小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

広島・長崎の原爆から75年。「核のない世界」をつくるために日本は何をしてきた?+日韓問題(10日、緊急事態告発)

2020-08-06 02:04:57 | Weblog
 最近、古くからの友人で、元編集長の方からアドバイスをいただいた。「小林さんのブログ記事はすごく面白いし、『目からウロコ』の部分もあるが、長文なので小見出しを付けたら、もっと読みやすくなる」というのだ。もっともなアドバイスなので、今回から長文の記事には小見出しを付けることにした。

●衝撃だった広島地裁の「原告全面勝利」の判決
 今から75年前の1945年8月6日午前8時15分、広島市中心部の600メートル上空に閃光が走り、その直後に猛烈な爆風が市内だけでなく市の周辺まで襲った。生き残った人たちが「この世の地獄」と語ったように、そのすさまじさは想像を絶するものがあったようだ。
 そのときの壊滅的な状況は、いま市内ではほとんど見ることはない。永久に保存されるであろう「原爆ドーム」だけが、かすかに史上初の原子爆弾「リトルボーイ」の威力を物語っているだけだ。
 原爆投下によって、当時の広島市民35万人のうち9万~16万6000人が被爆によって2~4か月以内に死亡したとされる。さらに周辺地域も含め56万人が被爆し、現在も生存者は後遺症に苦しんでいる。
 これまで被爆者たちは国を相手取って何度となく訴訟を起こしてきた。今年も広島高裁と広島地裁で二つの判決が出た。
 まず6月22日の広島高裁判決。被爆の影響で心筋梗塞や甲状腺機能低下症を患っているのに原爆症と国が認めないのは不当として、11人が国を相手取って起こした控訴審で、三木昌之裁判長が下した判決。11人のうち5人は一審(広島地裁)判決を取り消して原爆症と認める一方、6人は1審判決を支持して訴えを退けた。原爆症と認定した5人について、裁判長は「被爆時は若年で放射線に対する感受性が高かった」とした一方、訴えを退けた6人については「被爆との関連性があるとしても限定的」とした。
 メディアが大きく取り上げたのは7月29日判決の、いわゆる「黒い雨」裁判。「大雨」地域外に居住していたが、放射能を含んだ降雨により原爆症を発症したとする原告84人が起こした訴訟の裁判だ。原爆投下直後に黒い雨(爆発で空中に飛散したすすなどを含んだ雨)が激しく降った「大雨地域」(国が「爆心地から東西11キロ、南北19キロ」と定めた範囲)に居住していた人たちしか、国は被爆者と認定しなかった。実際には当時の地元気象台技師の調査で降雨範囲は「東西15キロ、南北29キロ」とされたが、国は原爆症認定の基準を「大雨地域」に絞り、その地域外の被爆者は原爆症の認定を拒んできた。この裁判で高島義行裁判長は、「原告らは降雨による外部被曝や放射能汚染された水などによる内部被曝が想定される」として原告全員を被爆者と認定した。原爆被害者を広く認定した画期的判決としてメディアも大きく報道した。

●無差別大量殺りく兵器の原爆を投下したアメリカは国際法違反 BUT 
 原爆訴訟の第1弾は1955年、広島の下田さんら3人が国を相手に東京地裁に起こした訴訟で、国に対しては損害賠償を、アメリカに対しては国際法違反とすることを求めた。被爆者に対して国が何の援護も行わず放置していた時代だった。東京地裁は63年12月、当時としては画期的といえる判決を下した。「米軍の広島・長崎への原爆投下は国際法に違反する」としたうえで、原告の国に対する損賠賠償請求は棄却した。責任が米軍にあることを認めた以上、国が賠償責任を負うのは論理的整合性に欠けるという意味では、きわめて合理的な判決と言えなくもない。
 ただ、この裁判で裁判長は「国家は自らの権限と責任において開始した戦争により、多くの人々を死に導き、傷害を負わせ、不安な生活に追い込んだ。しかも原爆による被害の大きさは、一般戦災者の比ではない。被告(国)は十分な救済策を講じるべきで、それは立法府と内閣の責務である」と、被爆者を放置してきた国に対して厳しく苦言を呈した。この裁判は、その後の被爆者援護施策に大きな影響を与え、57年には原爆医療法が制定、続いて68年には原爆特別措置法が施行された。
