」と解釈してしまった(1973年)。この内閣法制局の解釈は日本共産党ですら認めているほどの、一見正しい解釈のように見えるが、では日米安保条約5条に基づいて日本防衛のためにアメリカが行使する軍事行為は「義務」ではなくて「権利」ということになる。私は日本共産党は思想集団ではなく宗教集団だと定義づけているが、とにかく日本が戦争に巻き込まれさえしなければ論理的根拠なんかどうでもいいと共産党は考えているようだ。それはともかく、安倍氏はこの内閣法制局の「集団的自衛権解釈」に基づいて、日本が危機にさらされる可能性がある場合は、他国の国際紛争に自衛隊の「実力」を行使して他国を防衛する権利があると、憲法解釈を変更して安保法制を成立させた。なぜ野党は安保法制を巡る国会での議論で、「集団的自衛権が他国防衛の権利であるとするなら、安保条約5条はアメリカの日本防衛義務ではなく、権利つまり気が向いたら日本を守ってあげますよという意味なのか」と政府解釈のいい加減さを追及しなかったのか。「権利の行使」と「義務の行使」には、天と地ほどの差があるのだ。
いっぽう、アメリカのトランプ氏は「日本が攻撃されたときアメリカ人は血を流して日本を防衛する義務を負うが、アメリカが攻撃を受けても日本人はソニーのテレビを見ていればいい」と、安保条約の片務性を問題視した。安保法制を成立させた安部氏は、直ちに「そんなことはない」と反論すべきだったのに、トランプ発言を耳にしなかったのかどうかは知らないが、だんまりを決め込んでしまった。安部のノータリンは別としても、少なくともトランプは安保条約5条を日本防衛の「権利」ではなく「義務」であることを理解している。安倍氏の名誉のために付け加えておくが、ノータリンは共産党を含む野党もだ。
実はトランプ発言は、日本の安全保障政策にとって、こんなビッグ・チャンスはなかった。私が日本の総理だったら、トランプ発言に飛びついて「承知しました。私たち日本も、安保法制に基づいてアメリカ防衛のため集団的自衛権を行使できるようにアメリカ本土に自衛隊基地を直ちに作ります。もちろん在日米軍基地に倣って、日本にとって都合がいい場所に基地を作りますし、自衛隊基地の経費は日本並みにアメリカに負担していただきます。言うまでもなく、基地協定も在日米軍基地に準じて結ばせていただきます」と世界中に公言している。
アメリカが在米自衛隊基地の設置を認めるわけがないから(もし認めたら、「なーんだ、アメリカはでかい面をしているけど、自分の国を日本に守ってもらっているじゃないか」と、国際的権威がいっきに崩壊する)、在日米軍基地は日本防衛が主目的ではないことが国際的に明々白々になる。そうなると、日本の総理が代々口にする、「日米同盟の強化」の意味も明々白々になるというものだ。

●「日米同盟」が日本の安全保障上のリスク要因になりかねない理由
私は日米同盟を破棄しろと言っているのではない。日本の安全保障上の重要な役割を、少なくとも現在は占めていると考えている。ただし、それはアメリカのためではなく、日本のためにだ。だから永遠に日米同盟が日本の安全保障上の最重要な要素を占め続けるとは限らないとも考えている。日本の安全保障環境は、極端に言えば日々刻刻変化しているからだ。
そういう意味では中国の南シナ海進出に対しても、アメリカの都合を中心に考えるべきではない。日本の安全と経済活動にとって支障がないよう、中国との信頼関係を深めることにも努力すべきだ。南シナ海の覇権をアメリカが握ったほうが日本にとって有利ならアメリカを支援すればいいし、中国が覇権を握ったほうが日本にとって有利なら、中国とより仲良くすればいい。実際、アメリカがイランとの核合意を破棄してイランの孤立化と経済制裁を強めても、日本にとってイランは原油輸入にとって欠かせない相手だから、アメリカに同調できない。アメリカもそれはわかっているから、日本にイラン制裁の協力を強制はしない。石油はエネルギー資源というだけでなく、重要な化学資源でもあり、日本の経済活動にとって絶対に欠かせない要素だからだ。
