安倍総理が辞任を発表した。後継の総理が決まるまでは総理の座にとどまるわけだから、在任期間の記録はまだ伸び続ける。最長記録はつくったが、総理として何をしたかと考えると、消費税増税くらいかなという感じだ。北方領土問題も拉致問題も憲法改正も、「私の代で必ずやり遂げる」と公言してきたことの何ひとつとして実現できなかった。辞任の記者会見でアベノミクスについて問われたとき、安倍総理は「雇用を400万人増やした」と胸を張ったが、経済成長の結果として雇用が増えたわけではない。日銀・黒田総裁とタッグを組んで経済成長の目安でもある消費者物価2%上昇は、在任中一度も実現しなかった。少子化によって老後生活に不安を抱いた定年退職者や専業主婦だった人たちが、非正規労働者として低賃金で働くことを余儀なくされ、その数が雇用統計に反映されただけの話だ。だから非正規を含む労働者の平均賃金は下降線をたどり続けている。これはコロナ禍とは関係ない。
在任期間だけでなく、たぶんもう一つ新記録があると思う。アメリカの歴代大統領が外国の首脳とゴルフをした回数だ。こういう記録はギネス・ブックの対象になるかならないかは不明だが、おそらく空前にして絶後の記録だろう。
なお、アベノミクスについてはこれまで何度も批判してきたが、アベノミクスは単なる経済政策の失敗ではすまない。これから日本はアベノミクスが残した負のレガシーをどうするか。自公が政権を継続しようが、奇跡的に野党が政権の座に就こうが、この問題から逃げることはできない。アベノミクスがなぜ巨大な負のレガシーになったのか、次のブログで検証する。
すったもんだの挙句、9月上旬、ようやく新党が発足することになった。党名はまだ決まっていないが、立憲と国民を足して2で割るような党名になると、新鮮さどころか野合そのものというイメージがついて回る。それでも新党の勢力は衆参合わせて約150人を数える。野党勢力としては一応「大きな塊」ができたと言えるかもしれない。
しかし、2009年8月に旧民主党政権が誕生したときの衆院議席数は、戦後最多を記録した308。その選挙に国民が寄せた期待感の大きさに比べれば、まったく盛り上がらない状況だ。あとで述べるが、メディアの見方も厳しい。前途洋々たる船出、とはとても言えなさそうだ。
●この道は、いつか来た道
そんな童謡があったが、国民がいま新党に抱いているイメージはそんな感じだろう。はっきり言えば「烏合の衆」の党。実際、308という圧倒的多数の議席を獲得しながら、旧民主党政権が日本の政治史に何を残したのかと問えば、記憶に残るほどの業績は何もなかった。選挙の時は「コンクリートから人へ」というキャッチフレーズで人心を集めることができたが、国民の期待に応えるような政策はほとんど打ち出せなかった。
政治は結果だから、昨今のような自然災害が暴発するような事態を当時、予想できなかったことはやむを得なかったとしても、「コンクリート」のすべてが無駄な公共事業というわけではない。とくにダムの治水力を軽視した結果、昨今のような大水害をもたらした事実は否定できない。確かに蓮舫氏が国会で大見得を切ったように、何でもNO.1にならなければならないという考え方はおかしいと私も思う。が、スパコンをやり玉に挙げた「無駄な投資」論をぶつなら、日本は今後、どういう分野で世界に貢献すべきかの将来像を示すべきだった。国会議員は歌舞伎役者ではないから大見得を切ることが仕事ではない。これまで日本が目指してきた「技術立国」の道を転換すべきだというなら、それはそれで一つの卓見と言えなくもないが、新しい「日本が歩むべき道しるべ」を示さずに、無定見な国策批判をしても、喜ぶのはメディアだけだ。
そういう意味では中国の場合、統制国家だから可能だと言ってしまえばそれまでだが、研究開発投資の方針はかなり戦略的だ。これからの世界をリードする技術分野は何かを考え、その分野に集中的に投資している。それに気が付いているのがアメリカで、だから中国の先端技術分野の製品をアメリカ国内だけでなくヨーロッパなどからも締め出そうと躍起になっている。その結果、アメリカのご機嫌も損じたくないし、中国との経済関係は良好に保ちたい日本や韓国は板挟みになって困っている。現に日本がコロナ禍で習近平氏の訪日を延期した間隙を縫って、韓国が中国に急接近し習近平氏の早期訪韓を決めた。
いま日本はこれからの「国づくり」をめぐって、かつてない困難な道に差し掛かっていると言わなければならない。そうした状況のなかでの新党結成である。が、国民の新党結成を見る目もかなり厳しい。「カネ目当てか(政党助成金のこと?)」「選挙対策か?」といった冷めた見方が大勢を占めているようだ。
メディアの見方も厳しい。かつて旧民主党政権時代には、政権支持の論評を重ね、「つねに政権すり寄りメディア」と私から揶揄された読売新聞は「選挙目当ての離合集散を繰り返しても、国民の期待は集まるまい。再編過程にある野党の現状を懸念せざるを得ない」とバッサリ切って捨てた。
リベラル系の朝日新聞も「前回衆院選でバラバラになった旧民進党勢力が、3年を経て『元のさや』に収まった印象は否めない。民進党の前身である民主党は、国民の高い支持で政権交代を実現しながら、政治主導の空回りや内紛で自壊した。信頼を取り戻すのは容易ではないと覚悟すべきだ」と厳しい。
朝日よりさらに左派リベラル系とみられる毎日新聞も「合流新党は衆参で150人規模となりそうだ。だがこれも旧民主党の元のさやに収まるだけだと感じている国民は多いだろう」「安倍政権を追及するため国会で共同歩調を取る今の統一会派方式の方が、まだましだった――。そんな事態になることを懸念する」(3紙とも8月21日付「社説」より)