 原爆訴訟はその後も相次ぎ、1972年には韓国人被爆者も救済対象となることが確定(最高裁)、さらに2002年には被爆後、韓国に帰国していた韓国人が帰国によりいったん打ち切られていた健康管理手当の回復訴訟で勝利した(大阪高裁)。また被爆当時、軍人として広島で被爆、被爆者健康手帳を持っていながら、ブラジルに移住したため健康管理手当の支給が打ち切られたことを不服として、2002年、広島地裁に提訴したケースもある(その後の経緯は不明)。
 以降、私は「原爆による被害者に対する責任はだれが負うべきか」を、一切の先入観や思想的偏りを排して、純粋に論理的整合性だけを唯一の基準として考察していく。その考察を進めていく場合、必ずしも裁判の結果と同じ判断になるとは限らない。むしろ、裁判での確定判決に疑問を呈することになるかもしれない。さらに、原爆に対する一般的国民感情に反することになるかもしれない。また私は法曹家でもないから、法律を基準にして判断したりすることはできないし、したいとも思わない。

●組織的行為の意味を考察する
 まず被爆者が裁判で求めたのは損害賠償である。その請求先が日本国政府であるべきか、はたまたアメリカ政府であるべきか、という問題に切り込む。
 原爆を投下したのが日本軍だったなら、損害賠償先が日本政府(つまり日本国)になるのは当たり前だ。たとえば戦争末期の特攻隊や人間魚雷。これは米軍との戦闘行為で戦死したのではなく、国の命令によって「自殺行為」を強いられたわけだから、当然だが、普通の戦闘行為における戦死者とは同等ではない。国家責任がより厳しく問われるべきだろう。
 仮にこうした行為が犯罪だとしたら、単独犯(つまり第3者の命令や協力などの関与が一切ない場合)は、全責任は直接実行者が負うべきである。が、第3者による命令(指示も含めて広義の意味で)による行為の場合は、最高責任者は直接実行者ではなく、命令を下した人物ということになる。が、軍隊や特殊詐欺集団のように命令系統が階層的になっている場合、だれが最も重い責任を負うべきかを明らかにすることは、容易ではない。組織的行為の責任を明らかにすることの困難さがここにある。
 いま問題になっている河井克行・杏里夫妻の公職選挙法違反事件。この二人が有罪になるのは当然としても、杏里氏の選挙資金として自民党本部が提供した1億5000万円。報道によれば、東京地検特捜部も自民党本部にまでは手を出せないようだ。国民の大半は安倍総裁が関与していないわけがないと思っているし、私も同様だ。が、安倍総裁は日本の首相でもある。確実な証拠がないと特捜といえども手を出せない。ロッキード事件で特捜が田中元総理を逮捕できたのは、米上院でロッキード社のコーチャン副会長が贈賄を証言したためだ。それでも、田中逮捕に至るまで、特捜は組織をかけた捜査を重ねた。その間、田中の秘書をはじめ何人かが自殺や不審な死を遂げている。総理・総裁ともなると、憲法14条の「法の下での平等」は適用されないようだ。

●「勝てば官軍、負ければ賊軍」の歴史認識基準は?
 それはともかく、戦争という組織的行為の中で生じた問題の解決は、これまで「勝てば官軍、負ければ賊軍」「敗軍の将、兵を語らず」が基準とされてきた。私はいままでもブログで、こうした歴史認識基準に対し一貫して批判を続けてきた。もちろん、日本の戦争犯罪を擁護するためではない。確認された事実に基づき、論理的整合性のある歴史解釈をするべきだと主張しているだけだ。広島・長崎の原爆投下についていえば、絶対に動かせない事実は、米空軍の爆撃機が、米政府の命令によって原爆を投下したということだ。誰か(例えばマッカーサー)が独断で行った命令による行為だったら、米政府はとっくにマッカーサーを処分していたし、日本に対してそれなりの謝罪をしている。戦後75年たっても謝罪どころか、いまだに正当化していることから、アメリカ政府の組織的行為として広島と長崎に原爆が投下されたことは明白である。
 こんな、当たり前のことをいまさらのように書いたのはそれなりの理由があってのことだ。つまりアメリカが原爆投下を正当化している理由(口実)が、すべて真っ赤なウソとまでは言わないが、一つは正しく、もう一つはウソだということを明らかにするためである。アメリカ政府が、無理やり原爆投下を正当化しようとするから、かえって墓穴を掘ることになったと言える。