どのみち、米中が正面から軍事衝突することはまずありえない。かつてケネディがキューバ危機の時にソ連・フルシチョフを屈服させたブラフは、中国には効かない。そのことは、中国に対して強硬姿勢をとるだろうと予測されているバイデン政権も、重々承知しているはずだ。
だいいち、キューバ危機はアメリカののど元に核ミサイルを配置するという計画だったから、ケネディのブラフはブラフに止まらない可能性が実際にあった。同様に南シナ海は中国ののど元に当たる。中国と南沙諸島をめぐって領有権紛争を起こしているフィリピンやベトナムにアメリカが核ミサイル基地を作ろうとしたら、今度は習近平がカードを切ることになる。日本の政治家と違ってアメリカの政治家はバカではないから、習近平にカードを切らせるようなことは絶対にしない。
つまりアメリカとの「同盟関係を強化する(または深化する)」ことは、かえって日本の安全保障にとって重大なリスク要因になる可能性すらあるのが、いまの国際情勢だ。アメリカが敵視する中国やロシア、北朝鮮から、日本は事あるごとに敵視政策をとられかねないからだ。「昨日の味方は今日の敵」のリスクはつねにあることを私たちは理解しておく必要がある。
現に、ロシアとの北方領土問題交渉についても、ロシアのプーチン大統領は一時、2島返還に傾いたが、その2島に米軍基地を作られたらキューバ危機問題と同じことが起こりかねないと、返還問題を振り出しに戻してしまった。安倍氏は「米軍基地はつくらせない」と言い続けたが、安保条約上どこに基地をつくるかはアメリカに主権がある。現に、旧民主党政権の鳩山氏が首相に就任したとき、普天間基地の移設先について「最低でも県外」と約束したが、肝心の主権国であるアメリカがウンと言わなかったため、鳩山氏はウソつき呼ばわりされることになった。北方領土問題が「政治決着」したとき、安倍氏がウソつき呼ばわりされることになる可能性は極めて高い。
首都圏上空の制空権すらアメリカに主権を握られ、羽田空港への増便のため都心上空の飛行ルートを確保するときも、主権国アメリカにお願いしなければならなかったことを思い出してほしい。事実上、日本はアメリカ合衆国日本自治共和国であり、アメリカ合衆国の「51番目の州」提案は、それほど荒唐無稽な話ではないのだ。
ただし、第1次世界大戦時に、「日英同盟」を口実にドイツに宣戦布告して中国のドイツ権益を奪い取った歴史が日本にはあり、日本政府が憲法9条を改定した暁には、アメリカが戦争を始めたとき、日米同盟を口実に再び侵略戦争を始めることができると考えているなら、話はまったく別になるが…。
まあ、結婚式の時、「永遠の愛」を花嫁・花婿は誓い合うが、日米同盟もそんな程度のものだと、少なくともアメリカは考えている。日本だけが「愛は永遠に続く」と本当に思い込んでいたら、いつかひどい目に会う。

●核不拡散条約を改正すべき論理
トランプ氏の「日本が攻撃されたときは…」という発言は、トランプ氏だけの独特なものと考えていたら、とんでもない思い違いだ。実は前にもブログで書いたが、共和党支持者、民主党支持者、無党派層を問わず、アメリカ国民の90%以上は「日米安保条約は不公平だ」と考えている。そのことは外務省の安全保障担当者も承知している。政府もわかっているはずだ。現に日本政府要人にも「いざ有事の際、本当にアメリカが日本を核の傘で守ってくれるという保証はない」と、日本も核開発を検討すべきだと主張する人もいる。口をつぐんでいる政治家も腹の中ではみんなそう思っている。だから、アメリカにとって、日本が尖閣諸島の実効支配に乗り出したりしたら困るのだ。安倍氏や菅総理が「有効支配」などと意味不明なことを言い出したのは、アメリカの意を汲んで実効支配するつもりがない意図の表明である。この理屈、お分かりかな?