そもそも国民が分党したことも不可解だ。玉木代表は「消費税減税を巡って、最後まで立憲と折り合えなかった」と、合流に参加しなかった理由を説明しているが、はたしてそのような些末な政策での不一致が分党の理由になるなら、政党は共産党や公明党のように一枚岩の宗教団体的組織にならざるを得なくなる。メディアの世論調査でも国民の支持率は共産や公明にも及ばず、年内が予想されている次期総選挙での惨敗は免れ得ないとみられていることから、立憲と合流しても冷や飯を食わされることが必至とみて、小さくても「お山の大将」でいたかったのか。私自身はコロナかを克服するまでの時限立法として消費税をいったんゼロか5%に戻すべきだと考えているが、そうした議論は「大きな塊」の中で議論を尽くして同調者を増やしていくべきだろうと思う。いま、消費税問題で一致できないからと極小政党の「お山の大将」になって、どうやって消費税軽減を実現できるというのか。それこそ選挙の時の「キャッチフレーズ作り」のためとしか考えられない。
もう少しうがった見方をすれば、もともと独自の改憲論者の山尾氏が、玉木氏、自民の石破氏と3人で会食して改憲について論じ合ったことに、立憲のワンマン・枝野代表が激怒し、立憲党内で徹底的に山尾外しを始めたことで山尾氏が離党、昔から親しかった玉木氏を頼って国民入りをしたという経緯があり、いまさら新党には戻れない山尾氏に、義理人情に厚い玉木氏が運命を共にしたという見方もできないではない。そうだとすれば政界人脈はやくざのくっついたり離れたりとさして変わらない世界だということになる。やはり「この道は、いつか来た道」か。
●そもそもは選挙制度改悪から始まった
戦後政治体制は長く「55年体制」と呼ばれる自社の2大政党時代が続いた。
が、2大政党政治と言っても政権交代の可能性はほとんどなく、事実上自民の単独政権時代が長期にわたって続いてきた。そうした中で1980年代後半からリクルート事件を契機に政治改革の機運が自民党内部から高まりだした。旗振り役を演じたのが小沢一郎氏で、「55年体制打破」「政権交代可能な2大政党政治の実現」が旗印だった。その政治改革実現のため、小沢氏ら改革派が目指したのは「小選挙区制」と「政党交付金制度」だった。
が、自民党が圧倒的多数を占める中での小選挙区導入には社会党をはじめ野党が一斉に反発。政治改革法案は露と消えた。この時期、小沢氏は竹下派の中心人物であり、海部総理の後継指名権を有し、候補者の宮澤氏らを自分の事務所に呼びつけて「面接」するという傲慢さが批判されたこともある。93年には『日本改造計画』を出版、発行部数72万5000部を数えるベストセラーになったが、同書においても「政権交代可能な2大政党政治」の実現を訴えている。
実は先進国で「政権交代可能な2大政党政治」が行われているのはイギリス、アメリカ、カナダ、オーストラリアなど、伝統的に宗教観における「保守」VS「革新・リベラル」という二つのイデオロギー軸に収れんされがちな国に多い。また、日本の55年体制は政権交代の可能性はともかくいちおう2大政党制であり、その体制はかつての中選挙区制でも確立されていた。私は何度も小沢氏の著書を読み直してみたが、彼がどういう2大政党制を目指したのかはいまだにわからない。実際、小沢氏が辣腕を振るった自民党時代を考えても、彼がリベラル派だったとは到底思えず、その後、自民党を離れてリベラル系の政党間をうろつき回っている現状を考えると、日本の政治風土をどうしたいのかがますますわからなくなる。
小沢氏の考えとは別に、ロッキード事件やリクルート事件など、単独政権の膿に国民もメディアも強烈な拒否反応を示すようになり、政権交代可能な2大政党政治の実現に期待するようになった。実は政権交代可能な2大政党政治を実現している先進国の選挙制度は単純小選挙区制である。イギリスも保守党と労働党だけでなく少数政党は多く存在し、昨年の地方選挙では少数政党が大躍進を遂げている。アメリカも共和党と民主党の2大政党以外にも多くの少数政党があり、トランプ氏もかつては第3政党の「合衆国改革党」から大統領選に出馬しようとしたこともある。
このような米英の選挙制度を考えれば、政権交代可能な2大政党政治を目指すのであれば、単純小選挙区制以外の選択肢はない。が、単純小選挙区制にすれば、地方選挙は別にしても国政選挙で少数政党に属する政治家が選挙で勝てる見込みはかなり厳しくなる。で、1994年に公職選挙法を改正したときは衆議院議員の定数500のうち小選挙区300、比例代表区200として、少数政党も比例代表区で選出できる道を残した。実に馬鹿げた少数政党への配慮である。
しかも、さらに馬鹿げたことに小選挙区と比例区に重複立候補できるようにまでした。その結果、小選挙区で落選しても比例区で復活当選するという、国民の常識から考えたらあり得ない選挙制度にしてしまった。国民の常識と永田町の常識がこれほどずれていることが明らかになったことはかつてない。
私は少数政党のために比例区を作ったことを全否定するわけではない。が、小選挙区は有権者が立候補者個人を選ぶための選挙であり、比例区は原則として有権者が支持する政党を選ぶ選挙である。つまり比例区で選出される議員は特定の個人である必要はまったくない。はっきり言えばロボットで十分だ。もちろん国会での質疑への参加権は保証しなければならないから、獲得議席数に応じて質問回数や時間の配分をする必要はあるが、質問書は書面で提出し国会職員が読み上げればよい。あるいは、委員会や本会議が開かれるときだけ、政党の党員が特別資格で出席し、質疑や決議に参加できるようにすればいい。そうすれば、議員歳費は大幅に削減できるし、比例で当選した議員が離党して他党に移るといった問題が生じることもなくなる。
そもそも「政権交代可能な2大政党政治体制」を目指しながら少数政党に「配慮」することが、論理的に大矛盾していることに気が付かないような人たちに国会議員としての資格があるのか疑問を持たざるを得ない。
●諸悪の根源は政党助成金と党議拘束
小選挙区比例代表制を採用している国は少なくない。むしろ単純小選挙区制を採用している先進国の方が少ない。が、単純小選挙区制を採用している主要国はアメリカとイギリスだ。両国とも「政権交代可能な2大政党政治」が実現している。なぜアメリカとイギリスが単純小選挙区制を採用し、2大政党政治を実現したのか。
