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第537回 大阪人はアメリカ好き?

2023-08-18 | エッセイ
 長い歴史、文化、伝統などへの誇りからでしょうか、大阪人の中には、東京的なるものに対して複雑な思い、対抗心を抱く人が多いように感じます。
 「大阪的」(井上章一 幻冬舎新書)では、そんな狭い日本から一足飛びに太平洋を越えて、アメリカ的なるものに憧れ、取り込もうとした大阪人の企みが語られています。その興味深いエピソードをご紹介します。

<自由の女神像>
 私には縁のない場所でしたので気付きませんでした。著者によれば、大阪のパチンコ店、ラブホテルなどには、やたら「自由の女神象」(以下、像)が目立つというのです。
 著者が、あるアメリア人に大阪を案内した時のことです。彼は「いったい、この街で暮らす人は、アメリカのシンボルを、どう思っているのか」(同書から)と驚いたといいます。神聖なる「自由のシンボル」を、チープな像に仕立てて、あちらこちらに目立つように設置されては、アメリカ人の誇りが傷つくのもわかります。さらに、大阪府東大阪市の源ヶ橋温泉という銭湯(現在は廃業)の玄関上の2階には2体の立派な像が建っていました。

 松明(たいまつ)の代わりに持っているのは、なんと♨(温泉マーク)です。入浴とニューヨークのシャレでしょうか。1920年代に創業して以来のシンボルで、著者によれば、日本で最初の像ではないか、というのです。そして、この像は、先の大戦でも没収されませんでした。「鬼畜米英」のスローガンからすれば、まっさきに撤収されてしかるべきですが、幸いなことに軍の目を逃れました。さすが「自由の」女神。

<東大阪のホワイトハウス>
 ミカミ工業という建築装飾を業とする会社(本社:東大阪市)の本社ビルです。

 ご覧の通り、本場アメリカのホワイトハウスをそっくり真似ています(大きさは3分の2ほど)。決して社長の道楽ではなく、洋館の建築部材商品(門、扉、手すり、円柱など)を人々に見せるショーケースとして建てられました。社長は、商才に長けた人物だったようで、1984年のこの社屋の竣工式には、大阪のアメリカ総領事館の副総領事が出席し、テープカットまでおこなっています。また、ホワイトハウスの設計図面を貸与するという便宜まで図ったといいます。
 この会社ですが、先の「自由女神像」乱立現象に大いに関わっています。実は、大阪の像の多くがこの会社製です、創業間もないバブル期に、パチンコ店から注文が殺到しました。特定の系列店からの一括注文ではなく、個別店からの注文だったとのことで、社の営業努力が実ったのでしょう。バブルがはじけて、注文は激減したとのことですが、大阪人のアメリカ好きがこんなところでしっかり結びついていました。

<ビリケンー失われたアメリカ文化の保存>
 大阪人には馴染みの「ビリケンさん」です。大阪ミナミの繁華街・新世界にそびえ立つ通天閣に鎮座しています。

 足の裏をなでるとご利益があると信じられ、私も願い事は忘れましたが、なでた覚えがあります。実はこれは、アメリカ由来の愛玩人形が原型です。1908年、シカゴの女性彫刻家が、夢に出てきた精霊を造形化したものだ、というのが通天閣の説明で、幸運のシンボルとしてアメリカでヒットしました。名前の由来は、イヌイット(エスキモー)の人たちが人形をベリケンと読んでいたから、とか、当時のアメリカ大統領ウィリアム・タフトの愛称ビリーにちなむ、とか諸説あり、確かなことはわかっていません。
 日本へ入ってきたのは、1912年のこと。新世界を中心とした13万平米もの広大な遊園地(ルナパーク)が開園したのがきっかけです。一角にビリケン堂が建てられ、千客万来の招福人形として祀られ(?)ました。その人気は東京へも広がり、広告の図柄として、また、花柳界では招き猫や福助以上の人気を集めました。そんなビリケン人気が下火になったのは、ちょっとした政治的事件が関係している、というのが著者の見立てです。
 1916年、寺内正毅が首相になりました。頭に毛がなく、てっぺんが少し尖っていることから「ビリケン宰相」と呼ばれました。しかしながら、元帥陸軍大将も兼ねる権勢ぶりが嫌われ、「非立憲(びりけん)的」などと揶揄される始末。それとともに、ビリケン人気は、全国的に下火になっていきました。一方、本場アメリカでは、20世紀半ばごろまではそこそこ人気を保っていたビリケン人形ですが、1920年代に登場した「キューピー」が人気を集め、世紀後半にはすっかり取って替わられました。
 さて、大阪での状況です。1923年に、さきほどのルナパークが閉鎖され、ビリケンは行方不明になりました。現在のビリケン像は、戦後に再建された通天閣が往時を偲ぶために、1979年に誂えたものです。本場でも日本でもすっかり下火になっている人形を再興し、ニッチなものとして楽しみ、面白がり、ちょっぴり有難がる・・・いかにも大阪的と感心します。

 大阪人はアメリカ好き、というよりは、アメリカを商売に利用するのが上手やなあ、というのが記事を書き終えての感想です。皆様はいかがでしたか?それでは次回をお楽しみに。
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