どのみち「絶対的な安全保障策」はありえない。もし可能にする方法があったとしたら、アメリカやロシア、中国以上の、核を含む軍事力を持つことだけだ。そんなことはまず日本国民が許さないだろうし、アメリカにとっては日本が脅威の対象になるから黙っていない。安全保障とはそういうものだ、ということを私たちは頭に叩き込んでおく必要がある。
だとしたら、「いま現実的な安全保障策」を追及するしかない。そういう観点から、日本は核不拡散条約や核禁条約にどう取り組むべきか。
現時点では、核不拡散条約の方が実効性があることは間違いない。そのことは、残念ながら私も認めざるを得ない。メディアも冷静に、世界はそういう状況にあることをしっかり認識してほしい。理想は理想として、実現のための努力を惜しむべきではないが、核禁条約を実効性のあるものにするためのハードルは、残念ながら極めて高い。
現に、北朝鮮の核・ミサイル開発やイランの核開発疑惑に対しては国際社会からの、国連憲章41条(非軍事的なあらゆる制裁措置)の発動が行われている。またイラクに対しては、実際には核開発の事実はなかったが、国連憲章42条(あらゆる軍事的制裁措置)が発動された。核禁条約には、そういう制裁措置が盛り込まれていない。そのことは核禁条約の理想と、現実的有効性との極めて大きな乖離として認めざるを得ない。日本政府の「核禁条約には安全保障の観点がない」との主張にも一理はあるのだ。「盗人にも一分の理あり」のたぐいだが。
では、唯一の被爆国・日本はどういう「核廃絶」への道を主導すべきか。少なくとも核保有国と非保有国の間に「夢の架け橋」を架けることは不可能なことはすでに書いた。繰り返せば、アメリカの核の傘に依存している日本が、いくら「核保有国と非保有国の橋渡し」をすると主張しても、それはアメリカでピストルを両手で構えながら銃規制を叫ぶような行為と同じで、「銃規制を言うなら、まずあなたが手にしている銃(アメリカによる核抑止力)を捨ててからにしなさい」と言われるのがおちだからだ。私たちは言葉遊びをしている暇はない。
だとしたら選択肢は極めて限られたものになる。核不拡散条約の改定か、核禁条約に現実的に有効な安全保障策を盛り込むかだ。
核不拡散条約の改定案(私案)としては、国連に届け出て一定数の加盟国の承認が得られれば、「自衛手段に限って、すべての加盟国に核開発・保有の権利」を認める条項を入れることだ。
具体的に言えば、アメリカはこれまで北朝鮮に対して言われのない敵視政策をとってきた(北朝鮮に対して根拠なしに「テロ支援国家」「悪の枢軸」といった非難を公然と行ってきたことは事実だ)。北朝鮮が、そうしたアメリカの敵視政策を脅威と感じ、国連に届け出た場合、一定数の加盟国が「北朝鮮には核を含む自衛手段を持つ権利がある」と認めれば、北朝鮮は核保有国の仲間入りができるように核不拡散条約を改定することだ。
そうなると、核大国はいわれなき敵視政策を、非保有国に対してとることができなくなる。
実際、核不拡散条約には、核保有国だけが認められた非保有国にとっては極めて不利益な要素がある。現に、アメリカの逆鱗に触れたイラクは実際には保有していなかった「核を含む大量破壊兵器」の保有を口実に多国籍軍の総攻撃を受けたし、アメリカの敵視政策に対抗して核・ミサイル開発に狂奔している北朝鮮や、核開発の疑惑を持たれているイランもアメリカやアメリカに同調する国から経済制裁を受けている。
かと思えば、事実上の核保有国であるイスラエルはアメリカの庇護のもとで核保有が黙認されているし、中国と領土紛争を生じているインドの核保有や、インドと領土紛争を抱えているパキスタンの核保有も、アメリカにとってはかえって好都合だから黙認されている。それでいながら、イスラエルの核に対抗してイスラム教国が核を開発・保有することは絶対に許さないというのがアメリカであり、そのアメリカの核の庇護を受けているのが日本なのだ。
先ほどの銃規制の話にたとえれば、両手で銃を構えながら、「お前たちに銃を持つ権利はない」と銃規制を強制しているのが核不拡散条約なのだ。
日本政府が言う「橋渡し」を有効なものにするためには、日本政府はまず核不拡散条約の不平等性を明らかにし、アメリカの身勝手さを国際社会に向かって告発することだ。そういうことができてこそ、日本は主権国家になれるし、国際社会からの尊厳を受けられるようになる。

●核禁条約を有効化するための「架け橋」とは…。
もう一つの、核禁条約に制裁措置を盛り込むことだが、これは事実上、非常に難しい。理想としては私も大賛成なのだが、核不拡散条約で核保有が認められている5大国はいずれも国連安保理の常任理事国であり、拒否権を有している。核禁条約を有効性のあるものにするためには、5大国の拒否権を無効にする必要がある。実は、私はそうすべきだと思っているが、なにせアメリカの主権下にあると国際的に見られている日本が、たとえそういう正論を国連総会で主張しても、まず相手にされないだろうし、だいいち、日本の事実上主権国であるアメリカのご機嫌を損じてしまう。日本政府にそんな勇気を期待することは処女に子供を産ませようとするくらい難しいことだ。そんなことは生物学上不可能だって? だってマリア様はイエス・キリストを処女懐妊したではないか。
