小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

加計学園問題を解くカギはこれだーー野党議員やメディアが見過ごしてきたこと。

2018-05-29 05:58:10 | Weblog
 これから述べる推論は、ほぼ99%当たっていると思う。
 2015年2月15日、安倍総理が加計孝太郎氏と面談し、愛媛県今治市に国際水準の獣医学部を新設したいという計画を聞き、「いいね」と賛同したことは99.99%事実だろう。
 そのこと自体は犯罪でもなければ、総理が加計氏の計画に賛同したからといって、そのことが直接その計画に便宜を計らったということも意味しない。
 愛媛県は前知事の加戸氏の時代から、四国に獣医師が少ないこと、何とか愛媛県に新しい獣医学の大学を誘致したいと考えて国(厚労省や文科省)に嘆願してきたことも事実として明らかになっている。が、獣医師の増加による過当競争を恐れた獣医師会と、その圧力を受けた政治によって、愛媛県の要望はつねに跳ね返されてきた。
 愛媛県は獣医学系大学の新設について、当然事業者にもあたりをつけていた。すでに加戸氏の国会での発言から明らかになっているが、たまたま愛媛県の担当者が加計学園の実力者と懇意で、その関係からとんとん拍子で加計学園が愛媛県に獣医学部を新設するという計画を立てた。が、獣医学系大学の新設には国の承認がいる。大学には税金が投入されるからだ。そして獣医師会の不当な圧力によって、この計画は何度も頓挫させられてきた。言葉が妥当かどうかは知らないが、「岩盤規制」によるとされている。
政治の力に対抗するためにはそれに上回る政治力を利用するしかない、と加計氏が考えたのは事業家として当然の発想である。加計氏が、アメリカ留学時代からの「刎頚の友」である安倍総理に、藁をもつかむ思いで助力を願い出たとしても、そのこと自体を責めることはできないと思う。
愛媛県と今治市は、過去、獣医系大学の新設について構造特区の制度を利用しようと考えてきた。が、安倍・加計会談の直後から、愛媛県と今治市は計画を変更する。構造特区から国家戦略特区の適用申請にかじを切り替えたのだ。国家戦略特区プロジェクトのトップは安倍総理自身だ。この会談のとき、総理が加計氏に「構造特区から国家戦略特区に切り替えたらどうか」というサジェッションがあったかどうかは不明だが、それに近いアドバイスはあったと思う。その程度のことは、友人関係にあろうとなかろうと、それほど目くじらを立てるほどのことでもあるまい。
問題はその直後に生じた。5人の総理秘書官の中で国家戦略特区のキーマンである柳瀬秘書官(当時)が、「面談したのは加計学園関係者だけ」と国会で述べている。国家戦略特区プロジェクトは特区(特定の地域)を指定して新しい産業を育成しようというプロジェクトで、アベノミクスの目玉経済政策の一つだ。経産省出身の柳瀬氏がキーマンになったのは、そのためだ。
柳瀬氏が乗り出すまでは、愛媛県は構造特区を利用しての獣医学系大学誘致計画しか考えていなかった。が、柳瀬氏が乗り出したことによって愛媛県はかじを切り替え、国家戦略プロジェクトへの申請を目指す。
ここでメディアや野党がほとんど関心を払ってこなかった、極めて重要なポイントを書いておく。柳瀬氏は国会で、このプロジェクトの関係者と3回面談したと発言している。問題は、柳瀬氏の念頭には加計学園関係者のことしかなく、加計学園関係者との面談の席に愛媛県や今治市の職員がいたことは気付かなかったと再三にわたって述べていることだ。
前にもブログで書いたが、国家戦略プロジェクトの主体はあくまで地域である。「こういう新しい産業を興して地域経済を振興したい」という地域の申請を受け、内閣府のプロジェクト担当部門で妥当かどうかを検討する。もちろん、認定するときには新産業の担い手である事業者についても裏付けや十分な資格があるかを慎重に検討するだろう。が、あくまで国家戦略特区プロジェクトの主体は地域であり、いきなり事業者がプロジェクトのキーマンと面談してアドバイスを受けるといったことは、本来ありえない話だ。
が、キーマンの柳瀬氏の念頭には事業者の加計学園担当者のことしかなく、3回も面談していながら肝心の事業主体である地域(愛媛県と今治市)のことは頭の片隅にもなかったという紛れもない事実がある。そのことは柳瀬氏本人が口を酸っぱくするほど語っているのだから、少なくとも柳瀬氏にとっては「加計ありき」であったことは否定の仕様がない。
そして柳瀬氏と加計孝太郎氏をつないだのも安倍総理であることがはっきりしている。例の内輪のバーベキュー・パーティが、おそらくそのために設けられたのだと思う。そして、そのときから柳瀬氏の念頭には「加計ありき」がこびりついたのだと思う。柳瀬氏の念頭から肝心の事業主体である愛媛県や今治市のことがすっぽり抜けていたという事実が、そのことを何よりも雄弁に物語っている。
柳瀬氏が、彼の記憶によれば「加計学園関係者との最初の面談は15年2月か3月」ということだ。しつこいようだが、同席した愛媛県や今治市についての記憶は彼にはない。
2度目の面談は4月20日。この時も同席した愛媛県や今治市についての記憶はない。
1回目と2回目の面談で、柳瀬氏は愛媛県や今治市の担当者にではなく、加計学園関係者にどういう話をしたのか。そのことを野党は国会で追及しなかったようだ。野党議員の頭には「加計ありき」を何とか証明したいということしかなかったからではないか。
99%以上の確信をもって推測するが、1回目の面談で柳瀬氏は国家戦略特区申請の手続きについて説明したと考えられる。本来国家戦略特区プロジェクトへの申請は愛媛県なり今治市が行うことであり、一事業者に過ぎない加計学園が行う話ではない。が、この時点で柳瀬氏の頭の中には、加計学園の獣医学部新設計画をどうやって国家戦略特区プロジェクトに押し込められるかということしかなかったのだろう。
2回目の面談は4月20日。おそらく愛媛県と今治市は国家戦略特区プロジェクトへの申請書類を作成して、柳瀬氏の指導を仰いだと考えられる。ただ、いつの時点からかは不明だが、少なくともこの時点では愛媛県も今治市も表舞台から降りることを決めていたと考えられる。愛媛県や今治市という地域が表舞台で正面突破するより、加計学園を主役にして計画を進めたほうが得策と考えたと思う。この時点で愛媛県や今治市が筋を通していれば、その後の混乱は最小限にとどめることが出来たのではないか。
6月愛媛県と今治市は国家戦略特区プロジェクトに正式申請する。この前後に柳瀬氏は加計学園関係者と3回目の面談を行ったという。加計学園側からすると、ここまでこぎつけられたのは柳瀬氏のおかげという意味を込めた「お礼もうで」だったのだろう。ここに至っても、柳瀬氏の念頭から地域主体という国家戦略プロジェクトの本来の在り方が、すっぽり抜け落ちていたと思われる。
12月、広島県・愛媛県今治市が国家戦略プロジェクトの第3次認定に合格した。このブログで、これ以上書く必要はあるまい。