 まず、真っ赤のウソの方から明らかにする。「米兵士の犠牲をこれ以上出さないため」という口実だ。米軍が沖縄に上陸して日本軍と激しい戦いを始めたのは1945年4月1日である。戦闘は6月23日まで続いたが、日本の守備隊は全滅し、死者は日本側が19万人(うち9万4000人は民間人)、米軍の死者は2万人を数えた。米軍にとっては甚大な兵士の損傷だったが、沖縄制圧は日本本土を爆撃するための航空基地の確保が最大の目的であり、かなりの犠牲を出すことは覚悟の上の作戦でもあった。
なお重要なことは、沖縄戦が始まった直後の4月5日にソ連が日ソ中立条約不延長を通告、ソ連が対日参戦に踏み切ることは時間の問題になった。このことが、原爆投下の重要なターニング・ポイントになったと、私は考えている。
 沖縄を完全制圧した米軍は、直ちに航空基地の整備を突貫工事で進め、日本本土の爆撃拠点とする。が、その以前から空母ホーネットからの中型爆撃機B25による東京・川崎・横須賀・名古屋・神戸に対する空襲は行っており、とくに東京空襲は44年11月以降、計106回を数えたほどだった。なかでも大型爆撃機B29を主力とした45年3月10日の空襲は、のちに「東京大空襲」と呼ばれるほどの規模で、人口密集地の下町を中心に死者数10万人を超えたと言われている。ということは、この時期すでに米軍は沖縄戦を除いて日本攻略作戦の中心を空爆に置いており、地上戦での米軍兵士の損傷は沖縄戦以降、皆無といっていい状態だった。
日本側は米軍の本土上陸作戦に備えて婦女子も戦力にしようと竹やり部隊を編成したりしたが、仮に米軍が本土上陸作戦を行ったとしても、日本が完全武装の米兵士に大きな損傷を与えることなど全く不可能だった。しかも沖縄戦以降、日本の反撃能力はほぼゼロで、8月の段階で「米軍兵士の損傷をできるだけ少なくするため」という原爆投下の口実は真っ赤なウソ以外の何物でもない。

●原爆投下の真の目的は、ソ連の日本侵略・日本の共産化を防ぐためだった
 しかし、もう一つの理由である「戦争を早く終わらせるため」というのは、おそらく事実だろうと、私は考えている。すでに述べたように、アメリカが沖縄上陸作戦を開始した直後に、ソ連は日ソ中立条約の延長拒否を日本政府に通告している。
日ソ中立条約は1941年4月にモスクワで調印された。有効期間は5年で、期間満了の1年前までに日ソのどちらかが破棄を申し出なかった場合はさらに5年間自動延長するという内容。だから少なくとも46年4月までは条約は有効なのだが、日本は連合国との和睦の仲介をソ連に依頼すべく、ソ連側との交渉に全力を注いでいた。44年1月には漁業協定を5年延長したり、北樺太の利権をソ連に返還したり、ソ連への譲歩を重ねてもきた。が、ソ連スターリン書記長はひそかに米ルーズベルト大統領、英チャーチル首相と会談、ポツダム宣言の原案を作成するなど、連合国参加の準備を着々と進めていた。ソ連が日ソ中立条約の延長を拒否したのはそういう背景があったからである。
 もう一つ見落とせないのは、45年5月7日にドイツが無条件降伏し、東欧諸国を支配下に収めることに成功していたソ連は、それまでヨーロッパ戦線に釘付けされていたソ連軍の精鋭を満州と国境を接するシベリアに移動させることが可能になったことだ。また米ルーズベルトは前例がない大統領4選を果たした直後の4月12日、脳卒中で急死し、副大統領のトルーマンが大統領に就任していた。米軍が沖縄上陸作戦を開始した直後であった。
 新大統領のトルーマンは外交経験も全くなかったし、だいいち、原爆の開発状況すら知らされていなかったという。ただ、アメリカが第2次世界大戦に参加して連合国の中心になって以降、連合国軍は倒的な戦力で枢軸国に連戦連勝、対独・対日戦争の終結は時間の問題だったということ、またソ連が東欧を席巻して共産圏を一気に拡大したことはトルーマンも承知していた。そのソ連が対日参戦して、東欧を席巻したように、満州・朝鮮・日本まで共産圏に組み込むことだけは米政府も避けたかったのではないか。
そう考えると、ソ連軍が日本に侵攻する前に、なにがなんでも戦争を終結させる必要があった。が、日本は婦女子まで動員して竹やりで近代武装した米軍を迎え撃とうとしている。容易なことでは日本を無条件降伏させることはできない。そう考えたのが、米政府が原爆投下を決断した最大の理由ではないか、と私は考えている。実際、アメリカが広島に原爆を投下した直後の8月8日にソ連は対日宣戦布告して満州に攻め込んでいる。