実は、この二つの国は日本とは全く違う国家体制である。つまり単一国家ではなく「連合国家」あるいは「連邦国家」なのだ。たとえばイギリスの場合、正式国名は United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland(略称:UK)である。またアメリカの正式国名は United States of America(略称:USA)である。つまりそれぞれの地域あるいは州が「国家内国家」としてかなり強い独立性を有しており、たとえばイギリスではEU離脱問題をめぐってスコットランドや北アイルランドがイギリスから独立してEUにとどまるといった動きを見せたりしたこともある。また国際スポーツ競技でも、オリンピックはイギリスとして参加しているが、サッカーやラクビーのワールド・カップはそれぞれの地域が別々に出場権を争っている。だからワールド・カップにイギリスとして出場したことはない。
一方アメリカはもっとはっきりしている。50の州のそれぞれに憲法や最高裁判所があり、軍隊(州兵)まで各州にある。
いずれにせよ、アメリカもイギリスも「政権交代可能な2大政党政治」を実現するために単純小選挙区制を採用したわけではない。いろいろ調べてはみたが、とくに理由はなかったようだ。日本が今の小選挙区比例代表制に変えるまでの中選挙区制も、とくに理由があったわけではなかったようだ。ただ、結果としてアメリカやイギリスの場合、単純小選挙区制を採用したことによって、政権交代可能な2大政党制が実現したようだ。アメリカはもともとイギリスの植民地だったため、イギリスの選挙制度をそのまま採用したのかもしれない。
ただ面白いのはイギリスの場合、厳密には下院議員は保守党と労働党以外の政党議員もかなりいるのだ。地域政党のスコットランド国民党や民主統一党(北アイルランドの地域政党)、労働党から分離した自由民主党という政党の議員もいる。しかも国会運営は議案ごとに賛成派と反対派が一定の間隔を挟んで対峙し、論争し合うという形式をとっている。日本ではイメージしにくいが、たとえば野球でホームチームのファンが1塁側スタンドに陣取り、ビジターチームのファンが3塁側スタンドに陣取って「応援合戦」を繰り広げるような感じをイメージしてもらえれば、と思う。
アメリカの場合はどうか。アメリカにも共和党と民主党以外に多くの少数政党がある。が、下院議員定数435人のうち共和党にも民主党にも属さない第3政党の議員は現在1人しかいない。同じ単純小選挙区制を取り、事実上2大政党政治体制でありながら、イギリスとアメリカでの差はどうして生じたのか。
要は党と議員の関係による。イギリスは党が主体であり、議員は党の歯車でしかない。議員は自分で自分の選挙区を選ぶこともできなければ、自らの政治信念で行動することもできない。日本が採用している政党助成金も、実はイギリスの真似である。選挙資金という財布のひもを党に握られていたら、党の指示に従うしかない。だから議員は党議拘束に従うしか亡くなる。小泉郵政改革の時は造反議員が大量に出たが、小泉総理は造反議員を「党則違反」を理由に除名して衆院を解散、総選挙で造反議員の選挙区に刺客を送り込んで造反議員の政治生命を奪うことまでした。
一方アメリカは「党」という実態が実はない。だいいち、党本部が存在しない。今年11月には大統領選挙が行われるが、共和党の大統領候補は慣例で現職大統領のトランプ氏が、民主党はバイデン氏が大統領候補になったが、バイデン氏は民主党所属の国会議員の投票で選ばれたわけではない。全50州の予備選挙を勝ち抜いて大統領候補に指名された。
が、トランプ氏やバイデン氏は共和党や民主党の党首(代表)というわけではない。また議会での採決に際しても、アメリカでは大統領であっても、自らが所属する党の議員にも党議拘束がかけることができない。アメリカの国会議員は上院も下院も党からの支援はほとんどなく、自力で選挙を勝ち抜いてきているからだ。だから賛成・反対が拮抗している重要法案では、大統領自らが反対政党議員を個別に説得するといったこともしばしば生じる。
つまり同じ2大政党政治と言ってもアメリカとイギリスでは性質がまったく違うのだ。大統領制と議院内閣制という政治の仕組みそのものの違いは別にしても、「有権者ありき」のアメリカと「党ありき」のイギリスの違いをまず理解していただきたい。そのうえで、2大政党制がいいのか、それ以前に「党ありき」の議員選出と「有権者ありき」の議員選出のどちらが国民にとっていいのかをまず考えてほしい。
日本には「出たい人より出したい人」という標語がある。そのために金がなくても志のある人が選挙に出られるように「政党助成金」制度が創設された。その効果は歴然たるものがあった。参院選広島選挙区で新人の河合杏里氏を当選させるために、自民党本部は1億5千万円という大金を選挙資金として提供した。杏里氏が「出たい人」だったかどうかは不明だが、少なくとも自民党本部にとっては、何が何でも「出したい人」だったのだろう。
そう考えれば、「政党助成金」や、それとセットになっている「党議拘束」が諸悪の根源であることが容易に理解できるだろう。
●新党代表は党員投票で選べ
野党が「大きな塊」をつくること自体に私は反対しているわけではない。先に述べたように大半のメディアはおおむね「元のさやに納まるだけ」と野合を厳しく批判しているが、野合政党でないのは共産党と公明党の2党だけだ。自民党など、国民の大多数が立憲に合流する「元のさや」新党よりはるかに野合政党だ。一応「改憲」(自主憲法制定)を党是にしているが、「9条だけは変えてはいけない」と主張するリベラル派も党内でかなりの勢力を擁している。核抑止力を重視する右派から平和主義の左派まで、これが一つの党かと思えるほど人材も多彩だ。55年体制の下で、政権を担い続けてきた歴史が、自民党を「大人の政党」に育ててきたのだろうと思う。
55年体制とは、1955年に、いったん右派と左派に分裂していた社会党が再統一したのがきっかけで、保守陣営も日本民主党と自由党が合同して自由民主党(自民党)を結成、メディアも「2大政党政治が実現する」と歓迎した。対立軸は自民の「改憲・保守・安保維持」に対し、社会は「護憲・革新・反安保」で対峙した。そういう意味ではイギリスの保守党VS労働党の2大政党体制と似ていないこともない。ただイギリスの労働党は社会主義政党というより、「ゆりかごから墓場まで」で知られる社会福祉重視型の政党で、日本の旧社会党とは基本理念において違う。日本の旧社会党が教条主義的社会主義国家の実現を目指したこともあって、政権を担える政党に育たなかったのだと思う。