広島・長崎に原爆を投下したアメリカは、いまでも非を認めていないが、後ろめたさはかなりの知識人は持っている。オバマ氏が大統領時代、広島の記念式典に参列し、被爆者とハグしたのは、そうしたアメリカ人の感情を反映した行為でもある。一方、すでに述べたようにアメリカ人の90%以上は日本に対して「安保タダ乗り論」感情を持っていることも、まぎれのない事実だ。日本人が考えている以上に、アメリカ人は冷めた目で日本を見ている。
が、いま日本政府にできることは、まずアメリカに対して「北朝鮮に対する敵視政策を止めてくれ」と言えるだけの矜持を持つことだ。在日米軍基地が日本防衛のためだけではなく(というより、日本防衛以上の)、重要な「使命」を持っていることは、日本政府も百も承知のはずだ。はっきり言えば、東南アジアにおけるアメリカの覇権維持のための軍事拠点が在日米軍基地だ。その「使命」以外に沖縄に基地を集中する理由はありえない。最近、中国が沖縄に対する領有権をほのめかしだしたが、たとえ沖縄に米軍基地がなくても自衛隊の抑止力で十分沖縄は防衛できる。
第2次世界大戦後、曲がりなりにも世界の平和はかなり守られてきたといえる。少なくとも帝国主義や植民地主義はすでに死語になった。なぜか。
基本的に戦争の目的は経済的利害の衝突にある。「戦争」は、国と国の武力衝突であり、地域的な民族紛争や宗教対立を武力で解決しようという行為は「戦争」とは言わない。あくまで「戦争」をそう定義すれば、「朝鮮戦争」とか「ベトナム戦争」という言い方がおかしいことが分かるはずだ。実際、「朝鮮国」がどの国と戦争したというのか。「ベトナム国」がどの国と戦争したというのか。あくまで朝鮮半島やベトナムで生じた、共産主義を標榜する軍事勢力と自由主義を標榜する軍事勢力の、国家支配権をめぐっての内乱(「内戦」と言っても差し支えないが)に過ぎない。その内乱にアメリカが武力介入したから「戦争」と名付けられたが、ではアメリカは朝鮮と戦争したのか、ベトナムと戦争したのか。
そのおかしさは、なぜ「中国戦争」という名称がないのか、考えればすぐわかる。日中戦争時には中国では自由主義軍と共産主義軍が「国共合作」で日本軍に対抗した。日中戦争が終結した途端、中国の支配権をめぐって共産主義勢力と国民党軍が争い、毛沢東率いる共産主義勢力が勝利を収めた。この内戦を「中国戦争」とは絶対言わない。第2次世界大戦でアメリカ軍が疲弊し、とても中国の内紛に介入できる余裕がなかったからだが、もしアメリカが武力介入して国民党軍を支援していたら、間違いなく「中国戦争」と命名されていたはずだ。お分かりかな、この理屈。
なぜ、経済的利益を追求した帝国主義や植民地主義が消滅したのか。他国を軍事的に支配することが、経済的合理性に欠けることに、第2次世界大戦の戦勝国が気付いたからだ。
前にもブログで書いたが、日本の朝鮮支配時代の収支決算をしたら、おそらく日本は大赤字になっていたと思う。第2次大戦後、日本を占領下においたアメリカも、占領期間中そうとうの赤字決算を余儀なくされたはずだ。
だから、たとえ憲法9条がなくても、日本は二度とバカげた侵略戦争などしない、と私は考えている。現に、イラク戦争後も、勝利したアメリカはさっさとイラクから撤退した。結果的にはそのためにIS(イスラム国)の台頭を招き、イスラム過激派のテロがいま世界の脅威になってしまったが…。9.11事件の後、アメリカはアフガニスタンのタリバン勢力をいったん、ほぼ一掃したが、アフガニスタンの治安維持のための財政負担に耐え切れずに兵力を撤退し始め、再びタリバン勢力が息を吹き返しつつある。
歴史認識をフェアに行うことの重要性は、こうした点にある。現代の倫理観で過去を非難し合うことからは、別に過去、日本が行ったことを擁護するつもりはまったくないが、生産的なことは何も生まれない。日本が過去行ったことの償いは、被害を受けた人にとっては金銭に代えられないこともあると思う。その思いは、過去の戦争に責任がない私たち世代も、引き継がざるを得ない。そのうえで、二度と過去の悲劇を人類が繰り返さないようにすることが、加害者でもあり被害者でもあった私たち日本人に課せられた責務だと、私は考えている。
確かに核禁条約には、安全保障の観点が抜けていることは否定できない。だったら日本は核禁条約に背を向けるのではなく、安全保障の観点を入れればいいじゃないか。そういう努力をすることが、唯一の被爆国・日本が作るべき「架け橋」では、な・い・だ・ろ・う・か。