 日本は広島原爆で完全に戦意喪失していたため、降伏はやむなしと考えたものの、降伏の条件をめぐって軍内部でバカみたいな議論に終始し、すぐにはバンザイをしなかった。焦ったのはアメリカの方で、ソ連はすでに対日戦争に突入している。日本政府の「トコトン抵抗派」の息の根を止めるには原爆をもう1発落とす必要がある。トルーマンはそう考えたと思う。で、広島の3日後に長崎に原爆を投下したというわけだ。それでも、まだ日本政府は決断できない。よっぴいての御前会議の末、ようやく10日の午前2時半になって「国体維持を条件にポツダム宣言を受け入れる」ことを決定し、連合国側に通告した。が、ポツダム宣言は、日本に無条件降伏を求めており、条件付きの降伏という日本側の申し入れを拒否、3発目の原爆投下の危機が目の前に迫った。こうした状況下で、ようやく日本が無条件降伏を連合国に通告したのが14日。昭和天皇が玉音放送で国民に日本の敗北を知らせたのが翌15日。そういう経緯から私は終戦日は8月15日ではなく、8月14日とすべきだと考えている。この私の歴史認識については8月14日に投稿するつもりだ。

●慰安婦問題や徴用工問題は日本政府が関与すべきことではない
 かなり話が横道にそれたが、原爆によって受けた被爆者の損害賠償と救済措置は、本来、日本政府の責任ではなく、アメリカ政府の責任である「べき」だ。が、日本政府が「正論」を持ち出して被爆者に対する責任をアメリカに追及したら、アメリカはおそらく「だったら、日米戦争(太平洋戦争)でアメリカが被った損害も賠償してもらう」と言い出すに決まっている。日本は先の大戦で損害賠償請求権を放棄してくれた米英蘭(オランダ)や中国に対して、そうした重荷をいまだに背負っていることを忘れてはならない。
 一方、韓国との間でいまだ解決に至っていない、いわゆる「慰安婦問題」と「徴用工問題」はまったく別次元の国際問題だ。
 この二つの問題は、いずれも当時の日本政府が直接関与した組織的行為ではないことを、まず確認しておく必要がある。
 従軍慰安婦問題に関して言えば、「当時、売買春は国際法で禁じられていなかった」として日本側に賠償責任はないと主張する向きもあるが、それは的外れの反論。韓国も売買春行為を問題にしているのではなく、商売女ではなく、嫌がる一般女性を無理やり「強制連行」して慰安婦にしたことを問題にしている。そういった行為が、あの時代になかったかというと、おそらくかなりあっただろうと私は推測している。が、それが組織的行為、つまり政府が直接間接に関与した行為だったかどうかは別である。いわゆる「河野談話」は「政府の関与があったことが認められた」と結論付けているが、本当か?
 実際には軍(政府と同義)が慰安婦所設置について厳しい通達を出している。要約すると、「占領地域内での日本軍人による住民の強姦など不正行為を厳重に取り締まり、士気の振興、軍紀の維持、犯罪および性病の予防のため慰安所の設置が必要である。慰安婦の募集に当たる者の取り締まりについては、軍の威信を保持し社会問題を惹起させないため、慰安婦の募集に当たる者の人選を適切に行うこと。適正な慰安所利用料金、避妊具の使用義務、慰安婦の健康管理(性病の検査を含む)に留意すること」などを各部隊に命じている。当時の日本政府が行っていた慰安所管理は国際水準からみても、模範とされるべきものだった。
 保守系メディアは、「ほとんどの慰安婦は職業的売春婦であり、自ら応募して大金を稼いだ者もいる」と、何人かの元慰安婦の証言を集めて韓国側の主張に反論しているが、これも全くの的外れ。いまでも警察官や自衛官の立場にありながら、強姦や痴漢、万引きなどの犯罪に手を染める連中が少なくない。まして当時の日本軍兵士が置かれていた状況から考えて、不正な行為が少なからずあったであろうことは想像に難くない。また、軍に取り入った慰安婦募集の業者が、場合によっては一部の兵士の協力を得て若い女性を強制連行したケースも少なからずあったと思う。
が、それらの不正な行為が「組織的行為」(つまり個人的犯罪ではなく政府の責任による行為)とまで言えるのだろうか。はっきり言えば「河野談話」は、こうしたケースをごっちゃにして「政府の関与があった」と認めてしまった。その結果、韓国から付け込まれることになった。
安倍総理は一時、「河野談話の作成過程を検証する必要がある」と主張していたが、アメリカから「やめとけ」と恫喝され、「はい、かしこまりました」と検証作業をすぐやめた。靖国神社参拝中止にしろ、これほど信念に欠けた総理を、私は知らない。中曽根氏や小泉氏も、総理時代、毎年靖国参拝を欠かさなかったが、アメリカからコケにされたことは一度もない。
