小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

NHKはなぜ私を告訴しない? それとも出来ないのか?

2021-01-18 02:02:35 | Weblog
今月13日、NHK前田会長が「中期経営計画(案)」を発表した。バンカー出身者(元銀行頭取経験者)らしく、「強靭でスリムな体質」や肥大化の一途をたどってきた体質の改善、受信料の見直しなどについて計画の骨子を発表した。
具体的には、23年度に受信料値下げの方針を打ち出し、その原資として事業規模の1割に当たる700億円程度を確保するという。中でも「衛星放送の受信料の割高感」を解消するため、衛星放送契約(地上波契約を包含)と地上波契約の2本立てを解消し、1本化すると同時に、衛星放送も1波に集約するという。
これらの改革案は、それなりに評価しないわけではないが、前田会長はバンカー出身らしく、肥大化に歯止めをかけスリム化を図ることがNHKの体質改善のすべてであるかのような認識でいるようだ。
が、スリム化を実現するためには大幅な人員削減が必要だ。NHKの職員数は上限が1万人を決められているが、それはあくまで正規社員の数。非正規を加えると、上限を超えているという説もある。すでに法制化されている「同一労働同一賃金」の原則からも、無能な正規社員を残して有能な非正規社員を馘首するようなスリム化であってはならない。

●毎日新聞以外のメディアは、なぜ沈黙するのか?
不思議なことに、「NHKの中期経営計画」について、民放が評価しづらいのはやむを得ないとしても、大手新聞社が、毎日新聞を除いて計画内容の概要を報道しただけで、なぜかそれ以上の評価を「遠慮」している。とりわけ日ごろからNHKを目の敵のごとく扱ってきた朝日新聞が、この経営計画には一切の評価を加えていないのはどういうわけか。昨年8月に社説で朝日は注文を付けていただけに、正式発表に対して沈黙しているのは、裏で握手することにしたのか? NHKが朝日新聞の大スポンサーになったとも思えないのだが…。
毎日新聞だけが16日の社説で多少、「辛口」な視点で解説した。『NHKの経営計画 視聴者本位の改革なのか』と題した社説の一部を抜粋引用しよう。
「チャンネル数を増やし、現在9波を持つことに対し、民放から「肥大化」との批判は強い。 ただ、BSの良質なドキュメンタリーの評価は高く、AMラジオの豊富な語学講座番組は熱心なファンが多い。NHKだからこそ可能なものであろう。帳尻合わせの削減になってはならない。 ネット活用も視野に入れているというが、受信料が値下げされても放送サービスの質が低下するようでは、逆に視聴者離れを招きかねない。
権力を監視するメディアとしての役割を忘れてはならない。 公共放送が提供すべき番組は何か。それが、いま問われている。視聴者に納得して受信料を払ってもらうには、コンテンツを通して信頼を得るより他に方法はない」
毎日新聞は、それでもまだNHKへの幻想を抱いているようだ。「権力を監視するメディアとしての役割を忘れてはならない」と。
私自身はとっくに「ジャーナリズム」としてのNHKに見切りをつけている。スポーツ紙や芸能週刊誌のように、「エンターテイメント放送局」に堕した、と思っているからだ。実際NHKがいま最も力を入れているのは、間違いなく「ドラマ」と「スポーツ中継」だからだ。唯一の政治番組と言える『日曜討論』も、司会の伊藤・中川両アナウンサーは、ストップウォッチをもって、発言者を順番に指名するだけで、発言者に対して「どういう意味か」とか「国民の間にはこういう意見もあるが」といった突っ込みも一切しない。それが司会者の「中立・公平な立場」と考えているのなら、中学生にでもできる司会だ。
かつてNHKの看板番組だった『NHK特集』が『NHKスペシャル』に衣替えしたとき、番組の「前宣」をスペシャルのスタッフから頼まれた。その打ち合わせで、プロジューサーから「タブーへの挑戦」を主張してもらいたいと言われ、私も喜んでインタビューに応じた。が、いまの「Nスぺ」に、その面影はまったく見られない。「N特」の時代の大連載企画「シルクロード」は、いくつもの歴史的評価に耐える「N特」の中でも、永遠に残る放送だったが、そうした意気込みすら感じられる放送は「Nスぺ」にはない。
まして毎日新聞のご託宣にある「権力の監視機能」や「民主主義の砦」としての使命など、いまのNHKのニュースからすらまったく感じられない。政府べったりと批判されている産経新聞や読売新聞でさえ、学術会議問題や「桜を見る会」問題、河合夫妻のカネまみれ選挙については厳しい報道をしている。NHKがこれらの問題に正面から向き合った報道をしたことは一度もない。