私は新党が「野合」であっても、自民党のように「大人の政党」に育ってほしいと願っている。この稿の冒頭で「この道は、いつか来た道」という見出しを付けたが、玉木グループが合流から離脱したことで本当に「この道は、いつか来た道」になるのではないかと危惧している。
そうならないために、新党に大きな提案をしたい。9月に発足する新党の代表は両院議員総会で決めるしかないが、その任期は総選挙の時期との兼ね合いもあるが、できるだけ短い方がいい。そして本格的な代表選はアメリカの大統領候補指名選挙のように、すべての党員が一人一票という「党内民主主義」をまず確立してもらいたい。
次に「党議拘束」はやめてほしい。国会議員は選挙区の有権者から選ばれたひとであり、党執行部が決めたわけではない。もちろん公認は党執行部が決めるが、議員は党執行部のロボットではない。個々の議員の信念や信条を大切にしてあげてほしい。
共産党のように政党助成金を辞退しろとまでは言わないが、少なくとも総選挙で小選挙区と比例区の重複立候補は廃止してほしい。すでに述べたように私は単純小選挙区制にすべきだと考えているが、現在の選挙制度の下で国民に党の選挙に対する姿勢を訴える方法としても、「重複立候補は認めない」ことは強烈なアピールになると思う。
新党が「いつか来た道」をまた辿ることになるのか、あるいは日本の淀んだ政界に新風を吹き込めるのかは、党員一人ひとりが決めることだ。
【追記】 安倍総理の辞任表明で自民党次期総裁選の火ぶたが切られた。今朝(8月31日現在)の時点で出馬を明確にしているのは岸田、菅両氏のふたり。河野氏や下村氏も党内の情勢次第では出馬する可能性がある。安倍総理の辞任表明前の最も直近の世論調査である時事通信によれば、時期総理としての人気度はトップが石破氏で24.5%。2位が小泉氏12.3%、3位・安倍氏9.2%、4位・河野氏7.8%、5位・岸田氏6.0%、6位・菅氏4.5%だった。自民支持層に限ってもトップ・石破氏28.5%、2位・安部氏18.0%、3位・小泉氏11.1%と、石破氏への期待度が群を抜いている(調査期間は8月7~10日)。が、肝心の石破氏が出馬するのかどうかが今のところ不明だ。総裁選が両院議員総会だけで行われる可能性が高く、国民や党員の期待度が高くても極めて不利な選挙になる可能性が高いためだ。
そうなると、小選挙区制導入や政党助成金導入の口実ともなった「派閥政治の撲滅」はどこへ行ったのかということになる。政治はあくまで結果だから、「政権交代可能な2大政党政治の実現」や「派閥政治の撲滅」ができなかったという結果が明らかになった以上、改めて選挙制度や政党助成金制度についても見直すべきだろう。石破氏が総裁選に出馬するかどうかはまだ不明だが、自民党総裁は党の代表者であり、自民党所属の国会議員の代表者ではない。これは立憲・国民の合流による「新党」への注文としても書いたが、党の代表を決めるのは党員の権利であり(唯一の権利だ)、国民や自民党員の支持がダントツに高い石破氏が、派閥力学で総裁選に出ても勝てないということになると、そもそも民主主義を語る資格が自民党にあるのかを問いたくなる。「新党」も含めて党内民主主義を確立して初めて、議員は異論があっても党が決めた政策に従う義務も生じる。私は「勝つか負けるか」ではなく、派閥力学で次期総裁を決めるような総裁選には出ない、という姿勢を石破氏には期待したい。(8月31日)
※日本経済新聞とテレビ東京が29~30日にかけて行った「次の首相にふさわしい人」の緊急世論調査結果は以下の通り(カッコ内は自民党支持層)。
1位 石破氏28%(28%)
2位 河野氏15%(18%)
3位 小泉氏14%(13%)
4位 菅氏11%(16%)
5位 岸田氏6%(9%)
【追記2】 岸田氏はなぜ当てが外れたのか?
今日(9月1日)、自民党総裁選の立候補者の顔が出そろう。今朝の各メディアの報道によれば、菅、岸田、石破の3氏になるが、菅官房長官が圧倒的に有利なようだ。
安倍総理の、この時期での退任は想定外だったとしても、ポスト安倍の最有力候補は岸田氏だったはず。が、安倍総理が辞任表明をした途端、後継総裁の有力候補として菅官房長官が急浮上しだした。党内でも「政策の継承が重要」といった主張が大きくなりだした。安倍政権の「政策の警鐘」が重要だと言うなら、政調会長として党の政策集約に当たってきた岸田氏が、安倍総理から禅譲を受けるとみるのが常識だろう。
が、政策の継承には岸田氏より菅氏の方が適任ということなのか。党内の空気に不安を抱いた岸田氏は、本来なら安倍総理にまず会って「私に禅譲してくれるんでしょうね」とくぎを刺すべきだったが、岸田氏が8月30日、まず会ったのは安倍総理の盟友・麻生副総理だった。が、案の定、麻生氏は「総理の意向がまだわからないから」と、岸田支援の約束を断った。
翌31日、首相官邸に安倍総理を訪ねた岸田氏の、会談後の顔は落胆し切っていた。ぶら下がりの記者たちは一斉に「総理の意向はどうでしたか?」と質問を浴びせたが、岸田氏の答えは「力添えをお願いしてきました」だけだった。後でわかったことだが、岸田氏の懇願に対して安倍総理は「自分の立場では個別の名前を出すことは控えている」と素っ気なかったようだ。
なぜ安倍総理は衆目が一致していた岸田禅譲を辞めたのか。安倍総理はいまだ様々なスキャンダルを抱えている。モリカケ疑惑や桜を見る会招待者問題、検察庁人事への露骨な介入、河合杏里氏への1億5000万円に上る巨額の選挙資金提供など、自分が総理を辞めた後、だれなら確実に自分を守ってくれるかが、後継人事についての最大のポイントになった。
そういう意味では、外様の岸田氏より、安倍政権を官房長官として長年支え続けてきた菅氏なら、絶対安心できると考えたのではないか。また菅官房長官の場合は岸田氏と違って、安倍スキャンダルに関しては一連托生の関係にあり、安倍総理を裏切れないという安心感もあったのではないか。
