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決戦は日曜日からの香川一区

2022年02月05日 | か行 日本映画
とんとブログとご無沙汰だったのですが、ちょっと書いたら書けないこともない。時間もちょっとあるし。ということで書けたら書く!というスタンスで行きましょう。



 3週間ほどのブランクを超えて、第1作目に選んだのは「決戦は日曜日」。ゆるっとしたのから始めようとチョイス。つか、もうすぐ終わりそうだったので、終わるのから選んだ。衆議院議員の地盤を受け継がされてしまったお嬢様。お父さまの後継が決まらず、なあなあな感じで白羽の矢が当たったというわけ。まあ普通だったらさすがに長年衆議院議員をしてきた父親を見てきたら、その辺の事情は当然理解し、父親の苦労を分かち合ってきたはず。だが、そんな物分かりのいいお嬢様では物語は成立しない。なんもわからんお嬢様を候補者にすることで、周りの人たちの思い通りにしていこうという。

 でもこのお嬢様、並大抵の人じゃなかった。世の道理が通用しない。正論なのか、わがままなのか、大人だったらその辺はわかるやろ~が一切通用しない。映画的には大人の事情の裏工作で通そうとした周りの人間に対し、それおかしいんじゃないの?と思った考えが勝って、逆転しちゃった!てのがカタルシスなのだが、この映画はそうはいかない。やっぱ世の中はそんなにうまくはいかないのよ。大人の事情がまかり通ってしまうんですよ。。。。と。

 お嬢様の論理は確かに正しい。何を言うかは自分が作った原稿ではなく、議員のやったまずいことは秘書のせいにし、それがおかしいという常識が有無を言わさず封印される。世の中そんなもんよ、、、で百戦錬磨の周囲の人たちに言いくるめられてしまうのだ。候補者には一切ビジョンを語らせず、出てくる言葉は「苦しい戦いです。乗り越えられない壁はありません。皆さん頑張りましょう」これだけだ。

 んじゃ、選ばれないかというと、そこは見てない方のお楽しみにして、なんだかなあ~で劇場を後にした。そして翌日に見たのが、これも終わっちゃう「香川一区」。「なぜ君は総理大臣になれないのか」の続きと言われる一本。これは見たかった。狙ったわけではなかったのに、この二本を見ると、つくづく日本の選挙ってものの未成熟さというか、情けないというか、なんか暗澹たる気持ちになってしまった。

 立民の党首に立候補したあたりから結構著名になってきたが、小川淳也を有名にしたの
は前述の映画からだろう。一人の政治家をあんな風に切り取っていった作品つうのはなかったでしょう。まっすぐと不器用は完全に両立、懸命ですれない。すれないという表現があってると思うのだが、どうでしょう。体当たりで逃げない姿勢は周りの理解がないと、絶対に続けられない。映画を見ていて、彼の最大の応援者であり理解者で支えになっていたのは家族。正直にまっすぐに彼に向き合い、何の遠慮もなく批評する。かえりみて前の日に見た映画。一番の理解者があれじゃあだめっしょ。

 本編の「香川一区」。こんだけの題材はなかなかない。いつもはいつになるのかわからない衆議院選挙が必ず行われることは決まっている。争点もわかりやすい。おまけに虎対竜のごとく対照的なライバルがいる。黙っていても面白いものにならないはずがない。どっちが善でどっちが悪とかはないはずなのに、そんな構図が黙っていてもできてくる。ここは若干意図を感じなかったわけでもないが。

 選挙までの分析、準備、そして怒涛の選挙戦。考えてもみなかった第三者の立候補や、次々とドラマが起こる。じわじわ精神的な追い込みがあり、あからさまな戦いになっていく。もうマニュフェストなんて誰も聞いてないよ~。争点もなくなっていく。とにかく頑張ってます!!が一番重要。そして決戦。映画のシナリオでも書けないような結末を私たちは知っているにもかかわらず、カタルシスがやってくる。

 選挙は終わった。あたしが言うまでもないが、そこからがスタート。当選したところがゴールだと思っている政治家さんはどこにもいないと思うけど、とにかく頼みたい。あなたに委託したんじゃないのだけど、そうなってしまったことをぜひとも肝に銘じてほしい。いつも思っている。選択なんて0か100なんかじゃない。49か51なんだと。奇しくもその思いを綴ってくれていた。

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