●NHKが「NHKらしさ」を取り戻すための大提案
この「中期経営計画」の策定に当たって、前田会長は「NHKを本気で変えるという強い覚悟を示した」とアピールした。「新しいNHKらしさ」もうたった。
その意気込みや「よし」としたいが、肝心の中身がさっぱり示されない。そもそも、前田氏はジャーナリストの経験もなければ、銀行というジャーナリズムとは全く無縁の世界から「経営合理化」のために政府が送り込んだ人物だ。だから本腰を入れてスリム化に取り組もうとしているのだろう。それはそれで大いに結構だが、同時に「強靭な体質」をつくるという。スリム化は確かに計画の中で表明されている。が「強靭な体質」とは、どういうことを意味するのか、単なる言葉遊びに過ぎないのか。まさか、いま以上に政府に寄り添う体質にしていくという意味では、さすがにないだろう。政府も、これ以上寄り添われたら、気持ち悪いだろう。
金融業界もいまスリム化が求められている。
金融業界も時代の要請に翻弄されてきた。明治維新以降は「富国強兵・殖産工業」の国策の要請を受け、軍事力強化や産業近代化を図るための資金を広く民間から集める役割を担ってきた。
敗戦後も焼け野原から産業復興のための資金を、やはり広く民間から集める役割を担ってきた。
「世界に冠たる」(?)全国津々浦々まで広まった日本の金融網は、こうして構築された。その金融網の維持が、いま日本の金融業界を苦しめている。
経済成長の途上にあっては、企業の資金需要は限りなく増え続けた。それに応じるため、成長産業の設備投資資金を担う長期信用銀行(興銀・長銀など)、大企業の短期の資金繰りをカバーしてきた都銀、中堅企業の設備投資や資金繰りを助けてきた地銀、地域の零細商店や小企業の資金需要に応じてきた信用金庫と、それぞれ金融機関が業務範囲をすみ分け、相携わって日本産業の成長を支えてきた。
が、今やその「世界に冠たる」金融網が、大きな、重い荷物として背中にのしかかってきている。産業界の資金需要が激減しているからだ。健全な産業界の資金需要が激減したため、日本の金融業界は競ってバブル資金の供給源になった。見せかけだけの経済成長が富裕層を潤したが、所詮「砂上の楼閣」にすぎぬ経済成長だった。政府が「これはやばい」と気づいたときはすでに「時遅し」だったが、政府はこともあろうにバブル退治を軟着陸ではなく胴体着陸でやろうとした。その手段が大蔵省の「総量規制」と日銀・三重野総裁の「金融引き締め」という原爆投下だった。
アホなことこの上ない自称経済評論家が三重野氏を「平成の鬼平」と持ち上げたが、この「金融引き締め」策が「失われた20年」のスタート・ラインになった。そもそもバブル経済を演出した澄田総裁の金融緩和といい、コロナ禍がなくても先進国の人口が減少時代に突入するという、ケインズもマルクスも予想もできなかった時代にあって、馬鹿の一つ覚えみたいに政府の使命は経済成長を遂げることにあると思い込んだ安倍前総理と、安倍氏とタッグマッチを組んだ日銀・黒田総裁の金融緩和政策のダブル・パンチで、ただでさえ疲弊していた金融業界は体力が持たない状況に追い詰められている。
そういうことを自ら経験してきた前田会長だけに、NHKを「スリムで強靭な体質にする」ということが、何を意味するか、本当に分かっているのか。
まず、単にニュースを報道するだけだったら、NHKに記者は必要ない。共同通信や時事通信が日本全国に最大の取材網を構築しており、また海外ニュースについてはロイターやブルンバーグなどがメディアにニュースを配信しており(NHKもこれらの通信社と契約しているはず)、それらのニュースを編成局が整理して報道すべきニュースだけ選別すれば済む話だ。つまり、政治部・社会部・経済部・国際部などの報道部門はすべて解体してしまった方がいい。テレビには映像が必要だが、それも買えばいい。
NHKが最も力を入れているドラマや歌謡などの芸能部門やスポーツ中継も、やりようでうんとスリム化できる。
たとえばドラマ。カネのかかる大物俳優は起用せず、劇団などの俳優養成所から無名だが、きらりと光るものを持っている役者を発掘して起用する。面白ければ、有名俳優が出演しなくても視聴率は稼げる。
歌謡番組はそうはいかない要素があるから、大物歌手を出演させる必要もあるが、安上がりにするため新曲を中心に構成するようにしたら、大物歌手でもほとんどボランティア出演してくれる。過去のヒット曲は新人歌手にカバーさせればいい。
スポーツ中継に至っては、民放が飛びつくようなカネのかかる試合には手を出さず、スポンサーを必要としないようなマイナーなスポーツに絞る。まさに「民放にはできない、NHKにしかできない快挙」だ。
前田さん、このくらいのこと、やってくださいよ。
こうした改革だけで、NHKの職員は8割くらい削減できる。さらに人員整理には徹底して「同一労働同一賃金」の原則を適用する。つまり、年功だけで役職についている役立たずの管理職からやめてもらう。ある程度の割増退職金は仕方ないでしょう。その代わり、有能な若手職員を能力に応じた抜擢し、待遇も大幅に改善する。若い人たちのやる気と競争がNHK改革の大エネルギーになりますよ。
前田さん、バンカー出身だから、私の提案が最も理にかなっていることが、お分かりですよね。

