普遍的なイタリアの姿を描きながら、人間の本性を表している。これはお見事!
シチリアの貴族、カターニャ一の名家のウゼダ家。当主のジャコモは、まだ幼い息子のコンサルヴォを厳しくしつける。それこそが息子に対する愛情であり、憎悪こそが、人間を成長させる一番の要素だと信じて疑わない。
コンサルヴォは、厳格な父よりも、奔放な叔父のライモンドになつくが、財産を一人占めしたいジャコモは、弟ライモンドの女癖の悪さをつき、亡くなった母から相続した半分の財産を放棄させる。
ウゼダ家の完全なる支配者となったジャコモに、意見するものはもういない。いくら罰を与えても、奔放なコンサルヴォは修道院に入れられる。そこには、従弟のジョヴァンニーノが待っていた。公爵家の息子だが、次男なために家を継げない。
神のしもべの館だと思っていた修道院は、まったく違っていた。女人禁制などどこ吹く風。早朝の祈りも億劫で、金で雇った別の派にやらせている。神父の誰もが堕落している中で、コンサルヴォとジョヴァンニーノの世話係をしていた、カルメロ神父だけは、真の聖人だった。
二人が青年になったころ、半島で起きていた革命運動がシチリアにも伸びてくる。ガリバルディのシチリア征服だ。イタリアの統一・・というのは、非常に分かりにくく、世界史でもなるべく避けて通りたいところなのだが、そうもいかないので、簡単にあらましを。
旧態然としていた修道院は解放され、シチリアの町々には自由の象徴の赤シャツ隊が闊歩する。貴族にとっては、唾棄すべき人々だが、ジャコモにとっては、重要なことではない。家名を守り、財産を守る。それができれば、思想も節操もない。
しかし、混乱の中で、コンサルヴォの母は、病気で亡くなってしまう。独裁者の父から自分を唯一守ってくれてた母を追い詰めたのは父だ。瀕死の母の脇で、父はすでに別の女性と床をともにしている。
政治の大きな変化の中でも、ウゼダ家の安泰は変わらない。父の財産を使い、青年たちは自由奔放に過ごす。その中で見つけた一人の女性。その美しさに目を奪われたコンサルヴォは、力で彼女を征服してしまう。
自分の浅はかさと、彼女に対するすまなさと、権力を駆使するまるで父のような自分に嫌悪するコンサルヴォ。彼女の兄弟から襲われ、重傷を負うが、命は取り留める。しかし、ここで暮らしていくことはできない。ヨーロッパに渡り、遊学の身となる。
長いこと、シチリアに帰らなかったが、妹・テレーザの結婚の報を聞いて、久しぶりに故郷に戻る。妹の相手は、公爵家の長男、ジョヴァンニーノの兄のミケーレ。テレーザとジョヴァンニーノは双方愛し合ってる周知のカップルだ。テレーザ本人も、ジョヴァンニーノと結婚することが当たり前だと思って愛をはぐくんできた。
しかし、二人の結婚はありえない。次男のジョヴァンニーノと父が結婚をさせるわけがない。ささやかな望みを打ち砕かれたテレーザ、ジョヴァンニーノのとった選択、自分を愛していないことをわかっている妻をいだくミケーレ。だれも何もどうすることもできない。それを見届けるコンサルヴォ・・・。
唾棄すべき、にっくき父が弱っていく。厳格に狡猾に、周到に君臨してきた嫌悪する父。あんな人間だけにはなりたくないと思ってきたコンサルヴォは、いつしか父と同じような選択をし、思想を変え、時代を生きていく・・・・。
と、ながながと物語を書いたが、大変面白かった。『山猫』と対比されているようだが、あちらは、とにかく絢爛豪華。これから滅びゆく貴族の最後のともしびとでもいうか、去りゆく者の潔さがテーマとなっているが、こっちは、どこまでもしがみつく人間の本性のようなものを感じた。
人間の内面をえぐり、醜いものをあえて強調し、嫌悪すべき人間を表している。そこから生まれる悲劇は、胸がつぶれるほどのものだが、勝者とは一体誰なんだ?革命は勝ちなのか?勝利とは何が勝利なんだ・・・と、いろいろと深く考えさせられた。