 次に「徴用工問題」である。この問題は、当時、韓国で事業を行っていた個々の企業が、従業員募集に際して虚偽の説明をし、かつ差別的処遇(賃金や労働内容)をされたとして、元徴用工が日本政府ではなく、かつての雇用主である日本製鉄などの企業を訴えた事件である。
 韓国の大法院は、原告の訴えを認め、企業に損害賠償を命じ、かつ賠償金を支払わなかった場合に備えて株式の差し押さえも認めた。この裁判には二つの問題があると、私は思う。まず、韓国の法律に照らして時効になっていないかという点。これは私には分からない。韓国の法律に詳しい法曹家が確かめてほしい。次に75年以上前のことなので、仮に時効になっていないとしても原告の主張を裏付ける証拠が法廷に提出されたかの検証だ。もし、証拠が提出されていたとしたら、訴えられた企業側は反証を提出できなければ敗訴してもやむを得ない。その辺の経緯がまったく明らかにされていない。が、少なくとも徴用工問題に日本政府が乗り出して、貿易上の報復措置を行うのは、まったくの筋違いであろう。

●日本はなぜ「核兵器禁止条約」に反対するのか
 原爆問題に戻る。2017年7月7日、ニューヨークの国連本部で画期的な条約が採択された。「核兵器禁止条約」である。国連加盟国の3分の2を超える122か国が賛成し、規定によって採択された。核兵器の非人道性を訴え続けてきたメキシコやオーストリアなどが主導して提出、多くの加盟国が賛同した。この条約の前文には「ヒバクシャ(日本語で記載)が受けた、容認できない苦しみと被害を心に留める」と記され、広島・長崎の被爆者に対する痛切な思いが込められていた。
 条約は、核兵器は「国際人道法に反する」としたうえで、核兵器の「開発」「保有」「使用」などの禁止をうたっている。また核兵器による「威嚇」も禁止された。核兵器による「威嚇」を禁じたことは、核保有国が核保有を正当化してきた「核による核抑止力」の行使も否定することを意味しており、当然、「核の傘」による抑止力も論理的には否定されることになる。
 条約の調印(署名)、批准、参加の受付は同年9月20日から始まり、今年7月には新たにスーダンが署名、82か国が承認した。批准まで進んでいる国は40か国を数え、50か国に達したら発効される。
 当然、多くの犠牲者を出した日本にとって、「核のない世界」はまさに夢の夢だった、はずだ。が、驚いたことに、日本政府はこの条約に反対した。日本と同じく「アメリカの核の傘」で守られている(ことに一応なっている)カナダやドイツなどのNATO加盟国や韓国、オーストラリアなども不参加を明らかにしている。なぜ日本政府は「核兵器禁止条約」に反対するのか。外務省が公表している「日本政府の見解」には、こうある。
「日本は唯一の戦争被爆国であり、政府は、核兵器禁止条約が目指す核兵器廃絶という目標を共有しています。一方、北朝鮮の核・ミサイル開発は、日本及び国際社会の平和と安定に対するこれまでにない、重大かつ差し迫った脅威です。北朝鮮のように核兵器の使用をほのめかす相手に対しては通常兵器だけでは抑止を効かせることは困難であるため、日米同盟の下で核兵器を有する米国の抑止力を維持することが必要です」
 果たして、日本は本当にアメリカの「核の傘」で守られていると言えるのか。そのことを論理的に検証しよう。

●核不拡散条約の欺瞞性
 1968年6月、アメリカ・イギリス・ソ連の核保有3か国と56か国が調印して核不拡散条約(核拡散防止条約 NPT)が発効した。この条約は67年までに核を保有しているか核実験を行った米・英・仏・ソ・中の5か国にのみ核保有を認め、それ以外の国が核兵器を開発・実験・保有することを禁じている。この5か国は国連安保理の常任理事国でもある。常任理事国は拒否権を有しており、他の国連加盟国に対して圧倒的に優位なポジションにある。
 まだ、核保有が認められた5か国について、条約発効以降の新たな核兵器開発・実験・保有を禁じ、さらに核非保有国に対する核兵器の行使・核による威嚇等を禁じていれば、核拡散の抑止効果はあったと思う。
 が、核不拡散条約は、きわめて不公平な条約だった。核大国のみがさらなる核軍拡を続ける一方、核を持たない国はつねに核の脅威に怯えながら、核大国の庇護下で自国の安全保障を維持しなければならなくなった。冷戦時代の日本や韓国がその典型だった。