●「契約の自由」の主張ではNHKに勝てなかった理由
最後に、前田会長にぜひお願いしたいことがある。私を受信料未払で告訴していただきたい。
私は受信契約は結んでいるが、受信料は支払っていない。前は1年か2年かに一回くらいのペースで集金人が来た。「1か月分か2か月分を支払ってくれたら、私が今後は支払わなくてもいいようにしますから」という常套文句で、集金人を相手に議論しても始まらないし、彼らもこれでメシを食っていると思うと気の毒になり、その都度1か月か2か月分は支払ってあげた。
私のところに来た集金人はみな割と紳士的だったが、なかには暴力団まがいの取り立てをする集金人もいたようで社会問題になり、NHKも集金人による訪問はやめたようだ。
が、毎月のように、支払い請求書は封書あるいは張り合わせハガキで配達される。いちおう目は通すが、ほとんどゴミ箱に直通だ。が、例外的に同封された2通の文書だけは残してある。2通ともほぼ同じ内容で、わたくし宛て、日本放送協会の名で角印も印字されている。日付は平成2年2月と3月である。両書に共通している文面は「このままお支払いがない場合には、貴殿に対し、やむを得ず、法的手続きを検討せざるをえません」である。が、そろそろ丸1年になろうというのに、いまだ法的手続きを取ってくれない。
これまでNHKが提訴したケースで敗訴したことはほとんどないようだ。ネットで調べたところ、筑波大の学生が発明した「イラネッチケー」というNHKの地上波をカットする装置を取り外しができないように設置した女性を相手取った裁判では、NHKは敗訴したようだ。また衛星放送を受信できないようにパラボナ・アンテナを取り外した付きの受信料の支払いを求めた裁判でも、NHKは最高裁まで争ったが敗訴に追い込まれたという。
そうしたレアケースを除いて、NHKが敗訴してケースはほぼないようだ。メディアも話題にした裁判は、東横インというビジネスホテル・チェーンが各宿泊室に設置したテレビの受信料不払いの裁判や、渋谷区の男性が「契約の自由」を理由にNHKとの契約を拒否した裁判でもNHKは勝訴している。当時メディアは「憲法が保証した」と報道していたが、直接「契約の自由」をうたった条文は憲法にはなく、憲法解釈として男性は主張したようだ。百科事典マイペディアの解説によると、

個人は社会生活において自己の意思に基づいて自由に契約を締結して私法関係を形成することができ,国家はこれにできるだけ干渉すべきではない,という近代法の原則。〈私的自治の原則〉の一内容である。契約を締結するとしないとの自由,相手方選択の自由,契約内容決定の自由,契約方式の自由などを含む。