イタリア一のいい男(らしい)と言われてるアレッサンドロ・プレツィオージ。この俳優がやはり秀逸。華がありながら、影がいい。知性を感じさせ、かつ色気もたっぷり。日本ではおなじみではないらしいが、これは素敵。ちょっとマイケル・ビーンっぽかったのが、あたし的に引き付けられました。
その他、全編にわたる豪華なお屋敷や、シチリアの風景も目にうれしい。しかし、なにより本音の殿堂みたいな人間のあからさまな生きざまが面白い。それぞれ、さまざまな立場にいる人間の本音をあまねく描いている。
最後に老人となったコンサルヴォが、イタリアの混迷を嘆くが、映画はイタリアの未統一、混迷よりは、時代の中でもがく人間の本性の方に、重きが置かれていたように感じた。
コンサルヴォの子供時代のあまりの浅はかさは、見てても、あちゃーと思うほど。正直者はなんとかを見るといいますが、あんだけの親父にしつけられたら、もうちっと学ぶと思うのですがねえ。蛇足でした。
と、年代が出てくるが、それに合わせた年齢設定に、少々の齟齬と無理があったのが、ちょっと残念。大雑把なイタリアらしいっちゃ、そうかもです。
◎◎◎◎
「副王家の一族」
監督・脚本 ロベルト・ファエンツァ
出演 アレッサンドロ・プレッツィオージ ランド・ブッツァンカ クリスティーナ・カポトンディ グイド・カプリーノ
シチリアの貴族、カターニャ一の名家のウゼダ家。当主のジャコモは、まだ幼い息子のコンサルヴォを厳しくしつける。それこそが息子に対する愛情であり、憎悪こそが、人間を成長させる一番の要素だと信じて疑わない。
コンサルヴォは、厳格な父よりも、奔放な叔父のライモンドになつくが、財産を一人占めしたいジャコモは、弟ライモンドの女癖の悪さをつき、亡くなった母から相続した半分の財産を放棄させる。
ウゼダ家の完全なる支配者となったジャコモに、意見するものはもういない。いくら罰を与えても、奔放なコンサルヴォは修道院に入れられる。そこには、従弟のジョヴァンニーノが待っていた。公爵家の息子だが、次男なために家を継げない。
神のしもべの館だと思っていた修道院は、まったく違っていた。女人禁制などどこ吹く風。早朝の祈りも億劫で、金で雇った別の派にやらせている。神父の誰もが堕落している中で、コンサルヴォとジョヴァンニーノの世話係をしていた、カルメロ神父だけは、真の聖人だった。
二人が青年になったころ、半島で起きていた革命運動がシチリアにも伸びてくる。ガリバルディのシチリア征服だ。イタリアの統一・・というのは、非常に分かりにくく、世界史でもなるべく避けて通りたいところなのだが、そうもいかないので、簡単にあらましを。
旧態然としていた修道院は解放され、シチリアの町々には自由の象徴の赤シャツ隊が闊歩する。貴族にとっては、唾棄すべき人々だが、ジャコモにとっては、重要なことではない。家名を守り、財産を守る。それができれば、思想も節操もない。
しかし、混乱の中で、コンサルヴォの母は、病気で亡くなってしまう。独裁者の父から自分を唯一守ってくれてた母を追い詰めたのは父だ。瀕死の母の脇で、父はすでに別の女性と床をともにしている。
政治の大きな変化の中でも、ウゼダ家の安泰は変わらない。父の財産を使い、青年たちは自由奔放に過ごす。その中で見つけた一人の女性。その美しさに目を奪われたコンサルヴォは、力で彼女を征服してしまう。
自分の浅はかさと、彼女に対するすまなさと、権力を駆使するまるで父のような自分に嫌悪するコンサルヴォ。彼女の兄弟から襲われ、重傷を負うが、命は取り留める。しかし、ここで暮らしていくことはできない。ヨーロッパに渡り、遊学の身となる。