 おそらく、日本が核の洗礼を受けていなければ、日本国民も、国際社会から見れば異常なほどの「核アレルギー」を持っていなかっただろうし、とっくに旧ソ連や中国の核に対する抑止力として核の開発・保有に踏み切っていたはずだ。実際、米・ソ(現ロ)・中の核軍拡が激しくなるたびに、「万一の場合、本当にアメリカが核で日本を守ってくれるだろうか。日本も核開発すべきではないか」という議論がされてきた。純粋に論理的に考えれば、そういう議論が出るのは不思議でも何でもない。
 現に、核不拡散条約が成立したときは核保有国は5か国だけだったが、いまはインド、パキスタン、北朝鮮の核保有は明らかであり、イスラエルの核保有も公然の秘密と言われ、イランも核開発の疑惑を持たれている。核保有が認められている5か国が、これらの認められていない核保有国や疑惑を持たれている国に対して公平・平等に国際的制裁を加えるのであれば、核非保有国もあえて核を開発・保有する必要もない。が、肝心のアメリカが核問題に関してはえこひいきが激しいのだ。
 実際、イスラエルが持っていると思われる核に対して抑止効果を狙ったのかどうか、イスラエルと敵対関係にあるイラクのフセインが核開発を進めているかのようにふるまって(実際には事実無根だった)、イスラエルびいきのアメリカの逆鱗に触れて攻撃を受け、フセイン・イラクは崩壊した。いま、やはりイスラエルと敵対関係にあるイランが核疑惑をもたれ、アメリカの主導による国際制裁を受けている。

●「核のない世界」をつくる二つの方法
 さらに、核兵器禁止条約に反対している日本が、その理由として挙げている「北朝鮮の核」は、日本の軍事力に対抗して開発したのか。さすがに日本政府もYESとは言わないだろう。北朝鮮が、国民の大多数が飢えているのに、あえて核・ミサイル開発に力を注がざるを得ないのはアメリカの敵視政策に対抗するため以外の何物でもない。アメリカ政府から「ならず者国家」「悪の枢軸」「テロ支援国家」とつねに罵倒されてきた北朝鮮が、アメリカの核の脅威に対抗するために核を開発する行為は、純粋に論理的に考えれば「正当防衛手段」と認めざるを得ないだろう。
 もちろん金正恩にしても、まさかアメリカと核戦争をして勝てるとは思っているまい。が、アメリカが北朝鮮を攻撃したら、北朝鮮は韓国や日本を標的にすることは間違いない。日本には「江戸の敵を長崎で討つ」という格言があるが、この意味は江戸の敵を長崎まで追いかけて討つという執念深さではなく、敵を困らせるために別の方法でやっつけるという意味だ。実は、アメリカは北朝鮮がそういう方法に出ることを一番恐れている。とくにトランプはもともと政治家ではなく、ビジネスマンというより商売人だ。おそらく自らがそういう手練手管で金もうけをしてきたはずで、だから北朝鮮の核でアメリカが被害を受けるなどとは毛頭思っていない。が、ひょんなことで北朝鮮と軍事衝突に至ったとき、北朝鮮が「江戸の敵を長崎で討つ」とばかりに韓国や日本を標的に核攻撃を仕掛け、アメリカが韓国や日本を防衛できなかったら、アメリカの威信は地に堕ちる。そうなることが一番怖いから、アメリカは何とか北朝鮮を挑発しまいと、いま必死なのだ。一方、金正恩の方も、そうしたアメリカの弱みが分かっているから逆に攻勢に出ている。いまの北朝鮮情勢は、そう見るのが最も論理的だろう。
 イラクやイラン、北朝鮮の核や核疑惑にアメリカが神経をとがらしていながら、インドやパキスタンの核には知らん顔なのも、同様にアメリカのご都合主義だ。インドが核を開発したのは、中国との間に領土紛争を抱えているからで、アメリカにとっては中国に対するけん制手段になりうるから、むしろ歓迎なのだ。またインドとの間でやはり領土紛争を抱えているパキスタンも、インドの核に対する抑止力として核を開発したのだが、パキスタンやアフガニスタンでいまだ勢力を維持しているタリバンに対する威嚇力にもなるから、アメリカにとってはかえって好都合なのだ。
 そう考えていくと、核の脅威を世界からなくす方法は二つしかない。
 一つは核兵器禁止条約にすべての国を参加させること。そのために、世界で唯一核の洗礼を受けた日本が、核廃絶のリーダーシップを発揮すること。