すでに菅氏の支持を明らかにしているのは二階派(47人)、細田派(98人)、麻生派(54人)、石原派(11人)と、圧倒的に有利な状況になっている。が、絶対安全圏となるはずの菅総裁(=総理)が誕生した場合、岸田氏自身が直接動くことはないにしても、岸田派の誰かが安倍スキャンダルの真相を週刊文春などにリークするリスクも負うことになった。安倍総理が「菅の後をやってくれ」と、いまさらなだめても、そんな甘言、だれも信用しないだろう。裏切られた岸田氏の今後の出方が気になる。(9月1日)
在任期間だけでなく、たぶんもう一つ新記録があると思う。アメリカの歴代大統領が外国の首脳とゴルフをした回数だ。こういう記録はギネス・ブックの対象になるかならないかは不明だが、おそらく空前にして絶後の記録だろう。
なお、アベノミクスについてはこれまで何度も批判してきたが、アベノミクスは単なる経済政策の失敗ではすまない。これから日本はアベノミクスが残した負のレガシーをどうするか。自公が政権を継続しようが、奇跡的に野党が政権の座に就こうが、この問題から逃げることはできない。アベノミクスがなぜ巨大な負のレガシーになったのか、次のブログで検証する。
すったもんだの挙句、9月上旬、ようやく新党が発足することになった。党名はまだ決まっていないが、立憲と国民を足して2で割るような党名になると、新鮮さどころか野合そのものというイメージがついて回る。それでも新党の勢力は衆参合わせて約150人を数える。野党勢力としては一応「大きな塊」ができたと言えるかもしれない。
しかし、2009年8月に旧民主党政権が誕生したときの衆院議席数は、戦後最多を記録した308。その選挙に国民が寄せた期待感の大きさに比べれば、まったく盛り上がらない状況だ。あとで述べるが、メディアの見方も厳しい。前途洋々たる船出、とはとても言えなさそうだ。
●この道は、いつか来た道
そんな童謡があったが、国民がいま新党に抱いているイメージはそんな感じだろう。はっきり言えば「烏合の衆」の党。実際、308という圧倒的多数の議席を獲得しながら、旧民主党政権が日本の政治史に何を残したのかと問えば、記憶に残るほどの業績は何もなかった。選挙の時は「コンクリートから人へ」というキャッチフレーズで人心を集めることができたが、国民の期待に応えるような政策はほとんど打ち出せなかった。
政治は結果だから、昨今のような自然災害が暴発するような事態を当時、予想できなかったことはやむを得なかったとしても、「コンクリート」のすべてが無駄な公共事業というわけではない。とくにダムの治水力を軽視した結果、昨今のような大水害をもたらした事実は否定できない。確かに蓮舫氏が国会で大見得を切ったように、何でもNO.1にならなければならないという考え方はおかしいと私も思う。が、スパコンをやり玉に挙げた「無駄な投資」論をぶつなら、日本は今後、どういう分野で世界に貢献すべきかの将来像を示すべきだった。国会議員は歌舞伎役者ではないから大見得を切ることが仕事ではない。これまで日本が目指してきた「技術立国」の道を転換すべきだというなら、それはそれで一つの卓見と言えなくもないが、新しい「日本が歩むべき道しるべ」を示さずに、無定見な国策批判をしても、喜ぶのはメディアだけだ。
そういう意味では中国の場合、統制国家だから可能だと言ってしまえばそれまでだが、研究開発投資の方針はかなり戦略的だ。これからの世界をリードする技術分野は何かを考え、その分野に集中的に投資している。それに気が付いているのがアメリカで、だから中国の先端技術分野の製品をアメリカ国内だけでなくヨーロッパなどからも締め出そうと躍起になっている。その結果、アメリカのご機嫌も損じたくないし、中国との経済関係は良好に保ちたい日本や韓国は板挟みになって困っている。現に日本がコロナ禍で習近平氏の訪日を延期した間隙を縫って、韓国が中国に急接近し習近平氏の早期訪韓を決めた。
いま日本はこれからの「国づくり」をめぐって、かつてない困難な道に差し掛かっていると言わなければならない。そうした状況のなかでの新党結成である。が、国民の新党結成を見る目もかなり厳しい。「カネ目当てか(政党助成金のこと?)」「選挙対策か?」といった冷めた見方が大勢を占めているようだ。
メディアの見方も厳しい。かつて旧民主党政権時代には、政権支持の論評を重ね、「つねに政権すり寄りメディア」と私から揶揄された読売新聞は「選挙目当ての離合集散を繰り返しても、国民の期待は集まるまい。再編過程にある野党の現状を懸念せざるを得ない」とバッサリ切って捨てた。
リベラル系の朝日新聞も「前回衆院選でバラバラになった旧民進党勢力が、3年を経て『元のさや』に収まった印象は否めない。民進党の前身である民主党は、国民の高い支持で政権交代を実現しながら、政治主導の空回りや内紛で自壊した。信頼を取り戻すのは容易ではないと覚悟すべきだ」と厳しい。
朝日よりさらに左派リベラル系とみられる毎日新聞も「合流新党は衆参で150人規模となりそうだ。だがこれも旧民主党の元のさやに収まるだけだと感じている国民は多いだろう」「安倍政権を追及するため国会で共同歩調を取る今の統一会派方式の方が、まだましだった――。そんな事態になることを懸念する」(3紙とも8月21日付「社説」より)
そもそも国民が分党したことも不可解だ。玉木代表は「消費税減税を巡って、最後まで立憲と折り合えなかった」と、合流に参加しなかった理由を説明しているが、はたしてそのような些末な政策での不一致が分党の理由になるなら、政党は共産党や公明党のように一枚岩の宗教団体的組織にならざるを得なくなる。メディアの世論調査でも国民の支持率は共産や公明にも及ばず、年内が予想されている次期総選挙での惨敗は免れ得ないとみられていることから、立憲と合流しても冷や飯を食わされることが必至とみて、小さくても「お山の大将」でいたかったのか。私自身はコロナかを克服するまでの時限立法として消費税をいったんゼロか5%に戻すべきだと考えているが、そうした議論は「大きな塊」の中で議論を尽くして同調者を増やしていくべきだろうと思う。いま、消費税問題で一致できないからと極小政党の「お山の大将」になって、どうやって消費税軽減を実現できるというのか。それこそ選挙の時の「キャッチフレーズ作り」のためとしか考えられない。