長いこと、シチリアに帰らなかったが、妹・テレーザの結婚の報を聞いて、久しぶりに故郷に戻る。妹の相手は、公爵家の長男、ジョヴァンニーノの兄のミケーレ。テレーザとジョヴァンニーノは双方愛し合ってる周知のカップルだ。テレーザ本人も、ジョヴァンニーノと結婚することが当たり前だと思って愛をはぐくんできた。
しかし、二人の結婚はありえない。次男のジョヴァンニーノと父が結婚をさせるわけがない。ささやかな望みを打ち砕かれたテレーザ、ジョヴァンニーノのとった選択、自分を愛していないことをわかっている妻をいだくミケーレ。だれも何もどうすることもできない。それを見届けるコンサルヴォ・・・。
唾棄すべき、にっくき父が弱っていく。厳格に狡猾に、周到に君臨してきた嫌悪する父。あんな人間だけにはなりたくないと思ってきたコンサルヴォは、いつしか父と同じような選択をし、思想を変え、時代を生きていく・・・・。
と、ながながと物語を書いたが、大変面白かった。『山猫』と対比されているようだが、あちらは、とにかく絢爛豪華。これから滅びゆく貴族の最後のともしびとでもいうか、去りゆく者の潔さがテーマとなっているが、こっちは、どこまでもしがみつく人間の本性のようなものを感じた。
人間の内面をえぐり、醜いものをあえて強調し、嫌悪すべき人間を表している。そこから生まれる悲劇は、胸がつぶれるほどのものだが、勝者とは一体誰なんだ?革命は勝ちなのか?勝利とは何が勝利なんだ・・・と、いろいろと深く考えさせられた。
イタリア一のいい男(らしい)と言われてるアレッサンドロ・プレツィオージ。この俳優がやはり秀逸。華がありながら、影がいい。知性を感じさせ、かつ色気もたっぷり。日本ではおなじみではないらしいが、これは素敵。ちょっとマイケル・ビーンっぽかったのが、あたし的に引き付けられました。
その他、全編にわたる豪華なお屋敷や、シチリアの風景も目にうれしい。しかし、なにより本音の殿堂みたいな人間のあからさまな生きざまが面白い。それぞれ、さまざまな立場にいる人間の本音をあまねく描いている。
最後に老人となったコンサルヴォが、イタリアの混迷を嘆くが、映画はイタリアの未統一、混迷よりは、時代の中でもがく人間の本性の方に、重きが置かれていたように感じた。
コンサルヴォの子供時代のあまりの浅はかさは、見てても、あちゃーと思うほど。正直者はなんとかを見るといいますが、あんだけの親父にしつけられたら、もうちっと学ぶと思うのですがねえ。蛇足でした。
と、年代が出てくるが、それに合わせた年齢設定に、少々の齟齬と無理があったのが、ちょっと残念。大雑把なイタリアらしいっちゃ、そうかもです。
◎◎◎◎
「副王家の一族」
監督・脚本 ロベルト・ファエンツァ
出演 アレッサンドロ・プレッツィオージ ランド・ブッツァンカ クリスティーナ・カポトンディ グイド・カプリーノ
西洋史モノは大好きですが、流石にこの時代のイタリア史なんぞは全く知らず。せめて公式サイトぐらい予習で読んで行った方が楽しめたかもしれないなと思いました。
おっしゃるとおりイタリアの統一云々よりは、人間の本性、それもこの一族の人間たちの本性を描いていたように思います。権力を握るためなら、副王家の一族でありながら左系から議員に立候補してしまうというあたりも、結局はどんな手を使ってもという父の教えが息づいていたように見受けられました。
ひさびさに思った。陰と陽がいっしょに存在している素敵さ?そんな感じがしました。
この辺のイタリア史は、いちばんやなとこですね~。
教える方としても、なるべくさけて通りたいことです・・。なさけないことに。
でも、そんな状況と相まって、人の弱さ、醜さ、強さ、どうやって死を迎えるのか・・そんなところがあまねく描かれてとっても興味深かったです。
どうにか、人は生きてくんですよ。