 もう一つの方法は、核不拡散条約を廃棄し、他国の核を脅威に感じるすべての国に抑止力としての核開発と核保有を認めること。日本は原爆の原料となるプルトニウムを大量に保有しており、核開発の技術も容易に持てるだろう。ミサイルに至ってはお手の物だ。日本にとって核ビジネスは極めて魅力的だし、すべての国が核に対する核抑止力を保有することになれば、もはや核を保有する意味がなくなる。核による威嚇外交も不可能になるし、事実上核戦争のない世界ができる。こんな、いいこと、ないではないか。


【追記】 共同通信のネット配信によれば、6日(ニューヨーク日付)、ナイジェリア・アイルランド・ニウエの3か国が国連本部に核兵器禁止条約批准書を国連に提出、批准した国・地域が43に達した。国連加盟の批准国・地域が50に達すると規定によって発行することになり、核不拡散条約との整合性が問われることになる。核不拡散条約の再検討会議は来年1月に開催されることになっているが、唯一の被爆国である日本の立ち位置が改めて問われることになる。
 私が昨日(6日)、外務省に問い合わせたところ、「核のない世界」の実現のため、まだ具体化はしていないが日本政府としては「第3の道」を模索中とのことだった。アメリカとの関係を損なわずに、核廃絶を目指すということのようだが、日本が主導してアメリカが合意できるような核廃絶の道を国際社会に提案しても、国際社会からは日本政府の独自性としては受け入れてもらえない。国際社会に見る目は「日本は事実上、アメリカの属国」であり、アメリカの代理提案としか受け止めてもらえない。
 そうした状況の中で、日本が選択すべき道は核兵器禁止条約に賛同することであり、さらに条約案に追加項目として「この条約の規定にもかかわらず、核兵器の開発・実験・保有を停止しない国は国際連合から除名する」という条文を加えることの提案である。そこまで日本政府が行ったとき、初めて国際社会は独立国としての日本の尊厳を明確に認めてくれる。(7日)

【緊急事態告発】 長崎で原爆式典が行われた9日、式典に出席した安倍総理は式典後の記者会見で、新型コロナウイルスの感染が拡大しつつある中で「緊急事態宣言の再発令」について記者からの質問に、「雇用や暮らしに与える影響を考えれば、できる限り(緊急事態宣言の再発令は)避けるための取り組みを進めなければならない」と、経済政策を優先する意向を強く示した。
 が、いまの日本の感染状況は、感染対策と経済対策を両立できるような環境にあるだろうか。安倍総理は、経済対策優先の理由をこう述べた。
「4~6月期のGDPは年率換算で20%を超えるマイナス成長が予想されており、リーマン・ショックを上回る甚大な影響が見込まれる」と。
安倍総理の短絡思考は「アベノミクス」でデフレ脱却を目指したときと、まったく変わらない。アベノミクスも、「失われた20年」の原因を単純にデフレに起因すると考え、【日銀による円安誘導→輸出産業の国際競争力回復→輸出産業の設備投資と雇用拡大と賃金上昇→国内消費の拡大→国内向け産業の活性化→デフレ脱却】と【赤字国債の発行による公共投資の増大→建設業界の活性化→建設業界の雇用拡大と賃金上昇(以下同じ)】の組み合わせという単純な図式に従っただけの経済政策だった。
が、世界経済はもっと構造的に深刻な時代を迎えている。日本に限らず先進国に共通した社会現象である「少子化+高齢化社会」だ。一般には「少子高齢化」とひとくくりにして言われているが、実は「少子化」と「高齢化社会」は関連性がないとは言わないが、まったく別の問題。たまたま同時期に進行したため、ひとくくりにしてしまう傾向があるが、「少子化」は合計特殊出生率が2.0%を大幅に下回ることによって生じた、将来の生産人口(労働人口)と国内消費力の減少が予想されることを意味する言葉。一方「高齢化社会」は、国内の人口構成に占める高齢者の割合が増大し、それに伴う社会福祉財源の増加を支えきれなくなりつつある現象をさす言葉。この二つの社会現象が先進国で共通して同時に進行するという、アダム・スミスもマルクスもケインズも想定すらしなかった、人類史で初めて私たちの世代が経験している社会問題である。ケインズ経済政策で単純に克服できる問題ではない。
それと同様、新型コロナウイルスも人類が初めて経験する、まったく新しいタイプのウイルスだ。私は医学的知識はまったくないが、当初はインフルエンザと同様、季節型ウイルスで、夏場に向かえば「夏眠」してくれると思っていた(多くの感染症専門家もそう考えていたようだ)。