もう少しうがった見方をすれば、もともと独自の改憲論者の山尾氏が、玉木氏、自民の石破氏と3人で会食して改憲について論じ合ったことに、立憲のワンマン・枝野代表が激怒し、立憲党内で徹底的に山尾外しを始めたことで山尾氏が離党、昔から親しかった玉木氏を頼って国民入りをしたという経緯があり、いまさら新党には戻れない山尾氏に、義理人情に厚い玉木氏が運命を共にしたという見方もできないではない。そうだとすれば政界人脈はやくざのくっついたり離れたりとさして変わらない世界だということになる。やはり「この道は、いつか来た道」か。
●そもそもは選挙制度改悪から始まった
戦後政治体制は長く「55年体制」と呼ばれる自社の2大政党時代が続いた。
が、2大政党政治と言っても政権交代の可能性はほとんどなく、事実上自民の単独政権時代が長期にわたって続いてきた。そうした中で1980年代後半からリクルート事件を契機に政治改革の機運が自民党内部から高まりだした。旗振り役を演じたのが小沢一郎氏で、「55年体制打破」「政権交代可能な2大政党政治の実現」が旗印だった。その政治改革実現のため、小沢氏ら改革派が目指したのは「小選挙区制」と「政党交付金制度」だった。
が、自民党が圧倒的多数を占める中での小選挙区導入には社会党をはじめ野党が一斉に反発。政治改革法案は露と消えた。この時期、小沢氏は竹下派の中心人物であり、海部総理の後継指名権を有し、候補者の宮澤氏らを自分の事務所に呼びつけて「面接」するという傲慢さが批判されたこともある。93年には『日本改造計画』を出版、発行部数72万5000部を数えるベストセラーになったが、同書においても「政権交代可能な2大政党政治」の実現を訴えている。
実は先進国で「政権交代可能な2大政党政治」が行われているのはイギリス、アメリカ、カナダ、オーストラリアなど、伝統的に宗教観における「保守」VS「革新・リベラル」という二つのイデオロギー軸に収れんされがちな国に多い。また、日本の55年体制は政権交代の可能性はともかくいちおう2大政党制であり、その体制はかつての中選挙区制でも確立されていた。私は何度も小沢氏の著書を読み直してみたが、彼がどういう2大政党制を目指したのかはいまだにわからない。実際、小沢氏が辣腕を振るった自民党時代を考えても、彼がリベラル派だったとは到底思えず、その後、自民党を離れてリベラル系の政党間をうろつき回っている現状を考えると、日本の政治風土をどうしたいのかがますますわからなくなる。
小沢氏の考えとは別に、ロッキード事件やリクルート事件など、単独政権の膿に国民もメディアも強烈な拒否反応を示すようになり、政権交代可能な2大政党政治の実現に期待するようになった。実は政権交代可能な2大政党政治を実現している先進国の選挙制度は単純小選挙区制である。イギリスも保守党と労働党だけでなく少数政党は多く存在し、昨年の地方選挙では少数政党が大躍進を遂げている。アメリカも共和党と民主党の2大政党以外にも多くの少数政党があり、トランプ氏もかつては第3政党の「合衆国改革党」から大統領選に出馬しようとしたこともある。
このような米英の選挙制度を考えれば、政権交代可能な2大政党政治を目指すのであれば、単純小選挙区制以外の選択肢はない。が、単純小選挙区制にすれば、地方選挙は別にしても国政選挙で少数政党に属する政治家が選挙で勝てる見込みはかなり厳しくなる。で、1994年に公職選挙法を改正したときは衆議院議員の定数500のうち小選挙区300、比例代表区200として、少数政党も比例代表区で選出できる道を残した。実に馬鹿げた少数政党への配慮である。
しかも、さらに馬鹿げたことに小選挙区と比例区に重複立候補できるようにまでした。その結果、小選挙区で落選しても比例区で復活当選するという、国民の常識から考えたらあり得ない選挙制度にしてしまった。国民の常識と永田町の常識がこれほどずれていることが明らかになったことはかつてない。
私は少数政党のために比例区を作ったことを全否定するわけではない。が、小選挙区は有権者が立候補者個人を選ぶための選挙であり、比例区は原則として有権者が支持する政党を選ぶ選挙である。つまり比例区で選出される議員は特定の個人である必要はまったくない。はっきり言えばロボットで十分だ。もちろん国会での質疑への参加権は保証しなければならないから、獲得議席数に応じて質問回数や時間の配分をする必要はあるが、質問書は書面で提出し国会職員が読み上げればよい。あるいは、委員会や本会議が開かれるときだけ、政党の党員が特別資格で出席し、質疑や決議に参加できるようにすればいい。そうすれば、議員歳費は大幅に削減できるし、比例で当選した議員が離党して他党に移るといった問題が生じることもなくなる。
そもそも「政権交代可能な2大政党政治体制」を目指しながら少数政党に「配慮」することが、論理的に大矛盾していることに気が付かないような人たちに国会議員としての資格があるのか疑問を持たざるを得ない。
●諸悪の根源は政党助成金と党議拘束
小選挙区比例代表制を採用している国は少なくない。むしろ単純小選挙区制を採用している先進国の方が少ない。が、単純小選挙区制を採用している主要国はアメリカとイギリスだ。両国とも「政権交代可能な2大政党政治」が実現している。なぜアメリカとイギリスが単純小選挙区制を採用し、2大政党政治を実現したのか。
実は、この二つの国は日本とは全く違う国家体制である。つまり単一国家ではなく「連合国家」あるいは「連邦国家」なのだ。たとえばイギリスの場合、正式国名は United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland(略称:UK)である。またアメリカの正式国名は United States of America(略称:USA)である。つまりそれぞれの地域あるいは州が「国家内国家」としてかなり強い独立性を有しており、たとえばイギリスではEU離脱問題をめぐってスコットランドや北アイルランドがイギリスから独立してEUにとどまるといった動きを見せたりしたこともある。また国際スポーツ競技でも、オリンピックはイギリスとして参加しているが、サッカーやラクビーのワールド・カップはそれぞれの地域が別々に出場権を争っている。だからワールド・カップにイギリスとして出場したことはない。
