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第254回 映画、小説のタイトル考

2018-02-09 | エッセイ

 「考」なんてエラソーな「タイトル」で、気が引けますが、映画j、小説のタイトルを話題にします。

 まずは、映画のタイトルからですが、ここんところ、映画は見なくなりました。いささか古い映画が登場しますが、よろしくお付き合いください。

 1960年代くらいまでは、日本で公開される洋画のタイトルは、日本語が主流だったように記憶しています。ですから、「ローマの休日」(1954年公開)とか、「ウェスト・サイド物語」(1961年公開)のように、地名のカタカナだけでも結構新鮮に感じ、遠い異国の地に思いを馳せたものです。当時のポスターです。



 「ローマの休日」の原題"Roman Holiday"を直訳すれば、「ローマ帝国市民の休日」になります。
 ローマ帝国時代、剣闘士を戦わせて市民が楽しむ娯楽に由来して「他人を犠牲にして楽しむ」という意味がある、というのを知ったのは、ずっと後のことです。確かに、周りの人たちの迷惑を顧みず、ローマでの1日を楽しむ王女と新聞記者の物語なので、原題はなかなか凝ったタイトルです。邦題も、ローマが舞台なので、たまたま、日本語として、ハマるのですが・・・

 「ウェスト・・・」の「物語」という部分が、いかにも時代を感じさせます。今だったら、そこは、原題("West Side Story")どおりの「ストーリー」で公開されるはず。

 タイトルの横文字化が進む中、 原題の英語を、そのままカタカナで邦題にする大きなきっかけは、「ゴッドファーザー」(原題:"The Godfather 1972年公開)の成功だったように思います。優れた娯楽作品だったからこそですけど、「ゴッドファーザー」という当時馴染みのなかった存在をそのままタイトルにしたインパクトも大きく貢献したはずです。

 その後は、原題を、そのままカタカナに置き換えた邦題が、大流行となります。
 「ビッグ・ウェンズデー」(原題:Big Wednesday 1979年公開)とか、はては、「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ(原題:Once Upon a Time in America 1984年公開)」のごとく寿限無みたいな邦題まで登場して、なんでもありになりました。

 それで、ひとつ思い出したんですけど、「スター・クレイジー」(1980年公開)というアメリカ映画がありました。ハリウッドを舞台にしたドタバタ喜劇みたいな邦題ですが、原題は、
"Stir Crazy"です。"stir"は、刑務所のこと(カタカナだと「スター」としか表記のしようがないんですが)。刑務所のような狭い所に長期拘禁されている受刑者が陥る精神の変調のことです。身に覚えのない罪で服役した二人の男が脱獄を図る、と言う内容で、英語をそのままカタカナに置き換えて、ワケが分からなくなった例として記憶しています。

 さて、次は小説のタイトルをひとつ話題にしようと思います。遠藤周作の初期の代表作「沈黙」です。

 著者自身による「沈黙の声」(1992年プレジデント社。のち、青志社から新装復刊)によると、最初は、「ひなたの匂い」というタイトルで、出版社へ原稿を渡したというのです。ところが、原稿を読んだ出版社の友人から「これでは迫力がない。やはりこの内容なら、「沈黙」ではないか」と言われます。

 意に添わないタイトルでしたが、出版社に、なかば押し切られる形で、世に出、大きな反響を呼びます。

 遠藤自身が危惧していたように、読者、批評家の多くから、「神の沈黙」を描いた作品との誤解を受けたのが、非常に不本意だったようです。同書で「神は沈黙しているのではなく、語っている」と書いています。

 事実、作品の中には、踏み絵を踏む宣教師のロドリゴ(主人公フェレイラの弟子)に、イエスが「踏むがいい。お前の足の痛さをこの私が一番よく知っている。踏むがいい。私はお前たちに踏まれるためこの世に生れ、お前たちの痛さを分つため十字架を背負ったのだ。」と語りかける場面があります。

 う~ん、営業的には、「沈黙」なんでしょうねぇ。「沈黙の声」だと、誤解されにくくはなるでしょうが、テーマがストレートに出過ぎるような気がします。

 かといって、「ひなたの匂い」では、重いテーマとの結びつきが弱いように感じます。
 棄教したフェレイラが、屈辱の日々を送る自宅のひなたで、腕組みをしながら、過ぎ去った自分の人生を考える、という場面を思い描いてのものだ、と遠藤は書いています。気持ちは分かるんですけど・・・・

 最後に、ちょっと宣伝っぽく、わが「書きたい放題」の記事タイトルですが・・・

 中味は結構呻吟しますけど、タイトルに悩むことはあまりありません(当たり前ですが・・)。

 内容をコンパクトに表すのを基本にしています。
 が、時には、「時計を止める」(第224回)のようにちょっとはぐらかすタイトルにしてみたり、「ネコとカストラート」(第228回)みたいに謎めいた言葉で幻惑してみたり、大阪弁講座のようにひとつの言葉(「かみます」のように)をチラ見せして、気を引いたりと、自分なりの工夫を楽しんでます。

 それやこれやで続いている当ブログです。引き続きご愛読ください。

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