インフルエンザ・ウイルスと同一視するわけにはいかないなという気がしだしたのは、春を過ぎても感染拡大が収まらず、かつ流行も北半球から南半球に拡大し、どうやら新型コロナは通年型・全地球型のウイルスだということが分かってきたことによる。しかも新型コロナの場合は【感染即発症】とはならず、感染しても潜伏期間があり、かつその無症状期間でも感染力がかなり強い、非常に厄介なウイルスだということも分かってきた。このウイルスに立ち向かうには、強力なワクチンと効果的な治療薬の開発が不可欠だが、手をこまねいて待っているわけにはいかない。その間も感染はどんどん拡大しているのだから。
そうした状況で、政治が果たすべき役割は、まず感染拡大に歯止めをかけることだろう。問題は、感染拡大への歯止めのかけかただ。これを失敗すると、
経済活動は疲弊し、かつ感染に歯止めもかけられないということになる。実は4月に発令した緊急事態宣言は、(結果論であることを承知で言うが)失敗だった。結果論ではあるが、その失敗から何を学ぶかで、結果論を次の対策に生かすことができる。
 私は8月1日付のブログ『東京オリンピックの開催がほぼ絶望的になった理由――Go Toトラベルから「東京外し」をしたためだ』の最後に【コロナ禍指数】を提案した。単純に感染者数や陽性率で地域ごとの感染状況を判断するのではなく、自治体ごとにバラバラなPCR検査の実態を把握し、各自治体がどういう基準でPCR検査をしているかをまず調べ、そのうえで感染者数や陽性率に重みづけをするのが、私の言う「コロナ禍指数」である。
 これはまったくの偶然だが、分科会が同じ時期に感染対策のステップとそれに対応する指標となる指数の提案を考えていたようだ。それに対して政府側は、指数化すると、それに縛られて経済対策が柔軟にできなくなるという理由で反対したらしいが、分科会が政府を押し切ったのかどうかは不明だが、7日に6項目からなる指標を示した。が、私はこれでは不十分だと思っている。
 まず全国的に、PCR検査実施の基準を一定化することを最優先すべきだ。PCR検査をするかしないかの基準が自治体ごとにまちまちのままだと、単純に感染者数や陽性率だけしかわからず、地域ごとのきめ細かい感染状況を把握することができない。これができなかったら、感染対策も経済対策も全国一律か都道府県単位でするかの差でしかなく、どっちも中途半端になる。いや、すでに中途半端な感染対策や経済対策ばかりやってきたではないか。
 いま政治がすぐにでも手を付けることは、緊急事態宣言を全国一律に再発令することでもなければ、経済対策をやはり全国一律に行うことでもない。前にもブログで書いたが、私はGo Toトラベルは政策としては評価している。ただ皮肉なことに、安倍政権かでどうにか日本経済がもってきたのは、アベノミクスが想定していなかった「インバウンド効果」による(インバウンド効果を高めるには円高の方が有利だ)。かつての「爆買いブーム」は去ったが、コロナ禍が押し寄せるまでのインバウンドは「日本体験」をしたいという新たな観光層だ。コロナ禍で、インバウンドの受け皿ともいえる地方の観光産業が疲弊することだけは何としても避けたい、と私も考えている。が、インバウンドの受け皿を維持するためのGo Toトラベルで、地方の観光地にまで感染が広がると、コロナ禍によって地方の観光産業が致命的な打撃を受けかねない。
 だから、Go TOトラベルを今すぐ中止しろとまでは言わないが、とりあえず新規の予約は中止して、きめ細かな対策を講じたうえで再開するようにしたらどうか。いまの政府の政策は、何から何まで大雑把すぎはしないか…。(10日)

 【追記2】 非常に残念なニュースが飛び込んできた。原告84人全員に被爆者健康手帳を交付するよう命じた7月29日の広島地裁の判決に対して、松井一美・広島市長が広島高裁に控訴した。加藤厚労相と11日、Web会議をした場で、加藤氏から強い要請があったようだ。加藤氏は「黒い雨の降雨地域の範囲について最新の科学技術を用いて可能な限り調べ直すが、広島地裁の判決は最高裁判決と異なり、十分な科学的見地に基づいているとは言えない」というのが松井市長に控訴を要請した理由だという。
 が、75年前のことだ。現在の最新の科学的手法を駆使したとしても、当時の降雨地域を厳密に調べることができるのか。そんなことが可能だというなら、どうして地裁で裁判中にやらなかったのか。いたずらに高齢被爆者をさらに苦しめるだけではないか。憤りを感じる。(12日)