一方アメリカはもっとはっきりしている。50の州のそれぞれに憲法や最高裁判所があり、軍隊(州兵)まで各州にある。
いずれにせよ、アメリカもイギリスも「政権交代可能な2大政党政治」を実現するために単純小選挙区制を採用したわけではない。いろいろ調べてはみたが、とくに理由はなかったようだ。日本が今の小選挙区比例代表制に変えるまでの中選挙区制も、とくに理由があったわけではなかったようだ。ただ、結果としてアメリカやイギリスの場合、単純小選挙区制を採用したことによって、政権交代可能な2大政党制が実現したようだ。アメリカはもともとイギリスの植民地だったため、イギリスの選挙制度をそのまま採用したのかもしれない。
ただ面白いのはイギリスの場合、厳密には下院議員は保守党と労働党以外の政党議員もかなりいるのだ。地域政党のスコットランド国民党や民主統一党(北アイルランドの地域政党)、労働党から分離した自由民主党という政党の議員もいる。しかも国会運営は議案ごとに賛成派と反対派が一定の間隔を挟んで対峙し、論争し合うという形式をとっている。日本ではイメージしにくいが、たとえば野球でホームチームのファンが1塁側スタンドに陣取り、ビジターチームのファンが3塁側スタンドに陣取って「応援合戦」を繰り広げるような感じをイメージしてもらえれば、と思う。
アメリカの場合はどうか。アメリカにも共和党と民主党以外に多くの少数政党がある。が、下院議員定数435人のうち共和党にも民主党にも属さない第3政党の議員は現在1人しかいない。同じ単純小選挙区制を取り、事実上2大政党政治体制でありながら、イギリスとアメリカでの差はどうして生じたのか。
要は党と議員の関係による。イギリスは党が主体であり、議員は党の歯車でしかない。議員は自分で自分の選挙区を選ぶこともできなければ、自らの政治信念で行動することもできない。日本が採用している政党助成金も、実はイギリスの真似である。選挙資金という財布のひもを党に握られていたら、党の指示に従うしかない。だから議員は党議拘束に従うしか亡くなる。小泉郵政改革の時は造反議員が大量に出たが、小泉総理は造反議員を「党則違反」を理由に除名して衆院を解散、総選挙で造反議員の選挙区に刺客を送り込んで造反議員の政治生命を奪うことまでした。
一方アメリカは「党」という実態が実はない。だいいち、党本部が存在しない。今年11月には大統領選挙が行われるが、共和党の大統領候補は慣例で現職大統領のトランプ氏が、民主党はバイデン氏が大統領候補になったが、バイデン氏は民主党所属の国会議員の投票で選ばれたわけではない。全50州の予備選挙を勝ち抜いて大統領候補に指名された。
が、トランプ氏やバイデン氏は共和党や民主党の党首(代表)というわけではない。また議会での採決に際しても、アメリカでは大統領であっても、自らが所属する党の議員にも党議拘束がかけることができない。アメリカの国会議員は上院も下院も党からの支援はほとんどなく、自力で選挙を勝ち抜いてきているからだ。だから賛成・反対が拮抗している重要法案では、大統領自らが反対政党議員を個別に説得するといったこともしばしば生じる。
つまり同じ2大政党政治と言ってもアメリカとイギリスでは性質がまったく違うのだ。大統領制と議院内閣制という政治の仕組みそのものの違いは別にしても、「有権者ありき」のアメリカと「党ありき」のイギリスの違いをまず理解していただきたい。そのうえで、2大政党制がいいのか、それ以前に「党ありき」の議員選出と「有権者ありき」の議員選出のどちらが国民にとっていいのかをまず考えてほしい。
日本には「出たい人より出したい人」という標語がある。そのために金がなくても志のある人が選挙に出られるように「政党助成金」制度が創設された。その効果は歴然たるものがあった。参院選広島選挙区で新人の河合杏里氏を当選させるために、自民党本部は1億5千万円という大金を選挙資金として提供した。杏里氏が「出たい人」だったかどうかは不明だが、少なくとも自民党本部にとっては、何が何でも「出したい人」だったのだろう。
そう考えれば、「政党助成金」や、それとセットになっている「党議拘束」が諸悪の根源であることが容易に理解できるだろう。
●新党代表は党員投票で選べ
野党が「大きな塊」をつくること自体に私は反対しているわけではない。先に述べたように大半のメディアはおおむね「元のさやに納まるだけ」と野合を厳しく批判しているが、野合政党でないのは共産党と公明党の2党だけだ。自民党など、国民の大多数が立憲に合流する「元のさや」新党よりはるかに野合政党だ。一応「改憲」(自主憲法制定)を党是にしているが、「9条だけは変えてはいけない」と主張するリベラル派も党内でかなりの勢力を擁している。核抑止力を重視する右派から平和主義の左派まで、これが一つの党かと思えるほど人材も多彩だ。55年体制の下で、政権を担い続けてきた歴史が、自民党を「大人の政党」に育ててきたのだろうと思う。
55年体制とは、1955年に、いったん右派と左派に分裂していた社会党が再統一したのがきっかけで、保守陣営も日本民主党と自由党が合同して自由民主党(自民党)を結成、メディアも「2大政党政治が実現する」と歓迎した。対立軸は自民の「改憲・保守・安保維持」に対し、社会は「護憲・革新・反安保」で対峙した。そういう意味ではイギリスの保守党VS労働党の2大政党体制と似ていないこともない。ただイギリスの労働党は社会主義政党というより、「ゆりかごから墓場まで」で知られる社会福祉重視型の政党で、日本の旧社会党とは基本理念において違う。日本の旧社会党が教条主義的社会主義国家の実現を目指したこともあって、政権を担える政党に育たなかったのだと思う。
私は新党が「野合」であっても、自民党のように「大人の政党」に育ってほしいと願っている。この稿の冒頭で「この道は、いつか来た道」という見出しを付けたが、玉木グループが合流から離脱したことで本当に「この道は、いつか来た道」になるのではないかと危惧している。