ということのようだ。最高裁の判決文までは面倒くさくて読んでいないが、常識的に考えて「契約の自由」は法律が定める範囲内においてしか行使できないのは当然で、放送法64条という法律はNHKの放送を受信できる装置を設置した者はNHKとの契約を義務付けているから、もし「契約の自由」によってNHKとの受信契約を拒否できるなら、私たちはあらゆる法律に従わなくてもよいことになり、そんなことを裁判所が認めたら日本は無政府状態になりかねない。
そういう意味では「N国」党の立花氏が、NHKに対してスクランブル放送を要求するのは自由だが(この自由は憲法によって間違いなく認められている)、NHKが放送をスクランブル化しないからといって受信料支払いを拒否できるわけではない。私も立花氏の主張はもっともだと思うし、課金制(見た番組の分だけ支払う制度)を要求している人もいるようだが、それを実現するためには放送法をかえなければならない。「N国」党は国会で2議席を確保しているのだから、与党に強力に働きかけて放送法の改正を実現するしかない。
報道によれば、改憲私事と引き換えにスクランブル化で与党の協力を得ようとしているようだが、与党もそれほどバカばかりではない。ま、無理な話だ。

●LAST HOPE お願い、私を告訴して―。
すでに書いたように、日本放送協会は2度にわたって私に対し「このままお支払いがない場合には、貴殿に対し、やむを得ず、法的手続きを検討せざるをえません」と警告文(脅迫文?)を発している。
が、NHKはいまだ「法的手続き」を取ってくれない。「検討する」時間は十分あったはずだ。なぜ、「法的手続き」を取らず放置しているのか。
すでに、私の考えは前回のブログで明らかにしているので、ここでは繰り返さないが、日本放送協会を管轄する総務省の担当職員は私のブログを読んでいる。
NHKは、私の主張に屈するか、それとも私を告訴するか、どちらかしか選択肢はない。

ねえ、前田会長さま。「法的手続きの検討」だけで済ませるつもりですか。だとしたら、日本放送協会の権威も地に堕ちるし、前田会長のリーダーシップも「絵に描いた餅」に終わってしまいますよ。NHKは「法的手続き」まで考えているのですから、バンカー出身の前田会長のメンツにかけても私から受信料を取り立ててください。なお、私の方は、これっぽっちの請求で弁護士を雇うようなことはしませんから(ボランティアで応援してくださる方がいれば別ですが)、司法の世界もカネ次第、そのうえ「村社会」ですから、1億円くらいかけて大弁護団を組んで告訴すれば、ひょっとしたらNHKが勝訴できるかもしれませんよ。


【追記】 昨夜(19日)、『クローズアップ現代』を見ながら、涙が止まらなくなった。武田アナが自民党・二階幹事長と新立憲・枝野代表へのインタビューを交えながら、いまの政治課題について鋭く突っ込んだ。あくまで言葉遣いは丁寧ながら、国民が抱いている政治不信を政権のキーマンである二階氏と野党の代表格の枝野氏に遠慮会釈なくぶつけ、質問を重ねた。最近のNHKにはまったく見られなかった姿勢が、ここには、まぎれもなくあった。インタビューに応じる二階氏の、最初のころ見せていた笑顔が次第に厳しくなり、冷静にインタビューを重ねる武田氏への怒りとも思える厳しい表情になっていったのが、そのことを何よりも雄弁に物語っている。
しいて注文を付けさせてもらうと、枝野氏に対する質問はもっと厳しくてもよかったのではないかと思う。今日のコロナ感染状況を招いた責任はもちろん政府が負うべきだが、感染対策と経済対策の両立を実現しようとしてきた政府に対し、「二兎を追う者は一兎をも得ずの政策だ」と、Go Toトラベルを始めた時点で、野党が反対しなかった責任も大きいという点だ。諸外国が感染対策を強めていったん抑え込みに成功したかに見えた瞬間から経済活性化に舵を切り替え、すべて失敗に終わってきたことはメディアが毎日のように報道していた。
二階氏は「結果が出てからならだれでも何でも言える」と居直ったが、野党も国民の反発を恐れて二兎を追う政策にからだを張って抵抗しなかった。その責任も鋭く追及してほしかった。
昨年10月26日、臨時国会での菅総理の所信表明演説について、『ニュースウォッチ9』の有馬アナが菅総理へのインタビューで学術会議問題について「もう少しわかりやすい言葉で、総理自身、説明される必要があるんじゃないですか?」「説明がほしいという国民の声もあるようには思うのですが」と食い下がったことがあった。これに対し、菅総理が「説明できることとできないことってあるんじゃないでしょうか」とキレ気味に反発。「総理を怒らせた」と、有馬アナの降板説まで出たことがある。
権力の前に委縮を重ねてきたNHKが、本来のジャーナリズムとしての責任である「権力の監視」「民主主義の砦」としての機能を回復するきっかけになってほしい、そう願うだけだ。(20日)