そうならないために、新党に大きな提案をしたい。9月に発足する新党の代表は両院議員総会で決めるしかないが、その任期は総選挙の時期との兼ね合いもあるが、できるだけ短い方がいい。そして本格的な代表選はアメリカの大統領候補指名選挙のように、すべての党員が一人一票という「党内民主主義」をまず確立してもらいたい。
次に「党議拘束」はやめてほしい。国会議員は選挙区の有権者から選ばれたひとであり、党執行部が決めたわけではない。もちろん公認は党執行部が決めるが、議員は党執行部のロボットではない。個々の議員の信念や信条を大切にしてあげてほしい。
共産党のように政党助成金を辞退しろとまでは言わないが、少なくとも総選挙で小選挙区と比例区の重複立候補は廃止してほしい。すでに述べたように私は単純小選挙区制にすべきだと考えているが、現在の選挙制度の下で国民に党の選挙に対する姿勢を訴える方法としても、「重複立候補は認めない」ことは強烈なアピールになると思う。
新党が「いつか来た道」をまた辿ることになるのか、あるいは日本の淀んだ政界に新風を吹き込めるのかは、党員一人ひとりが決めることだ。
【追記】 安倍総理の辞任表明で自民党次期総裁選の火ぶたが切られた。今朝(8月31日現在)の時点で出馬を明確にしているのは岸田、菅両氏のふたり。河野氏や下村氏も党内の情勢次第では出馬する可能性がある。安倍総理の辞任表明前の最も直近の世論調査である時事通信によれば、時期総理としての人気度はトップが石破氏で24.5%。2位が小泉氏12.3%、3位・安倍氏9.2%、4位・河野氏7.8%、5位・岸田氏6.0%、6位・菅氏4.5%だった。自民支持層に限ってもトップ・石破氏28.5%、2位・安部氏18.0%、3位・小泉氏11.1%と、石破氏への期待度が群を抜いている(調査期間は8月7~10日)。が、肝心の石破氏が出馬するのかどうかが今のところ不明だ。総裁選が両院議員総会だけで行われる可能性が高く、国民や党員の期待度が高くても極めて不利な選挙になる可能性が高いためだ。
そうなると、小選挙区制導入や政党助成金導入の口実ともなった「派閥政治の撲滅」はどこへ行ったのかということになる。政治はあくまで結果だから、「政権交代可能な2大政党政治の実現」や「派閥政治の撲滅」ができなかったという結果が明らかになった以上、改めて選挙制度や政党助成金制度についても見直すべきだろう。石破氏が総裁選に出馬するかどうかはまだ不明だが、自民党総裁は党の代表者であり、自民党所属の国会議員の代表者ではない。これは立憲・国民の合流による「新党」への注文としても書いたが、党の代表を決めるのは党員の権利であり(唯一の権利だ)、国民や自民党員の支持がダントツに高い石破氏が、派閥力学で総裁選に出ても勝てないということになると、そもそも民主主義を語る資格が自民党にあるのかを問いたくなる。「新党」も含めて党内民主主義を確立して初めて、議員は異論があっても党が決めた政策に従う義務も生じる。私は「勝つか負けるか」ではなく、派閥力学で次期総裁を決めるような総裁選には出ない、という姿勢を石破氏には期待したい。(8月31日)
※日本経済新聞とテレビ東京が29~30日にかけて行った「次の首相にふさわしい人」の緊急世論調査結果は以下の通り(カッコ内は自民党支持層)。
1位 石破氏28%(28%)
2位 河野氏15%(18%)
3位 小泉氏14%(13%)
4位 菅氏11%(16%)
5位 岸田氏6%(9%)
【追記2】 岸田氏はなぜ当てが外れたのか?
今日(9月1日)、自民党総裁選の立候補者の顔が出そろう。今朝の各メディアの報道によれば、菅、岸田、石破の3氏になるが、菅官房長官が圧倒的に有利なようだ。
安倍総理の、この時期での退任は想定外だったとしても、ポスト安倍の最有力候補は岸田氏だったはず。が、安倍総理が辞任表明をした途端、後継総裁の有力候補として菅官房長官が急浮上しだした。党内でも「政策の継承が重要」といった主張が大きくなりだした。安倍政権の「政策の警鐘」が重要だと言うなら、政調会長として党の政策集約に当たってきた岸田氏が、安倍総理から禅譲を受けるとみるのが常識だろう。
が、政策の継承には岸田氏より菅氏の方が適任ということなのか。党内の空気に不安を抱いた岸田氏は、本来なら安倍総理にまず会って「私に禅譲してくれるんでしょうね」とくぎを刺すべきだったが、岸田氏が8月30日、まず会ったのは安倍総理の盟友・麻生副総理だった。が、案の定、麻生氏は「総理の意向がまだわからないから」と、岸田支援の約束を断った。
翌31日、首相官邸に安倍総理を訪ねた岸田氏の、会談後の顔は落胆し切っていた。ぶら下がりの記者たちは一斉に「総理の意向はどうでしたか?」と質問を浴びせたが、岸田氏の答えは「力添えをお願いしてきました」だけだった。後でわかったことだが、岸田氏の懇願に対して安倍総理は「自分の立場では個別の名前を出すことは控えている」と素っ気なかったようだ。
なぜ安倍総理は衆目が一致していた岸田禅譲を辞めたのか。安倍総理はいまだ様々なスキャンダルを抱えている。モリカケ疑惑や桜を見る会招待者問題、検察庁人事への露骨な介入、河合杏里氏への1億5000万円に上る巨額の選挙資金提供など、自分が総理を辞めた後、だれなら確実に自分を守ってくれるかが、後継人事についての最大のポイントになった。
そういう意味では、外様の岸田氏より、安倍政権を官房長官として長年支え続けてきた菅氏なら、絶対安心できると考えたのではないか。また菅官房長官の場合は岸田氏と違って、安倍スキャンダルに関しては一連托生の関係にあり、安倍総理を裏切れないという安心感もあったのではないか。
すでに菅氏の支持を明らかにしているのは二階派(47人)、細田派(98人)、麻生派(54人)、石原派(11人)と、圧倒的に有利な状況になっている。が、絶対安全圏となるはずの菅総裁(=総理)が誕生した場合、岸田氏自身が直接動くことはないにしても、岸田派の誰かが安倍スキャンダルの真相を週刊文春などにリークするリスクも負うことになった。安倍総理が「菅の後をやってくれ」と、いまさらなだめても、そんな甘言、だれも信用しないだろう。裏切られた岸田氏の今後の出方が気になる。(9月1日)